絵本の中の君④

イルカが意識を失った頃、夜が闇から解放され太陽の光が部屋を明るくした。
カカシはイルカの身体を身体を綺麗に清め終わると、イルカの脇腹に触れた。吸い付くような質感にずっと触れていたくなる。
「ん……」
無意識にイルカの口から鼻にかかった声が漏れる。頬にも幾筋もの涙が伝った跡が残っていた。
微かに開いた口が情事を物語るようで、カカシは目を細め、唇を落とした。
綺麗な人。
首元から胸にかけて自分のつけた確かな所有の跡が散っていた。
服を着せイルカの脚を寝台に縛り直すと、薄い布団をイルカにかける。
昨夜風呂場にためられたお湯は既に冷めてしまっていた。カカシはシャワーを浴び、服を手早く着込む。
居間にある電話を手に取り、アカデミーへイルカが体調を崩したと連絡を入れた。
カカシはすぐに外に出て扉を閉め鍵をかける。銀色の鍵をポケットに入れ、歩き出した。




任務報告をしに火影の執務室へ向かった。
「……てことで任務は完了しましたんで」
朝早くから現れたカカシを腕組みしながら眺めて軽く頷いた。
「短期任務ご苦労だったね」
多少なりとも今回はきつい任務だったからか、綱手は素直に労いの言葉をかけた。
「2.3日は休みをやるから、身体を休ませるんだよ」
「はいはい、じゃあこれで」
「待ちな」
軽く相槌をして早々に立ち去ろうとしたカカシを止めた。
「何です?」
怪訝な顔を隠しもせずに綱手を肩越しに見た。
急いでいるとそのアピールを込めてだが、さして気にする様子もなく綱手はカカシを見ていた。
「イルカとは話をしたか」
「…何の話ですかね」
はぐらかす様な態度に綱手は眉をひそめた。
「任務に行く前に伝えたろう、イルカが任務を申請した件だ」
はあ、と頷いてカカシは綱手に振り返った。
「しましたよ」
あっさりと答えるカカシを綱手は真っ直ぐ見据えた。その目は多くを語っていたが、カカシは一掃するように視線を外して頭を掻いた。
「……ま、俺は反対しましたよ。でも今はそれどころじゃないんで」
「……?」
綱手は再び眉をひそめた。
「どう言う意味だ」
「あの人昨日から体調を崩してましてね。看病してやりたいんですよ、恋人としては」
「体調を崩しただと?」
綱手が怪訝な顔をした。
「ええ、俺が任務から帰ったら熱が出てて。まだ熱が下がらないんです」
「……熱か」
不可解な顔つきをした。
「今どこも人手不足でパンク状態だし、流石のイルカ先生も堪えちゃったみたいですよ。ほら、五代目は人使い荒いから」
「……」
「兎に角、2.3日は休みを貰えるって事ですよね。俺はイルカ先生の看病してたいんで」
「…そうか」
押し切るように話を終わらせると、カカシはすぐに執務室から出た。



病気に見せかける為の辻褄を合わせの為に数種類の薬が欲しかった。繁華街から少し離れた裏道で薬を手に入れる。
それを懐に仕舞い込み、カカシは自分の家へ向かった。
テーブルに布を敷き、手に入れた薬を並べた。自分の家で調合すれば直ぐに出来る。
調合の仕方によっては毒薬になる。
黄色の粉を人差し指で掬うとペロリと舐めた。
甘い。花の香りを持つ毒薬。一般人が舐めれば直ぐに痺れが回り出す量だ。
あの人はどの位の抵抗力があるのだろう。自分と同じ忍びとは言え、実戦を離れ何年も経っている。自分より何倍も薄める必要が出てくる。数ヶ月は大人しくしててもらう為の量はこの位か。
「…………ふっ」
不意に笑いが溢れた。
俺は狂ってる。
こんな事をしたらイルカを失う。
あの人は失望して、俺を嫌いになるだろう。
ああ、違う。
もうきっと嫌っている。昨日は酷い事をした。縛って身体の自由を奪い、無理やり自分の欲を満たした。泣いて嫌がるあの人を無視して力でねじ伏せた。
黒い目は涙でぐしゃぐしゃになりならがら、どうしてと訴えかけるように俺を見ていた。
すぐに消えない痣も出来たに違いない。
白い皿に薬を入れて混ぜる。手持ちにある薬も加える為に食器棚の奥から小瓶を取り出した。
ふと視界に入った藍色。
重ねて置かれた茶碗が一番奥に置かれていたのを見た瞬間、カカシは目を見開いた。食器棚を急いで締めると、その扉に背を預けるようにして寄りかかり目を瞑った。
「っ……くそっ」
舌打ちをして小瓶を持つ手で頭を抑える。
処分するのを忘れていた。
脆い部分が剥き出しになりそうでカカシは固く目を瞑り歯を食いしばった。
ズルズルと背中は食器棚から滑り落ちるように動き、カカシは床に座り込んだ。
思い出したくない情景が頭に浮かび上がるが、今はそれを制御する為の自制心が動かない。身体が小刻みに震えだし、脚に頭を埋めた。
気がつけば額に汗を掻いていた。
大丈夫。
あれは過去の事だ。
何も問題ない。
大丈夫だ。
自分に言い聞かせ、何回も深呼吸を繰り返す。徐々に身体の震えが止まった。
顔を上げ、ゆっくりと目を開ける。
イルカは目を覚ましただろうか。
ここで後に引くつもりはない。
毒を食らわば皿までだ。




鍵を開けイルカの部屋に入る。
気配を消す事もないだろう。カカシは寝室へ真っ直ぐ向かった。縛り付けられたままのイルカは寝ているのか、目を閉じたまま。寝台の前に立つと、イルカが薄っすら目を開けた。それを見てカカシは微笑んだ。
「寝てた?」
「…カカシさん」
黒い瞳がじっとカカシを見上げた。少し声が擦れている。心配そうに眉を下げてイルカの手首に触れた。
紐で結んだ場所は痣ができ、擦れた痕に血が滲んでいた。足首も触れて確認すれば、同じように血が滲んでいる。
「暴れたの?解けないような結んであるの、先生なら分かるでしょ?……すぐ解いて消毒してあげる」
髪を優しく撫でれば、イルカは顔を顰めて首を横に振った。
「カカシさん…」
「なに?」
「も、…止めてください」
「イルカ先生が考え直してくれればいいんだよ?」
潤んだ瞳が揺れる。恐怖と悲しみが混じった感情と、あと別に見え隠れする感情はカカシには分からない。恐がらせた事にカカシはごめんね、と呟きイルカの瞳に吸い込まれるように唇を落とした。
イルカは無言でカカシを見詰めていた。
ベストを脱ぎ、カカシは寝台の脇に座る。
風呂に入れ傷の手当をした後に薬を飲ませればいい。
イルカの辛い顔を見るのは辛いが、こうする以外イルカを繋いでおく物はない。

ガタ

寝室の窓枠が揺れると共に別の気配が現れた。
静かに目を向ければ、シズネが寝室の入り口に立っている。
イルカと同じ黒い目を大きく見開いていた。
「……あれ、珍しい。2人の邪魔をしにきたの?今良いところなんですよ。帰ってもらえますか」
動揺を一切見せないカカシは、笑顔を見せゆらりと立ち上がる。
「…!誰…」
気配を読むのもままならないうちに現れた事にイルカは状況が飲み込めないのか、驚きに身体を捩って相手を確認しようと顔を上げた。
誤魔化しようがない、イルカの縛られた姿を見て、シズネは悲しそうな顔をして唇を噛んだ。



「……申し訳ありません。綱手様からの命です。はたけさん、あなたを拘束します」


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