again⑥

毎日、カカシの夢を見るようになった。
自分の都合の言いように、と言えばいいのか。夢は昔の記憶ばかりで、知り合ったばかりの頃や、恋人になった頃。いつもカカシは隣で優しく微笑んでいる。
鮮明なはずなのに空虚な物に感じる事に、それでいいのかもしれないと思えるようにもなった。
あれは、俺にとってはいい思い出であり、戻れようもない記憶なのだ。
たとえカカシもその記憶を持っていてもーー戻れない。

「あら、先生。まだ帰らないんですか?」
声に顔を上げる。同じ学年のクラスを受け持つ女性教員が、不思議そうにイルカを見ていた。
「ええ、明日の授業の準備をあと少しだけ」
「そう。でももうコンクールも終わったんですから。家に帰ってゆっくりするのも必要、ってそんな事イルカ先生は言われなくても分かってるわよね」
嫌みのない優しい口調と共に彼女は笑った。
「じゃあ、ほどほどにね」
「はい」
頭を下げ、女性教員は職員室を後にする。
まだ放課を過ぎたばかりの職員室にはまだ職員が多く残っている。
その中でイルカは密かにため息を零した。
本当は、特に残業するほどの仕事は残っていない。それでも意味もなくここに残るのは、もしかしたら彼ががくるのかもしれないと、そう思っていたからで。
でも、あれから一ヶ月、カカシは顔を見せなかった。
心の整理が出来ないといったカカシは、まだ自分の事で悩んでいるのだろうか。
何でこんな事になってしまったんだろう。
また深いため息がイルカから漏れる。
記憶があると言ってもだ。カカシはまだ18であり高校生。
その時期を過ごしてきた自分からすると、そんな多感な時期にあまりにも抱え込むには大きすぎる。
それは衝動的に自分を押し倒した事を考えるだけでも、十分に分かった。
もう少し俺が大人な対応をしていれば、カカシに記憶がある事を悟られなかっただろうし、こんな結果を生む事もなかった。
なのに。
俺は、こうして意味のない残業をしてカカシを待っている。
一人笑って目を伏せた。
ただ、待っているのは。カカシが心配だから。
こうして時間が経つと、あの時は互いがいかに感情的だったのかが分かる。今まで心に秘めていた感情が爆発したような。そんな感じだったからだ。
でも、感情的だったはずのカカシが口にした最後の台詞が。昔の記憶のままの丁寧な口調でーー。
切なさに胸がきゅうと締め付けられ、思わずイルカは頭を振った。
そんな事はどうでもいいんだ。
それに、もしかしたら俺の気持ちを知った今、カカシはもうここに俺に会いにこないのかもしれない。
なら、それでいい。
イルカはやりかけの仕事にペンを持った。


やり残した仕事に手をつけたら、あっという間に日はとっぷりと暮れていた。気がつけば職員室で一人だったイルカは早々に片づけをして外に出る。
職員の玄関から出たイルカはそのまま正面玄関に背を向け校庭へと向かう。裏口の方が自分のバス停に近いからだ。
その校庭の片隅にあるものにイルカは目を留めた。
まだカカシの担任になったばかりの頃、いつか二人で並んで座ったタイヤは老朽化の為カカシが卒業してすぐに新しいタイヤに取り替えられ、そしてカラフルな色を塗られた。
赤やピンクや水色や黄色。そのタイヤを卒業したカカシが見て、ダサいと言っていたのを思い出す。
そのタイヤをイルカはじっと見つめ、黄色に塗られたタイヤに腰を下ろした。
こんな暗がりでこんなところに座っているのを誰かが見たら驚き声を上げるのかもしれないが、たぶんこんな時間に誰もこない。
今日もカカシはこなかったなあ。
イルカはぼんやりと夜空を見上げた。
自分でそう答えを出したくせに、隣にカカシがいない事が。自分に会いにこない事実が、酷く寂しく感じてイルカは視線を地面に落とした。
だが、何もかも幼くて小さかったカカシは今や自分の身長を追い越したものの、未だカカシに対する愛情と言えるだろう、感情は冷めてはいない。
ああ、俺逃げてる。
イルカはそれを認めて笑った。
このままカカシとこんな形で終わりたいなんて思ってないくせに。
なのに逃げて、カカシを待つなんて。
最低な大人だ。
イルカは足下にあった石をこつんと蹴る。
でもカカシに会うのなら、自分もきちんと考えを整理しなければいけない。
イルカはふう、と息を吐き視線を誰もいない真っ暗な校庭へ漂わせた。
愛情はあると認識しても、他の感情があるかと聞かれたらーー。
好き、と。カカシはそうイルカに言った。
熱っぽく呟かれ、酷く動揺した事を思い出す。それは、そうあっていけないと自分で思っていた事が現実になったからだった。そんな事になるはずがない。慕ってはいるが、昔と同じような感情をカカシが持っているなんてあり得ないと。そう思っていた。
でも、違った。
イルカを押し倒し好きだと言った、その場面が再び脳裏に浮かび、イルカはかあと顔を熱くさせ眉根を寄せた。
そして、その時。動揺と共に同時に胸が熱くなるのを感じた事を思い出す。少し前までは、ただただ今のカカシの姿に昔のカカシの姿を重ねて胸を熱くさせていた事はあったが。この前は違った。
目の前のカカシに対して、はっきりと胸が熱くなった。
また胸が高鳴り感じた事のないくらいに胸が締め付けられ、イルカは息を吐き出した。
カカシの気持ちは分かる。前の記憶があるのなら。そのフィルター越しに自分を見てしまっていたのだ。自分も成長するカカシを見ながらその姿に昔のカカシを重ねていたのだから、そこを責める事なんて出来ない。
だけど、今は恋人同士でもなんでもない。
歳の差もある元担任と生徒の関係だと、気付かせる。それがちゃんと出来ただろうか。
だが、最後部屋を去る前のカカシは、落ち着いていた。あれは俺が拒否をした事にショックを受けたからだろうか。それか落胆していたからだろうか。
ショックを受けるのは当然だったかもしれない。
きっぱりと拒否をした時、そんな事と呟いてーー。
突然、胸にちくりとした痛みが走った。
不意の痛みに思わずイルカは胸に手を当てた。
でも、それが何なのか分からない。
イルカは胸に手を当てたまま眉を寄せる。
その時だった。すとんと心の中に、頭の中に入ってきたのは一人の女性の声だった。

「馬鹿だねえお前は」
そう呆れ声で言ったのは綱手だった。
雨上がりの晴天に気温は上がり、執務室の窓は綱手によって開け放たれている。その部屋でどこからかひっぱりだした団扇をぱたぱたと綱手は仰いでいた。藍色だったはずの団扇は色あせているのは年季が入っている証拠だ。
イルカは書類を抱えたまま苦笑いを浮かべた。
そんなイルカに綱手は苛立ちを込め、呆れた眼差しを向ける。ため息を吐きながら背もたれに体重を預けると、大きな胸が揺れた。
紳士に視線を下にずらすイルカに気がついているのかいないのか、綱手は構わず続ける。
「馬鹿らしい。世間からどう思われようがお偉いさんがどう思おうが、こればっかりは互いの気持ち次第だろう」
違うかい?
言われてイルカの表情が少し強ばる。それを誤魔化すように鼻頭を掻いた。
「でも、もう決めた事なんで」
イルカは申し訳なさそうに笑った。

思い出した記憶に何の事だろうとイルカは首を傾げた。
蒸し暑い天候だった事や、綱手の持つ団扇や積み上げられた書類の種類や台詞まで、細部まで記憶しているのに。二人の会話がなんの話題なのか、分からない。
今まで昔の記憶を持っていたが、こんな記憶は今まで思い出した事もなかった。


そして記憶が少し巻き戻される。


自分がカカシと半同棲していたイルカのアパートに場所は移る。
ちゃぶ台に並んでいるのはご飯と味噌汁と肉じゃがと三つ葉が添えられた厚揚げの卵とじ。どれも作りたてで美味しそうに湯気が立っている。その食卓囲んで座る自分とカカシは、いつも通りに和やかに食事をしているはずなのに、違った。部屋はしんと静まりかえっている。
「別れるって・・・・・・先生、それ本気で言ってるの?」
茶碗を持ったままカカシが口にした。
「はい」
即答するイルカにカカシが首を傾げ、笑った。
「待って・・・・・・何で。ごめん、ちょっと混乱してる・・・・・・ねえ先生、さっき言った理由だって訳わかんない。そんな事俺は気にしないよ?」
「俺が気にするんです」
きっぱりと言い切られ、カカシは言葉を失ったままイルカを見つめた。イルカはカカシから視線を外さない。
「六代目となるあなたを守る為なんです。分かってください」
イルカは一歩下がり頭を下げた。その一言に、姿に、カカシは目を見開き、土下座をするイルカをカカシはただ、静かに見つめた。
絶対に譲らないと、本気だと悟ったカカシはゆっくりと眉間に深い皺を作る。
虚ろな眼差しのまま悲しそうな表情に変わっていく。

「・・・・・・そんな事・・・・・・」

ぽつりと力なく呟いた。




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