絵本の中の君①
「でね、アスマがリベンジに新しい店を見つけるって」
ザワザワと混み合う居酒屋の店内に、2人は向かい合って座っていた。
ビールの入ったグラスの結露を指でなぞり、マメなんだかヒマなんだか分からないでしょ、とカカシは苦笑した。優しい笑みは人を惹きつける。その眼差しはイルカを写していた。
「まぁ、そうですね。でもそんな事言ったらアスマさん怒るんじゃないですか」
「いいの、アレはあれで楽しんでるんだから」
イルカに笑ってグラスのビールを飲み干した。
形のいい唇に思わず目がいってしまう。それに気づかれないよう、イルカはカカシが飲み干したと同時に視線を自分の手元に移した。
相槌はうつものの、中々頭にカカシの会話が全然入ってこない。
今日言う。
イルカは決めていた。
出会ってから4年。
初めて顔を合わせたのは、カカシがナルトの新しい上忍師となった時。
あれから4年経ち、カカシとは酒を酌み交わす仲になっていた。
第一印象から受けた冷たく高慢な上忍とは全く違い、話せば話すほど印象は様変わりした。その実力を振りかざす事もなく仲間を誰よりも大切にし、イルカからしたら上官であるが、ナルトの元教師と言うだけの間柄にも関わらず、カカシは優しかった。
底知れない人間性に惹かれ、気がついた時には目で追っていた。
大蛇丸の木の葉崩しで三代目が亡くなり、消沈していたイルカを支えてくれたのもカカシだった。カカシも辛い立場にあるはずなのに、黙って側にいてくれた。
そんな関係でもないのに、かけがえのない人だとーー思った。
それは、いつか女性に想うものだと信じていたけど。
違ったんだ。
だから。今日言うんだ。
その言葉を頭の中で繰り返す。
空になったグラスを置いてカカシはイルカを見た。
「じゃ帰ろっか」
流し目のような眼差しでイルカを促しながら立ち上がる。
「はい」
カカシの後に続き2人で店を出た。特に会話をする訳でもなく肩を並べてあるく。
あの角で別々の道だ。
熱くもないのに掌に汗を掻いている。
しっかりしろ。
今日言うって決めたんだ。
「ーーじゃまた、ね」
分かれ道でカカシは立ち止まった。
全身が心臓になったみたいだ。
「…イルカ先生?」
動かないイルカを不思議そうに眺めて、カカシは覗き込んだ。
「あっ、はい」
淡い青色の瞳が目前に迫りイルカは驚いて後ずさる。カカシは眉を寄せて不審な表情を見せた。
「…酔っちゃいました?」
「いや、全く」
首を振って笑って誤魔化す。
「どうしたの?なんか、変」
イルカの感情を読み取ろうとしているのか、視線を下に向けたイルカの顔をジッと見詰めた。
何度も考え直した。間違っているのではないかと。
でも。間違いようがない。
イルカはコクリと唾を飲み込んだ。
下げていた視線をカカシに戻す。
「カカシさん!俺…あなたが好きです!」
言った。
とうとう言った。
口の中はからからだ。
カカシはと言えば、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、きょとんとイルカを見ていた。
そして、ゆっくり首を傾げる。
「俺、…男だよ」
確かめるような言い方に、イルカの心は素直に困窮し始める。
「はい、分かってます」
「俺ノーマルだって前にも言った…よね?」
だから、とカカシは顔をしかめて言い淀み、俯いて頭をガシガシと掻いた。
「あ、はい。知ってます。ただ、」
「…ただ?」
「気持ちを伝えたかった…だけ、なんです」
ノーマルだと、以前飲みながらカカシが会話で口にしていた事は覚えていた。
ぎこちなく笑顔を作りカカシを見た。
きっとへんな顔だろうな。
やばい、泣きそうだ。
「迷惑だって分かってたんですが、どうしても伝えたくて。気持ちに嘘付けないって言うか…カカシさんに…誤魔化してるみたいで」
「…うん」
最初驚きを隠せなかったカカシは、今は言い訳じみたイルカの言葉をじっと静かに聞いてくれていた。
「こんな気持ち持ったまま隠して仲良くするのは、…カカシさんに失礼って言うか…」
「うん」
「だから…」
「うん」
何でこんな時まで優しいんだろう。
カカシを困らせているみたいで途端に罪悪感が胸に広がった。
「そ、それだけです!」
「…え?」
「だから、気持ちを伝えたかっただけで、…すみません…俺…失礼します!」
気が付いた時には自分の脚はカカシから遠ざかっていた。
逃げた。
最悪だ。
格下の飲み仲間がまさかの告白をして、話の途中で走って逃げ、置き去りにした。
写輪眼のカカシを。
あり得ないだろ。
イルカの気持ちは地面にめり込む勢いで落ち込む。
断られるのが怖かった。
カカシから自分を否定する言葉を聞きたくなかった。
何て自分勝手なーー。
今まで自分が間違った事はしていないと胸を張って生きてきた。
その自信は粉々だ。
「理由は聞かない。だから飲め」
友人がビール瓶片手にテーブルに置かれたままのイルカのグラスに注いだ。
職員室で、イルカが自分の机に頭をめり込ませていたのを見かねた友人が、イルカを居酒屋に誘い出していた。
「……………」
「おい、いい加減頭を上げろって。そんな落ち込んでも仕方ないだろ」
上に向いた頭の尻尾を掴まれて、ようやくイルカは顔を上げた。
青白い顔色に、友人は思わず吹き出した。
「…何で笑うんだよ」
ピクリと反応して、イルカは恨みがましく友人を睨む。
「だって、…あれだろ?お前、振られたんだろ」
イルカは眉間に皺を寄せた。
「…さっき理由聞かないとか言わなかったか?」
「ああ。でもさ、それしかないだろ。…お前はそっち方面だけは硝子のハートだもんな!」
豪快に笑い飛ばされ、そう言われたら言い返す言葉はない。
16で初恋をして、その日に告白し、その場で断られ、地面に頭をめり込ませていたのは、仲間内では有名な話だ。
それ以来、恋愛らしい恋愛もせず。
次に恋した相手は里の誉れとして名高い、写輪眼のカカシだった。
誰にも言えずに心の中で恋心は育ち、歴代火影の顔岩から飛び降りる思いで告白をした。
そう、してしまった。
再び昨日の光景が目に浮かび、嘆息する。
カカシさんにあんな顔をさせたのは俺だ。
どう断るか考えていたのだろう。
優しく相槌をうってくれたカカシに、俺は最低な行動を取ってしまった。
始めてビールグラスを手に取り、口を湿らせた。
もうカカシさんとは酒を飲めない。
ビールがいつも以上に苦く感じる。
「…どんな女好きになったんだ?」
不意に真面目な顔で友人が覗き込んだ。
「言いたくない」
むすっとした顔のイルカに溜息をついた。
「……まぁ、いいけどよ…。引きずってたって仕方ないだろ?…あ!そうだ、俺の友達が彼氏が欲しいからって相手を探してたわ」
イルカの肩に手を置いた。
「どうだ?会うだけ会ったら。新しい恋をするのが一番良い薬だぞ」
新しい恋。
考えただけで気が遠くなりそうになる。
ただ、前に進むしかないのは頭では分かっていた。
「おしとやか〜な感じで化粧も濃くないし、お前に合ってるんじゃないかな。あ、あとおっぱいがでかい!これポイント高いだろ!」
思い出したのか、嬉々とする友人に苦笑いをした。
おっぱいはでかい方が確かに好きだ。
そこに惹かれる訳ではないが。
「楽しそうだね」
聞きなれた声に顔を上げて。
イルカは目を丸くした。
「い?は、…はたけじゅ、じょ、上忍!?」
「カカシさん…」
目の前に現れた里一の忍びに友人が驚愕した。
カカシはイルカを見て薄っすらと微笑みを浮かべる。
なんだ。
何でここにカカシさんがいるんだ。
わざわざ何でこんな場所に。
顔色を無くしたイルカはハッとする。
まさか。
昨日の返事をしに、わざわざここへ?
「あの、昨日はすみませ」
言い終わる前にカカシの掌がストップと言わんばかりにイルカの前に差し出され、言葉を塞いだ。
「いい?」
「……は?」
間の抜けた返答が出た。
右目しか露わになっていないカカシの顔。変わらず涼しげな目元に自然と目を奪われる。
カカシの手がイルカの腕を掴んだ。
初めて触れられた。
軽く息を呑んで掴まれた腕を見た。
カカシの器用そうな長い指がしっかりと自分の腕を掴んでいる。
再び顔を上げて戸惑いながらカカシの顔を伺った。
「あの……」
カカシはイルカの隣に目を向けた。
「ね、イルカ先生貸してくれる?」
「も、勿論です」
「ありがと。じゃ、行くよ」
友人の答えに軽く頷くと、イルカが立つのを助けるようにそのまま引かれた。
「え?あっ、…カカシさん…っ」
少し強引と思えるカカシの後ろ姿を歩きながら見る。
銀髪が歩く度にふわふわと揺れる。
店内の優しい灯りが銀髪を照らし、柔らかそうな光を放つ。触れてみたいと無意識に思いながら、ぼんやりと見詰めた。
店外に出る。多少の湿度があるが、温度が下がった空気は気持ちいい。
カカシは店から出て通りから裏道に入り、少し歩いた場所で手を離した。
いやだな。
昨日逃げたした後ろめたさと、これから言われるだろう言葉でイルカは眉頭を寄せた。
「イルカ先生」
綺麗な顔は月明かりに照らされ、凛としている。真っ直ぐに見つめるカカシのその顔に、やっぱり好きだな、と悲しくも改めて思う。
だから、諦める為にも。もう一度謝ろう。
「カカシさん、俺、」
スッと伸ばされた手はイルカの手を取る。
意味が分からず、取られた手を見詰めた。
「ね、先生」
「はい」
「俺たち、付き合おう」
「…はい?」
「返事してなかったじゃない」
「…返事…」
付き合う?
してなかったじゃない?
完全に頭が迷子になったままのイルカの顔をカカシは覗き込んだ。
「俺も好きだよ。だから、おっぱいでかいだけのおねーちゃんとは付き合わないで」
困った顔で変な台詞付きで。
でも。
それは、紛れもなくカカシの言葉だった。
※②はR-18の表現を含みます。
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