as know as S⑥

 少しだけ開いた窓から風が入り込み、ふわりとカーテンが揺れる。
 ベットの上で、立て肘を付いていた手の力が抜け、かくんと顔がずり落ちそうになりカカシは目を覚ました。
 顔を上げ太陽の光が映る真っ白いカーテンが目に入り、ここが保健室だと思い出す。隣で静かな寝息を立てて寝ているイルカが目に入った。添い寝と言いながらも、そんなつもりはなかったのに、昨夜あまり寝れなかったせいか、つい自分もうたた寝をしてしまったらしい。
 改めて寝ているイルカへ視線を戻した。疲れた顔をしていたから、今ここでよく寝ている事に安堵する。閉じた瞼から延びる思ったよりも長い黒い睫毛を、カカシはじっと見つめた。
 自分もつい寝てしまったが、隣に誰かがいて、よくここまでぐっすりと寝れるものだ。
 立て肘をついたまま、その手でくしゃりと髪を掻き、その自分の仕草が、カカシと似ているとイルカに言われた事を思い出した。
 溜息を吐き出す。
 この姿で誰かにバレた事なんて一度もないのに。自分の素を出してしまっていた事になる。自分の情けなさにため息が出た。大体添い寝とか、誰かにした事なんて一度だってない。
 一体自分は何をしたいのか。
「ん・・・・・・」
 その時、身じろぎしたイルカが、僅かに触れたカカシの手を掴む。驚き視線をイルカに向けると、気持ちよさそうに寝息をたてたまま。
 そのイルカの寝顔があまりに心地よさそうで。幸せそうで。思わずカカシの眉に皺が寄った。
「・・・・・・俺なんかにそんな警戒心も欠片もない顔なんて、見せないでよ」
 囁きながらイルカに腕を伸ばし、指で黒い睫毛に軽く触れる。
 イルカは、ただ静かな寝息を繰り返す。その顔を見つめながら、睫毛似触れていた指をイルカの唇へ動かす。その唇へカカシは自分の顔を近づけーー、
「・・・・・・カカシさん」
 イルカの口から漏れた言葉に、イルカの唇に自分の唇が触れる直前で止まった。
 あれ。俺、今なにを。
 イルカから離れ、ベットから降りたカカシは動揺に口元に手を当てる。その間も心臓が今までにないくらいに激しく動いている。
「・・・・・・ん、・・・・・・」
 見つめる先のイルカはまた、小さく動き、その寝顔を見ながら顔がまた熱くなった。
 カーテンを開け、そのまま開いている窓からカカシは外へと飛び出した。



 
「おいカカシ」
 夜。商店街を歩いているときに声をかけられ、カカシは足を止めた。肩越しに自分に声をかけたアスマを確認する。ふいと顔を前に戻した。
「・・・・・・なに?」
 低い不機嫌な声にあまり反応せずに足を止める事もないカカシの横にアスマは並ぶ。
「お前も夕飯か」
「・・・・・・」
 返事をしないカカシを肯定とみなしたのか、
「だったら一緒にどうだ」
 青い目をアスマに向けると煙草を咥えたアスマと目が合った。
「酒酒屋、行くだろ?」
 どうしようか答える前に言われ、誰かと飲みたい気分でもなかったが。カカシは諦めたように小さくため息を吐き出した。
 
 のれんをくぐってアスマと共に店に入る。金曜だからか、既に店の中多くの客で賑わっていた。その通り、
「混んでんなあ」
 と、アスマが呟く。店員に奥の席へと案内された。その後ろをついて歩いていると、ふとアスマが足を止めた。
「お、やってんな」
 その言葉に何のことかとカカシもアスマが見ている方向へ顔を向ける。そのテーブル席には見たことのある連中が女と一緒に酒を飲んでいる。それは男5の女5。明らかに合コンで、テーブルの一番隅にイルカがいた。カカシの目が僅かに見開く。
「にしても珍しいよな」
 軽く笑いながら言うアスマの言葉が分からなかった。正直、その手の飲み会はよくある話のはずだ。
 イルカ達のテーブルが見える席に案内され、カカシもその席に腰を下ろす。
「・・・・・・何が珍しいの?」
 店員に生ビールと適当につまみを注文し終えたアスマに聞くと、おしぼりて手を拭きながら、カカシへ顔を向けた。
「何でって、イルカが合コンんなんて珍しいだろ。数合わせでもあまり頷いた事なかったからな」
 意味が上手く飲み込めない。黙っているカカシにアスマは続ける。
「でも今回はイルカ本人から参加するって言ったらしい」
 ようやく女を作る気になったんだよな。まあ、俺は合コンなんて面倒くせえのはごめんだけど。
 苦笑いを浮かべるアスマに、カカシの胸が痛くなった。
 女を作る。
 イルカがその目的の飲み会に参加する事に、何の問題もないと分かっていても、胸にむかつきを覚える。カカシはその言葉に思わずイルカのいるテーブルへ視線を向けていた。
 そのテーブルは盛り上がっているのか、楽しそうな声がここまで聞こえてくる。イルカもまた、酒を飲み顔を赤らめながら、目の前の女となにやら話をしていた。
 イルカが、可笑しそうに笑う。目の下の笑い皺が見えた途端、反射的にイルカから視線を外した。
 見たくないと思った。
 あんなどこにでもいるような、初対面の見知らぬ女に。イルカが笑顔を向けているのが、嫌だと思った。 
 いや、イルカが望んで合コンに参加しているんだ。その気になったのなら、良いことだ。
 良いことだって、分かっているのに。
 むかつきが治まらない。
「カカシ」
「・・・・・・え?」
 顔を向けると、アスマが既に店員によって運ばれたビールが入ったジョッキを、カカシへ向けていた。
「ビール、呑まねえのか?」
「ああ、うん」
ビールを掴み、かちりとアスマのジョッキに合わせる。喉に流し込んだ。冷えたビールが胃に染み込んだ。美味いはずなのに、少し先のテーブルで盛り上がる声が耳に入る度に、その美味さが感じない。
 見たくないのに、イルカが視界に入る。朗らかに笑うイルカと女が、何を話しているのか。何がそんなに楽しいのか。
 聞きたいとも思わないのに、気になる。
「楽しそうだよな」
 ジョッキを傾けながら、カカシの視線に気が付いたのかアスマもまた盛り上がっているテーブルをちらと見た。
 大皿の料理を装った皿を女がイルカに渡す。恥ずかしそうにはにかみながら、イルカがその皿を受け取った。
 その笑顔を見ながら、ふと気が付く。思った以上にイルカの酒が進んでいる事に。自分が知っているペースよりも、早い事に。
 ああ、そうか。
 合点した事に、カカシはぼんやりとイルカを見つめた。

 イルカが無理に自分を忘れようとしている。

 忘れてしまえばいい、と俺が言ったあの言葉を。否定をしながらも、その事実を一生懸命受け止めようとしている。
 だから、きっと、今まで行きもしなかった合コンに自ら参加したいなんて言ったのだ。
 そう、自分がイルカに言った事なのに。
 今更ながらにそんな事に気が付き、思わずカカシは手に持ったままの箸に力を入れた。
「じゃあ、二次会に行く人ーっ」
イルカのテーブルがお開きになったのか、そのかけ声に、酔った男女がはーい、と次々に手を上げる。
 イルカは、目の前の女に何かを話しかけられ、酔って赤い顔をしながらも、こくりと頷いた。
 それが、どんな意味なのか。
 分かった途端、ぶわりと不快感がわき上がった。不快感と怒りが混じったような、今まで感じた事がない感情。
 その間にも、イルカ達は勘定を済ませ店の外へぞろぞろと出て行く。
 気が付いたら、カカシは立ち上がっていた。
「あ?おい、カカシ?」
 アスマの声を無視してカカシは歩き出す。のれんをくぐって外に出た。 金曜日の繁華街の路上には酔った客が歩いている。客引きやビラ配りをするその先に探している集団を見つけた。一番後ろを歩くイルカが、女と一緒に歩いているのを見ただけでさっきの感情が沸き、頭に血が上っていくのが分かる。カカシは勢いよく歩き出した。
 女と並んで歩く、イルカのその女と触れそうで触れない手を掴んだ。
 振り返ったイルカが、その相手がカカシだと分かった途端、黒い目をまん丸にさせる。訳が分からずに、え、と言葉を零すイルカの手を掴んだまま、カカシは反対方向に向かって歩き出した。
「カカシさん?ちょっと、一体、何なんですか」
 カカシはそんなイルカに構わず、手を引いて歩く。道を曲がり、店が途切れ人通りが少なくなったその場所で、足を止める。イルカの手を離した。
 振り返ると、イルカはただ困惑したままカカシを見つめていた。あの女の隣ではなく今、自分の側にイルカがいる。それだけでほっとする。
「あの、」
「合コン、参加したのは何で?」
 被せられたカカシの言葉に、イルカは言葉を止め、一瞬きょとんとした。
「何でって、」
 言葉を詰まらせ、困ったようにイルカは視線を一回地面に落とした。再びカカシへ戻す。
「・・・・・・そりゃあ、良い人がいたらいいなあって、思ったから、」
「嘘だよ」
 直ぐに否定したカカシにイルカは目を丸くし、眉根を寄せた。
「嘘なんかじゃないです」
「嘘だよ。俺があんな事言ったからでしょ。だから忘れたくて無理してあんな合コンに参加したんでしょ?」
 かあ、とイルカの酒で火照った顔が熱を持ったのが分かった。
「・・・・・・何をおっしゃっているのか分かりません。戻らせてください。俺は二次会に、」
「あの女がそんなにいいの?別にそんな大して可愛くなんかないじゃない」
「はあ?・・・・・・何言ってんですか?あなただって飲み会ぐらい行った事あるから分かるでしょう。そんなのはこれからお互いを知っていく中で、わっ、」
 呆れた声を出すイルカの語尾に、思わずイルカの手首を掴んでいた。
「駄目、行かせない」
驚きに抵抗するイルカを逃がしたくなくて、力が入る。イルカは手首の痛みに眉を顰めた。
「何で、そんな事、」
 何でなんて。理由なんてたった一つだった。
 ぐいと掴んだ手首を引っ張りイルカを引き寄せる。もう片方の手で自分の覆面を下げ、驚いて目を見開いたままのイルカの唇を塞いだ。
「んっ」
 イルカの目が更に見開く。
 ぬるりと舌を割り込ませると、イルカの身体がびくりと反応した。酒の匂いが残る、イルカの熱い口内から舌を見つけ、絡ませる。
 それだけで、満たされる思いに胸の奥がじんとした。
 困惑し、苦しさに必死に抵抗するイルカの手が、カカシの胸を叩く。尚も口づけを繰り返した後、ゆっくりと唇を離した。
 ぷは、と口を半分開けたままのイルカの舌から、透明の糸が引き、黒く潤んだ目がカカシを見つめ、その黒い目は動揺に揺れ動きながらカカシを映す。
 腕が上がったかと思うと、その腕に強く突き飛ばされた。
 避ける事も出来たのに、そのまま受け止めた衝撃でカカシは地面の土で尻を汚していた。
 顔を上げた時はイルカは既にカカシに背を向け走り出し、名前を呼ぶ間もなくやがて繁華街の中に消えた。



 NEXT→


 
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。