はちみつ③


仕事が終わってカカシが待つマンションへと向かう。緊張が自分でもおかしいくらいに高まっていく。恋人の部屋へ行くだけなのに。
男同士の行為にイルカは経験がない。カカシはあるのだろうか。初めに浮かんだ疑問がそれだった。
自分とは比べ物にならないくらいの環境で、幼い頃から戦場に身を投じ、暗部にいたと聞いた事もある。そんな経験があってもおかしくない。だからこそ、自分がそこから想像をするのは難しい。
それに、そもそも男を抱きたいなんて思うんだろうか。自分は、ーーカカシを好きになるまで考えた事もなかった。
女性と付き合っていたのは知っている。自分も付き合っていた。でも、自分より遥かに経験があるのだろう。
でも。
上手くいかなかったらどうしよう。
浮かんだ言葉に、イルカは足を止めていた。
男同志で、上手くいくんだろうか。
自分の無知さ加減に更に気持ちに情けなさが際立ち、イルカは軽く頭を振った。実に馬鹿らしい短絡的な考えだ。
肩にかけた鞄を掛け直して、先ずはと商店街へ買い物へ向かった。
任務で疲れているカカシに何を作ればいいのだろう。いつも自分が食べている物しか思い浮かばない。食べたい物を聞いておけば良かったと思うが、今言っても始まらない。
しかも時間が経っているだけに軽食を済ませているか、空腹のまま待っているか。
奮発してすき焼きはどうだろうか。
肉屋で立ち止まり、普段買わない値が張る数字と肉を交互に眺めた。
カカシは何を作ったら喜んでくれるのか。
「あ」
思いついて声を上げ、視線が合った肉屋の店主に苦笑いをして、イルカは店を後にした。


「凄い荷物」
笑顔で迎えてくれたカカシは、イルカの持つ袋を見て言った。
カカシはアンダーウェアに口布も額当てもしていない。ラフな格好がまた人目を惹くくらい格好良い。
持つよ、と言われ玄関先で持っていた袋を手渡すと、重みと陶器の擦れる音からチラと袋を覗き見て。
「そっか。これを持ってきてくれたんだ」
懐かしい土鍋の存在に、カカシはまた笑った。
カカシに借りたままの鍋を思い出し、スーパーで食材を買い、カカシに返しそびれてそのままになっていた土鍋を家に取りに戻っていた。
真新しい部屋に何故か入るのを躊躇ってしまう。
カカシの部屋。彼の部屋に入るのは初めてでもないのに。あの時は隣の住人として、でも今は恋人として。あの時とは違いすぎる関係だからだと、改めて思う。
靴を脱がずにいるイルカに、カカシが不思議そうな顔をした。
「あれ、入らないの?」
「いや、入ります。お邪魔しますっ」
変に大きい声で返事を返して、ギクシャクと笑顔を作り履いたままの靴を脱ぐ為に腰を下ろした。なかなか下足を外せない。無駄のあり過ぎる動きを見られているのが分かり、更に緊張が高まる。
「実は緊張してまして」
顔を上げ素直に白状するイルカに、そっかとカカシは優しく笑った。
「この部屋初めてだから?」
言って袋を持ちキッチンへ運ぶため背を向けた。的外れな言葉は、イルカの心中を分かっていない。変に意識していないカカシは、余裕があるように見える。それにさえ羨ましく感じてしまう。きっと自分のように深く考えていないからだろう。
それだけで情けなく感じてしまうが、緊張を無くすことが出来ないのは事実だった。
イルカが緊張していると分かっているからか、カカシは深く追求する訳でもなく、イルカを部屋へ促した。
アパートで見た家具やら小物やらが目に入り、改めてカカシの部屋だと実感する。
「カカシさん、メシは」
「食べてないよ」
「え、あれからずっと?」
と言うと昼も食べてないのか。驚いたイルカに、
「家帰って疲れてたから寝てて、」
そこで言葉を切ってイルカを見た。
「少し前に起きて、」
「起きて?」
「イルカさんが来るから片付けしてた」
嬉しそうな顔を見せられ、どんな顔をしたらいいのか困る。
「じゃあ、ちゃっちゃと作りますね」
腕まくりをするとカカシがまた嬉しそうに笑った。
「俺も手伝うよ」
「あ、いや、いいですよ。1人の方が早くつくれちゃいますから」
ベストを脱いで買い物袋から白菜を取り出すイルカを見て、じゃあお言葉に甘えてと柔らかい笑顔を見せられる。
料理に集中出来るのは有難かった。情けない事に恋人の部屋だと、それだけであがりまくっているのだ。
ネギや白菜を刻む音もいつもより早い。野菜を土鍋で水から火を通している間に肉団子を手際よく作る。高価な地鶏にしようか悩んだが。自分がいつも作っているものは、失敗しにくい。
沸騰した鍋を開けて肉団子を丸めて入れていく。野菜の出汁と肉団子の出汁で、あっさりとした味になる。
「美味そうな匂い」
カウンター越しにカカシが顔を覗かせる。青い目から薄い唇に目が行き、イルカは視線を鍋に強制的に動かした。
こんな自分が嫌で仕方ない。
「あ、茄子」
カカシが胡瓜と一緒に漬けられたビニールを見つけて指をさした。鍋を作る前に仕込んでいた。
箸休めに丁度いいか、なんて作ってみたが、恋人になって初めて作る料理のメニューにはまずかっただろうか。
「なんか、色気もない感じで」
そこまで言ってハッとする。色気なんてワード。丸で意識してるみたいじゃねえ?
すぐにイルカは手を振った。
「いや、そう言う意味でもなくてですね」
「でも俺好きだよ?」
「え、好き?」
「うん。茄子。あ、胡瓜も好きだよ。浅漬け自分で作らないから、嬉しい」
ニコニコと屈託のない笑顔を見せられ、イルカはありがとうございますとなんとか返した。
自分が何とやましいことか。頭がそんな事ばっかりなんて。盛った若造じゃあるまいし。
自分に嫌気がさしてくる。
鍋と浅漬け。簡素に思うがカカシは終始美味しそうに口にした。
茄子は好きな食べ物らしい。鍋は流石に残ったが。少し多めに作った漬け物全てを完食し、塩梅を褒められる。
彼の好物を知れたのは嬉しい。茄子は意外だったが。自分の中で好きでも嫌いでもなかった野菜が、急に上位に浮上したのは言うまでもないなあ。と褒められ舞い上がってると分かっていてもだ。茄子の料理、八百屋のおばさんに聞いてみようか。
「また作ってくれる?」
自分を見るカカシの目は、幸せそうに細められていて、
「カカシさんが好きならいつでも作りにきますよ」
恥ずかしさからか、何故か怒り口調になりながらも言い切ったイルカに、カカシは目を丸くして、そしてまた目を細めた。何秒か視線が重なる。そしてカカシが立ち上がった。更に上がった顔を目で追って、然程広くないテーブルだから、カカシが屈めば直ぐに自分の唇と触れた。
離れてまた触れる。深く合わさり、身体が恥ずかしいくらいに熱くなる。
薄く開いた唇に舌が入り込む。自然甘い声が鼻から漏れた。
上手いな。これだけで思う。
きっとこの先の事も。
上手くいかなかったらどうしよう。
嫌な不安がまた浮上していた。
そんな事を考えたら、ぐんと高鳴る心臓から胸が苦しくなる。思わず拳を作っていた。
「イルカさん、どうしたの?」
唇が離れて青い目が自分を覗き込んでいた。カカシの腕が伸び自分に触れられる。そう分かった時、イルカの全身が自分でも驚くくらいに引き攣った。
触れる寸前で、カカシの指が止まる。
「あ…の、…すみません」
驚いたカカシの顔を見たらそう口にしていた。
謝っちゃ駄目だろう。言った直後に後悔する。
伸びたカカシの手が、指先が、軽く丸められ戻っていく。
「震えてる」
「え…」
自分の手が、身体が。強張っていたと、カカシに言われて初めて気がついた。息すら止めていた。
カカシの顔は少しだけ寂しそうで。何か言おうとしたが言葉が見つからない。言葉に窮したイルカに、
「そんな構えなくていいよ」
イルカはかーっと耳まで赤くした。
だって、当たり前のように、カカシに見透かされていた。
「す、すみま、」
「謝らないでよ」
苦笑いされ、またその表情が辛い。
「お茶淹れるね」
背を向けキッチンへ向かったカカシを見て、ゆっくりと息を吐き出し椅子に座る。
(同じ男なのに)
キスだけでガチガチになっていたなんて。情けない。こんな事じゃいけないと分かっているのに。
呆れてはいないだろうか。そっとお茶を淹れるカカシを見つめる。
イルカはカカシに見えないように唇を噛んだ。

「俺、そろそろ帰ります」
明日の授業の準備しなくちゃいけないし。
と、カカシが顔を向け、口を開く前に続けた。カカシは何か言おうかとしたのか、薄く口を開けたが、うん、と頷いき立ち上がると奥の部屋に入って行く。
何だろうと思いながら玄関に向かい、
「送るよ」
と、ベストを着ながら玄関に現れたカカシにイルカは慌てて首を振った。
「いや!平気ですよ!」
「だって、」
「俺、男ですよ?大丈夫ですって」
上忍には当たり前に劣るけども。20代半ばで男で、忍びだ。送ってもらう要素なんかゼロに等しい。
明るく笑ってカカシを見た。
「カカシさんはゆっくり休んでください」
おやすみなさい
頭をさげる。顔を上げると、カカシはベストを羽織ったまま、頭を掻いて。小さく息を吐いた。
「分かった」
そう言うカカシが微かに微笑み、イルカはホッとしてまた頭を下げた。
「じゃあ!」

また明日。とは言えなかった。

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