はちみつ①

カカシの想いと、俺の想い。
存在すらしないと思っていた糸は。繋がっていたわけで。
イルカは出勤の支度を終えると、最後に額当てを付けた。洗面台の鏡に映るのは、昨日と同じ。変わらないいつもの平凡な俺。が、少しだけ頬が緩んだ。昨日カカシに言われた台詞。
俺はイルカが可愛い。
やっぱり間違ってる。むず痒さに赤らむ頬を引き締めて。
「可愛くないっつの」
誰に言うでもなく、鏡の自分に言い放ち、玄関へ向かう。ドアを開けたら。
薄っすらと雪が積もっていた。
「…どうりで」
寒いと思った。柵に積もる雪を指で軽く触れた。自分の熱でじんわりと溶け、水になる。
でも。
真っ白な雪を触りながら、実感し、また思い浮かべる。カカシに抱き締められ、自分も抱き返した。暖かい。あの人のぬくもり。
雪とは違う。触れてもなくならない。カカシのぬくもり。
白い息を吐き出して、イルカはアカデミーへ向かった。
まだ雪は降らないと思っていたのに。
鞄から手袋を取り出して、はめる。
確か、カカシさんは今日から短期の任務だって言ってたな。
もう発ってしまっただろうか。
まだカカシとの関係が夢のようで。ふわふわと浮きだった気分が自分を包む。こんな気持ち、いつぶりだろう。前の彼女の時は緊張の方が先立っていた気がする。今の自分は、ドキドキと、見えない未来に夢を膨らませる子どものように、気持ちがいい。
いつもの道で、右に曲がればアカデミーだが。立ち止まって左へ顔を向けた。
この先にはカカシの住んでいる上忍マンションがある。いるかいないか分からないけど、時間もまだあるし、通り過ぎるだけでも。
イルカは左へ足を進めた。
真新しい。同僚が言っていたが。綺麗なマンションだ。マンションと言っても3階建て。周りの住民に考慮してだろう。昨日の今日でカカシに聞かなかったし、カカシが言うわけでもなかったから、何階に住んでいるのかさえ分からない。
マンションを見上げて、太陽の眩しさに目を細めた。
(やっぱ、俺のアパートなんかと天と地。いや、あのアパートは好きなんだけど)
見ただけで満足、とアカデミーへ身体を向けた時。ガラ、とガラス戸が空いた音がして、再びイルカはマンションを見上げた。3階の一番端の窓が開いて、カカシが顔を出していた。
いると思わなかったイルカは驚きに恥ずかしさに、顔を赤くして、口を開けたまま見上げていた。
そんなイルカの顔を、薄っすらと微笑みを浮かべ、カカシは見下ろしている。綺麗な顔は素顔だと、イルカは気がつき慌てた。
(カカシさん…っ、素顔…!)
見下ろすカカシはニッコリと余裕の笑みをイルカに見せた。
夢じゃないと、思わせてくれるカカシの顔。ああ、やはり格好いい。
なんて不謹慎にも考えが及んでしまう。頬を赤らめ、真ん丸な目をして見上げているイルカにカカシは片手を自分の口に当てた。
(………?)
やっぱり顔を隠したくなったのか。寒いのか。
どうしたのだろうと、見つめていると。
その手を口から離して、イルカに向けた。同時に聞こえる。唇を鳴らす音。盛大な投げキッスだと、気がついた時は顔から火を噴きそうになった。
「っ!!…っばっ、」
耐えられなくなり、イルカは首をブンブン振り周りを見渡す。
幸いな事に誰もいない。
いないからやったんだろうけど!
「いってらっしゃい」
不審な表情と動きをしているイルカを楽しそうに眺めながら、カカシは爽やかな笑顔で、声を落とした。
「〜〜〜っ!い、いってきます!」
なるべく声を抑えながらカカシに返すと、背を向け、一目散にアカデミーへ走り出した。
嬉しいのに。恥ずかしい。
投げキッスって!!いつの時代だよ!!
(寒いのに熱い…!)

全速力で駆けるイルカの後ろ姿を、カカシは眺めながら、嬉しそうに微笑んだ。




職員室で、自分の席へ向かっていると、考え込む同僚を見かけ、足を止めた。
「なに、クラスのテストの点が悪かったのか」
覗き込むと、チラとイルカを見て、軽く笑う。
意味が分からず、イルカはムッとした。
「失礼な笑い方すんなよ」
「いや、失礼」
ハハと笑うが、やはり元気がないように見える。イルカはため息をつくと、空いている隣の椅子を引き寄せ、座った。
「話聞くだけ聞くけど」
「……ん〜、」
周りを確認しながら、俯き気味にイルカへ顔を向けた。
「最近彼女出来たんだよね」
ドキ、とイルカの心臓が跳ねた。同じタイミングなんだー、と平静を保ちながら同僚を見る。
自分はそうだから、幸せなはずなのに。この男は何を悩むのか。
「それで?」
促すと、同僚はゆっくりと息を吐き出した。
「彼女さ、年下なんだからだろうけど、意外に奥手の子なんだよ。いや、それが可愛いんだけど」
「…はあ」
「キスはしたんだけどよ。その先がな〜」
そこまで言って、机に顔を伏せた。
「恥ずかしがって、進まないんだよ。…嫌じゃないんだろうけどー…」
なんて言うかなあ。
ぶつぶつとくぐもった声を出しながら、顔を上げた。
「イルカってさ、前の彼女の時、どうだった?」
「…は?」
「だからさ、直ぐにヤらせてくれた?」
「………っ、それは、」
言葉を詰まらせ、イルカは目を泳がせた。そんな事、言いたくないというか、そんな質問に答えたくない。
顔を顰めたイルカを見て、同僚は苦笑して肩を叩いた。
「悪りい、お前が奥手だったか」
「うるさいよ!」
もう行く。イルカは怪訝な顔で立ち上がり自分の席に向かう。持っていた教材を机の上に置いた。
ああ、なんか嫌な話聞いた。
目を瞑り、軽く首を振る。
チャイムが鳴り、イルカは慌てて次の授業の教科書を持つと席を立った。


あの同僚、大体あいつは昔からガサツなんだよ。おおらかで隠し事しないし、裏も表もないのが良い所なんだけど。
(………キス…か)
24時間も経っていないカカシとのキスは、カカシの唇の感触までしっかりと脳に刻み込まれてしまった。唇が触れるという事は、あんなに接近してするものなんだと、改めて思う。
硝子のように綺麗な淡い青色は、自分だけを映していた。髪と同じ銀色の睫毛は、思ったより長くて。抱き締められた後、唇から頬、鼻へキスをされた時に、その睫毛が自分の肌に触れた。
そこから思い浮かべるのは、カカシの朝見せた爽やかな笑顔。嬉しそうに。悪戯な顔で。
まさかの投げキッス。
子どもみたいに嬉しそうだった。
(浮かれてんな、俺)
再び頬に熱を持ちながら思う。
あの同僚も、浮かれ過ぎてあんな風に悩んでるのかも。
(…にしても)
不意に同僚の言葉が浮かんだ。
キスはしたんだけどよ。その先がな〜
その先。恋人同士になったカカシと。キスの後にする事は。
決まってる。
そうだ。てことは、俺とカカシさんは、いずれするんだ。

セックスを。

バキ

「……せんせー、チョーク折れちゃったよ?」
背後からの生徒の声に我に返る。
黒板に向かったまま、手に持つチョークが折れていた。
砕けて、足元に粉が落ちる。
「あ…悪い、直ぐに書き直すな」
笑って新しいチョークを持って。
授業の続きをしなければいけないのに。イルカの頭は真っ白になっていた。



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