一つだけの③
イルカは医療キットを持ち廊下を歩いていた。授業で使ったものを返す為だ。これを返したら食堂に行こう。
今日は何を食べようか。週に3日は弁当を持参して職員室で済ませているが、残り2日は食堂で食べていた。その2日。それが限りなくイルカにとっては大切でこの上ない楽しみだった。食費を浮かす為にも色々節約を試みているが、やはり3食自分の作った物を食べると言うのは、不味い訳ではないが味気ない。忍びたるものと健康に気を使い味も薄味を徹底している。だが、20代半ばの成人男性からしたら、物足りなさは十二分にあるものがあった。だから、この週2日の食堂のご飯は、イルカが心躍る時間でもある。
ラーメンにしようか。いや、日替わり定食でもいい。フライを食べたい気分だ。
うきうきと、歩く自然足が軽やかになる。
「失礼します」
扉を開け、自分から出た声もいつもより上機嫌さが表れていた。
あれ。
保険医の姿が見当たらない。いつもは扉を開けて直ぐの机に向かっているが、たまたま外出しているのだろうか。
誰も座っていない椅子を机を眺めた。その机は綺麗に整頓され、右上の簡易本棚の端には一輪挿しに花が活けられていた。
今年度から保険医が変わり若い女性が担当している。今までは年老いた男性が長年保険医を務めていたのだが。新しい保険医はアカデミーの男性職員を色めかせた。医療忍術に長けている忍びだったのだが、怪我を機にこの保険医の役に降りたらしい、その保険医は美形だったからだ。
自分としては、前の年老いた保険医と仲が良くアカデミーに入った時には色々相談にも乗ってくれ慕っていた。だから、彼が辞めると知った時はとても残念で、残って欲しいと思った。
兎も角その女性は不在なのは仕方がない。メモでも書き置きして机にでも置いて行こう。
イルカは扉を閉めると机の上前まで来て、医療キットを置いた。ペンを持ちメモ書きを書こうとした瞬間。右奥から気配が動くを感じて驚いた。いや、奥にあるベットは確かにカーテンで囲われていたが、自分が全く気配を感じ取れていなかった為、だれもいないと思い込んでいたからだ。
ペンを持つ手をビクとさせ、イルカは勢い良くそのベットがある方向へ顔を向けた。
同時に囲われたカーテンが開く。
目が点になっているのは間違いないだろう。一つのベットの脇に立っていたのは、この保険医の部屋の主の女性と。はたけカカシ。
いるはずがない存在に思考も素直に停止し、ぽかんとその2人を見ていた。
「イルカ先生、キットを返しに来てくださったんですね」
保険医はニコリと笑い右手で乱れていた白衣を直した。視線は自然にその場所へ行く。
何で2人が。あのベットに。一目瞭然な予想を必死に頭の隅に押しやりながら、イルカは引きつる顔を押さえる。
見てはいけないものを、見た。
そう頭で理解した瞬間、心臓が忙しなく動き始め、ドクドクと身体中に音を鳴らし始める。
返事をしなくてはと思うのに、この状況を前にしたら言葉が乾いた口から出てこなくなっていた。
「じゃ」
カカシが短く声を出すと、保険医が軽く頷き、すぐにカカシがひたひたと歩き出した。固まったままの自分の横を通り、目で追っていたイルカの視線に横目でこっちを見たカカシの視線がぶつかった瞬間、
「顔が真っ赤。サルみたいですよ」
カカシから発せられた言葉。
通り過ぎた後、背後で笑いにも似た空気を口から漏らしたのが聞こえたが、直ぐにカカシによって開閉された扉の音でそれも掻き消される。
赤く染まっていた顔が耳まで赤くなった。
その顔を近づいてきた保険医が見て、小さく笑った。
「変な想像しちゃった?」
「へ、あ、いや、いや!」
ぶるぶると首を振れば、また保険医は口に手を当ててクスリと笑う。
「カカシと何してたか知りたい?」
微笑みながらイルカに目を向けた。艶やかな保険医の微笑みは、妖艶とも華麗とも感じる。その表情はまたイルカに頬を朱で染めさせた。
「いや、俺は、別に」
知りたく無い。と心で唱えるようにまた首を振ったが、保険医は続けた。
「キスしてたの」
長い髪をかき上げて、机の上にあるイルカが使おうとしたペンを、書くわけでもなく、細い指に絡ませた。
「話を聞いてくれて、慰めてくれたの。……それだけ」
(……あ、)
改めて近くで見た保険医の顔を見て、思わず視線を床へ移した。
自分は決して敏感な方ではないし、女性の心を読めないほうだが。
でも。
イルカは戸惑いながら頭を下げ、
「医療キットありがとうございました。では、」
お礼を言うと保健室を直ぐに後にした。
何故だか余り顔を見てはいけないと思ったからだ。
だって、多分。あの保険医は。
(……泣いてた)
涙の跡がはっきりとイルカから見えた。
はやり見てはいけない場面に遭遇してしまったのだ。
だいたいカカシがこのアカデミーの、しかも保健室にいる理由なんてあるはずがない。
キスしてたの
カカシへ特別な意味を込めているような保険医の表情。わざわざ自分に言う必要がない言葉を敢えて口にした。
ベッドに2人きりでいて、少し乱れていたように見えた着衣。
保険医の涙の跡。
話を聞いて慰めてくれただなんて言ったが、どこまでが本当か分からない。
心がもやもやが加速する。イルカは眉間に皺を寄せていた。
はたけカカシ。あの人はいったい何をやってんだ。
周りの噂に振り回されたくないし、半分も本気にしていなかったのに。
実際に目の当たりにした事はショックを隠せなかった。丸で今までの噂を裏付けているようだ。
書庫の件はすいぶんとカカシの印象を変えていた。嫌味な事も言われはしたが、無様で情けない失態をしたのにも関わらず、自分に見せてくれたカカシの優しさは、純粋に自分の心を打った。
やはり噂は噂に過ぎないと、思い直したとこだったのに。
ずんずん廊下を歩きながらイルカは憤りに包まれていた。
しかもすれ違いざまに言われた言葉。
サルだなんて。
怒りと恥ずかしさで身体が震えた。
言われるまで自分が顔を赤くしていた事さえ気がつけなかった。あの2人を見て、勝手に想像して、真っ赤になっていたなんて。
どんな顔をしていたのか。
きっと情けない顔。そんな自分を想像しただけでも悔しさが込み上げ言いようのない怒りがふつふつと湧き上がる。
せっかく今日は食堂で食べようと、浮かれていたあの気分はもうあるわけが無い。
はっきり言ってカカシに台無しにされた気分だ。
今度は怒りで身体が熱く、顔も赤くなっているだろう。
イルカはそんな気持ちを払拭しようと、夕飯は一楽で食べて帰ると、強く心に決めた。
「醤油、お願いします」
一楽に入って顔馴染みになっている店主へ声をかけ、カウンターへ腰掛ける。ふと、横に視線を送り、
(ゔっ…)
なんでここに。
イルカは唸りそうになったのを寸前で堪えた。
視線の先にはここに来ることになった要因の銀髪の上忍が座っていた。
イルカは身体を斜め横に向け、顔もカカシから背ける。昼は結局定食も売り切れていたし、午後の仕事も保健室のことが頭を占領してしまっていた。
だから。だから、無心でラーメンの時間を楽しみたかったのに。
「あぁ、イルカ先生」
思い切り見せていた背中に声がかかった。低い声通りのいいカカシの声。その声を聞いただけでイルカは眉根を寄せていた。
背中を見せたまま、イルカはダンマリを決め込み身体に力を入れた。
どんな理由にせよ、あんな場所で。キスして。
また保険医の表情が顔に浮かぶ。
「また会いましたね」
追加される声。
よくもぬけぬけと。割り箸を持つ手に力が入る。
「………」
ガタ、
背中から聞こえたと同時に括っていた髪を引っ張られ、イルカはぐいと少し後ろへ仰け反った。
驚き顔だけを振り向かせれば、真横に移動してきたカカシが目の前にある。上目遣いに微笑んでいる。
「犬の尻尾みたいだねえ」
「…………っ」
イルカは唇を噛むと、またふいと顔を反らした。
「あれー」
間延びした口調が耳に届き、同時にじわと体温が上昇していく。
どんな理由があろうとも。
「ねー、何でこっち見ないの?」
この男に意識して
「ねーってば」
顔がサルになるのだけは嫌だ。
だって、たぶん。今、自分は耳まで真っ赤なんだ。
イルカは単純な身体を心底恨めしいと思った。
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今日は何を食べようか。週に3日は弁当を持参して職員室で済ませているが、残り2日は食堂で食べていた。その2日。それが限りなくイルカにとっては大切でこの上ない楽しみだった。食費を浮かす為にも色々節約を試みているが、やはり3食自分の作った物を食べると言うのは、不味い訳ではないが味気ない。忍びたるものと健康に気を使い味も薄味を徹底している。だが、20代半ばの成人男性からしたら、物足りなさは十二分にあるものがあった。だから、この週2日の食堂のご飯は、イルカが心躍る時間でもある。
ラーメンにしようか。いや、日替わり定食でもいい。フライを食べたい気分だ。
うきうきと、歩く自然足が軽やかになる。
「失礼します」
扉を開け、自分から出た声もいつもより上機嫌さが表れていた。
あれ。
保険医の姿が見当たらない。いつもは扉を開けて直ぐの机に向かっているが、たまたま外出しているのだろうか。
誰も座っていない椅子を机を眺めた。その机は綺麗に整頓され、右上の簡易本棚の端には一輪挿しに花が活けられていた。
今年度から保険医が変わり若い女性が担当している。今までは年老いた男性が長年保険医を務めていたのだが。新しい保険医はアカデミーの男性職員を色めかせた。医療忍術に長けている忍びだったのだが、怪我を機にこの保険医の役に降りたらしい、その保険医は美形だったからだ。
自分としては、前の年老いた保険医と仲が良くアカデミーに入った時には色々相談にも乗ってくれ慕っていた。だから、彼が辞めると知った時はとても残念で、残って欲しいと思った。
兎も角その女性は不在なのは仕方がない。メモでも書き置きして机にでも置いて行こう。
イルカは扉を閉めると机の上前まで来て、医療キットを置いた。ペンを持ちメモ書きを書こうとした瞬間。右奥から気配が動くを感じて驚いた。いや、奥にあるベットは確かにカーテンで囲われていたが、自分が全く気配を感じ取れていなかった為、だれもいないと思い込んでいたからだ。
ペンを持つ手をビクとさせ、イルカは勢い良くそのベットがある方向へ顔を向けた。
同時に囲われたカーテンが開く。
目が点になっているのは間違いないだろう。一つのベットの脇に立っていたのは、この保険医の部屋の主の女性と。はたけカカシ。
いるはずがない存在に思考も素直に停止し、ぽかんとその2人を見ていた。
「イルカ先生、キットを返しに来てくださったんですね」
保険医はニコリと笑い右手で乱れていた白衣を直した。視線は自然にその場所へ行く。
何で2人が。あのベットに。一目瞭然な予想を必死に頭の隅に押しやりながら、イルカは引きつる顔を押さえる。
見てはいけないものを、見た。
そう頭で理解した瞬間、心臓が忙しなく動き始め、ドクドクと身体中に音を鳴らし始める。
返事をしなくてはと思うのに、この状況を前にしたら言葉が乾いた口から出てこなくなっていた。
「じゃ」
カカシが短く声を出すと、保険医が軽く頷き、すぐにカカシがひたひたと歩き出した。固まったままの自分の横を通り、目で追っていたイルカの視線に横目でこっちを見たカカシの視線がぶつかった瞬間、
「顔が真っ赤。サルみたいですよ」
カカシから発せられた言葉。
通り過ぎた後、背後で笑いにも似た空気を口から漏らしたのが聞こえたが、直ぐにカカシによって開閉された扉の音でそれも掻き消される。
赤く染まっていた顔が耳まで赤くなった。
その顔を近づいてきた保険医が見て、小さく笑った。
「変な想像しちゃった?」
「へ、あ、いや、いや!」
ぶるぶると首を振れば、また保険医は口に手を当ててクスリと笑う。
「カカシと何してたか知りたい?」
微笑みながらイルカに目を向けた。艶やかな保険医の微笑みは、妖艶とも華麗とも感じる。その表情はまたイルカに頬を朱で染めさせた。
「いや、俺は、別に」
知りたく無い。と心で唱えるようにまた首を振ったが、保険医は続けた。
「キスしてたの」
長い髪をかき上げて、机の上にあるイルカが使おうとしたペンを、書くわけでもなく、細い指に絡ませた。
「話を聞いてくれて、慰めてくれたの。……それだけ」
(……あ、)
改めて近くで見た保険医の顔を見て、思わず視線を床へ移した。
自分は決して敏感な方ではないし、女性の心を読めないほうだが。
でも。
イルカは戸惑いながら頭を下げ、
「医療キットありがとうございました。では、」
お礼を言うと保健室を直ぐに後にした。
何故だか余り顔を見てはいけないと思ったからだ。
だって、多分。あの保険医は。
(……泣いてた)
涙の跡がはっきりとイルカから見えた。
はやり見てはいけない場面に遭遇してしまったのだ。
だいたいカカシがこのアカデミーの、しかも保健室にいる理由なんてあるはずがない。
キスしてたの
カカシへ特別な意味を込めているような保険医の表情。わざわざ自分に言う必要がない言葉を敢えて口にした。
ベッドに2人きりでいて、少し乱れていたように見えた着衣。
保険医の涙の跡。
話を聞いて慰めてくれただなんて言ったが、どこまでが本当か分からない。
心がもやもやが加速する。イルカは眉間に皺を寄せていた。
はたけカカシ。あの人はいったい何をやってんだ。
周りの噂に振り回されたくないし、半分も本気にしていなかったのに。
実際に目の当たりにした事はショックを隠せなかった。丸で今までの噂を裏付けているようだ。
書庫の件はすいぶんとカカシの印象を変えていた。嫌味な事も言われはしたが、無様で情けない失態をしたのにも関わらず、自分に見せてくれたカカシの優しさは、純粋に自分の心を打った。
やはり噂は噂に過ぎないと、思い直したとこだったのに。
ずんずん廊下を歩きながらイルカは憤りに包まれていた。
しかもすれ違いざまに言われた言葉。
サルだなんて。
怒りと恥ずかしさで身体が震えた。
言われるまで自分が顔を赤くしていた事さえ気がつけなかった。あの2人を見て、勝手に想像して、真っ赤になっていたなんて。
どんな顔をしていたのか。
きっと情けない顔。そんな自分を想像しただけでも悔しさが込み上げ言いようのない怒りがふつふつと湧き上がる。
せっかく今日は食堂で食べようと、浮かれていたあの気分はもうあるわけが無い。
はっきり言ってカカシに台無しにされた気分だ。
今度は怒りで身体が熱く、顔も赤くなっているだろう。
イルカはそんな気持ちを払拭しようと、夕飯は一楽で食べて帰ると、強く心に決めた。
「醤油、お願いします」
一楽に入って顔馴染みになっている店主へ声をかけ、カウンターへ腰掛ける。ふと、横に視線を送り、
(ゔっ…)
なんでここに。
イルカは唸りそうになったのを寸前で堪えた。
視線の先にはここに来ることになった要因の銀髪の上忍が座っていた。
イルカは身体を斜め横に向け、顔もカカシから背ける。昼は結局定食も売り切れていたし、午後の仕事も保健室のことが頭を占領してしまっていた。
だから。だから、無心でラーメンの時間を楽しみたかったのに。
「あぁ、イルカ先生」
思い切り見せていた背中に声がかかった。低い声通りのいいカカシの声。その声を聞いただけでイルカは眉根を寄せていた。
背中を見せたまま、イルカはダンマリを決め込み身体に力を入れた。
どんな理由にせよ、あんな場所で。キスして。
また保険医の表情が顔に浮かぶ。
「また会いましたね」
追加される声。
よくもぬけぬけと。割り箸を持つ手に力が入る。
「………」
ガタ、
背中から聞こえたと同時に括っていた髪を引っ張られ、イルカはぐいと少し後ろへ仰け反った。
驚き顔だけを振り向かせれば、真横に移動してきたカカシが目の前にある。上目遣いに微笑んでいる。
「犬の尻尾みたいだねえ」
「…………っ」
イルカは唇を噛むと、またふいと顔を反らした。
「あれー」
間延びした口調が耳に届き、同時にじわと体温が上昇していく。
どんな理由があろうとも。
「ねー、何でこっち見ないの?」
この男に意識して
「ねーってば」
顔がサルになるのだけは嫌だ。
だって、たぶん。今、自分は耳まで真っ赤なんだ。
イルカは単純な身体を心底恨めしいと思った。
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