一つだけの⑤
「じゃあ聞きますけど。さっきは何で、揉めてたんですか？」
イルカの真っ直ぐな眼差しは、少しだけ熱を含んでいる。
普通よりやや度数が高いビールは、イルカの態度を柔らかくさせていた。新商品のビールがあると気がついたのはイルカ自身で、たぶん度数までは気にもしていないだろうと、カカシは分かってはいたか、それを注文した。
強気な目を見て、生意気な顔だと思う。
「違うよ」
否定すれば、
「どうせあの女性を振ったんじゃないですか？」
どうせ？
被せるように言われた台詞。勢い任せかは知らないが。
そんなイルカを、カカシは冷静に観察しながら自分もビールを口にした。
「振られたんですよ」
あっさり薄情すると、直ぐにイルカは眉根を寄せた。
「嘘つかないでください」
「……嘘？」
何の事かとカカシは片眉を上げ、同じ言葉を繰り返した。
「嘘なんかついて何の得になるの。俺が振ったとでも？」
「違うんですか？」
何、そのそれが真実だと疑わない目。
そう思いながらもカカシは再びビールを飲んだ。こんな感じでイルカ以外の人間も思っているのかと思ったら、自然とため息が出る。
胡座をかき膝の上に置いた自分の手に、一回視線を落とした。そして口を開く。
「違いますよ」
「浮気してたのがばれたんですか？」
「浮気？」
またおうむ返しをしていた。どんな根拠で浮気と口にしているのか。が、保健室でイルカと会った事を思い出す。
カカシの予想通り、イルカは余程自分が女性にだらしない人間だと思っているらしい。
「俺は浮気なんてしてませんよ」
はっきり否定したカカシにイルカは胡乱な眼差しを見せた。
「でも、泣いてました」
そうでしょとじっと向けられる眼差しは丸で子供のようだ。目の前にいるこの男の信頼がないのは素直に嫌だと感じた。
はあ、と息を吐いて。ガリガリと頭を掻いた。言い訳がましい事も言いたくはないが。迷いながらもカカシは口にした。
「確かに。彼女が泣いたのは事実です。寄りを戻して欲しいって言われてね。でも断りましたよ」
「でも、」
言い淀むイルカを見て、ああ、と口にした。
「キスして欲しいって言うからしました。それ以上の事も求められたよ」
自分で聞いておきながら、イルカは頬を赤らめうんともすんとも言わない。いや言えないイルカを見て、この人は敵に尋問なんかできないだろうなと何となく思いながら、続けた。
「でもね、あなたが想像するような事はしてません。それでいい？」
掌を見せれば、
「…じゃあ聞きますけど、カカシ先生は先ほどの女性とどの位付き合ったんですか？」
尋問は別の道に逸れたようだ。
言われてカカシは頭で計算する。
「…2週間です」
「2週間？」
「あ、でも長い方ですよ」
繕う台詞にはならなかったらしい。イルカはまたぐっと眉を寄せた。
「…噂では2、3日で別れたと聞いた事ありますけど」
「あぁ、まあね」
なんでだろう。
イライラする。
アンコ然り、上忍仲間に咎められる事もあったから、今言われている内容だってそれに変わりないはずなのに。
腑に落ちない苛立ちに疑問を感じているカカシに、イルカかは続けた。
「俺にはよく分かりません。好き合って付き合って、何でそんな短い期間で終わってしまうのか」
「あのさ、」
「カカシ先生」
カカシの言葉は塞がれた。内心ムッともしたがイルカに譲る。
「カカシ先生ほどの方だったら、モテるかと思います。だから相手から言い寄って始まる恋ばかりかもしれません。でもですね。付き合う事を了承したのでしたら、カカシ先生もそれなりに努力する必要があるのではないですか？」
非難した言い方だった。自分の中では大した内容でもないと認識出来ているのに。目の前にいる男の、イルカの唇から発せられただけで。その言葉はカカシの眉をきつく顰めさせた。上忍にもなればアンガーマネジメントは基本中の基本。元々沸点さえ低い筈なのに。
「そんな遊んでばかりで、女性が可哀想だと思います」
「…何でそんな事あんたに言われなきゃならないの」
押し殺したカカシの低い声は部屋にゆっくりと響く。
「また言ったらその口縫い上げますよ？」
そこまで言って。
イルカは負けじと顔を引き締めてはいるが、カカシの漏らしている空気に身体を強張らせているのに気がついた。カカシは瞼を伏せながら、額に手を当てその冷えた空気を解くように息を吐く。額に当てた手で軽く前髪を掻き上げた。不本意に出した殺気に近い空気は出すべきじゃなかったと思いながら、1人緊張感に包まれているイルカを見た。
自分らしくない。そんな自分が気持ち悪い。戸惑いながら言葉を探していた。
「…俺はね、俺なりに努力してるんですよ」
カカシはビールをグイと飲み干した。たぶん初めて人に話すんだろうなあ、と思いながら。黒い目を捉える。既に先ほどまであった緊張感はイルカから消えていた。ただ、しっかりとカカシの青い目を見つめていた。それに安堵感さえ覚える。
きっかけはただ単にアンコの挑発に乗ってしまった事だと自覚はあった。イルカには面倒くさい人間だとも思っていたから、一線を置いていたのに。
「いいですか。俺は相手の気持ちを汲むようにしてるし。仕事で無理な場合もあるけど、約束は破らないようにもしてるし、イルカ先生が言ったような浮気だってしてないよ？短い期間でも俺が飽きて振ったわけでもないし、…今日は一方的に振られたけどさ、円満に別れる事が殆どだから」
どんな噂をされようと無視し沈黙していた。初めて他人に語った内容。
イルカは黒い目を瞬きさせた。
「……女性を一方的に振ったわけじゃないんですか？カカシ先生は飽きっぽくて直ぐに振るって聞きましたけど」
「……何それ」
あまいいや。とカカシは言って呼び鈴のボタンを押した。直ぐに給仕が現れ、焼酎を頼み、イルカの焼酎も追加する。
イルカは未だ半信半疑な表情をしていた。
「それって、嘘とかじゃ、」
「だから、嘘ついてどーすんの？」
直ぐに言い返したカカシに、イルカは目を伏せた。
「だからね、それは完全にただの噂」
冷奴を箸で崩して口にする。大豆の味が濃い。それに薬味の茗荷と葱が合っていて美味しい。取り皿に取り分けイルカの前に置くと、イルカも箸でつついて口に入れた。
「美味しいでしょ？ここの豆腐自家製なんだね」
イルカはチラとカカシを見て小さく頷いた。
また給仕が襖を開けて焼酎を運んでくる。焼酎をイルカには渡して自分も一口飲んだ。
「ただね」
と繋げたカカシの言葉にイルカは伏せがちにしていた目を上げた。
「言うなら相手の興味本位が強いのかもね。あ、これは俺の主観なんだけどね」
「はい」
イルカは相槌を打つ。
「ほら、俺って有名でしょ？名前だけがさ、先行してるみたいで、付き合って分かるみたい」
両手で焼酎のグラスを持ったままカカシを見ていた。
「……何を分かるんですか？」
「結局さ、自分みたいな最前線にいる戦忍と長く付き合うには余程忍耐がいるみたいよ？彼女達からしたら未来永劫夢見る部分が強いから」
「……え？」
「つまりさ、俺のステータスには惹かれるけど、長く付き合うには無理みたいだね」
「何ですかそれ」
「何が？」
聞き返して、明らかにさっきと表情が違うのに気がついた。眉間に皺を寄せている。
「カカシ先生の名前に惹かれてるだけで、一回付き合ったらもういいや、みたいな感じなんですか？」
「簡単に言えばね」
「カカシ先生はそれで別れる事も直ぐに了承するんですか？」
「相手の望みだったらね」
「…っ、好きなら別れたくないって伝えるのも必要じゃないですか」
興奮気味のイルカを眉を顰めて見ていた。
好きなら別れたくない。
分かりやすいはずの言葉の意味が、カカシには分からなかった。思いもつかなかった。今まで振り返る過去の女に一度だってそう思った事はない。
今日の女はどうだ。自分の仕事にもまあ理解があって、身体の相性もよかったから２週間続いていた。だが、どうも自分が浮気してるとか勘違いして、勝手に問い詰めてきた。さよならと言われても、引き留めなかったのは、引き留める行為が自分の選択肢になかったからだ。そこまでじゃなかった。
好きだから、別れたくない
とは、今考えてもそう思わない。思えない。
恋人だった相手に。
あれ？
珍しく自分の思考が迷子になっている。
「…カカシ先生？」
黙ってしまったカカシに、イルカがおずおずと声をかけた。
そのかけられた声に反射的にカカシは落としていた視線を上げる。
少しだけ、神妙な面持ちをしながら見つめるイルカを視界に入れた。
誰1人イルカの言った言葉に当てはまらないから。目の前にいるイルカを当てはめていた。
もしこの男が自分の恋人で。
付き合って。
別れようと言われたらーー？
カカシは短く身震いした。
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イルカの真っ直ぐな眼差しは、少しだけ熱を含んでいる。
普通よりやや度数が高いビールは、イルカの態度を柔らかくさせていた。新商品のビールがあると気がついたのはイルカ自身で、たぶん度数までは気にもしていないだろうと、カカシは分かってはいたか、それを注文した。
強気な目を見て、生意気な顔だと思う。
「違うよ」
否定すれば、
「どうせあの女性を振ったんじゃないですか？」
どうせ？
被せるように言われた台詞。勢い任せかは知らないが。
そんなイルカを、カカシは冷静に観察しながら自分もビールを口にした。
「振られたんですよ」
あっさり薄情すると、直ぐにイルカは眉根を寄せた。
「嘘つかないでください」
「……嘘？」
何の事かとカカシは片眉を上げ、同じ言葉を繰り返した。
「嘘なんかついて何の得になるの。俺が振ったとでも？」
「違うんですか？」
何、そのそれが真実だと疑わない目。
そう思いながらもカカシは再びビールを飲んだ。こんな感じでイルカ以外の人間も思っているのかと思ったら、自然とため息が出る。
胡座をかき膝の上に置いた自分の手に、一回視線を落とした。そして口を開く。
「違いますよ」
「浮気してたのがばれたんですか？」
「浮気？」
またおうむ返しをしていた。どんな根拠で浮気と口にしているのか。が、保健室でイルカと会った事を思い出す。
カカシの予想通り、イルカは余程自分が女性にだらしない人間だと思っているらしい。
「俺は浮気なんてしてませんよ」
はっきり否定したカカシにイルカは胡乱な眼差しを見せた。
「でも、泣いてました」
そうでしょとじっと向けられる眼差しは丸で子供のようだ。目の前にいるこの男の信頼がないのは素直に嫌だと感じた。
はあ、と息を吐いて。ガリガリと頭を掻いた。言い訳がましい事も言いたくはないが。迷いながらもカカシは口にした。
「確かに。彼女が泣いたのは事実です。寄りを戻して欲しいって言われてね。でも断りましたよ」
「でも、」
言い淀むイルカを見て、ああ、と口にした。
「キスして欲しいって言うからしました。それ以上の事も求められたよ」
自分で聞いておきながら、イルカは頬を赤らめうんともすんとも言わない。いや言えないイルカを見て、この人は敵に尋問なんかできないだろうなと何となく思いながら、続けた。
「でもね、あなたが想像するような事はしてません。それでいい？」
掌を見せれば、
「…じゃあ聞きますけど、カカシ先生は先ほどの女性とどの位付き合ったんですか？」
尋問は別の道に逸れたようだ。
言われてカカシは頭で計算する。
「…2週間です」
「2週間？」
「あ、でも長い方ですよ」
繕う台詞にはならなかったらしい。イルカはまたぐっと眉を寄せた。
「…噂では2、3日で別れたと聞いた事ありますけど」
「あぁ、まあね」
なんでだろう。
イライラする。
アンコ然り、上忍仲間に咎められる事もあったから、今言われている内容だってそれに変わりないはずなのに。
腑に落ちない苛立ちに疑問を感じているカカシに、イルカかは続けた。
「俺にはよく分かりません。好き合って付き合って、何でそんな短い期間で終わってしまうのか」
「あのさ、」
「カカシ先生」
カカシの言葉は塞がれた。内心ムッともしたがイルカに譲る。
「カカシ先生ほどの方だったら、モテるかと思います。だから相手から言い寄って始まる恋ばかりかもしれません。でもですね。付き合う事を了承したのでしたら、カカシ先生もそれなりに努力する必要があるのではないですか？」
非難した言い方だった。自分の中では大した内容でもないと認識出来ているのに。目の前にいる男の、イルカの唇から発せられただけで。その言葉はカカシの眉をきつく顰めさせた。上忍にもなればアンガーマネジメントは基本中の基本。元々沸点さえ低い筈なのに。
「そんな遊んでばかりで、女性が可哀想だと思います」
「…何でそんな事あんたに言われなきゃならないの」
押し殺したカカシの低い声は部屋にゆっくりと響く。
「また言ったらその口縫い上げますよ？」
そこまで言って。
イルカは負けじと顔を引き締めてはいるが、カカシの漏らしている空気に身体を強張らせているのに気がついた。カカシは瞼を伏せながら、額に手を当てその冷えた空気を解くように息を吐く。額に当てた手で軽く前髪を掻き上げた。不本意に出した殺気に近い空気は出すべきじゃなかったと思いながら、1人緊張感に包まれているイルカを見た。
自分らしくない。そんな自分が気持ち悪い。戸惑いながら言葉を探していた。
「…俺はね、俺なりに努力してるんですよ」
カカシはビールをグイと飲み干した。たぶん初めて人に話すんだろうなあ、と思いながら。黒い目を捉える。既に先ほどまであった緊張感はイルカから消えていた。ただ、しっかりとカカシの青い目を見つめていた。それに安堵感さえ覚える。
きっかけはただ単にアンコの挑発に乗ってしまった事だと自覚はあった。イルカには面倒くさい人間だとも思っていたから、一線を置いていたのに。
「いいですか。俺は相手の気持ちを汲むようにしてるし。仕事で無理な場合もあるけど、約束は破らないようにもしてるし、イルカ先生が言ったような浮気だってしてないよ？短い期間でも俺が飽きて振ったわけでもないし、…今日は一方的に振られたけどさ、円満に別れる事が殆どだから」
どんな噂をされようと無視し沈黙していた。初めて他人に語った内容。
イルカは黒い目を瞬きさせた。
「……女性を一方的に振ったわけじゃないんですか？カカシ先生は飽きっぽくて直ぐに振るって聞きましたけど」
「……何それ」
あまいいや。とカカシは言って呼び鈴のボタンを押した。直ぐに給仕が現れ、焼酎を頼み、イルカの焼酎も追加する。
イルカは未だ半信半疑な表情をしていた。
「それって、嘘とかじゃ、」
「だから、嘘ついてどーすんの？」
直ぐに言い返したカカシに、イルカは目を伏せた。
「だからね、それは完全にただの噂」
冷奴を箸で崩して口にする。大豆の味が濃い。それに薬味の茗荷と葱が合っていて美味しい。取り皿に取り分けイルカの前に置くと、イルカも箸でつついて口に入れた。
「美味しいでしょ？ここの豆腐自家製なんだね」
イルカはチラとカカシを見て小さく頷いた。
また給仕が襖を開けて焼酎を運んでくる。焼酎をイルカには渡して自分も一口飲んだ。
「ただね」
と繋げたカカシの言葉にイルカは伏せがちにしていた目を上げた。
「言うなら相手の興味本位が強いのかもね。あ、これは俺の主観なんだけどね」
「はい」
イルカは相槌を打つ。
「ほら、俺って有名でしょ？名前だけがさ、先行してるみたいで、付き合って分かるみたい」
両手で焼酎のグラスを持ったままカカシを見ていた。
「……何を分かるんですか？」
「結局さ、自分みたいな最前線にいる戦忍と長く付き合うには余程忍耐がいるみたいよ？彼女達からしたら未来永劫夢見る部分が強いから」
「……え？」
「つまりさ、俺のステータスには惹かれるけど、長く付き合うには無理みたいだね」
「何ですかそれ」
「何が？」
聞き返して、明らかにさっきと表情が違うのに気がついた。眉間に皺を寄せている。
「カカシ先生の名前に惹かれてるだけで、一回付き合ったらもういいや、みたいな感じなんですか？」
「簡単に言えばね」
「カカシ先生はそれで別れる事も直ぐに了承するんですか？」
「相手の望みだったらね」
「…っ、好きなら別れたくないって伝えるのも必要じゃないですか」
興奮気味のイルカを眉を顰めて見ていた。
好きなら別れたくない。
分かりやすいはずの言葉の意味が、カカシには分からなかった。思いもつかなかった。今まで振り返る過去の女に一度だってそう思った事はない。
今日の女はどうだ。自分の仕事にもまあ理解があって、身体の相性もよかったから２週間続いていた。だが、どうも自分が浮気してるとか勘違いして、勝手に問い詰めてきた。さよならと言われても、引き留めなかったのは、引き留める行為が自分の選択肢になかったからだ。そこまでじゃなかった。
好きだから、別れたくない
とは、今考えてもそう思わない。思えない。
恋人だった相手に。
あれ？
珍しく自分の思考が迷子になっている。
「…カカシ先生？」
黙ってしまったカカシに、イルカがおずおずと声をかけた。
そのかけられた声に反射的にカカシは落としていた視線を上げる。
少しだけ、神妙な面持ちをしながら見つめるイルカを視界に入れた。
誰1人イルカの言った言葉に当てはまらないから。目の前にいるイルカを当てはめていた。
もしこの男が自分の恋人で。
付き合って。
別れようと言われたらーー？
カカシは短く身震いした。
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