赤いかけら④

未だただの知り合い止まりの女の名前は、百合と言った。
名はたいをあらわすとよく言ったものだが、聞いてもどうもしっくりこなかった。
まあ、だが本人がそう言うのだからそうなのだろうが。
それに、少しやけになっている自分もいた。
今まで自分になびかない女なんていなかったのに。どうもこう、この女はそれらしい話をすると、はぐらかす。にこにこと嬉しそうに。
悔しい事にその表情や目が嫌いじゃない。
結局うまく相手の掌でうまく回されてしまっているような感覚に、苛立ちもするが。
それ以上に気になるのは。

「カカシさん」
受付で報告してすぐ、廊下を追いかけてきたイルカに呼び止められた。
愛おしい声が自分を呼び止め、カカシはくるりと向き直った。
「どうしたの?」
少し前から、イルカを頻繁に誘うのをやめていた。もともと立場的にイルカから誘う事はなかった。だから、自分が誘わなかったら、ーー会う回数も減るわけで。
気持ちを自粛する為にも。
それでもやはりイルカにこえをかけられて。それだけで自分の心は踊る。
目の前にいるイルカは黒い目をじっとカカシに向けていた。
胸の前に手を持ってくると、ぎゅっと拳を作った。表情や動作から、心なしかイルカが緊張しているのが分かる。
何がそうさせているのか。不思議に思いながらもカカシはイルカを見つめた。
自分の好きな、赤みを帯びた唇。力を入れ、開く。
「あ、あの。今日」
「...うん。今日?」
「よかったら、夕飯一緒にいかがですか?」
おずおずと上目遣いで言われ、カカシは一瞬固まった。
自分の中でイルカから誘われるはずがないと思っていた。表情に出さないようにするも、返事をしないカカシを不安そうに見つめた。
「カカシさん?」
名前を呼ばれ、カカシも口が開いた。
「あ、うん。えっと、」
どうしよう、と頭で思い。
口ごもると、イルカがふっと眉を下げたまま笑顔を浮かべた。
「なんか最近カカシさんと話してないなあって、思ったんですが。すみません。急じゃ無理ですよね」
ごめんなさい。
「え、いや」
そう言い掛けてみるが。
ぺこりとイルカは頭を下げ、そこからまた受付業務に戻るべく、背中を見せ走っていく。
カカシはただ、その後ろ姿を見つめるしか出来なかった。
イルカの姿が見えなくなって、カカシは掌で顔を覆って嘆息した。
要は、イルカが見て分かるくらいに、自分が動揺してたって事だ。
情けない。
早い鼓動もまた自分じゃないみたいだった。
だってイルカはそんな気じゃなくて、ただ単に友人として誘っただけなのだ。
自分が急に誘わなくなったから。
気を使ってくれたのだ。
(失敗だよね)
思い、失敗じゃないと思い直すも。
でもやっぱり、イルカのあんな顔を見るのは辛い。
微かに傷ついた顔をしたのは、きっと気のせいじゃない。
カカシはそこからとぼとぼと歩き出した。
そう言えば。最近イルカの笑顔を近くで見ていない。
受付で会うくらいじゃ社交的な笑顔しか見れないのは分かってるけど。
もっと、満開の笑顔。距離の近い笑顔。
目の下に出来る笑い皺が愛らしい。
両手をポケットに入れながら、その笑顔を思い浮かべて。カカシは小さく微笑んだ。

「それで?」
帰りにうどん屋に立ち寄って。お盆を胸に抱えながら問われ、カカシは顔を上げた。
うどんを口入れ咀嚼しながら怪訝そうに相手を見る。
「それでって、なに?」
注文しかしてないのに何の事かと聞けば、百合は片眉を上げた。
「落ち込んでる」
思わず口の中のうどんをごくりと飲み込んだ。
流石にイルカの前では素になったりもしたが。ここではそんな素振り見せていない。
カカシは素知らぬ顔で小さく笑った。
「んな訳ないでしょ」
そう言ってうどんを啜る。
「あら、違うって顔はしてないけど」
何を根拠に。
そう思うが、それ以上話すと変に悟られそうで。それがカカシには気に入らない。
今までなかったのだ。いや、人に心を見透かされるなんて、あり得ない。あるはずがない。
それなのに、この女。
これがこの女の作戦?
ついここに足を運んでいる時点でそれを認めているようで。
「まあいいわ。いつでも言ってね。相談に乗るから」
食べることに専念し始めたカカシに諦めたのか、百合はそう言ってため息を吐き出すと、他の客の接客へ向かった。
(相談なんて出来るはずがないっつーの)
気軽に言われようが自分の気持ちなんて晒すつもりなんてさらさらない。
少し離れたテーブルで自分より歳の男が百合と世間話をしている。いつも笑顔ではきはきとして、どの年齢の客にも好かれる。それに気取る訳でもない。ここの看板娘、と言ったところだろう。
諦める事と、イルカ先生以外の誰かを。
二人を同時に好きになるって事は、難しい。
けらけらと笑う百合を見ながら、そう思った。
「ありがとう」
食べて勘定を済ませたカカシを百合は店の外まで見送りに出てきた。
「別に」
すこしムっとしている言い方に、百合は一瞬目を丸くした後、微笑んだ。黒い目を細めて。
「ありがとうなんて言うなら、今夜デートしてよ」
言うも、百合はまたそんな冗談、と笑い飛ばす。
カカシは苛立ち気にカシガシと頭を掻けば、微笑みながら百合はカカシを見つめる。
「悪い人じゃないって分かってる」
意味が分からなく少し眉を寄せれば、ふっと微笑んだ。
「だって。そうでしょ?あなたはとっても良い人」
良い人。なんて言われた事もなかった。
あ、いや違う。
イルカと知り合ってすぐに言われた。
 カカシさんは良い人ですね
頼りきったような眼差しだった。それだけで心がふわふわとしたのを思い出す。今思えば尊敬と取れる意味だったのかもしれない。
でも、あの時は。その一言で俺は浮き足だった。
この人に認められている。
特別じゃなくても。
そう思った。
純粋なイルカとは違う。自分は、ふしだらな感情を入り交えて。
それをカカシは思い出しながら、小さく笑いを零した。
「別に。良い人なんかじゃないよ」
そう?と、百合は首を傾げた。怪訝な顔をするカカシに優しく微笑んだ。

「だってあなたがもっと悪い人だったら。とっくに私のことなんてものにしてるでしょ?」



それはその通りなんだけども。
イヤな言い方だと思った。
タイプの違う女を選んだのが間違いだったか。
自己嫌悪するも、その後任務で呼び出されて。帰ってきたのは次の日の夜だった。
部屋に帰り額当てとベストを脱いだだけでそのままベットに倒れ込んで。泥のように眠り。
気がつけば朝になっていた。
ぼんやりとした頭で今日の予定を思い浮かべるが、午後から待機所に行けばいいだけだ。
それに安堵して再び目を閉じるも、疲れたそこまで残っているわけではない。
カカシはむくりと起きあがるとシャワーを浴びに浴室へ足を向けた。
熱めのシャワーを浴びながら目をつむる。
瞼の裏に浮かぶのは。
愛おしいあの人の笑顔。
最近見ていない。笑顔。
胸の奥の疼きにカカシは一人苦笑いを浮かべた。
受付で笑って、夕飯を一緒に食べて。酒を飲んで。
それだけの関係だったのに。
それでも思うのは。
俺は、自分で思ったよりもずっとその環境が気に入っていたんだ。



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