赤いかけら③

先生って彼女いないの?
そう聞いたのは、確か一緒に飲みに行って3回目の時だ。
目の前で美味しそうにビールを飲んでいたイルカは、一瞬目を丸くして、直ぐに顔に顔を綻ばせた。
「いたらいいんですけどね」
えへへ、と情けないような顔を見せるイルカの返事に、心底ほっとしながらも、いないけど、彼女がいらない訳ではないと、そう取れる台詞は、カカシの心を簡単に抉った。
「だよね」
自分の動揺を誤魔化すようにカカシは同調し、飲みかけのジンライムのグラスに視線を落とす。グラスの縁に付いていた塩を指で拭った。そのままそのライムの果汁と塩が付いた指を舐め、ふと視線を上げればイルカと目が合う。
黒い目が優しそうに緩んだ。
「カカシさんはどうなんですか?」
当たり前の様に返された質問に、薄く微笑みを浮かべて目の前の枝豆を手に取る。
「いないよ」
言えば、え、と、イルカは目を丸くした。
「俺いるんじゃないかとばかり思ってました」
言われてカカシは苦笑いを浮かべる。
「いたらこんな頻繁にイルカ先生を誘わないよ」
言ってしまったと思った。無意識に出た言葉だが、イルカを傷つけてしまったかと、変に意識して顔を上げれば。
特にさっきと分からない、酔った赤い頬を緩ませて微笑んでいる。
「ですよね」
言われてまたカカシの胸は簡単に痛む。変に勘違いされたんじゃないだろうか。不安に、また言葉を続けようとしたが、
イルカはビールを飲み干して、通りすがった店員に身体を向け手を挙げた。お代わりを頼む。
そんな姿を見つめながら、イルカの一挙一動に過剰に気にしている自分が嫌になった。
人を好きになるって事はこう言う事なのか。と、思い知る。
自分がこんなに不器用だったなんて、思いも寄らなかった。もっと上手く立ち回っていれば、イルカをその気にさせる事が出来るのかもしれない。
いや、この人がその気になるって事はまずないんだろうと、分かってる。だから、カカシは早くからそうなることは諦めていた。
気持ちは募る一方だが。
普通に友達として振る舞っているけど、自分の気持ちを知ったら幻滅するだろう。
だから、この友達と言う関係は、この人が普通に恋人が出来るまでの短い期間。
きっと、そう。
カカシはそう心に決めていた。
でも、今はいない。
好きな人はいるのだろうか。
気になる女が。
それは流石に口にする事すら出来なかった。
正直怖い。
そんな気持ちを聞いて何になるのか。
知ったところで応援しますよなんて、したくもない演技をする事になりかねない。
諦める良いキッカケにはなるのかもしれないが。今はまだそんな時期じゃない。
と、勝手に決めている。
そう、今はまだ。
イルカがイカの刺身を頬張り、幸せそうに、美味しそうに食べているのを見つめながらそう思った。



「あ、美味しい」
目の前の女は、以前イルカが食べた同じイカの刺身を口に入れ、嬉しそうな顔をした。
「すごく新鮮ね。甘いもの」
ねえ?
そう投げかけられ、カカシは頷く。
イルカとは全く別人の女は、ぱくぱくと他の刺身も食べて、幸せそうにビールを飲んだ。
そう、別人なのに。
食べ物をこんなに美味しそうに食べる表情は、悪くない。
下手に気取っている女よりよっぽど見ていて気持ちが良い。
「刺身は、あんまり食べないの?」
あまりの食べっぷりにそう聞けば、口元に付いた醤油をおしぼりで無造作にふき取りながら、女はカカシへ視線を向けた。
「ああ、...そうね。うん。久しぶりに食べたわ」
「へえ、じゃあいつもは、」
「ねえ、ご飯頼んでいい?」
話をそう遮られ、カカシが頷くと、女は振り返って手を元気よく上げる。
寄ってきた店員に、
「ご飯いただける?大盛りで」
そう言われて返事をする店員に、よろしくね、と、嬉しそうに声をかけた。
そこからカカシに振り返る。
グラスを傾けたままその様子を見ていたカカシに気が付き、首を傾げた。
「あ、ごめんね。それでさっきは何を言おうとしたの?」
話しを戻され、カカシはグラスを置いて、ああ、と返事をした。
「いつもどんなご飯食べてるのかなって、思って」
カカシの問いに、女は少しだけ口を尖らせて。斜め上に視線を向け考える素振りをした。
そして直ぐにカカシへ視線を戻す。
「まあ、...そうね。うーん。いろいろ?」
曖昧すぎる言い方に、カカシは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「いいじゃないそんな事、それよりこれ、頼んで良い?」
女は話しを切り替えると、メニューを指さす。
ここの店で人気のあるだし巻き卵。イルカも好きで、ここの店にくると、必ず頼んでいた。
「うん。いいよ」
「私一人で食べても良い?」
「うん。いいよ」
今度は少し笑って答えるしかなかった。今ままで相手にしてきた女にはいなかったタイプだ。何て言えばいいのか、はっきり言うと、すごく全体的に子供っぽい。
それに真っ直ぐで裏がない。
まるで、ーーあの人みたい。
カカシは縦肘を付いて、他に何を頼もうかとメニューを眺めている女にイルカを重ねながら、微笑んだ。


「ねえ。今度はいつ会える?」
家まで送ると言ったら、断られ。仕方なくカカシは分かれ道となる薄暗い街頭の下で女に聞いた。
黒い目を何回か瞬きして。女はそこから少し考える風に地面に視線を落とす。
それがどんな意味なのか。よく分からなくて、カカシはただその女の姿を見つめた。
今までの様子から、変に勿体ぶってると言う事ではないのは分かる。
じゃあ何だろう、と、じっと見つめていると。
ふっと女は顔を上げた。
「いつでも会えるじゃない」
「.....え?」
聞き返すと、女はにこっと微笑む。
「またあのお店に来てくれれば」
そう付け加えられ、一瞬カカシは目を丸くして、そこから小さく笑った。
「まあ、そうだけど」
これはもしかして断っているって事なんだろうか。
よく分からない。
「でも、ゆっくり話せないじゃない」
カカシが言えば、女は微笑み黒い目を細めた。それだけで子供っぽかった印象がガラリと変わり、女らしい表情を見せる。
「どんな話?」
聞かれてカカシはどう答えるべきか困り、頭を掻き、何て言おうか考えると、
「あなたが誰かを好きって話?」
言われて女へ視線を向けた。
違うの?と言うように、女は首を傾げて微笑む。
カカシはそんな女をじっと見つめた。印象通り、ストレートな言い方を好む女らしい。
「まあ、...ね。だってまだあんたの名前も聞いてないしね」
そう言うと、違うでしょ、と女は首を振った。
「私じゃなくって。他に、いるんでしょう?」
探る風でもない。そうに決まっていると、女は確信した目を見せる。
わかりやすい言い方なのに、カカシは一瞬意味が分からなかった。
だって、そんな言葉がまさか出てくるとは思わなくて。
カカシは流石に言葉に困った。それが顔に出たのか、女は吹き出す。
「ごめん。だって最初からそんな顔してたじゃない」
くすくすと笑われる。
今まで自分の感情を読みとられる事なんかない。そうあり得ない。
なのに、何でだ?
微かに眉根を寄せれば、女は優しそうに微笑んだ。
「今日はごちそうさまでした」
頭を下げ、ぴょこんと顔を上げる。
「またね」
手を振って、女は薄暗い道を歩き始め、やがて角を曲がり姿が見えなくなる。
カカシは、その姿をぼんやり見つめたまま。小さく息を吐き出し、口元に指を持って行く。
ただ、女のさっきの言動を思い返すも、どうしても自分が悟られるようにしていたとは思えない。
分からなくて心に靄がかかったようで。
それでも、あの女はすごく好印象だった。
少しずつ距離を縮めていけば、きっと大丈夫。
カカシはそう自分に慎重に思いこませる。
そう、慎重に。
イルカへの思いを吹っ切る為に。
そこからカカシは夜の道へ消えた。



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