赤いかけら⑥
任務帰りの夕暮れ。思ったよりも涼しいのは雨上がりだからだろうか。
水たまりにうつる赤い色を眺めながら、思う。
まずかった。
あれはまずかった。
プリンなんて食べた記憶がないくらいなのだから、評価する経験値もないのだけれど。
思い出した味に、カカシはそう心の中で断言した。
大体、茶碗蒸しを料理する行程と然程変わらないと思うのだが。
何があったら、ああなるのか。逆に知りたくもなる。
三人の部下を眺めながら歩いた。サクラは自分寄りの前を歩き。ナルトとサスケは更にその少し先を別々で歩いている。最近の任務でもコンビネーションは上手くなりつつあるが。
(...まとまりがあるんだかないんだか)
「ねー、サクラ」
水たまりを避けるように、ぴょんと飛び越えたサクラの名を呼べば、その名の通り桜色の頭を回してこっちへ顔を向けた。
「はい。何ですか?」
「サクラはさあ、お菓子とか作ったりするの?」
優等生らしいスマートな返事と共に振り返ったサクラは、カカシからそんな問いが出ると思わなかったのか。
素直に、目を丸くした。そこから少しだけ口を尖らせる。
「当たり前じゃないですか」
(ああ、当たり前なのね)
この歳の女の子は些細なところが難しい。カカシは眉を下げた。
「クッキーやケーキくらい作れなきゃ、女子力を問われちゃいますから」
「女子力ねえ」
カカシは苦笑いを浮かべた。
「じゃあ聞きたいんだけど、プリンとかって作れるの?」
サクラはまた目を丸くした。
「カカシ先生、プリン作りたいんですか?」
言われてカカシは違うと手を振った。
「いや、作らないよ」
「じゃあ何でですか?」
「いやね。この前もらったプリンが、」
と、そこまで言って。やば、と思った。
ナルトやサスケならともかく。聞いていたのは女子であるサクラで。
言葉を途中で止めたものの、サクラの目は輝いている。
「ええーっ」
と大きな反応に、さすがの前にいた二人も振り返った。
いや、そうじゃなくてまずかったから、と言い訳じみてる真実を言おうも、それはサクラの耳に届いていなかった。
(まあ...いいか)
そう思ったのは間違いだったと悟ったのは、受付に入った時だった。
イルカが受け付けに座っていたからだ。
いや、まさか。と、考え直したのもつかの間。まさかのナルトが報告書を受け取ったイルカに、口を開いた。
「なあ先生!カカシ先生ってばモテるんだってばよ!」
「ああ、それはそうだろう」
ナルトの興奮をそこまで気にする様子でもなく、報告書に目を通しながらイルカはそう答えた。
そこをそうスルーするのに、カカシは意外に思え、それをどう受け取っていいものか気にはなったが、それよりナルトを止める方が先決だった。
もらった相手とか、サクラにさえ何にも言ってないのに、色々内容が勝手に膨らんでいるようで、それが怖い。
「ほらナルト、お前邪魔だから」
後ろに押しのけようと思ったが、ナルトは更に口を開く。
「だってさ、彼女にプリンもらったんだって!手作りの!」
彼女とか手作りとかは、完全にこいつらの妄想に過ぎないが、一部間違っていないのが痛い。
イルカの動きがそこで止まった。
俺の分も今度一緒に作って欲しいんだよな、などと話しているナルト越しに、顔を上げたイルカと目が合う。
さっきの今で、この反応がどんな意味なのか、よく分からない。分からないからその黒い目をただ、見つめ返すしか出来なかった。
一瞬の間の後、イルカは目を緩める。
「そうなんですか。羨ましいです」
イルカはそう口にした。いや、違いますよと言う事も出来たのに。
(羨ましいって)
言われた言葉に軽く傷つく。カカシは黙って頭を掻いた。
ナルト、お前はサクラにでもお願いしたらどうだ?と、イルカはそこからいつもと同じ口調でナルトに言う。え、いやよ、とすぐに返したサクラの合いの手を聞きながら。
あの1秒にも満たない間に見せた、イルカの表情が気になったのに。その後微塵も見せなくて。いつもの表情のままのイルカの笑顔に見送られて、受付を後にした。
傷ついたらいいのに。
そんな人でなしのような、都合のいい妄想に笑いたくなった。
傷つくはずがない。
だってあの人は笑ってた。
まるで自分のことのように。幸せそうに。
違うよって言っても、そうですって言っても。
きっとどっちでもそんな顔をするんだろう。
あの人はそんな人だ。
明るくて朗らかで。笑顔が子供っぽくて。
そう。そんなイルカに惹かれたんだから。
それでいいんだ。
ーーだから、それを確かめてもいいよね。
カカシは部下を解散させた後、一人建物の外で待つ。
イルカは。建物から同僚と出てきた。そこから一緒にしばらく歩いたかと思ったら、イルカは手を上げた。それに同僚も手を上げ応えて、イルカだけその場にとどまる。
何だろうと陰で見つめていると、イルカが向かった先に自動販売機があり、納得する。カカシは微笑んで歩き出した。
ポケットから小銭を取り出したイルカは、それを小銭投入口に入れる。そこから、目の前に並んでいる飲料を眺めた。
そこからボタンを押そうとして。
「先生」
イルカの肩が面白いくらいに揺れた。同時にボタンを押したのか。かごんと音がする。
イルカは黙ってそれを屈んで取り出し、カカシ向き直る。
手には無糖のコーヒーを持っていた。
少し恨めしそうにカカシを見る。
「俺無糖飲まないって、」
「知ってる」
くすくす笑いながら被せるように言って、カカシは小銭を自販機に入れる。冷たいココアを押した。
イルカがこれが好きだと知らない訳がない。
「はい。これでいい?」
「...どーも」
ココアを渡すと、イルカは気まずそうに軽く頭を下げた。
代わりに無糖のコーヒーを受け取ると、カカシは口布を下げる。開けてコーヒーを飲んだ。
イルカを見ると、こっちを見ていた。もしかして怒ってるのかと首を傾げる。
「もしかして、ココアじゃなかった?」
イルカは黙って視線を前に戻し、プルトップを開けてココアを飲む。そこで嬉しそうに微笑んだ。
「これが良かったんです。ありがとうございます」
ココアの匂いがふわりとした。
「今日の任務、雨の中じゃなかったですか?」
イルカが話し始める。緩やかな微笑みを横目で眺めながら、カカシはコーヒーを飲んだ。
「んー、そう。でもさ、さすがに休憩ちょいちょい入れながらだったし、山の中だったから、降ったり止んだりで。そこまでじゃなかったんですよ」
「そうですか」
「あーでもさ、ナルトのやつ一回川に落ちちゃって悲惨だと思ったんだけど、逆に嬉しそうにしてて」
「何かそれ想像出来ますね」
イルカはくすくす笑い出した。目を細めるその横顔を眺める。
黒く輝くその瞳が、笑った顔に、ただ単純に惹かれる。
視線に気がついたのか、ふっとイルカがこっちへ顔を向けた。
微笑みを返すと、イルカの顔から笑みが少し消える。
気まずそうに顔をふいとそらした。
(え、なに)
イルカの今までにない態度をに内心動揺する。
明らか様に、何か言いたいのに言い出せないような顔。
それはもどかしく感じた。
観察するようにイルカを見つめていると、
イルカは前を向いたまま微笑んだ。その微笑みの意味も分からない。
ちらと黒い目をこっちに向けた。
「カカシさん、彼女いたんですね」
そう口にした。
もう、いるならいるって言ってくださいよ。
情けないような微笑みを浮かべながらイルカは続ける。
「いないよ」
そう返した。イルカは顔をこっちに向ける。その目をしっかりと見つめた。
「だから、いないって言ったの」
「え、...だってナルトがプリンもらったって」
「うん。もらったよ。でも彼女じゃない」
カカシを眺めて、イルカは不思議そうな顔をした。
「本当ですか...?」
「うん」
「なんだ、そうなんですか」
そう言ってホッとしたように笑う、イルカの微笑む意味が分からなかった。
羨ましいと言ったイルカが。なんでホッとする必要があるんだろうか。
イルカの分からないだらけの言動をどう理解していいのか。もどかしさが募り、それは苛立ちへと変わり始めているのに気がつく。
「先生さ」
口を開くとイルカはカカシを見た。
「俺が彼女いたほうが良かったの?」
「え、」
「それともいないほうが嬉しいの?」
素直に目を丸くする、その表情がまた悔しい。
「どっち?」
自分らしくない。少し強い口調になっていた。
止まってしまった空間で、気がつく。
俺は、ずるい事を言ってる。
俺に彼女がいようがいまいが、そんなの。イルカに関係がないはずなのに。
だから。何言ってるんですか。いる方が嬉しいに決まってるじゃないですか。
そう言って笑うイルカしか想像できなかったから。
目の前のイルカが押し黙って涙を浮かべたから。
驚いて。ただ、薄っすら涙の膜を張ったイルカを見つめるしか出来なかった。
イルカを泣かした。ーーしかも二回。
すみません。
呆然と眺めるカカシを前に、イルカはそう言ってその場から去ってしまった。
無茶苦茶な聞き方だとは思ったが。まさか泣くなんて。
追いかけても慰めるとか、それもおかしいと思ったら、イルカの背中をただ見つめるしか出来なかった。
(参ったな)
どうにか今までのような関係でいたいから、軌道修正をかけたつもりでいたのに。
また失敗したって事になる。
また少し先に自販機を見つけた。街灯より明るく商品を照らしている。
明日のコーヒーでも買って帰ろう。カカシはポケットを探った。
小銭を入れ、ボタンを押そうとした瞬間。
にゅっと白い手が伸びた。その手がカカシより先に別のボタンを押す。
「なんちゃって」
後ろを向けば、百合が悪戯な笑みを浮かべていた。
屈んで取り出した飲み物は、いちごミルク。
飲んだ事がない。って言うか。甘い飲み物なんて、あり得ない。
カカシは無言で百合を睨んだ。
考え事をしていたからだろうか。百合の気配を察知出来ていなかった事に自分自身悔いる。
「あのさあ。俺こんなの飲めないんだけど」
いちごミルクを差し出すと、百合はにっこり微笑んだ。
「じゃあ私がもらっていい?」
「どうぞ」
少しうんざり気味に手渡すと、百合は嬉しそうにそれをもらう。
「ちょうど今休憩だったの。ありがとう」
ああ、うどん屋の休憩の事を言っているのか。そう言えば、ここはそのうどん屋から近い。
カカシは今度こそコーヒーを買うと、百合に向き直った。
「なんか、暗い」
ため息混じりに言われる。
「ほっといて」
素っ気なく返答すれば、百合は心配そうな表情になった。
「上手くいってないの?」
「だから。ほっといてって言ってるでしょ」
放っておいて欲しい。それは本心だった。
言い方がきつかったのか、百合はそれを聞いて少ししゅんとしたまま、黙ってしまう。
カカシは息を吐き出して頭を掻いた。
「だって仕方ないじゃない」
フッと小さくカカシが笑うと、百合は視線をこっちに向けた。
「なにが?」
「...ろくに恋愛なんてしてこかなったんだし。なんかさ、相手は何考えてるか分からないし」
いちごミルクを持ったままの百合は、じっと聞いていて。少しの間の後、それ以上カカシが何も言わないんだと分かったのか。口を開いた。
「恋愛してこなかったって...」
ん?とカカシは下に向けていた顔を上げる。
「なんせ俺は六歳で戦場だから」
「戦場?」
「そ。あんたがこの前言ったように、俺は忍びなの。そっからずっとその延長戦みたいに生きてきたんだからさ。だからこっち方面はあんまり得意じゃないって事」
「なんで?」
問われ、何が、とカカシは首を傾げた。百合は続ける。
「何でそんな事を笑って言えるの?」
「泣きながら言えっつーの?」
逆に聞き返すと、百合はそこで黙る。
「そんな事、」
「ま、あんたがそう気にかけてくれるのは嬉しいけどさ、こればっかりは仕方ないの」
分かった?
百合からの反応はない。
そんな重い話をしたつもりはなかったが。彼女の受け取り方は違ったようだ。
「...もう休憩終わりだから」
そう小さくつぶやかれた。
ん、と返答すると、
「これ」
と、百合が腕にかけていた紙袋をカカシに差し出す。
カカシは反射的に構えていた。
この前のプリンを忘れるわけがない。
「俺さ、甘いものはそんな好きじゃないんだけど」
「違う」
そう否定する百合はいつもとは違う。歯切れが悪い。
「これを....渡して欲しいの」
カカシは眉を顰めた。
「渡すって...誰に?」
うつむいた百合の顔がゆっくり上がる。黒い大きな瞳。
「イルカに」
イルカ。
確かに、そう百合は言った。
(ああ...なんだ。なるほどね)
そこから分かる答えに、カカシは可笑しくなった。
この女は最初から、そのつもりだったんだ。
「えーっと...俺は当て馬か何かなわけ?」
言われた言葉に百合は目を大きくさせた。そこから首を横に振る。
「違う」
こんな分かりやすい事をしておいて、違うって。
「....渡してくれないって事?」
論点がずれてくる事にもまた呆れる。カカシはため息を吐き出した。
「アンタさ、自分が何言ってるか分かってる?俺に気持ちを伝えろとか、言ってたよね?...ホント、よく分かんないんだけど」
そこから百合は何か言いたそうに口を開いたが。その赤い唇を結んだ。
「もう、時間がないから」
休憩時間が過ぎようとしているのだろう。
背を見せ、そこからカカシに振り返った。
「ごめんなさい」
百合はそう言うと駆けていった。暗くなった夜道に、百合の姿は消える。
自己完結。
そんな言葉がぴったりだった。
色々不思議な女だと思っていたが。
まさか。イルカの事を知っていて。
カカシは笑いを零した。
馬鹿らしい。
あの女に会ってから振り回されっぱなしだ。
カカシは頭を抱えそうになるのを耐えながら、ただ、百合の消えた暗闇を見つめた。
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水たまりにうつる赤い色を眺めながら、思う。
まずかった。
あれはまずかった。
プリンなんて食べた記憶がないくらいなのだから、評価する経験値もないのだけれど。
思い出した味に、カカシはそう心の中で断言した。
大体、茶碗蒸しを料理する行程と然程変わらないと思うのだが。
何があったら、ああなるのか。逆に知りたくもなる。
三人の部下を眺めながら歩いた。サクラは自分寄りの前を歩き。ナルトとサスケは更にその少し先を別々で歩いている。最近の任務でもコンビネーションは上手くなりつつあるが。
(...まとまりがあるんだかないんだか)
「ねー、サクラ」
水たまりを避けるように、ぴょんと飛び越えたサクラの名を呼べば、その名の通り桜色の頭を回してこっちへ顔を向けた。
「はい。何ですか?」
「サクラはさあ、お菓子とか作ったりするの?」
優等生らしいスマートな返事と共に振り返ったサクラは、カカシからそんな問いが出ると思わなかったのか。
素直に、目を丸くした。そこから少しだけ口を尖らせる。
「当たり前じゃないですか」
(ああ、当たり前なのね)
この歳の女の子は些細なところが難しい。カカシは眉を下げた。
「クッキーやケーキくらい作れなきゃ、女子力を問われちゃいますから」
「女子力ねえ」
カカシは苦笑いを浮かべた。
「じゃあ聞きたいんだけど、プリンとかって作れるの?」
サクラはまた目を丸くした。
「カカシ先生、プリン作りたいんですか?」
言われてカカシは違うと手を振った。
「いや、作らないよ」
「じゃあ何でですか?」
「いやね。この前もらったプリンが、」
と、そこまで言って。やば、と思った。
ナルトやサスケならともかく。聞いていたのは女子であるサクラで。
言葉を途中で止めたものの、サクラの目は輝いている。
「ええーっ」
と大きな反応に、さすがの前にいた二人も振り返った。
いや、そうじゃなくてまずかったから、と言い訳じみてる真実を言おうも、それはサクラの耳に届いていなかった。
(まあ...いいか)
そう思ったのは間違いだったと悟ったのは、受付に入った時だった。
イルカが受け付けに座っていたからだ。
いや、まさか。と、考え直したのもつかの間。まさかのナルトが報告書を受け取ったイルカに、口を開いた。
「なあ先生!カカシ先生ってばモテるんだってばよ!」
「ああ、それはそうだろう」
ナルトの興奮をそこまで気にする様子でもなく、報告書に目を通しながらイルカはそう答えた。
そこをそうスルーするのに、カカシは意外に思え、それをどう受け取っていいものか気にはなったが、それよりナルトを止める方が先決だった。
もらった相手とか、サクラにさえ何にも言ってないのに、色々内容が勝手に膨らんでいるようで、それが怖い。
「ほらナルト、お前邪魔だから」
後ろに押しのけようと思ったが、ナルトは更に口を開く。
「だってさ、彼女にプリンもらったんだって!手作りの!」
彼女とか手作りとかは、完全にこいつらの妄想に過ぎないが、一部間違っていないのが痛い。
イルカの動きがそこで止まった。
俺の分も今度一緒に作って欲しいんだよな、などと話しているナルト越しに、顔を上げたイルカと目が合う。
さっきの今で、この反応がどんな意味なのか、よく分からない。分からないからその黒い目をただ、見つめ返すしか出来なかった。
一瞬の間の後、イルカは目を緩める。
「そうなんですか。羨ましいです」
イルカはそう口にした。いや、違いますよと言う事も出来たのに。
(羨ましいって)
言われた言葉に軽く傷つく。カカシは黙って頭を掻いた。
ナルト、お前はサクラにでもお願いしたらどうだ?と、イルカはそこからいつもと同じ口調でナルトに言う。え、いやよ、とすぐに返したサクラの合いの手を聞きながら。
あの1秒にも満たない間に見せた、イルカの表情が気になったのに。その後微塵も見せなくて。いつもの表情のままのイルカの笑顔に見送られて、受付を後にした。
傷ついたらいいのに。
そんな人でなしのような、都合のいい妄想に笑いたくなった。
傷つくはずがない。
だってあの人は笑ってた。
まるで自分のことのように。幸せそうに。
違うよって言っても、そうですって言っても。
きっとどっちでもそんな顔をするんだろう。
あの人はそんな人だ。
明るくて朗らかで。笑顔が子供っぽくて。
そう。そんなイルカに惹かれたんだから。
それでいいんだ。
ーーだから、それを確かめてもいいよね。
カカシは部下を解散させた後、一人建物の外で待つ。
イルカは。建物から同僚と出てきた。そこから一緒にしばらく歩いたかと思ったら、イルカは手を上げた。それに同僚も手を上げ応えて、イルカだけその場にとどまる。
何だろうと陰で見つめていると、イルカが向かった先に自動販売機があり、納得する。カカシは微笑んで歩き出した。
ポケットから小銭を取り出したイルカは、それを小銭投入口に入れる。そこから、目の前に並んでいる飲料を眺めた。
そこからボタンを押そうとして。
「先生」
イルカの肩が面白いくらいに揺れた。同時にボタンを押したのか。かごんと音がする。
イルカは黙ってそれを屈んで取り出し、カカシ向き直る。
手には無糖のコーヒーを持っていた。
少し恨めしそうにカカシを見る。
「俺無糖飲まないって、」
「知ってる」
くすくす笑いながら被せるように言って、カカシは小銭を自販機に入れる。冷たいココアを押した。
イルカがこれが好きだと知らない訳がない。
「はい。これでいい?」
「...どーも」
ココアを渡すと、イルカは気まずそうに軽く頭を下げた。
代わりに無糖のコーヒーを受け取ると、カカシは口布を下げる。開けてコーヒーを飲んだ。
イルカを見ると、こっちを見ていた。もしかして怒ってるのかと首を傾げる。
「もしかして、ココアじゃなかった?」
イルカは黙って視線を前に戻し、プルトップを開けてココアを飲む。そこで嬉しそうに微笑んだ。
「これが良かったんです。ありがとうございます」
ココアの匂いがふわりとした。
「今日の任務、雨の中じゃなかったですか?」
イルカが話し始める。緩やかな微笑みを横目で眺めながら、カカシはコーヒーを飲んだ。
「んー、そう。でもさ、さすがに休憩ちょいちょい入れながらだったし、山の中だったから、降ったり止んだりで。そこまでじゃなかったんですよ」
「そうですか」
「あーでもさ、ナルトのやつ一回川に落ちちゃって悲惨だと思ったんだけど、逆に嬉しそうにしてて」
「何かそれ想像出来ますね」
イルカはくすくす笑い出した。目を細めるその横顔を眺める。
黒く輝くその瞳が、笑った顔に、ただ単純に惹かれる。
視線に気がついたのか、ふっとイルカがこっちへ顔を向けた。
微笑みを返すと、イルカの顔から笑みが少し消える。
気まずそうに顔をふいとそらした。
(え、なに)
イルカの今までにない態度をに内心動揺する。
明らか様に、何か言いたいのに言い出せないような顔。
それはもどかしく感じた。
観察するようにイルカを見つめていると、
イルカは前を向いたまま微笑んだ。その微笑みの意味も分からない。
ちらと黒い目をこっちに向けた。
「カカシさん、彼女いたんですね」
そう口にした。
もう、いるならいるって言ってくださいよ。
情けないような微笑みを浮かべながらイルカは続ける。
「いないよ」
そう返した。イルカは顔をこっちに向ける。その目をしっかりと見つめた。
「だから、いないって言ったの」
「え、...だってナルトがプリンもらったって」
「うん。もらったよ。でも彼女じゃない」
カカシを眺めて、イルカは不思議そうな顔をした。
「本当ですか...?」
「うん」
「なんだ、そうなんですか」
そう言ってホッとしたように笑う、イルカの微笑む意味が分からなかった。
羨ましいと言ったイルカが。なんでホッとする必要があるんだろうか。
イルカの分からないだらけの言動をどう理解していいのか。もどかしさが募り、それは苛立ちへと変わり始めているのに気がつく。
「先生さ」
口を開くとイルカはカカシを見た。
「俺が彼女いたほうが良かったの?」
「え、」
「それともいないほうが嬉しいの?」
素直に目を丸くする、その表情がまた悔しい。
「どっち?」
自分らしくない。少し強い口調になっていた。
止まってしまった空間で、気がつく。
俺は、ずるい事を言ってる。
俺に彼女がいようがいまいが、そんなの。イルカに関係がないはずなのに。
だから。何言ってるんですか。いる方が嬉しいに決まってるじゃないですか。
そう言って笑うイルカしか想像できなかったから。
目の前のイルカが押し黙って涙を浮かべたから。
驚いて。ただ、薄っすら涙の膜を張ったイルカを見つめるしか出来なかった。
イルカを泣かした。ーーしかも二回。
すみません。
呆然と眺めるカカシを前に、イルカはそう言ってその場から去ってしまった。
無茶苦茶な聞き方だとは思ったが。まさか泣くなんて。
追いかけても慰めるとか、それもおかしいと思ったら、イルカの背中をただ見つめるしか出来なかった。
(参ったな)
どうにか今までのような関係でいたいから、軌道修正をかけたつもりでいたのに。
また失敗したって事になる。
また少し先に自販機を見つけた。街灯より明るく商品を照らしている。
明日のコーヒーでも買って帰ろう。カカシはポケットを探った。
小銭を入れ、ボタンを押そうとした瞬間。
にゅっと白い手が伸びた。その手がカカシより先に別のボタンを押す。
「なんちゃって」
後ろを向けば、百合が悪戯な笑みを浮かべていた。
屈んで取り出した飲み物は、いちごミルク。
飲んだ事がない。って言うか。甘い飲み物なんて、あり得ない。
カカシは無言で百合を睨んだ。
考え事をしていたからだろうか。百合の気配を察知出来ていなかった事に自分自身悔いる。
「あのさあ。俺こんなの飲めないんだけど」
いちごミルクを差し出すと、百合はにっこり微笑んだ。
「じゃあ私がもらっていい?」
「どうぞ」
少しうんざり気味に手渡すと、百合は嬉しそうにそれをもらう。
「ちょうど今休憩だったの。ありがとう」
ああ、うどん屋の休憩の事を言っているのか。そう言えば、ここはそのうどん屋から近い。
カカシは今度こそコーヒーを買うと、百合に向き直った。
「なんか、暗い」
ため息混じりに言われる。
「ほっといて」
素っ気なく返答すれば、百合は心配そうな表情になった。
「上手くいってないの?」
「だから。ほっといてって言ってるでしょ」
放っておいて欲しい。それは本心だった。
言い方がきつかったのか、百合はそれを聞いて少ししゅんとしたまま、黙ってしまう。
カカシは息を吐き出して頭を掻いた。
「だって仕方ないじゃない」
フッと小さくカカシが笑うと、百合は視線をこっちに向けた。
「なにが?」
「...ろくに恋愛なんてしてこかなったんだし。なんかさ、相手は何考えてるか分からないし」
いちごミルクを持ったままの百合は、じっと聞いていて。少しの間の後、それ以上カカシが何も言わないんだと分かったのか。口を開いた。
「恋愛してこなかったって...」
ん?とカカシは下に向けていた顔を上げる。
「なんせ俺は六歳で戦場だから」
「戦場?」
「そ。あんたがこの前言ったように、俺は忍びなの。そっからずっとその延長戦みたいに生きてきたんだからさ。だからこっち方面はあんまり得意じゃないって事」
「なんで?」
問われ、何が、とカカシは首を傾げた。百合は続ける。
「何でそんな事を笑って言えるの?」
「泣きながら言えっつーの?」
逆に聞き返すと、百合はそこで黙る。
「そんな事、」
「ま、あんたがそう気にかけてくれるのは嬉しいけどさ、こればっかりは仕方ないの」
分かった?
百合からの反応はない。
そんな重い話をしたつもりはなかったが。彼女の受け取り方は違ったようだ。
「...もう休憩終わりだから」
そう小さくつぶやかれた。
ん、と返答すると、
「これ」
と、百合が腕にかけていた紙袋をカカシに差し出す。
カカシは反射的に構えていた。
この前のプリンを忘れるわけがない。
「俺さ、甘いものはそんな好きじゃないんだけど」
「違う」
そう否定する百合はいつもとは違う。歯切れが悪い。
「これを....渡して欲しいの」
カカシは眉を顰めた。
「渡すって...誰に?」
うつむいた百合の顔がゆっくり上がる。黒い大きな瞳。
「イルカに」
イルカ。
確かに、そう百合は言った。
(ああ...なんだ。なるほどね)
そこから分かる答えに、カカシは可笑しくなった。
この女は最初から、そのつもりだったんだ。
「えーっと...俺は当て馬か何かなわけ?」
言われた言葉に百合は目を大きくさせた。そこから首を横に振る。
「違う」
こんな分かりやすい事をしておいて、違うって。
「....渡してくれないって事?」
論点がずれてくる事にもまた呆れる。カカシはため息を吐き出した。
「アンタさ、自分が何言ってるか分かってる?俺に気持ちを伝えろとか、言ってたよね?...ホント、よく分かんないんだけど」
そこから百合は何か言いたそうに口を開いたが。その赤い唇を結んだ。
「もう、時間がないから」
休憩時間が過ぎようとしているのだろう。
背を見せ、そこからカカシに振り返った。
「ごめんなさい」
百合はそう言うと駆けていった。暗くなった夜道に、百合の姿は消える。
自己完結。
そんな言葉がぴったりだった。
色々不思議な女だと思っていたが。
まさか。イルカの事を知っていて。
カカシは笑いを零した。
馬鹿らしい。
あの女に会ってから振り回されっぱなしだ。
カカシは頭を抱えそうになるのを耐えながら、ただ、百合の消えた暗闇を見つめた。
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