赤いかけら⑤

シャワーを浴びてカカシは朝食もそこそこに家を出た。
いつもの慰霊碑に足を運ぶ。
何かあった時には必ず足を向けていた。
辛い事があったり、悲しい事があったり、環境が変わった時や、ーー道に迷ってどうしていいか分からなくなった時も。
答えが返ってくるわけじゃないけど。そこに居て話しかけるだけで良かった。
鳥が鳴きながら嬉しそうに空を飛ぶ。3匹の鳥はまるで空中で遊んでいるようだ。
まるで自分の部下のようで、つい目元を緩めた。
そこから視線を前に戻して。
目の前に広がる慰霊碑の立つ場所に、誰かが立っている。
朝日昇るその場所はカカシからは逆光になり、目を眇めて歩けば、そこにいるのがイルカだと分かった。
まだお互いに遠目で確認出来る距離だが、イルカは気がついていない。
座り込んで何をしているのかと眺めていれば、イルカは持っていた包みかか取り出したのはおにぎり。取り出して、それを一口食べる。
そこで、気配に気がついたイルカと、目が合った。
大口で頬張ったイルカは、カカシを見て目を丸くして、ごくりと口の中のおにぎりを飲み込んだのが分かった。
思わず吹き出すと、イルカはカカシの笑った顔を見て、恥ずかしそうに微笑んだ。
そこから立ち上がり、カカシへ頭を下げる。
「おはようございます。何か変な所見られちゃって」
カカシはイルカの目の前で足を止めると、苦笑いを浮かべるイルカに、優しく微笑んだ。
「こんなところで朝食?それに、時間もずいぶんと早いね」
「まあ、たまには」
鼻頭を掻きながら、イルカは慰霊碑へ顔を向けた。
「...亡くなった仲間と、こうして時々食べたくなるんです」
忘れるわけがないのに、忘れてるみたいで。それが嫌で。
イルカの横顔は嬉しそうに微笑んでいるのに。少し寂しい目をしていた。
そんな事考えて、こんな場所で一人でお握りを食べる人なんて、きっとこの人だけなんだろう。
些細なところに、泣きたくなるくらいに胸が痛くなった。それを誤魔化すようにカカシは笑う。
「中身はなに?」
「えっと...うめぼしと、鮭と、」
「俺鮭好きなんですよ。じゃあ俺の時は鮭でお願いしようかな」
言ってしまったと思った。
何気ない一言だった。誰にでも言う冗談だったのに。
イルカの笑顔が凍り付いたように固まっていた。
その顔を呆然と眺めながら、そんな顔をさせるつもりはなかったと思うも、忍びであるならなくはない状況に何でそんな顔するの、と思考が交差する。それは、自分が闇にいた時間が長かったからなんだろうか。言い訳じみた思考の中。
それでも、今の状況を脱したく、言葉を探す。
「先生....あの、...」
薄っすら涙の膜が張った黒い目を、手の甲で擦って、イルカはカカシをもう一度見た。
「そんな事、二度と言わないでください」
そこからイルカは包みを懐に入れると、俺もう仕事に行く時間なので、失礼します。
カカシの横を通り過ぎようとしたイルカの腕を、掴んでいた。イルカは驚きその掴んでいる手を見る。そこからカカシの顔へ視線を向けた。間近で重なる視線。
「何でそんな事言うの?」
目の前からイルカがいなくなるのが嫌なだけだった。咄嗟にイルカの腕を掴んで、イルカの身体の温もりを指で感じただけで、そんな言葉が零れた、と言った方が正しい。
諦めようと思っている相手に、縋りたいと言う醜い自分。
カカシはそこから掴んでいた手を離す。
一連のカカシの言動をどう捉えたらいいのか分からなくなっているイルカは、少し口を開けていた唇を閉じ、カカシの顔をじっと見た。その澄んだ黒い目に自分の心まで見透かされそうで、気持ちが変に焦る。
カカシは笑顔を作った。
「あ~、ごめんね?任務でちょっと疲れてて」
「...そうなんですか?」
素直なイルカはさっきまでの事より、今のカカシの台詞を優先し、心配そうな眼差しを見せた。
ねえ、さっきのはどんな意味?
俺だから?
その涙は俺のため?
それとも他の誰かにでもそう言うの?
心に浮上する言葉をカカシは飲み込むと、作った笑顔のまま頷いた。
「うん。中々疲れが取れなくて」
「ちゃんと寝ましたか?」
「あ...うん。まあ、ほどほどに」
「それじゃ駄目です。ちゃんと寝てください」
しっかりとした口調で言われて、心配されているだけなのに、それが嬉しい。
カカシはまた小さく頷いた。
「うん。そうする」
それを聞いて、イルカはホッとした表情を浮かべた。
「じゃあ、俺は仕事に行きます」
そう言って背を向けるイルカの姿を見つめて。
「先生」
呼び止めていた。
くるりと振り返るイルカは、勿論もう怒っていない。
「いってらっしゃい」
カカシがそう言えば、一瞬目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
久しぶりに見た満面の笑み。
「はい。いってきます」
心が、胸が、また踊る。
(単純...)
自分を罵りながらイルカを見送る。
そこから慰霊碑の前に立った。
(...恥ずかしいところ見られちゃったよねぇ)
でもさ、俺はどうしたらいい?
心の中で語りかける。
さっきのあんな言葉を聞いただけで、期待しちゃう自分が嫌になる。
勝手な考え。
ポケットに手を突っ込んだまま慰霊碑を見つめる。
深く息を吸い込んで目を閉じる。

勝手な考えだけど。俺はね、イルカ先生。
たまたま出会って、たまたま都合良く仲良くなったあんたが
やっぱ好きかも

ごめんね。

何で謝るのか分からない。
それでも、言えない言葉をここで心に口にしただけで、少しスッキリした。


結局家に帰って寝て、起きたら夜になっていた。
取りあえず夕飯はコンビニで済まそうかと、考えながら外を歩く。
商店街に向かう途中の道から少し外れ、河原を散歩がてら歩き、その河原に座っている人影に目を留めた。
百合だった。
体育座りをし、立てた膝に肩肘をついて真っ暗な川を眺めていた。健康的な肌色でも、夜の闇では白く見える。
まだ距離があるうちから、砂利を踏む音が聞こえたのだろうか。百合が肩肘を解いてふっとこっちを見た。
「遅い」
さっきの距離から半分詰めた所で、百合がそう口にした。
「遅いって...なによ」
「今日来てくれるかと思ったのに来ないから」
カカシは小さく笑った。
「へえ、それって期待してくれたの?」
その言葉に、百合は顔を軽く顰める。立ち上がってカカシへ向き直った。
「残念。違う」
「あっそ」
はあ、とカカシはため息を吐き出した。調子が狂うのに、この女の目は、表情は、ーー憎めない。
女なんて鬱陶しいたけだと思っていたのに。
「じゃあなに」
苛立ち気に言えば、百合は目の前に何かを差し出す。茶色の紙袋。
「...なに?」
取りあえず、と受け取りながら袋を開け中をのぞき込む。透明のカップに入っている、何か。
よく分からなくて、カカシはのぞき込みながら首を傾げた。
「なにこれ」
「見て分からないの?プリンよ。プリン」
百合に目を向ければ、少しだけ口をへの字にしてこっちを見ている。
「だって、あなたこの前落ち込んでから」
「だから?」
そこで聞き返され、また百合はムッとする。
「だから、元気出るかなっと思って作ったの」
作った。
その言葉に目を丸くしていた。そんな事をするような相手に見えなかった。
今までこんな事をされた事は何回かあるが。全て突っ返していた。
甘いものなんて尚のことで。
でも、これはどうしようか。
好きとか、気持ちが傾くとか、そんなんじゃなしに。
単純に気持ちが嬉しい。
「ありがとう」
口にしたら、百合の頬が少し赤くなった。そこから満足そうに微笑む。
「これのお礼はしてもいいの?」
カカシの言葉に、百合は少し考え込み、首を振った。
「いらない」
「何で?俺の為に作ってくれたんでしょ?だったらお礼もちゃんと受け取るべきじゃない」
百合は驚いた表情を見せ、その後くすくすと笑う。
なにが可笑しいのか。
「あなたは私を無理矢理好きになろうとしてるだけ」
言われた言葉考えて、黙るカカシに百合は黒い瞳でじっと見つめた。
「たまたま近くにいた、都合のいい私を好きになろうとしてるだけなの」
たまたま
都合のいい
その言葉は、簡単にイルカを思い浮かばせた。
目の前で微笑む百合とイルカが、重なる。
「違う」
思わず大きな声が出ていた。
そこでハッっとする。
こんな女の前で自分をさらけ出した自分が情けない。
地面へ視線を落としながら、百合は動揺を隠そうとするカカシの前で、こつんと石を軽く蹴った。
「その気持ちを相手に素直に言えばいいのよ」
「言えるわけがない」
観念したように低い声で呟くカカシに、百合は沈黙する。
しばらくの間の後、口を開いた。
「大切なのね。その人が」
その通りだった。
大切過ぎて。
気がついたら好きになりすぎていて。
あふれる気持ちがイルカに分かってしまうんじゃないかと、怖くなった。
どうにか誤魔化そうと、そう思っていた。
「決めつけるのってどうかしてる」
「それは俺の勝手でしょ」
百合は小さく微笑んだ。
「そうね。あなたの勝手よね。でも、」
そこで言葉を切って地面からカカシへ視線を戻した。
「死んでも後悔しないって言える?」
一瞬面を食らったカカシに、百合はまた微笑む。
「だってあなたは忍びでしょ?そんな仕事でしょ?」
違うの?
言われて、カカシは再び黙り込む事を選ぶ。
イルカの泣きそうな顔がふわりと脳裏に浮かぶ。
自分の中では難しい選択を、ばっさり言われるのは、直面した悩みを突きつけられているようだった。
カカシは薄く笑った。だって、答えは出せない。出せるはずがない。
ん?と首を傾げそんなカカシを見つめる百合に、一歩近づく。
「じゃあさ、それはあんたの家に行ってから考えてもいい?」
言い終わるのと同時に、ぱん、と頭を叩かれた。
「いった...」
「そのプリンを自分の家で食べながら考えたら?」
女に叩かれる事は久しぶりで。しかし叩かれるとも思ってみなかったカカシは顔を上げると、百合は片手を上げて背を向け歩き出していた。黒い髪を、目で追い。
髪を無造作に掻きながら息をゆっくりと吐き出した。
百合の言葉で露わになったイルカへの気持ち。それは、逆なでされたように、胸の中で疼く。
(...女...抱きたい....)
弱音のような言葉を心で呟いた。
要は男は単純で。性欲処理をすれば、こんな醜悪な欲はすぐに消える。きっと。

そう思いながらもこのプリンを持ったまま花街に行けないし、かと言ってこの紙袋を捨てる事は出来ない。
仕方なくコンビニで適当に買い込み、部屋に戻る。
椅子に腰を下ろして、買ったものをぼんやりと眺める。その買ったものに手をつける前に、カカシは何気なく紙袋からプリンを取り出した。
甘いものが苦手で興味もないけど。
人にあげるにしては、色気のないシンプルなものだ。
(...俺を落とす気もないくせに手作りって...)
「訳わかんないよね...」
カカシはその色気もなにもない。飾り気のないプリンを手に取った。
勿論スプーンは入っていない。カカシは棚からスプーンを出すと、席に戻る。
人の気持ちをかき回すだけかき回して、なにを考えているのだろうか。
あんな会話させて。
人の頭を叩いて。
よく考えたらあり得ない。
スプーンで掬って一口口に入れる。
カカシは顔を顰めた。
甘いとかじゃなくて。それ以前の問題で。
自分のような素人でも分かる。
(...ダマになってる...)
テーブルにうなだれた。



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