赤いかけら⑦
渡された袋の中は、ハンドタオル。紺色のタオル地の厚手のハンドタオルだった。
無地のタオルのその表面に、刺繍だろうか。糸によって動物が象られた絵が縫われている。
その絵をカカシはじっと見つめた。
きっと百合が縫ったのだろう。手芸はそこまで下手ではないらしい。
それにしても。
カカシは縫われた黄色の刺繍糸を指でなぞりながらぼんやりと見つめた。
これをイルカに渡せと言った百合。
イルカを知って、俺がイルカを密かに思っていると知ってなお、渡せと言ったその意図が掴めない。
一体何を考えているのか。手紙すら入っていないこれを、自分が説明なしに、イルカにはいどうぞ、なんて渡せるわけがない。
だからと言って、説明なんて出来るわけもなく。
それ以前に、ついこの前もイルカにあんな顔をさせたばかりなのだ。
色々複雑な感情が入り交じり、カカシはため息を大きく吐き出した。
(やめやめ)
カカシはそのハンドタオルを袋に仕舞い、テーブルに投げ置いた。
次の日カカシは任務を終えて向かった先はうどん屋。手にはあのタオルが入った袋を持っている。
どんなに考えても自分がこれを渡せるわけがない。大体、渡したいのなら、人任せにしないで自分で渡せばいいはずだ。
突っ返すのは多少気持ちが咎めたが、自分がイルカに渡す事が出来ないのだから仕方がない。
カカシは暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ」
同時に聞こえる百合の声。笑顔がこっちに向けられている。理不尽な頼みごとをした百合の笑顔は晴れやかに見え、その笑顔に内心ムっとした。
その笑顔は一体何なのか。そう思っているうちに、百合は自分の前まで来た。
「1名様ですか?」
接客の流れでは正しい台詞だ。しかし。あまりにもこの前の今日でその台詞を言われ、カカシは眉を寄せた。
「あのさあ」
少し怪訝そうな声が自分から出ていた。百合は、不思議そうか顔をする。
「あの、何か」
とぼけた言い方だった。
「いやね、何かじゃないでしょ」
呆れたように言って百合を見て、袋を差し出した。
「これさ、自分で渡してよ」
カカシが差し出した袋をじっと見る。
「これ...は、何でしょうか?」
「何って、この前渡せってあんたが俺に、」
言って、カカシは言葉を止める。不思議そうに、しかし少し警戒したような表情を見せる百合をじっと見つめた。
何かが違う。
確かに目の前の女は間違いなく百合だ。
だが、何かが違う。
しばらく
百合を見つめ。気がつく。
目の色が以前と違う事に。
あの黒い漆黒ながらも輝く黒い瞳ではない。黒いが微かに茶色を含んでいる瞳がカカシを映していた。よく見れば一つに束ねてある黒い髪も、確かに黒髪だが、焦げ茶色が混じっている。
その微かな違和感に眉を寄せた。
「あの、...お客様?」
黙ってしまったカカシを前に、百合が口を開いた。
百合の声だが、その口調もはひどく他人行儀だ。
(...この女は...違う)
確信する。
今まで接していた相手ではない。
戸惑っている女に、カカシはにこっと微笑んだ。
「ごめんね。人違い」
その表情で言えば、女なポっと頬を赤らめた。今までなかった百合の、他の女と同じような反応。
「また来るから」
そう続ければ、嬉しそうなにはにかんだ。
「はい。お待ちしております」
カカシは袋を持ったまますぐに背を向けうどん屋を出る。
驚いた。
少し困惑したままカカシは歩く。
見た目全く同じなのに。あれは別人だった。
でも間違いなくあれは百合で。でも別人。
自分が幻術にかかっていたとは到底思えない。幻術ではないとすると、狐か狸に化かされたとしか言いようもなくなり。
言いようのない不透明な現実に、カカシは口布の下で唇を噛んだ。
時間がない
そう確か百合はそう言った。
それでも言ったのは確かに、あのうどん屋で働いていた、百合そのもので。
だが、自分の確信した事は間違ってはない。
結局返せなかった物は、自分の手にある。
カカシは苛立ち気に頭をがしがしと掻いた。
帰って寝よう。それで明日、時間を見つけてもう一度あの店に足を運んで。
百合の様子を探る必要がある。
ーーそれでも今日と同じ結果だったら。
カカシは歩きながら百合に渡されたタオルが入った袋を見つめた。
イルカに渡して欲しいと言った百合。
結局、これを自分からイルカに渡すことになるのか。
そこから空へ顔を上げる。
灰色の雲で空一面覆われて、今にも雨が振りそうな空気を含んでいる。
夜にでも雨が降り出すのかもしれない。
カカシは袋を持ち直して家へ足を向けた。
シャワーを浴びた後簡単に夕飯を作り、済ませると皿を運び洗い物を始める。
今日は早く家に返ってこれた為、まだ時間がある。かと言って外に出歩く気になれない。
未だ百合の事が頭を支配していた。
気になるが、だた別人になったってだけで。自分の身の回りで何か他に弊害が出てくるわけでもない。
仕事に関わっている相手なら里に報告する義務も出てくるだろうが。
相手は自分が声をかけたうどん屋の女なのだ。
それ以外のなにものでもない。
カカシは皿を洗いながらぼんやりと考えるも、結局行き止まったままの状態は変わらない。このままでもいいのだが。
(...何か気持ち悪いんだよねえ)
最後の皿の一枚を洗い終えたところで、聞こえた音にカカシは顔を上げた。
雨が降り出した。
夏の雨は梅雨とは違い一気に降り出す。その大きくなった雨音を聞きながら、カカシは水を止めた。
今に戻って暫くテレビを見ていたが、特に見たいものはない。時間つぶしにもならないと、カカシは寝室に向かった。ベットに寝転がり読みかけていた本を開く。
明日、百合に会いに行く必要があるが。その前にイルカに会いに行こう。
あのままでいいはずがない。
仲のいい知り合いでいれればそれが一番いいと分かっているのに。イルカを前にすると、どうしても欲が出る。
欲しいものなんて今までなかった。
それなりに求めれば手に入る環境だった。
でも。
あの笑顔や、すこし自分より日焼けした肌や手。黒い目。
ふっと頭に思い描いただけで、胸が苦しくなった。
ごろりと身体の向きを変え目を瞑る。額に手を当てた。
欲しい。
俺は、あの人が欲しい。
認めるように、心でそう呟いただけで下半身が疼き、カカシは目を閉じたまま口を歪めた。
目を開け額に当てていた自分の手を見つめる。
(...この手じゃあね)
自分はずっと暗部に身を置くものと思っていた。そのままずっと闇に身を沈めるんだろうと。生きるのも死ぬのもその中だと。
暗躍が似合っていると、後輩に言われた事があったっけ。
言われた時は自分の何が分かるのかと思ったが。今思えば、それは本当、その通りだ。
口の端を上げる。
こんな自分をイルカが自分を受け入れるはずがない。
可笑しくなって小さく笑いを零した。
馬鹿らしい。
百合に。あのよく分からない女に振り回されて、イルカへの気持ちが沸き立ったけど。
よく考えたら、いや、よく考えるまでもない。
あってはならない。
雨の音が強くなった。
そう思いまた目を瞑ろうとして。
聞こえたのはドアをノックする音。
面倒くさい。必要な報せなら鳥をよこすはずだ。
無視しようと決めて再び読みかけていた本を開く。
また、ドアを叩かれた。
カカシは玄関へ顔を向け、むくりと起き上がる。
ため息を吐き出した。
警戒する気配は感じない。
仕方ないと、カカシは玄関へと足を向け扉を開けて。
目を丸くした。
ずぶ濡れで立っているイルカを見て、見ても尚、自分の目を疑った。
今まで一度だってここに来たことがないのに。
何でここを知っているのか。
髪も身体も濡れているイルカは、じっとカカシを見ていた。
「...どうしたの...」
そう口を開くと、イルカはふっと視線を外し俯く。
驚きから、イルカの姿に不安を覚える。
「イルカ先生、何かあったの?」
そうでなければここに来るはずがない。
俯いたイルカの顔を覗きこんだ。視線を上げた黒い目と目が合う。
その目が少し緩んだ。
イルカは薄く微笑む。
「帰ってる途中で雨に振られちゃって。少し休ませてもらってもいいですか?」
よく残業をしている事は知っていた。しかし。イルカの家は、知ってる限りここは通り道でもなんでもない。正反対なはずだ。
そんな事が頭に過ぎるが、イルカの濡れた格好にカカシは手を差し出していた。
「取りあえず上がって。今タオル持ってきますから」
「ありがとうございます」
微笑むイルカの顔を見てホッとする。
部屋に上がらせ、カカシはバスタオルを取りに脱衣所へ向かう。
イルカに触れた限りではそこまで身体は冷えていなかったが、風呂に入れた方がいいだろうか。
本人に来て見るべく、バスタオルをもって部屋に戻り、その場に立ったままのイルカを見つけた。イルカはカカシに顔を向ける。
「すみません」
「あ、うん」
薄っすら微笑むイルカにタオルを差し出した。イルカは頭から身体まで丁寧にバスタオルで拭き始める。
その様をじっと見つめ。未だイルカが自分の部屋にいることが信じられなかった。
いつも通り忍服をきっちり着込んでいる。
「ね、先生ベスト脱いだら?」
額当ても。そう付け加えると、イルカは言われて初めて気がついたのか。
「そうですね」
にっこり微笑んだ。
ベストが防水だからか、そこまでアンダーウェアは濡れていない。
そこまで身体が濡れていな事に、カカシは内心ホッとする。
イルカは言われた通りに額当てを外し、顔の水滴を拭った。そこでカカシへ顔を向ける。
「すっきりしました」
その笑みに、カカシも眉を下げた。
「うん。良かった、寒くない?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあ暖かいものでも何か飲む?ココア..はないんだけど」
言いながらキッチンへ背を向けて、
「いらないです」
そう言われてイルカに振り返った。
「でも、身体冷えてないの?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあ何か軽く食べる?」
「いえ、お腹空いてないんで」
ずいぶんハッキリとした口調に、イルカが望んでいないと納得せざるを得ない。
遠慮するのは先日の事があったからだろうか。
距離を置かれるのは仕方がないが、でもじゃあなんでここに来たのだろうか。
当初の疑問が浮かんだ時、イルカがカカシの手を取った。
ぴくと反応した自分の手を、イルカはぎゅっと握る。
「なに、イルカ先生。どうし、」
言葉が途中で止まったのは、イルカが自分に抱きついたからだった。
暖かいイルカの身体がぴったりとカカシにくっつけられる。固まったまま、緊張が高まり。カカシはこくりと唾を飲んだ。
抱きついているからイルカの顔は見えない。
「イルカ先生?」
聞いても返事はない。
雨で濡れたからだろうか。シャンプーの匂いがイルカの髪から匂い、それだけで、簡単に身体が熱くなる。
イルカの腕が心地よくて。でも、自分の手をイルカの背に回すべきか。悩んでイルカの顔を覗こうとするも、抱き締める腕に更に力を込められる。
「俺の事、どう思ってますか」
そのイルカの問いに頭が真っ白になった。
イルカの性格らしいストレートな質問だと思うが、それ以前に、イルカがそんな事を聞いてくるとは思っても見なかった。
「...どうって...何でそんな事聞くの..っ、わっ、」
言い掛けた時にイルカに抱き締められたまま引っ張られた。完全に気が別の方向に向いていて、抵抗する間もなく、イルカに引っ張られるまま体重をかけてしまい、気がつけば、床にイルカを押し倒すような格好になっていた。
イルカの黒い目がじっとカカシを見つめている。
身体をイルカからどけようとする前に、首に腕をまわされた。
距離が縮まり心音が高鳴る。
心の奥底で望んでいた状況なのに、急展開過ぎて、ひどく混乱していた。
少し潤んだ目に、少し開いた唇に、欲望が沸き上がる。
カカシは唇を噛んだ。
「カカシさん」
誘うように名前を呼ぶイルカの声に、表情に、唇に、目が奪われる。
顔を傾け、欲望のまま唇を重ねようとして。
自分の左目に何かが映った。動きを止めて、イルカの顔をジッと見つめる。
「カカシさん...?」
不思議そうに見つめるイルカを見下ろして。カカシは目を眇め。目に映るイルカに、左目に感じる違和感が浮き上がる。
「あんた....誰?」
その言葉が自分から出ていた。
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無地のタオルのその表面に、刺繍だろうか。糸によって動物が象られた絵が縫われている。
その絵をカカシはじっと見つめた。
きっと百合が縫ったのだろう。手芸はそこまで下手ではないらしい。
それにしても。
カカシは縫われた黄色の刺繍糸を指でなぞりながらぼんやりと見つめた。
これをイルカに渡せと言った百合。
イルカを知って、俺がイルカを密かに思っていると知ってなお、渡せと言ったその意図が掴めない。
一体何を考えているのか。手紙すら入っていないこれを、自分が説明なしに、イルカにはいどうぞ、なんて渡せるわけがない。
だからと言って、説明なんて出来るわけもなく。
それ以前に、ついこの前もイルカにあんな顔をさせたばかりなのだ。
色々複雑な感情が入り交じり、カカシはため息を大きく吐き出した。
(やめやめ)
カカシはそのハンドタオルを袋に仕舞い、テーブルに投げ置いた。
次の日カカシは任務を終えて向かった先はうどん屋。手にはあのタオルが入った袋を持っている。
どんなに考えても自分がこれを渡せるわけがない。大体、渡したいのなら、人任せにしないで自分で渡せばいいはずだ。
突っ返すのは多少気持ちが咎めたが、自分がイルカに渡す事が出来ないのだから仕方がない。
カカシは暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ」
同時に聞こえる百合の声。笑顔がこっちに向けられている。理不尽な頼みごとをした百合の笑顔は晴れやかに見え、その笑顔に内心ムっとした。
その笑顔は一体何なのか。そう思っているうちに、百合は自分の前まで来た。
「1名様ですか?」
接客の流れでは正しい台詞だ。しかし。あまりにもこの前の今日でその台詞を言われ、カカシは眉を寄せた。
「あのさあ」
少し怪訝そうな声が自分から出ていた。百合は、不思議そうか顔をする。
「あの、何か」
とぼけた言い方だった。
「いやね、何かじゃないでしょ」
呆れたように言って百合を見て、袋を差し出した。
「これさ、自分で渡してよ」
カカシが差し出した袋をじっと見る。
「これ...は、何でしょうか?」
「何って、この前渡せってあんたが俺に、」
言って、カカシは言葉を止める。不思議そうに、しかし少し警戒したような表情を見せる百合をじっと見つめた。
何かが違う。
確かに目の前の女は間違いなく百合だ。
だが、何かが違う。
しばらく
百合を見つめ。気がつく。
目の色が以前と違う事に。
あの黒い漆黒ながらも輝く黒い瞳ではない。黒いが微かに茶色を含んでいる瞳がカカシを映していた。よく見れば一つに束ねてある黒い髪も、確かに黒髪だが、焦げ茶色が混じっている。
その微かな違和感に眉を寄せた。
「あの、...お客様?」
黙ってしまったカカシを前に、百合が口を開いた。
百合の声だが、その口調もはひどく他人行儀だ。
(...この女は...違う)
確信する。
今まで接していた相手ではない。
戸惑っている女に、カカシはにこっと微笑んだ。
「ごめんね。人違い」
その表情で言えば、女なポっと頬を赤らめた。今までなかった百合の、他の女と同じような反応。
「また来るから」
そう続ければ、嬉しそうなにはにかんだ。
「はい。お待ちしております」
カカシは袋を持ったまますぐに背を向けうどん屋を出る。
驚いた。
少し困惑したままカカシは歩く。
見た目全く同じなのに。あれは別人だった。
でも間違いなくあれは百合で。でも別人。
自分が幻術にかかっていたとは到底思えない。幻術ではないとすると、狐か狸に化かされたとしか言いようもなくなり。
言いようのない不透明な現実に、カカシは口布の下で唇を噛んだ。
時間がない
そう確か百合はそう言った。
それでも言ったのは確かに、あのうどん屋で働いていた、百合そのもので。
だが、自分の確信した事は間違ってはない。
結局返せなかった物は、自分の手にある。
カカシは苛立ち気に頭をがしがしと掻いた。
帰って寝よう。それで明日、時間を見つけてもう一度あの店に足を運んで。
百合の様子を探る必要がある。
ーーそれでも今日と同じ結果だったら。
カカシは歩きながら百合に渡されたタオルが入った袋を見つめた。
イルカに渡して欲しいと言った百合。
結局、これを自分からイルカに渡すことになるのか。
そこから空へ顔を上げる。
灰色の雲で空一面覆われて、今にも雨が振りそうな空気を含んでいる。
夜にでも雨が降り出すのかもしれない。
カカシは袋を持ち直して家へ足を向けた。
シャワーを浴びた後簡単に夕飯を作り、済ませると皿を運び洗い物を始める。
今日は早く家に返ってこれた為、まだ時間がある。かと言って外に出歩く気になれない。
未だ百合の事が頭を支配していた。
気になるが、だた別人になったってだけで。自分の身の回りで何か他に弊害が出てくるわけでもない。
仕事に関わっている相手なら里に報告する義務も出てくるだろうが。
相手は自分が声をかけたうどん屋の女なのだ。
それ以外のなにものでもない。
カカシは皿を洗いながらぼんやりと考えるも、結局行き止まったままの状態は変わらない。このままでもいいのだが。
(...何か気持ち悪いんだよねえ)
最後の皿の一枚を洗い終えたところで、聞こえた音にカカシは顔を上げた。
雨が降り出した。
夏の雨は梅雨とは違い一気に降り出す。その大きくなった雨音を聞きながら、カカシは水を止めた。
今に戻って暫くテレビを見ていたが、特に見たいものはない。時間つぶしにもならないと、カカシは寝室に向かった。ベットに寝転がり読みかけていた本を開く。
明日、百合に会いに行く必要があるが。その前にイルカに会いに行こう。
あのままでいいはずがない。
仲のいい知り合いでいれればそれが一番いいと分かっているのに。イルカを前にすると、どうしても欲が出る。
欲しいものなんて今までなかった。
それなりに求めれば手に入る環境だった。
でも。
あの笑顔や、すこし自分より日焼けした肌や手。黒い目。
ふっと頭に思い描いただけで、胸が苦しくなった。
ごろりと身体の向きを変え目を瞑る。額に手を当てた。
欲しい。
俺は、あの人が欲しい。
認めるように、心でそう呟いただけで下半身が疼き、カカシは目を閉じたまま口を歪めた。
目を開け額に当てていた自分の手を見つめる。
(...この手じゃあね)
自分はずっと暗部に身を置くものと思っていた。そのままずっと闇に身を沈めるんだろうと。生きるのも死ぬのもその中だと。
暗躍が似合っていると、後輩に言われた事があったっけ。
言われた時は自分の何が分かるのかと思ったが。今思えば、それは本当、その通りだ。
口の端を上げる。
こんな自分をイルカが自分を受け入れるはずがない。
可笑しくなって小さく笑いを零した。
馬鹿らしい。
百合に。あのよく分からない女に振り回されて、イルカへの気持ちが沸き立ったけど。
よく考えたら、いや、よく考えるまでもない。
あってはならない。
雨の音が強くなった。
そう思いまた目を瞑ろうとして。
聞こえたのはドアをノックする音。
面倒くさい。必要な報せなら鳥をよこすはずだ。
無視しようと決めて再び読みかけていた本を開く。
また、ドアを叩かれた。
カカシは玄関へ顔を向け、むくりと起き上がる。
ため息を吐き出した。
警戒する気配は感じない。
仕方ないと、カカシは玄関へと足を向け扉を開けて。
目を丸くした。
ずぶ濡れで立っているイルカを見て、見ても尚、自分の目を疑った。
今まで一度だってここに来たことがないのに。
何でここを知っているのか。
髪も身体も濡れているイルカは、じっとカカシを見ていた。
「...どうしたの...」
そう口を開くと、イルカはふっと視線を外し俯く。
驚きから、イルカの姿に不安を覚える。
「イルカ先生、何かあったの?」
そうでなければここに来るはずがない。
俯いたイルカの顔を覗きこんだ。視線を上げた黒い目と目が合う。
その目が少し緩んだ。
イルカは薄く微笑む。
「帰ってる途中で雨に振られちゃって。少し休ませてもらってもいいですか?」
よく残業をしている事は知っていた。しかし。イルカの家は、知ってる限りここは通り道でもなんでもない。正反対なはずだ。
そんな事が頭に過ぎるが、イルカの濡れた格好にカカシは手を差し出していた。
「取りあえず上がって。今タオル持ってきますから」
「ありがとうございます」
微笑むイルカの顔を見てホッとする。
部屋に上がらせ、カカシはバスタオルを取りに脱衣所へ向かう。
イルカに触れた限りではそこまで身体は冷えていなかったが、風呂に入れた方がいいだろうか。
本人に来て見るべく、バスタオルをもって部屋に戻り、その場に立ったままのイルカを見つけた。イルカはカカシに顔を向ける。
「すみません」
「あ、うん」
薄っすら微笑むイルカにタオルを差し出した。イルカは頭から身体まで丁寧にバスタオルで拭き始める。
その様をじっと見つめ。未だイルカが自分の部屋にいることが信じられなかった。
いつも通り忍服をきっちり着込んでいる。
「ね、先生ベスト脱いだら?」
額当ても。そう付け加えると、イルカは言われて初めて気がついたのか。
「そうですね」
にっこり微笑んだ。
ベストが防水だからか、そこまでアンダーウェアは濡れていない。
そこまで身体が濡れていな事に、カカシは内心ホッとする。
イルカは言われた通りに額当てを外し、顔の水滴を拭った。そこでカカシへ顔を向ける。
「すっきりしました」
その笑みに、カカシも眉を下げた。
「うん。良かった、寒くない?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあ暖かいものでも何か飲む?ココア..はないんだけど」
言いながらキッチンへ背を向けて、
「いらないです」
そう言われてイルカに振り返った。
「でも、身体冷えてないの?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあ何か軽く食べる?」
「いえ、お腹空いてないんで」
ずいぶんハッキリとした口調に、イルカが望んでいないと納得せざるを得ない。
遠慮するのは先日の事があったからだろうか。
距離を置かれるのは仕方がないが、でもじゃあなんでここに来たのだろうか。
当初の疑問が浮かんだ時、イルカがカカシの手を取った。
ぴくと反応した自分の手を、イルカはぎゅっと握る。
「なに、イルカ先生。どうし、」
言葉が途中で止まったのは、イルカが自分に抱きついたからだった。
暖かいイルカの身体がぴったりとカカシにくっつけられる。固まったまま、緊張が高まり。カカシはこくりと唾を飲んだ。
抱きついているからイルカの顔は見えない。
「イルカ先生?」
聞いても返事はない。
雨で濡れたからだろうか。シャンプーの匂いがイルカの髪から匂い、それだけで、簡単に身体が熱くなる。
イルカの腕が心地よくて。でも、自分の手をイルカの背に回すべきか。悩んでイルカの顔を覗こうとするも、抱き締める腕に更に力を込められる。
「俺の事、どう思ってますか」
そのイルカの問いに頭が真っ白になった。
イルカの性格らしいストレートな質問だと思うが、それ以前に、イルカがそんな事を聞いてくるとは思っても見なかった。
「...どうって...何でそんな事聞くの..っ、わっ、」
言い掛けた時にイルカに抱き締められたまま引っ張られた。完全に気が別の方向に向いていて、抵抗する間もなく、イルカに引っ張られるまま体重をかけてしまい、気がつけば、床にイルカを押し倒すような格好になっていた。
イルカの黒い目がじっとカカシを見つめている。
身体をイルカからどけようとする前に、首に腕をまわされた。
距離が縮まり心音が高鳴る。
心の奥底で望んでいた状況なのに、急展開過ぎて、ひどく混乱していた。
少し潤んだ目に、少し開いた唇に、欲望が沸き上がる。
カカシは唇を噛んだ。
「カカシさん」
誘うように名前を呼ぶイルカの声に、表情に、唇に、目が奪われる。
顔を傾け、欲望のまま唇を重ねようとして。
自分の左目に何かが映った。動きを止めて、イルカの顔をジッと見つめる。
「カカシさん...?」
不思議そうに見つめるイルカを見下ろして。カカシは目を眇め。目に映るイルカに、左目に感じる違和感が浮き上がる。
「あんた....誰?」
その言葉が自分から出ていた。
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