as know as S⑤

 覆面の下でかみ殺す訳でもなく、カカシは大きな欠伸をした。眦に浮かんだ涙を怠そうに手で擦ると、アスマがこっちを見ている事に気が付く。
「なに」
 意味深な視線にも見える。深くソファに座ったままカカシを見ているアスマが口を開いた。
「いや、煙草の次は欠伸かと思ってな」
 どういう意味か分からず僅かに眉を寄せると、アスマは小さく息を漏らす様に笑った。
「だってこの前は煙草が増えたかと思ったら、今日はさっきからお前、欠伸ばっかじゃねえか」
 任務じゃあねえもんなあ。
 ある程度仲間の任務予定は把握しているからだろうか、普段とは違う様子を易々と見抜かれ、隙を見せていた自分に内心溜息が漏れる。
 まさかイルカが夢の中にまで現れるからなんて、言えるわけがない。
 夢の中でまで、あんな悲しそうに泣かなくてもいいのに。泣きじゃくるイルカを、抱き寄せ、本当とは違う姿でイルカを慰めていた。早く忘れてしまえばいい、と。
 夢の中にまで出てきて欲しくなかった。
 思い出しながら、カカシは誤魔化すように薄く笑った。
「別に。ちょっと最近よく寝れないだけ」
「へえ、お前が?」
 意外だと、そんな顔にカカシはむっとしてアスマを見た。
「あのさ、俺を何だと思ってるわけ?」
 普段から他人に興味を示さず、売られた喧嘩は買わないカカシの珍しい反応に、アスマは片眉を上げる。
 待機所の扉が開いた。
「おはようございます」
 明るい声と共に丁寧に頭を下げたのはイルカだった。いつも通りに高く括った髪は清潔感があり、きちんと額当てを巻いている。普段通りのイルカの姿。が、一目でイルカの表情に陰りがあるのに気が付く。イルカは持った書類を確認しながら、アスマの元へ向かった。
「あれ、イルカ。どうした?」
 アスマが気が付いたのか、声を出す。
「いや、ちょっとここのところ残業続きで、」
 誤魔化すように笑うイルカの横顔を見つめた。
 残業。
 イルカの口に出した言葉を心の中で繰り返しながら、イルカを視界からはずした。
 残業なんかで泣きはらした顔になるわけないじゃない。
 雑談を含めながら任務の説明をする会話だけが耳に入る。
 でも、まあ。風邪はひいてないみたいだから良かった。
 浮かんだ言葉にカカシは首を振った。別にイルカがあれで体調を崩そうが関係ない。そう、俺には何も関係ない。そう思い直してみるもーーそうではないと分かっていた。
 カカシはアスマと話すイルカの横顔を見ながら、思い出すのは居酒屋での事と、その後のイルカの事。
 確かにあそこまで言う必要があったのか。そう考えれば答えはノーだった。誰かに気持ちを向けられる事はいつもの事だったのに、何故イルカにだけあんな反応をしてしまったのか。イルカに関しては少し予想外で驚いたのは認めるが。それに、恋愛にそこまで興味はないが、誰が誰を想うかは自由で、自分にしつこくつきまとったわけでもないイルカに、あそこまでする必要は無かった。
 謝ろう。あれは言い過ぎたと、謝ればいい。それでイルカも少しは気持ちが収まるだろう。
「お先な」
 アスマが立ち上がり、任務表をベストの裏に仕舞いながら待機所を別の上忍仲間と出ていく。イルカがカカシへ向き直った。
「カカシさん、今いいですか?」
 あんな事があったのに。いつもと変わらないような顔をみせようとする。いや、そうしようと彼なりに努力している。少し泣き疲れた顔で、無理に作った笑顔を浮かべるイルカを見つめた。
 あの後も、一人部屋で泣いたのだろうか。
 そう思っただけで、思わず視線をイルカからずらしていた。
「・・・・・・うん」
 そう小さく答えると、イルカから任務予定表を差し出される。
「なるべく無理がないよう調整はしてありますので」
「うん、分かってる」
 素直に答えるのは。渡された予定表は、目を通しただけで分かる。それなりに埋められてはいるが先の任務さえも見越して細かく時間調整までしてあるからだ。この任務を調整したイルカなりの配慮が伝わる。
「ありがとう」
 口からでたカカシの言葉に、イルカは一瞬目を丸くする。にっこりと笑った。
「はい」
 嬉しそうな顔。
 あ。
 そう思ったのは。あの時、スケアの姿でイルカを抱きしめた時に見せた表情と重なって。
 途端、体の体温が上がったのが分かった。顔も、熱くなる。
 え、なに。何で。
 あまりにも自分で予測できなかった。
「カカシさん・・・・・・?」
 殆どが額当てや覆面で隠れているが、僅かなそのカカシの表情の変化にイルカは首を傾げる。
 謝らなければと思うのに。
 今目の前にいるイルカとは違う、肩辺りまで下ろした濡れた髪と、泣いた後の潤んだ目とほんのり赤い目尻で、自分を見つめるあのイルカの表情が。頭から離れない。
「カカシさん、」
「・・・・・・っ、何でもない」
 顔を背けると、待機所から逃げるように出た。

 胸が、苦しい。
 高鳴る胸に手を押さえる。中々治まらない胸の鼓動にカカシは髪をくしゃりと無造作に掴んだ。
 違う。
 これは何でもない。イルカ先生を見て顔が赤くなるなんて。絶対にあり得ない。
 落ち着かせようと歩きながらゆっくりと息を吐き出す。
 そう、何もおかしくない。俺なんかに振られたくらいで人生の一大事みたいになってる先生の方がおかしい。
「あら、カカシ」
 声がかかる。振り返ると、白衣を纏った見覚えのある女が立っていた。その服装から、アカデミーの保険医をしている女だと思い出す。たしか上忍だった女は、昔何度か任務でも一緒だった事があった。
「任務?」
 女は風でなびく黒く長い髪を押さえる。自然にその髪を見つめていた。
「午後からね」
 そう答えると女はカカシに歩み寄る。
「ね。時間ある?」
 女は赤い口の端を上げ、カカシを誘うように妖艶に微笑みを浮かべた。


「あ、あん、・・・・・・あっ」
 締め切られた保健室の一番奥のベットが激しく軋む音を立てる。後ろから突き上げると、細い女の背中が反った。
「ねえ・・・・・・今日は、どうしたの?」
 息を切らしながら、問われる。乱れる黒い髪に目がいくのに、何故か女の声で胸くそ悪くなる。
「・・・・・・何が?」
ぼそりと聞き返しながら、カカシは動きを強めた。女が善がる声を上げる。
「だって、こんな時間からだったら、いつもだったら断るくせに、」
 女の腕を後ろから掴み腰を動かしながら、カカシは僅かに目を伏せた。
「くだらない話なんてしないでよ」
 低い声で言い、眉を寄せていた。何も考えたくなくて快楽へ集中する。
 集中していても、浮かぶのはイルカの顔。
 ーーあんな泣きはらした顔なんかで出勤して。
 だったらさっさと新しく好きな相手を見つければいい。イルカは見た目だって、そこまで悪くない。この女も然り、アカデミーだって女は腐るほどいる。
 あんなに一途に想えるのなら、イルカを結婚相手にするならちょうどいいはずだ。浮気だってしないだろうし、子供だって好きだろうし、好きになった相手を大切にする、それで暖かい家庭を築いて、ーー。
 おかえりなさい。
 黒い目を緩め、優しい笑顔で微笑むイルカが浮かび、カカシは動きを止めた。
 ーーあれ、俺。何を考えて。
「・・・・・・なに、どうしたの?」
 女の声に我に返る。女の形のいい豊満な胸も、ラインの綺麗な身体も、目の前にあるのに。何も入ってこない。カカシは自身をずるりと引き抜いた。女が髪を掻き上げながら不満そうにカカシを見た。
「どうしたのよ、まだ途中じゃない」
「やめる」
「・・・・・・え?」
「気分じゃなくなった」
「え、ちょっと、なにそれ?」
 無視して女に背を向け服を着込み始めるカカシに、女が呆れた顔をした。
 苛立ちながら嘆息を漏らす。
「信じられない」
黙ってアンダーウェアを着るカカシの背中に、女から責める視線が向けられているのが分かったが、それも無視をする。その時、チャイムが聞こえた。
「・・・・・・あ、会議」
 女が思い出したように呟き、溜息を吐き出す。
「出るつもりなかったけど、もういい。私もう行くから。ここ直しておいてよね」
 手早く下着を身につけ、身体のラインの出るワンピースを着ると白衣を纏う。乱れた髪を手櫛で直すと、女は机の資料を手に取る。不機嫌にカカシにそう告げると、保健室を出ていった。
 慣れてはいるものの、さっきの女の服より支給服を着るのは確かに面倒くさい。
 カカシはベストを羽織るとジッパーを上げる。乱れたベットの上に腰を下ろした。煙草に火をつける。
 自分が勝手にやめた事だが、身体が満たさていないのは確かだった。なのに何で止めたのかと思っても、自分でも理解出来ない事だった。それは苛立ちに繋がる。
 こんなにもやもやするのは、イルカに謝っていないからなのか。
 さっきさっさと謝ってしまえばよかった。
 しかし逃げ出したのは自分だ。
 眉根を寄せながら煙草の煙をゆっくりと吸い込む。
 扉がノックされ、カカシは顔を扉へ向けた。
「失礼します」
 イルカの保健室の部屋中に通る声に、ドキンと心音が高鳴った。
 さっきまで思い出していたイルカから逃げ出した事実と、女とのセックス途中に浮かんだイルカの笑顔と、カカシの姿で一人乱れたベットにいる状況。
 会いたくない。
 そう思ったら、カカシはまた片手で素早く印を組んでいた。その間にもイルカが保健室に入ってくる。
「スミレ先生・・・・・・え、スケアさん?」
 ベットに腰掛けているカカシを見つけ、イルカは目を丸くした。カカシは驚くイルカを前に、苦笑いを浮かべる。
「あー、すみません。ちょっとここをスミレ先生に借りて寝てまして」
 あまり上手い言い訳ではなかったが、それしか頭に浮かばなかった。目をまん丸にしたイルカは、はあ、と間の抜けた声を返す。
「イルカさんはどうしたの?」
「・・・・・・えっと、俺は包帯を返しに」
 そのまんま、綺麗に巻かれた包帯を抱えながらイルカが答えた。そこからベットの隣にある棚を開けると、その中に包帯を戻していく。
 この格好に変化しておきながら、慰める為だったとは言え、あの夜イルカを抱きしめた事を思い出した。恥ずかしさに手を口元に当てる。
 横顔を見つめながら、何て声をかけたらいいのかと考えていると、包帯を戻し終わったイルカが棚を閉める。
「昼寝かあ。いいですね」
 イルカに微笑まれ、勤務中のイルカに対してばつが悪くなる。はあ、まあ。と、また苦笑いを浮かべるカカシの隣にイルカが座った。
「イルカさん?」
その行動が不思議で首を傾げると、イルカがカカシへ顔を向ける。
「・・・・・・俺も次授業ないし、綱手様からの仕事も午後からなんで。少し寝ちゃおうかな」
 こんな顔をするんだ。
 悪戯に微笑むイルカの笑顔を、カカシは見つめた。
 今まで見てきたイルカは、いつもにこやかで。ただ、いつも同じ笑顔を浮かべていた。
 でも。
 この前も。その前も。
 色々な表情をするんだと、改めて感じる。
 子供のようなあどけない表情や、恥ずかしそうに微笑む事とかーー失恋しただけであんなに泣くんだ、とか。
 そして、今日は少し悪戯っぽい眼差しで、笑う。
 でも今はーー。
「・・・・・・今までサボった事なんてないくせに」
 ぼそりとカカシが呟く。え?と聞き返すイルカにカカシは腕を伸ばした。頬に触れる。そこから眉間に触れた。
「無理して笑わないでよ」
 半分は作り笑いだと、分かっていた。
 さっき待機所で最初見せたイルカの笑顔も、無理しているんだと気が付いていた。でも、カカシの姿では何も言う事は出来なかった。
 だけど。イルカの前でこのスケアの姿でいる事に慣れてきてしまっているのか。言いたかった事が素直に口から出ていた。
 眉間を指で触れられたイルカは、少し呆けた顔の後、そのカカシが触れていた眉間に皺を寄せた。ぐううと寄った眉間にカカシは手を離し、俯いたイルカを覗き込む。息を呑んだのは、イルカの黒い目に涙が浮かんでいたから。
「イルカさ、」
「大丈夫です」
 驚き名前を呼ぼうとしたカカシに、イルカが遮る。その声は、懸命に涙を零すまいと堪えているのか、震えていた。
「・・・・・・ねえスケアさん」
「はい」
 俯いたままのイルカに静かに答える。
「ここで一緒に添い寝してください」
「え?」
 少し驚くカカシに、イルカは涙で目を濡らしながら笑った。
「そしたらよく眠れるかなあって」
 眉を下げ力なく微笑む。
「実は昨日眠れなかったんです。スケアさんが言ったように忘れようと思って。でも、そう思えば思うほど寝れなくて」
 イルカの言葉にカカシは小さく息を吐き出す。
「・・・・・・そんなすぐに忘れられるわけないでしょう。そう言うのは時間が解決するんですよ。後は新しい恋をするとか、」
「そんな・・・・・・簡単に言わないでください」
イルカの目に涙が溜まる。カカシは溜息を吐き出しながら頭を掻いた。
「そうかもしれませんが、解決するには、」
ふわ、とイルカがカカシの髪に触れた。驚きに言葉を止めると、イルカはカカシを見つめながら、髪を触っている。
「イルカさん?」
 涙目で見つめられ、困惑しながら名前を呼ぶと、イルカはじっとカカシを見つめながら、口を開いた。
「何でですかね。カカシさんと全然違うのに。似てる気がするんです」
 不思議そうな眼差しを向けながら言った言葉に、ドクン、と心臓が鳴った。
「仕草のせいかな・・・・・・カカシさんもよく髪を掻くんです。煙草も吸うし」
枕元に置かれた煙草に視線を向けられ、一人緊張が高まるカカシに、イルカはそこでふう、と息を吐き出した。ゆっくりカカシを見つめ、涙目で微笑む。

「スケアさんがカカシさんだったら良かったのに」

 胸がズキンと痛んだ。
 胸の苦しさがイルカに伝わってしまうわけではないのに、思わず奥歯に力を入る。眉根を寄せながら、ふっと無理に笑った。
「何馬鹿な事言ってるの・・・・・・あんな男のどこがいいのか、俺には分からない」
 さっきだって、先生から謝る事から逃げ出したのに。
 酷い事しかしていないのに。
 なのに、イルカはまた首を横に振る。
「俺のナルトや子供達への甘さを、初めて面と向かって指摘してくれたのはカカシさんなんです。それに、ナルト達へ真の強さを教えてくれた。ラーメンばっかり奢ってた俺に、忍としての食事のバランスの大切さを教えてくれのもカカシさんだし、仕事で落ち込んだ俺を夕飯に誘って励ましてくれたのもカカシさんなんです」
 とても素敵な人なんです。
 素敵な人だと、はっきりと言い切られ、カカシは思わず赤面していた。
 中忍選抜試験の時に言い争いをしたのは覚えているが。ナルトへの事は兎も角、その後の事ははっきりと覚えていない。
 しかし、前はイルカに自分の事を聞かされる度に困惑したのに、それがない。逆に、少しだけ嬉しいと思うのは何でだろう。どれも恋愛というイルカの色眼鏡越しに見た戯事に過ぎないのに。
 涙目で面と向かって言うイルカに、それをどう返していいのか困ったカカシは恥ずかしさを誤魔化す為に、溜息を漏らす。
「分かりました」
 カカシはそう口にすると、イルカの膝の上に置かれたままの手を掴んだ。そのまま隣のベットへ引っ張っり込む。
「え、なに、スケアさん?」
「添い寝してあげる」
 カーテンを引いてイルカをベット上に寝かせ布団を被せると、カカシはその横に身体をごろりと横たえ立て肘をついた。
「次、授業ないんでしょう?」
「でも」
「いいから。今あなたに必要なのは、睡眠ですよ。少しでも寝ておかなきゃ。それに、誰か来たら起こしてあげるから大丈夫」
 寝不足なのは分かっていた。それが自分のせいだと言うことも。
 カカシは戸惑うイルカの肩を優しく撫で、イルカを見つめながら目を緩め、微笑む。
「俺じゃ、駄目?」
 少しでも寝て欲しくて、間近で立て肘をつきながら優しく問うと、戸惑いながら、惚けるような顔を見せたイルカは、素直に頷いた。


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