as know as S②

 昨日より机の上が書類に埋もれているのは、気のせいではない。
 彼女なりに仕分けているだろう書類の束は乱雑に置かれ、その脇には薬学の本が山積みになっていた。
 報告漏れがあったと呼び出されたカカシは、その机の前で椅子の背もたれに体重を預け書類に目を通している、その姿をじっと見つめた。
やがて一読したのか、その書類に判子を押す。そこでやっと顔を上げた。
「昨日はご苦労だったね」
 労いの言葉は任務か、その後イルカの書簡を渡した事か、それを考える間もなく、
「イルカから朝一で届けてもらったよ」
 別の書類を手にしながら、そう綱手が続けた。
「そうですか」
 相づちを打つカカシに綱手が再びカカシに再び顔を向ける。
「で、イルカの様子がおかしいのは何でか知ってるか?」
「え?」
 少し驚き聞き返すカカシを綱手はじっと見つめた。
「え、じゃないよ。イルカがどうも朝から様子がおかしいんだ。仕事にプライベートは持ち込まない奴なんだがな。お前何か知ってるんじゃないのか?」
「いや、別に。何も」
 カカシは反射的に首を振っていた。
 頭に過ぎるのは昨夜の事。イルカのあの泣いた横顔と、その意外過ぎた理由。
 それは今も引っかかってる事は事実だが、それ以上の事は何もない。
「へえ。姿を変えてわざわざ渡しに行った事に何の意味もないって事なんだな」
 イルカがその事を綱手に伝えるか伝えないかまでは、考えていなかった。
「ああ・・・・・・それですか」
 張り付くように感じる綱手の視線を避けたくて、カカシは視線をずらした。
「まあ・・・・・・別に、深い意味は、特に」
 顔を合わせたくなかった、と言うのが正解かもせれないが、それを綱手に言うつもりはなかった。それに、自分でもあり得ない言い訳だと分かっていた。と言うか、上手い言い訳は思いつかない。
「でも、滞りなく任務調整も終わったんでしょう?だったら別にいいじゃないですか」
「まあな」
 カカシの言葉に深く追求をせず、綱手は書類を机の上に置き腕を組んだ。まあいいさ、と切り返す言葉に内心安堵する。と、綱手が静かにカカシを見つめる。
「ただイルカは今ここで必要な人手に変わりない。なのに仕事の効率が落ちてるのは事実でね」
 溜息混じりに言い、
「大の大人の仕事以外の事に口出すつもりもないよ。だけどね、三代目までとはいかないが、今は私のお気に入りだって事は頭に入れておきな」
 何それ。パワハラ?
 意味深な言葉と威圧的な内容にどう返したらいいのか困り、カカシはただ、眉を下げはあ、と返答をするしかなかった。
 その後ついでのように任務報告の説明を終え、執務室を出て。
 カカシは廊下を歩きながら頭を抱えたくなった。
 仕事に支障が出るって。あのイルカ先生が。嘘でしょ。
 たかが失恋でそんな事になるもの?
 ちょっと。いや、かなり。理解出来ない。
 だって俺なんかに失恋したぐらいで。周りの女だって俺が相手にしなかったらさっさと別の相手に乗り換えるってのに。
 しかもあれ、俺の恋人じゃないし。いや、それイルカ先生に言ったところでどうしようもないし。
 大体俺ノーマルなんだけど。
 無理無理。
 こんなのはっきり言えば、とばっちりもいいところだ。
 参ったなあ。
 歩きながらがしがしと頭を掻く。
 待機所に向かいながら、目に入った建物に足を止めた。
 今日はアカデミーか受付か。そんなの知らないけど。関係ないけど。綱手の八つ当たりを受けたのは事実で、不本意だがイルカの不調の原因は自分。
 ・・・・・・様子を見に行くくらいなら
 カカシは受付へ足を向けた。

 窓から気配を消して受付の中へ視線を向ける。
 込み合ってない受付にイルカは座っていた。いつものように報告書に目を通し、判子を押し、上忍に頭を下げる。顔を上げたその顔は、いつも受付で見せる笑顔と一緒だとは、カカシが見ても言えなかった。
 元気がないのは一目でも分かる。昨夜あまり寝れていないのか、少し顔も青い。カカシの眉根に皺が寄った。
 出来れば、もっと普通にしていて欲しかった。
 営業スマイルくらい出来るでしょ。そんなんだからこっちにも流れ弾がくるんだよ。
 こう言ってはなんだが、たかが失恋だ。しっかりしてよイルカ先生。
 窓の外でイルカを見つているだけで苛立ちが募り、溜息が漏れる。
 さっき執務室で見た、綱手が埋もれていた書類の山は、きっとまだイルカが手を付けれていないからなのかもしれない。でもそれは全く俺には関係ないけど。小指の先ぐらいは自分せい・・・・・・なのか。
 虚ろな表情で仕事をしているイルカを見つめながら、カカシはもう一度溜息を吐き出した。


「イルカさん」
 休憩で受付か席を立ち、廊下に出たイルカに声をかける。振り向いたイルカは、昨日と同じ様な少し驚いた顔を見せたが、今度は少し微笑んだ。頭を下げる。
「昨夜はありがとうございました」
 イルカがスケアの格好のカカシに会釈をし、カカシもまた会釈を返す。
「いえ、さっき綱手様のところへ顔を出したんですが、朝一で任務表をもらえ助かったと言ってましたよ」
「そうですか。良かった」
 にこやかな笑顔に、イルカは合わせるように表情を緩めた。
「でね、綱手様に聞いたんですがイルカさんが元気がないって心配してまして。もしかして、昨日の事かなって」
「あ、・・・・・・いや、大丈夫ですよ」
 無理に笑顔を作るイルカに、カカシは少しだけ首を傾げて見つめた。
「そうですか?やっぱり元気ないみたいに俺にも見えるんだけど。・・・・・・ねえ、イルカさん。今夜時間あります?」
「え?」
「良かったら、話を聞きますよ」
 イルカの黒い目が丸くなった。
「そんな、」
「辛い気持ちは、溜め込むより話して吐き出した方が楽な事もあしますし。大丈夫ですよ、俺情報を扱う仕事柄、口は堅いですから」
 カカシは優しく微笑む。
 きっと気持ちを向けていた相手が同性だったから、気軽に誰かに相談なんて出来ないはずだ。誰にも話せなくて気持ちが晴れないんだったら、聞いてあげればいい。そうすればきっとイルカも、人に話す事で気持ちの整理が出来るはず。酒を飲んで、憂さ晴らしでもいい。
 自分も少しでも早く、この状況から解放されたい。
「ね、どうせ今日一人で飲むつもりだったし、良かったら」
 怪しまれない適度の距離の誘いに、人好きする笑顔を浮かべる。
 戸惑いながらもイルカは頷いた。



「なんかすみません」
 グラスを合わせた後、ビールを一口口にして、イルカは申し訳なさそうに微笑んだ。
「いーえ、全然。一人で飲むより二人の方が楽しいですから」
 にこりと微笑むと、イルカは警戒心をもう持ってはいないのか、スケアの格好のカカシにほっとしたような表情を見せる。
「でも、この店の個室は初めてです」
 居酒屋の奥にある個室は、上忍がよく使っている。珍しいのか、イルカはきょろきょろと部屋を見渡した。いつものクセでこっちの席を取っただけで何も考えていなかった。
「まあフロアの方でもいいと思ったんですけど、こっちの方がイルカさん話しやすいかなって」
「ああ、そうなんですね。ありがとうございます」
 それだけで納得してイルカはまた微笑む。その笑顔をグラスを傾けながら見つめ、
「相手ってカカシさんでしょ?」
 さっさと話を切り出すと、イルカは驚いてカカシを見た。
「え、何でそれを」
 予想通りのイルカの表情にカカシは眉を下げる。
「実はあの時、イルカさんが公園で名前を呟くのを聞いちゃったんです。あ、聞くつもりはなかったんですよ。でも、聞こえてしまって。こうして話を聞くって決めたの俺なんで。それは最初に言っておこうと思って」
 どう返したらいいのか、困っているのか。言葉を出せないでいるイルカにカカシは微笑む。
「この世界ではよくある事ですから。偏見も持ってませんし」
 柔軟な姿勢を見せると、イルカは苦笑いを浮かべながら鼻頭を掻いた。
「俺別にゲイって訳じゃないんです。自分でも最初困惑したんですけど、気が付いたらカカシさんを好きになってしまって」
 少し俯きながらぼそりと話すイルカを見つめて、目が点になりそうになった。
 いやいやいや、相手が男の時点で好きになる前にブレーキかけれるし、気が付くでしょ。
 イルカの言葉に半ば呆れながら、ビールを飲みながら心の中で突っ込む。
「何度も打ち消そうとしたんですが、無理で。気が付いたらずるずると何年もカカシさんに片思いしてて・・・・・・本当、馬鹿みたいですね」
 情けない笑みを浮かべるイルカを前に。何年も、と言う言葉にカカシは内心驚いた。
 何年もなんて、一体いつからだったのだろうか。しかも当たり前だけど、そんなイルカの気持ちに全然気が付いていなかった。元々女からも気持ちが全然分かってないと言われるくらいだから、気が付かなくて当たり前かもしれないが。でも俺に何年て。
 グラスのビールを喉に流し込み、唇についた泡を舐めイルカを窺った。
 まさか目の前に本人が聞いてるなんて気が付いていないイルカは、少し落ち込んだ表情で目の前の冷や奴を口にしている。
 大体、本人の口から好きだったと聞かされても、理由がさっぱり分からない。アカデミーだったら女性教員だって結構いるだろうし、さっきの受付も然り。事務仕事で女性が働いているはずだ。近くにいるんだから、出会いがないわけでもない。その気になればそこからでも適当に見繕えるはずだ。俺が好きだった時点で職場での恋愛は出来ない訳じゃないだろうし。
 自分からしたら疑問しか浮かばない。
 何で俺なのか。
「・・・・・・ね、一つ聞いていい?」
「はい」
「カカシさんのどこがいいの?あの人結構な女好きって聞きましたけど」
「・・・・・・え?女好き?」
 きょとんとして聞かれる。
「ええ、とっかえひっかえって言うんですかね?そんな人よりイルカさんならもっときちっとしている方がお似合いだと思うんですが」
 箸に豆腐を挟んだまま、イルカは何回か瞬きをした。視線をテーブルに落とす。
「職場でもカカシさんの話を女性の方がするので、モテるのは知ってましたけど、でも・・・・・・それって噂ですよね?」
 黒い目がカカシを見つめ、静かに聞かれ、少しだけ言葉が詰まった。自分の噂なんてたぶんだけで聞いた事がないが、女好きなのは事実って言えば事実だ。最悪なイメージを付けてしまえばふっきれやすくなるだろう。
「カカシさんは優しいだけで、女性の心を弄んだりとか、そんな事はないと俺は思ってます」
 優しい。あまりにも自分に不似合で聞きなれない言葉に、飲んでいたビールを思わず吹き出しそうになる。咽るカカシにどうしたんだろうと、そんな眼差しをイルカに向けられ、
「いえ、何でも」
 咳払いをしながらおしぼりで口を拭いた。
 一方的なフィルターだと思わざるを得ない。それを訂正したくてカカシは口を開いた。
「そうかなあ。俺の情報筋は確かですし、実際あなたが見た女性もきっとそのうちの一人だと思いますよ」
「止めてください」
 静かな声だった。イルカは不快そうに眉を寄せ、ゆっくりとカカシへ視線を上げる。
「・・・・・・カカシさんはそんな人じゃない」
 いや、本人の俺がそう言ってるからそうなんだって。
 俺もあの女もお互いに体目的だし、恋人でも何でもない。と、言いたいのをぐっと堪えるカカシを前に、イルカは一回強く唇を結んだ。
「あなたの情報はそうかもしれないですが・・・・・・カカシさんの事を酷く言われると・・・・・・ちょっと、辛いです」
 良い方向に持っていけるとばかり思っていたのに。真面目に責められて、顔が引き攣るのを覚える。
 自分の事を庇われているのに、この敗北感はなんだろう。
 ここでイルカに謝るのも変だし、どうしようかと悩みながらグラスを傾け、イルカが俯いたまま顔を上げない事に、気がつく。
 グラスから口を離し、俯いたままのイルカを見つめた。
「・・・・・・イルカさん?」
 少しだけ顔を上げた、その顔が今にも泣きそうで。カカシの眉根に皺が寄る。
 何で。何であんたがこんな事で泣きそうになるの。俺の事なんてどうでもいいでしょ。
 半ば呆れ気味に茶色の髪を掻きながらイルカを見つめ、カカシはゆっくりと息を吐き出す。
「・・・・・・まだ好きなの?」
「え?」
「カカシさんの事」
 顔を上げたイルカをじっと見つめて問うと、しばらくの間の後、イルカはまた目をテーブルに落とし、そこからカカシへまた目線を上げる。
「はい」
 悲しそうに、微笑んだ。



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