as know as S①

 ふと目を開け視界に入ったのは見慣れない天井。そこから隣で寝ている女へ目を向け、ああそうだった、と思い出す。
 任務から里に帰った後、報告も早々に花街に向かおうとした時に声をかけてきた上忍の女。名前はーー聞いてもないし聞いたとしても覚えない。
 ベット脇に散乱している自分の服の下にあるポーチの中を探り、煙草を取り出し火を付ける。
 ゆっくりと煙草を吸い込み、煙を吐き出しながら、裸で布団の中で寝息を立てている女を横目で見つめた。寄ってくる女の名前をいちいち覚える事はしない。どうせ花街で女を買おうと思っていたところだから、丁度良かったと言えばそうなる。相手もそのつもりで声をかけてきているのだろう。だから声をかけられて直ぐ、その後女を連れて適当な宿屋に入った。
もともと花街に近い宿屋もそれ専用に近い。だから部屋の作りも簡素だが、その方が利用しやすい。
 煙草を灰皿でもみ消すと、床に散乱した服を身に纏う。女が目を覚ましたのか、むくりと起きあがった。
「泊まらないの?」
「俺はね」
 代金は前払いで既にカカシが支払っている。少し残念そうな顔をする女を無視してカカシはベストを羽織った。ジッパーを上げる。元々任務で高ぶった体を冷ましたかっただけだ。目的を済ませた今、さっさと帰って自分の家に帰って寝直したい。
 これ以上相手にされないと分かったのか、
「私も帰るわ」
 そう言って女も落ちている服を身につけ始めた。

 宿を出た時にはすっかり夜が更けていた。少し先に見える商店街の街灯りも殆どが消え闇の色に染まっている。
 女の家が何処かなんて知らないが、途中まで一緒に歩き商店街の近くの路地に差し掛かった時、聞こえた足音に顔を上げた。
 あ。
 と、思ったのはたぶん向こうもそうだ。
 イルカが驚きに黒い目を丸くし、足を止めこっちを見ていた。いつものように鞄を肩からかけ、手にはたぶんコンビニに寄ったのだろう。ビニール袋を下げている。
 まさかこんな時間にこんな場所で顔を合わすとは思っていなかったから、少し驚いた。
 いつもだったら、声をかけていた。きっとイルカもいつもだったら自分に声をかけただろう。だが、今日は隣に女がいた。自分は特にいつもの事だから知り合いに会っても気にはしないのだが、イルカの表情が変わり、その上気まずそうに目を逸らしたから、それに合わせる事にした。イルカはカカシから地面へ視線をずらすと黙って歩き出す。
「ね、また遊んでね」
 カカシと女が並んで歩き、何も知りもしない女が腕を絡ませカカシに強請るような甘い声をかける、その横をイルカは通り過ぎた。
 思わずイルカの後ろ姿を肩越しに目で追おうとした。が、
「ちょっと、聞いてる?」
女の声がそれを遮る。
「あー、うん。そうね」
 曖昧に返事をしながら目線を前に戻し、カカシは僅かに眉を寄せた。そして内心首を傾げる。
 気になったのは、イルカのあの顔。
 いつもだったら、俺を見かけたら笑顔を向けるのに。確かにこんな時間こうしてばったりと出会ったのは初めてかもしれないが、俺でも誰でも、女と歩いているのがそんなに珍しいわけでもないはずだ。
 それなのに。俺は何にも見ていません、みたいな。明らかさまな態度。
 もやもやした気持ちを抱えた時、月明かりの広がる空で一羽の鳥が鳴く。顔を向けると、羽を広げた忍鳥がもう一度甲高く鳴き、旋回して南の空へ消えていく。
 聞き覚えのある鳴き声に、自分が呼ばれている事は明らかだった。
 つい数時間前に任務を終えたばかりだと言うのに。今度は何なのか。
 上忍のくノ一は、あら残念、と苦笑いを浮かべカカシの腕をするりと解放する。カカシは溜息混じりに忍鳥が消えた暗い夜空へ目を向けた。

「何なんです」
 執務室に入ってきて早々、怪訝さを隠す事なくそう口にしたカカシに、分厚い本がずらりと並んだ本棚の前で、綱手は振り返った。
「ああ、やっぱりまだ出歩いてたか」
 呼んでからここに姿を現した時間で把握したのだろう、綱手にはカカシの責める口調に何ら効果はない。変わりに意地悪い笑みを浮かべ、持っていた本を閉じ、カカシに向き直った。
「もうこの時間は皆出払っててね。悪いがこれを頼まれてくれるかい」
 差し出された黄土色の封筒は、機密性の高い任務に関する書類だ。その書類をカカシに手渡そうと綱手が一歩カカシに近づき、大きな溜息を吐き出した。
「なんだ、また女か」
 好きだねお前も。呆れた声に、どんな匂いを嗅ぎ分けてそう口にしたかは分からないが、カカシは素直に肩を竦めた。
「はあ、まあ」
 殺伐とした死に直結した任務ばかり遂行していれば、精神の均衡を保つ為にも先述のように高ぶった精神を抑える事も必要で、自ずと人肌を求めたくなるものだ。それには女を抱くのが一番手っ取り早い。でもまあ、そんな言い訳を口にしたって仕方がない。
 黙っていれば、綱手はじろりとカカシを見つめ心の内を読んだかのように、小さく鼻を鳴らした。
「暗部を勤め上げようが、所詮お前も人の子だな」
 勝手に納得し、綱手はカカシへ黄土色の封筒を渡す。
「計画していた任務に急な変更が入ってね。これをイルカに渡してくれ」
「・・・・・・え?イルカ先生に?」
 さっきの今で、その名前に思わず反応していた。
「そう、イルカだよ。これを作ったのはあいつだからな。目を通してもらって早々に組み直してもらいたいんだが、」
 カカシが僅かに見せた表情の変化に綱手が言葉を止めた。
「・・・・・・何だいその顔」
「いえ、別に」
 にこりと微笑むと、胡乱な眼差しを向けられるがそれ以上大して気に留める事なく、綱手はカカシに手渡した封筒へ目を向け、そして小さく息を吐き出した。
「ここのことろイルカには山積みの仕事を手伝ってもらってばかりだが、緊急なものは仕方ない。直ぐに頼むぞ」
「・・・・・・了解」
 封筒を持ち、執務室を出た。

 真っ暗な夜道を足音なく歩きながら。思い浮かぶのはさっきのイルカの顔。カカシは銀色の髪を掻いた。
 手の中にある封筒を見つめる。
 イルカとはナルトを部下に持つ事になってから知り合い、数年になる。実直な性格で、知り合った当初こそ真面目な男だと思っていたが、考え方が柔軟でフットワークもよく、アカデミー以外の仕事も掛け持ちしていた。
それを綱手に買われ、ここ最近は執務室で雑用をこなしているのも知っていた。
 だからさっきもあんな時間に。コンビニの袋を持っていたイルカの姿を思い出す。
 残業にしては遅い時間だと思ったが。綱手の言葉で納得する。自分に見せたあの表情も、疲れていたから。笑顔を見せる元気もなかったのかもしれない。きっとこれを自分が持って行っても、きっとイルカは嫌な顔一つも見せずに、対応するだろう。
 昔、ナルトに誘われ一回だけイルカの家に行った事があった。彼らしいと言ったら失礼なのかもしれないが、家賃もそこまで高くなさそうな、古いアパートだった。部屋はいかにも独身男の一人住まいという感じだったが、きちんと整頓され、正直自分の部屋より綺麗だと関心した覚えがある。
 今もそんな感じなのだろうか。
 ひたひたと歩みを進めていたカカシは、イルカのアパートの近くにある小さな公園で足を止めた。
 感じた気配に、まさかかと思いながらも少し離れた場所から公園の中をじっと見つめーーイルカを見つけた。
 ぽつんと街灯が灯るその下で。一人でブランコに座っている。
 ・・・・・・え。
 そう思ったのは、イルカが涙で目や頬を濡らしているのが分かったから。
 え、何。何で泣いてるの?
 思わず木の裏に隠れてその姿を覗いていた。
 家にも帰らず、こんな場所で。
 悲しそうに。
 ふと自分とすれ違った時のイルカの陰りのある顔が思い浮かび、カカシは思わずふるふると首を横に振った。
 いやいやいや、俺は関係ない。あるわけがない。
 なにもしてないし。
 と思うものの、中々木の陰から前に踏み出せない。見つめる先のイルカは、涙で濡れた頬を手の甲で拭い、すんすんと鼻を小さく啜る。目線は足下に落とされたまま。唇がゆっくり動き、その動きに目を疑った。信じたくないのに、確かにイルカは自分の名前を口にしていた。
「カカシさん・・・・・・」
 気のせいだと思いたいカカシの前で、もう一度はっきりと呟く名前に、顔が青くなる。浮かぶのは。
 何で・・・・・・俺?
 もしかしてとか思っていたが、改めて自分の名前を出され混乱する。
 思いつくのはやはりさっき歩いていた時に出会った事ぐらいで。でも、それが何故泣くような事にならなければいけないのか。訳が分からない。苛立ちに銀色の髪をくしゃりとかき混ぜるようにして掻く。
 イルカは自分の周りにはいなかったタイプだった。でもたまたま居酒屋でばったり会って一緒に酒を飲んだら、思った以上に話しやすくて。それからちょくちょく飲む事はあった。ただそれだけだ。なのに。
 ーー何でああなってるのか。
 当初の疑問に戻り、カカシは眉を寄せながらイルカを見つめた。
 どっからどう見ても、酷い落ち込みようだ。あんな風に名前を呟かれては正直今イルカの前に姿を見せたくない。だが、手の中にあるのはイルカへ手渡さなければいけない書類。
 直ぐに頼むと言った綱手の目の奥の色が鬼火と被り、思わず溜息が漏れた。それに、木の陰でイルカをずっと隠れていても事態は好転するわけがない。
 ・・・・・・仕方がない。
 気まずさと面倒くささに葛藤しながら、カカシはゆっくりと印を組む。
 自分を別の姿へ変えた。
 元々任務でよく使っている姿だが、イルカ自身とこの姿で接触はした事がない。
 だから、問題ない。
 カカシは封筒を持ち直すと、イルカへ向かって歩き出した。

 砂利を踏む音にイルカが俯いていた顔を上げ、目の前にいる男に驚き一瞬目を丸くする。警戒される前に、カカシはにこりと微笑んだ。
「今晩は。うみのイルカさんですよね?」
イルカの前に手に持っていた封筒を差し出す。
「綱手様からの伝達でこれを持ってきました」
 火影と言う名前と手に持つ見覚えのある封筒の色にイルカが警戒心を解いたのが気配で分かった。
「・・・・・・至急で私が頼まれまして」
 いつもは変化でなく完璧な変装をするが、今回は致し方ない。というか、イルカに書類を渡す分には何も問題はない。
 スケアでいる時によく使う優しい笑みを浮かべると、イルカは頭を軽く下げ、カカシから封筒を受け取る。
「ありがとうございます」
 ぎこちない笑みを返すのは、自分が泣いていたからだろうか。スケアの姿で封書を開け目を通すイルカの姿をじっと見つめた。
 まだ、黒い睫が濡れているのが分かる。
 程なくして、イルカが顔を上げた。
「問題なさそうですか?」
 優しく問うと、イルカはしっかりと頷く。
「ええ、早急に組み直して明日の朝一番に綱手様に届けます」
「それは良かった」
「はい、では失礼します」
 綱手の使いとあれば上忍だと分かっているのだろう。きちんと頭を下げ背を向け歩き出すイルカの後ろ姿を、安堵しながら見つめた。いつものように背筋を真っ直ぐに伸ばして歩いているのに。どこも変わらないはずなのに、その後ろ姿が寂しそうに見える。
 このままでいいはずなのに。
 面倒くさい事は避けたいのに。
 カカシは頭を掻きながら、歩くイルカを見つめ。
「ねえ」
 止めておけばいいと頭で分かってるのに。
 声をかけていた。
 イルカが足を止めてくるりと振り返る。黒い目にスケアの姿のカカシを映す。
「何で……さっき泣いてたんですか?」
 黒い目がぱちぱちと瞬きをした後、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「あー、すみません。見苦しいところを見せてしまいまして」
 泣いていた理由を初対面の相手にイルカが言う事はないのは分かっていた。
 なのに、俺なに聞いてんの。
 馬鹿らしいと心で突っ込む。謝ってさっさと帰ろう。
 すみません、と頭を下げようとした時、
「振られたんです」
 イルカの台詞に、口から出しかけていた言葉が止まった。
「ああ、違うか。失恋した、ですね」
 鼻頭を掻きながら小さく笑う。
 振られたも失恋も。どっちも意味が直ぐに頭に入ってこなくて、悲しそうに笑うイルカを見つめる事しか出来ない。なのにイルカは、恋人くらいいるって分かってたつもりだったんですけどね、今日恋人といるところにばったり会っちゃって。ちょっとあまりにもショックで。と、無理して笑うイルカの前で、ようやくイルカの口にした言葉の意味が分かってくる。首を傾げていた。
「・・・・・・失恋した?」
「ええ」
「今日?」
「ええ」
「ばったりと出会って?」
「ええ」
 ええ?
 はっきりと肯定するイルカに心で同じ言葉で聞き返す。
「それは・・・・・・変な事聞いてしまって・・・・・・」
 頭が回転しない中、言葉を詰まらせながら口にするカカシに、イルカは首を横に振った。
「いえ、こちらこそくだらない事で足止めしてしまってすみません」
 封書を手に、イルカはぺこりと頭を下げると公園を出て行く。その姿をぼんやりと目で追った。
 しばらくそこに立ち尽くし、
「・・・・・・なんなのそれ」
 誰もいない公園でぼそりと呟く。
 嘘だと思いたくて、イルカの好きだと言っていた相手が自分の隣にいたくノ一じゃないかと思いたいのに。その前に、既に自分の名前を聞いてしまっているのだから、間違えようがない。
 数えるくらいだが、もっと若い頃、暗部にいた時にも男に気持ちを向けられた事があった。その時はクナイで蜂の巣にしてやったが、ーー今回は。
 イルカの泣いている悲しそうな横顔を思い出してカカシは眉根を寄せる。そりゃこの世界同性同士は珍しくもないが。あのイルカが、そんな気持ちを自分に向けているなんて。夢にも思わなかった。
「・・・・・・参ったね」
 長い嘆息を吐き出した。




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