again⑤

何でこんな事になっているんだろうか。

切迫した状態で頭の中は真っ白だ。
カカシによって床に押し倒され、イルカはただ自分の腹の上に乗っているカカシを見上げる事しか出来なかった。

部屋に入った時はまだいつものカカシだった。
ホント、相変わらず汚いね。なんて言いながら部屋に上がり。その後二人でカカシの本を探した。
床に散乱したものを片づけながら探すも、結局出てこない。
リサイクルの日に慌てていらない本を纏めて外に出したのだが、もしかしたらその中に入っていたのかもしれない。
だとしたら悪いな、とお茶を煎れて謝るイルカにカカシは首を振った。
俺も自分の部屋ももう一回確認してみるね、と言い。
そこから他愛のない話をしていたのに。
「でもさ、」
カカシが湯飲みから口を話して呟くように言った。
「何で俺を避けてたの?」
ふいに問われた内容に、イルカはすぐに反応出来なかった。
「・・・・・・え?」
間抜けに聞き返した後、カカシの言葉の意味を理解する。ぎゅっと身体が強ばった。無理にイルカは頬を緩ませる。
「何言ってんだ、カカシ。避けてなんか、」
「ない?嘘ばっかり」
カカシは空気を吐くように笑った。
「避けてたじゃない」
「いや、避けてなんか、」
「避けてたって言ってるでしょ」
苛立った声だった。強く言い切られて、否定しようにも先の言葉が続かない。
カカシの意識しない気迫が漏れている。緊張感に身体が強ばった。
が、次に零したカカシの声はひどく弱々しかった。
「でも良かった」
何の事かと見つめれば、胡座をかいたカカシは頭を掻きながらイルカの部屋を見渡した。
「俺ね、てっきり先生に女が出来たのかと思った。でも誰かを部屋に上げたって事はないみたいだし」
そこで視線をイルカに戻す。
「・・・・・・好きな人でも出来たとか?」
向かい合ってじっと見つめられ、イルカはゆっくり首を横に振った。
「いや・・・・・・」
「じゃあ、何?何で俺を急に避けるの?もしかして、俺の事嫌いになった?」
不安そうな眼差しを向けられ、イルカはもう一度首を振っていた。
「何言ってるんだ、そんな事あるはずないだろう」
「じゃあ何で?」
再び問いつめられ、頭が混乱する。
昔の記憶からも、こんなカカシを見たことなかった。20代半ばで出会って交際を始めたからだろうか。こんなに感情的になるカカシは初めてで。それに言っている事が子供じみているし、何を言いたいのか。理解できない。そんなに責める事だったのだろうか。
若いからと、年齢で片づけてしまえば簡単なのだろうが、前の記憶があるとすれば尚更おかしい事になる。
そこで気がつく。
いや、前の記憶があるからーー?
瞬間、カカシの腕がにゅっと伸びる。
気がつけば身を乗り出したカカシの腕がイルカの腕を床に引き倒した。勢いでテーブルの湯飲みが倒れ、床にお茶が零れていくのが視界に入った。


あまりにも予想していなかった事で、唖然としたイルカは抵抗さえ忘れていた。
腹部を圧迫され、その重い痛みに眉を顰める。
「先生。理由言ってよ」
「・・・・・・カカシ?」
初めて見るカカシの一面に、ただ青ざめるも、カカシはイルカをじっと見下ろしたまま。ゆっくりと口を開いた。
「俺はさ、先生。ずっと側にいれるだけでいいと思ってた。でも実際離れていくかもしれないって分かったら、正直、自分でもびっくりするくらい怖くなった。ねえ先生。俺あんたから離れたくない」
あんたと呼ばれイルカの身体がぴくりと反応した。
緊張が、一気に高まる。
避けていた事を簡単に見抜かれた事にも驚いたが、見抜かれてもいいと思っていた。
どんな形でも、カカシと距離を取るべきだとさえ思った。
でも、これは予想していなかった。
カカシの感情に呑まれそうになる。ただ、この場をどうにかして収めたい。ただそれだけだった。
「俺は、・・・・・・お前を避けてなんか、」
自分を必死に落ち着かせて言ったイルカに、カカシが笑った。乾いた笑い。
「ホント、先生って嘘が下手」
呆れながらも薄く微笑むカカシの表情は酷く残酷に見えて、先の言葉を失った。
「先生、俺の事好き?」
見下ろしながら問うカカシを、イルカは目を見開き、見つめた。
いつものからかう調子は欠片もない。笑っているのに、目は真剣身を帯びている。
好きだと言うのは簡単なのに。喉の奥から出てこない。そのままの言葉をカカシに向ける勇気が出なかった。色々な感情が入り交じりイルカの頭の中がぐしゃぐしゃになる。額に薄く汗が浮かんだ。
カカシは怯えたように目を見開くイルカを静かに見つめたまま、
「俺はね、先生が好き」
どんな感情だと口にしなくともうっとりと熱の入った言い方は、はっきりと恋愛だと、そう示している。イルカの動揺を簡単に、煽る。
「先生は男は無理?俺でも無理?」
何がどうなったらカカシがこんなに変わってしまったのか。
ーーただ単に、俺が気づけなかっただけなのか。
カカシの顔が近づきイルカは身構え思わず身体に力を入れていた。カカシが触れる腕が熱い。それだけで、感情が高ぶるのが止められなかった。
「待てっ、」
「先生は上と下どっちがいい?」
「や・・・・・・っ、やめ、」
近づいたカカシの顔を避けるようにイルカは顔を背ける。イルカの言葉が耳に届いていないかのように、カカシは訴えかけるように続けた。
「俺はね、先生がいいなら俺は下でも上でも構わない」
カカシの顔が、むき出しになったイルカの首筋に息がかかるくらいに近づく。
背中が震えた。覆い被さるカカシが。カカシの唇が薄い肌に触れ、イルカはひゅっと息を呑んだ。目の前のカカシが。昔の記憶のカカシなのか、今のカカシなのか、一瞬それを見失った。
「やめっ、カカシさんっ・・・・・・やめて、」
抵抗の言葉を吐いたイルカに。
あれだけ強引だったカカシの動きがぴたりと止まった。イルカは顔を背けて拒むように閉じていた目を開け、顔をカカシへむける。
カカシはじっとイルカを見下ろしていた。
一体どうしたと言うのか。
おそるおそる名前を呼ぼうとして、
「・・・・・・イルカ・・・・・・先生?」
カカシに名前を呼ばれた。イルカを見つめてはいるが、食い入るような眼差しが痛いくらいにイルカに向けられている。
自分を確かに見下ろしているのに、自分を見ていないような視線。その意図を探ろうとカカシの顔を直視した。青い目は自分だけを映している。
やがて、カカシの口がゆっくりと開いた。
「・・・・・・先生、記憶・・・・・・あったの?」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
ーー今何て言った?
聞き間違えないようながい台詞。
真っ白な頭に衝撃が走る。同時に自分がカカシの呼び方を間違った事も。
「あ・・・・・・」
心臓が痛いくらいに鳴り出した。
とぼけるなんて今の自分には到底出来なかった。そうだと認めんばかりの声が代わりに漏れる。真っ青な顔で言葉を失うイルカに、カカシは真っ直ぐにイルカを見つめた。
「・・・・・・一体・・・・・・いつから?」
静かに問うカカシに、イルカは口をぱくぱくとさせた。視線を泳がせると、またカカシは小さく笑った。
「何だ、・・・・・・先生。俺だって分かってたの」
可笑しそうに笑うカカシに動揺が広がった。抑えきれないくらいの動揺がイルカを襲う。
「違う・・・・・・」
「酷いなあ先生。何でもっと早く言ってくれなかったの?」
優しく、不思議そうにカカシが首を傾げる。カカシの指がイルカの頬に触れた。優しく。
「ーーーーっ」
途端に変わったカカシの表情と口調に記憶が一気に鮮明に浮かび上がる。身体が震え、勝手に涙がこみ上げ視界をぼやけさせた。懐かしくて胸がいっぱいになる。あふれ出た言葉にならない感情を、止める事ができなかった。
思わず口を手で押さえる。
カカシさんが。カカシさんが、今ここにいる。
溢れた涙がイルカの目から零れ、イルカの頬を伝った。
「ああ、泣かないでよ先生」
イルカの頬を流れる涙を、カカシがぬぐう。
昔のいつか、カカシがイルカにそうしたように。
でも違う。そうじゃない。
イルカは首を横に振った。
カカシを夢に見るまで望んでいて。恋い焦がれて。
でも、そうじゃないんだ。
このままカカシに泣いて縋りつきたい。そのカカシの腕の内に入れ欲しいし、抱き締めて欲しい。
でも。駄目なんだ。
「・・・・・・ごめんなさい」
振り絞るように出した声は震えていた。
え?と聞き返すカカシにただ、涙を流しながら首を振る。
「カカシさんの好意には・・・・・・俺は・・・・・・応えられない」
一瞬、間があった。
ただ、俺の情けない嗚咽が部屋に響く。
「それって・・・・・・どういう意味?」
涙目のままカカシへ視線を向けると、ぽかんとした顔をしていた。
「応えられないって・・・・・・何で、」
「これが、現実だからです」
「現実って?何で?いいじゃない。俺たちこうしてまた出会えたんだよ?年齢の差があったけど、俺だってもう18で」
「違う」
強く否定するイルカに、カカシの言葉が止まった。
「カカシさんは何も分かってない。俺だってそんなのは分かってるんです。そんなんじゃない」
「じゃあ何?」
聞かれてイルカはそこで口を結んだ。濡れた目で何回か瞬きをする。それをカカシは苦しそうな表情でじっと見つめていた。
「じゃあカカシさんは俺が捕まってもいいと?」
驚きなのか、一瞬カカシは目を丸くした。
「俺はもう三十路も過ぎた教師で、カカシさん、あなたは高校生だ。考えれば変わるでしょう?」
「年齢が問題?だったら俺が成人したらいいの?」
それにもイルカは首を振った。カカシは苛立ちに眉根に皺を寄せた。
「何で?何が駄目なの?意味が分からない。ねえ、先生。どうして、」
肩を強く掴まれ問いつめるように身体を揺すられ、イルカは唇を噛んだ。
「・・・・・・っ、あなたの未来を俺の為に棒に振ってほしくないって言ってるんだっ」
吐き出すような声に、カカシがぴたりと動きを止めた。
「俺の・・・・・・未来?」
「そうです。今が一番大事な時期だって、自分でも分かってるでしょう?あの時代とは違う。俺を選んだら、カカシさんが落ちていくばっかりになる。そんな事はさせられない。絶対に」
カカシは黙ったままじっとイルカを見下ろしていた。
感情的な眼差しを向けるイルカに、対して酷く冷静な目のような、呆然としているような。
しばらくの沈黙の後、
「そんな事・・・・・・」
カカシのようやく口から出た言葉。
そんな事と言われ、驚いた。胸に広がるのは怒りと悲しみ。これ以上話しても平行線だとも感じる。
イルカはため息と共に目を伏せた。どうしたら、分かってくれるのだろうか。
いや、分かってくれなくても自分の答えは今言った通りだ。カカシを世間の非難の目に晒す事なんて出来ない。理解を求められないこんな世界で。
カカシは。ただ、じっとイルカをぼんやりと見下ろしていた。
重い沈黙が続いた後、もっと食い下がるとばかり思っていたがそれ以上なにも言う事もなく、カカシの手がゆっくりと離れた。
「・・・・・・今日のところは帰ります」
ほっとしたイルカにカカシは、けど、と寂しげな吐息と共に続ける。
「心の整理が出来ないから、・・・・・・ここですぐにはいと返事は出来きそうにないです」
すみません。
呟くカカシはイルカと視線を合わさなかった。ゆっくりと立ち上り、それによってイルカはカカシの体重から解放されるも、何故かそれが寂しく思えた。
カカシの背をは一度も振り返る事はなく、そのまま部屋を出て行く。
バタンとカカシによって締められた扉の音が、酷く重くイルカの耳に響いた。


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