again④

帰り道で出会ったのは偶然だった。
カカシは七班を連れてはいない。聞けばさっき報告を済ませて解散したのだと言う。
少しがっかりしたイルカにカカシは眉を下げて微笑んだ。
「俺だけでもいいじゃないですか」
寂しそうな声に、慌てているかは首を振った。
「そんな、俺はカカシさんがいるだけで全然」
その先を言葉に出すのは恥ずかしく。口ごもりそのまま黙って赤面したイルカにカカシは優しく微笑む。カカシの僅かに露出している頬も少し赤く染まっていた。
二人は並んでゆっくりと歩き出す。
「雨上がりましたねえ」
のんびりとしたカカシの口調に、イルカも顔を上げた。西の空が綺麗な茜色に染まっている。
「そうですね」
そう応え、梅雨を迎える前の心地のいい風にイルカは目を瞑った。目を閉じたのは一瞬だ。なのに、その一瞬に隣にいたカカシがいなくなっているような気がして、イルカはカカシに顔を向けた。
何のことはない。カカシはイルカの隣を手にポケットを入れたまま歩いている。
安堵すると、カカシが視線に気がついたのか、イルカへ視線を向ける。目が合った。
「どうしたの?」
「あー・・・・・・いや、」
答えに困った。
隣にあなたがいなくなった気がして、なんて。すごく変だし馬鹿馬鹿しい。
それに、そんな事を言えばカカシはきっと笑うだろう。
そしてカカシはイルカに寂しがり屋だとか可愛いとかそんな言葉を言うのだ。カカシはイルカの反応が面白いのか、からかう事がよくあった。好きになった相手でもそれってどうなんだ、とも思うが。結果それも含めてカカシに好意を抱いていると自分でも分かっているのだから、可笑しいったらありゃしない。
「何て言うか、隣にカカシさんがいてホッとしたって言うか、」
誤魔化して鼻頭を掻いて笑うと、カカシが一瞬目を開いた。その表情にイルカは焦る。
「いや、変な意味じゃなくて、」
「じゃあ、ずっと隣にいていい?」
「え?」
聞き返すイルカにカカシは優しく微笑む。だが、イルカの答えを待つわけでもなく、すぐに視線を外した。
「行きましょうか」
促され、歩みを止めた足が再び動き出し、イルカもまた隣を歩き出した。



イルカは布団の中で目を覚ました。
深い眠りだったのか、頭がすっきりとしているのに。
しばらく布団から起きあがれなかった。
随分と昔の事なのに、丸で昨日の事のような夢。
手を伸ばしたら。振り返ったら。その頃に戻れる気がした。
だが、起き上がり。現実を改めて認識する。
もうすぐ小学校では年に三回行われている大きな学力コンクールがある。学校で力を入れているそのテストの為、コンクール近くになると、毎日宿題を工夫して生徒に出していた。その深夜遅くまで作っていた宿題のプリントが床に落ちたままになっている。
あと3日か。
カレンダーで日付を確認しながら、イルカはむくりと起きあがった。


カカシの中で前の記憶があると認識したのは、一体いつからだったのだろうか。
バスに揺られながら外の景色をぼんやりと眺める。
曖昧だけれど、確信した事実があまりにも自分の中でまだ受け入れられていない。
少し他の子とは違うとは思っていたのは、自分が記憶のあると言う色眼鏡でカカシを見ていたからだとばかり思っていたし、カカシが漏らす言葉の節々に、いかにもあの人らしいと感じ取っていた。
でも、その台詞も。他の子供とは違う眼差しも。いつまでも自分に懐いてくれているのも、全て昔の記憶があるからだとしたら。
イルカは眉根を寄せていた。視線を自分の足下に落とす。
迂闊だった。
イルカはため息を零す。
もっと距離を置くべきだったと、今思っても遅い。
頭から離れない記憶と忘れるべき恋心を、あろう事か、今のカカシに重ね想いを膨らませていた。
自分に都合良く。
ガタン
バスが揺れ、イルカは顔を上げる。
通勤通学の人で込み合ったバス。視界に映る全てが今自分がいる世界の現実。
それ以外何物でもない。
今朝夢で見た記憶の中にある一部分を押し出すように、イルカは停車ボタンを押した。


「イルカ先生もう帰りですか?」
職員室で机の上を片づけ席を立ったイルカに声をかけたのは、同じ学年のクラスを持つ女性教員だった。自分より一回り歳上でありベテランだ。
何をするにしろ根を詰めて仕事をするイルカを気遣ってくれていた。
熱心に子供たちへ気持ちをそわせる分、子供たちとの衝突も多いイルカに、上の人間がよく思っていない。その為子供たちと上の人間との間に挟まれる事のあるイルカを度々救ってくれたのは、彼女だった。
イルカのように行動出来ないから羨ましい、とも言ってその女性教員は言う。
いつまでも変わらず生徒を見守って欲しいとも。
だから、なんだかんだで残業をしているイルカがここ最近帰るのが早い事に気がつくのは、おかしい事ではなかった。
「あ・・・・・・、たまには早く帰ってもいいかな、なんて」
うまい言い訳の言葉も思い浮かばないイルカの言葉に、彼女は笑った。
「そうなんですか」
どう受け取ったのは分からないが、少し嬉しそうに微笑まれる。
「じゃあ、お先に失礼します」
「あ、そうそう」
そそくさと背を向けようとしたイルカにまた、声をかける。振り返るイルカに女性教員は続けた。
「少し前に私が残業してた時にイルカ先生を訪ねてきた生徒がいたんですよ。あ、ここの生徒じゃなくて卒業生なんだけどね。名前、何と言ったかしら」
それだけで背中がひやりとした。表情に出さないよう努める。
「・・・・・・はたけ、ですか」
名前を口に出せば、そうその子、と思い出したのか少し嬉しそうに答えた。
「最近イルカ先生を見ないって。何か用事なのって聞いたんですけどすぐに帰ってしまって」
結構遅い時間だったから気になって。
言われてイルカは苦笑いを浮かべた。
「すみません。また俺が会ったらそんな時間までふらついてるなって言っておきます」
頭を下げるとその女性教員は笑った。
「ああ、いいのよ。きっと部活動か何かの帰りだったんでしょう。でもいいわね。卒業生に慕われるのは。それってイルカ先生の愛の成果って事なんですから」
優しく微笑まれ、イルカはどう答えたらいいのか言葉がすぐに見つからなかった。
「・・・・・・ありがとうございます」
口にしながら、胸が痛んだ。

職員室を出て、イルカはゆっくりと重い息を吐き出した。
その元卒業生を避けているんです、何て言えるはずがない。
それに、学校を出て向かう先は自宅ではなかった。その足は喫茶店へ向けられる。最近見つけたその店は、常に程良い混み加減で仕事をするにも支障はなかった。職場ではそこそこの状態で仕事を切り上げ、その喫茶店である程度まだ残っている仕事をする。閉店間近に店を出て、まだ仕事が残っていれば家でもその続きをする。
喫茶店で仕事をするに当たり、コーヒー代や軽食代もかさむが、そんな事を気にしてはいられなかった。
切り上げて家で仕事をしても良かったのだが、一人で部屋にいる気分にもなれなかった。
店の中にいる事でその店内の雑踏が自分を安心させるし、一人だとすぐに考えないようにしている事が頭に浮かび、集中出来ないと自分でも分かっていた。
何でカカシを避けているのかも、自分で分からなくなりそうなる。
気がつかないフリをして、いつものように彼と接すればいいだけの話なのに。
幾ばくかの可能性が自分の心を大きく揺さぶっていた。
自分が昔の記憶を持っているのだ。カカシが同じように持っていても何もおかしい事はない。
そう考えただけで胸が押しつぶされそうになり、イルカは目を瞑った。

いつもの店に入りいつものようにコーヒーを注文する。
今日は出来れば持ち帰った仕事をやりきってしまいたい。
基本は受け持った生徒に従事している事が多いものの、それ以外の雑務で期限付きの提出物が多い。
その書類を自分の鞄から出しテーブルに広げ、さてやるか、と心の中で自分に拍車をかけた時、書類が陰りが出来る。視線を上げ、小さく息を呑んだ。
目の前にカカシが立っていた。
制服姿で鞄を肩にかけたまま。不機嫌を露にしたカカシの表情に緊張が走る。
その姿を目にしたイルカは必死で動揺を隠すように笑顔を浮かべようとして、
「先生、座っていい?」
聞かれ、首を横に振る事は出来なかった。
頷くとカカシはイルカの目の前に座る。鞄を空いている椅子に置いた。
同時にイルカの注文したコーヒーが店員によって置かれ、カカシもまた同じ物、と注文をする。
定員がいなくなると、カカシはイルカをじっと見つめた。
「珍しいね、先生がこんな店で仕事するなんて」
「お前こそどうしたんだ、こんな店で」
「分かってるくせに」
ふっと息を吐くようにカカシが笑う。
「先生のね、跡をつけてきた」
真顔で言うカカシに、ドクンと心臓が鳴った。が、直ぐにカカシはふわりと微笑んだ。
「ってのは冗談でー、たまたま見かけたの。ほら、今日本屋に寄ろうと思って。ここから近いでしょ?」
この近くにある大きな書店の名前を出した。高校生向けの参考書も多く揃えてあり、イルカもよくその書店には通っている。
カカシは、それに最近イルカ先生の顔見てなかったし。だから嬉しくて。と続け、そのいつもの調子のカカシに身体の力が抜けた。
「そう言えば、お前も今年受験だもんな」
「そうそう」
軽い調子で頷くと、カカシは机に広げた書類へ視線を落とした。
「先生は相変わらず仕事ばっかりだね」
少し気の毒そうに言われて、イルカは笑いながらその書類を自分の方へ寄せた。
「まあな」
「大変だね。社会人って」
立て肘をついたカカシは青い目をイルカに向ける。そこからカカシの頼んでいたコーヒーがテーブルに置かれ、カカシは邪魔しちゃ悪いから、と鞄の中から本を取り出す。静かに読み始めた。
ここにカカシが来るのは予定外だったが、至って普通なカカシに少し拍子抜けしていた。
勝手に構えていた自分がいたからなんだろううが。
正直、カカシに記憶があるとそう感じたが。それが勘違いじゃないのかと思えてくる。
見た目、そのままの高校生。
ペンを持ちながら、目を伏せ本を読んでいるカカシをこっそり窺い見る。綺麗な顔立ちで、銀色の髪はそこまで手入れがされていない。そして、髪の色と同じ色の睫は長く、肌の色は白い。
細身長身で端麗で、いつもの静かな表情とは別で笑った顔の可愛さのギャップにときめく女の子だって多いはずだ。今時の若い子の言い方で言うなら、イケメンなのだろう。昔暗部にいたと聞いた事があったが、その頃はこんな感じだったんだろうか。
勝手に思考が横道に逸れる。ふとカカシが本から視線を上げた。
目が合いそうになり、慌ててイルカは仕事を再開させる。
「ねえ先生」
「なんだ」
カカシがこっちをじっと見ているのが分かった。
「俺この前、先生の家に忘れ物したみたいなんだけど、なかった?」
ペンを止めて顔を上げる。
「これの前のやつ」
カカシは今持っている文庫本を軽く上げた。タイトルを目で確認する。
自分の部屋にあったかどうか記憶を手繰ってみるが、正直仕事ばかりで部屋の掃除すらままならない。床に読みかけの雑誌や、教本も散乱している状態だ。その中に紛れているのだろうか。
あったかどうか、記憶の波に耽るイルカにカカシが、あーじゃあさ、と口を開いた。
「今度友達に貸す約束しちゃったからさ、今日探しに行ってもいい?」
直ぐ退散するから。ね?
カカシはテーブルの上に両肘をついてイルカを覗き込む。何かを頼みたい時、こんな表情をイルカにだけはよく見せる。
そして俺は、この表情に弱い。
「部屋、汚いぞ」
諦め口調で言うと、
「知ってる」
カカシは嬉しそうに微笑んだ。


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