一つだけの⑥
何だったんだあれは。
何度も読み直した本を片手に開きながら。目は文字を追っているのに、頭に何にも入ってこなかった。
飲み過ぎとか
考え過ぎとか
あの中忍に説教なんかされたから、俺の頭はどっかおかしくなってしまった、とか。
大体、本音なんて言ってどーすんの、俺。
(……あの顔)
関係ない記憶なんて、残さない主義なのに。
真っ黒とは違う。海みたいな水面に輝く輝きがあって。澄んでいて。
(なんか…そう……)
丸で犬。
忍犬とかじゃなくて、そこらに転がってるような。
無邪気な犬。
イルカの顔が頭から離れない。
勝手に尋問してきたくせに、他人事な話に割り入ってきて、最後は何故か同情された。
干渉なんてものはするのもされるのも勘弁だけど。だが、おかしなことに。
(…そこまで嫌じゃかったんだよねぇ)
少しだけ興奮気味になったイルカの頬は、健康的な肌に赤みが差していた。自分を窺うように見上げた表情。薄く開いた口。
あの口の中はどんな味か。
甘く、熱いのか。
「煙草」
低い声に思考が引き戻され、目線を上げた。
アスマが口元を指をさしていた。咥えていた煙草が知らず短くなっている。
「あぁ…」
水が張られた場所に投げ入れ、何本目かになる煙草をまた取り出し口に咥える。アスマにライターを差し出され、チラと顔を窺った。
「…珍しー」
火を貰って煙草を吸い、肺の奥まで行き渡させる。ライターをカチンと鳴らして蓋を閉じるとアスマも隣にドカリと腰を下ろした。待機所には自分ら2人以外、誰もいない。同じように煙草を吹かすアスマを横目で眺めた。予想したようにこっちを見て、目が合う。カカシは短く笑った。
「なあに？」
「何が」
「言いたい事あるなら言ったら？」
付き合いが長いと嫌でも何となく分かってくる。不満がある。そんな顔をしている。
要は、アレだ。
カカシは口角を上げた。
「…『イルカセンセイ』って恋人とかいるの？」
一瞬虚をつかれた顔をしたアスマを見て、カカシは吹き出した。
「っ…ははっ、なに、やっぱあの先生の事なんじゃん」
「…てめえ」
鋭い目つきに、カカシはニンマリと笑ってアスマを見た。
「じょーだん、だよ」
宥めるようにアスマの肩を叩き立ち上がり、吸い始めた煙草をまた灰皿に投げ入れた。
わかってるって。そう言ってカカシは待機所を出た。両手をポケットに入れ、歩く。
(…なんだっけ)
アスマの苦い顔から前聞かされた事を思い出す。
親を亡くして、身寄りもなくって。まあ、此処では有りがちな話だけど。弟みたいに、家族みたいに接してきた、だったよね。
(忍びらしからぬ純真な青年…オレとは対極…)
「冗談…」
自分に言い聞かせるように。口に出していた。
「カカシ」
「……なに？」
保険医の女が立っていた。
手はポケットに突っ込んだまま、向きを変えて女を見る。
「やっぱり駄目？」
哀しそうな目をしっかりとカカシに向けていた。白衣の下は身体のラインが残るタイトなワンピース。カカシは小さい顔を、身体をゆっくりと眺めた。
付き合ってた女とはもう終わった。だから、この女が次でももういいんだけど。
カカシは地面へ視線を落とし、下足で土を軽く蹴った。
明らかに、何かが自分の中で変わっていた。
「無理」
ハッキリと口にした。これ以上にない、冷たい言い方だとは思ったが。
女は苦しげに赤い唇を噤んだ。
(泣きそうな顔…)
冷静に眺めながらも、チクリとも痛まない。その心に浮かび上がる、イルカの顔。
それだけで、カカシはきつく眉根を寄せた。
「…冗談…」
「…え？」
小さく呟いたカカシに女が聞く。何も答えないカカシに、また女が口を開いた。
「別れたって聞いたわ、だから、」
「身体だけなら」
「…え？」
ぼんやりと聞き返され、カカシは顔を上げ眠そうな目を女へ向けた。
「身体だけ。そーゆー関係なら、いいよ」
冷たい眼差しを受けながら、女は驚いたような顔をしたまま、胸の前で自分の手を握った。
目の前で金髪の部下がブスくれているのは明白だった。Dランクの任務にいつもの様に気に入らないと、子どもらしい口を尖らせた顔を眺めながら、口布の下で嘆息した。
任務は任務であり、それを分からせるのは、口で言うのは簡単だが。それより他に山積みになった問題の方が優先か、と今日の任務を振り返りながら考える。
その金髪の部下が、あ、と声を上げ、途端に明るい表情で駆け出した。それを目で追い、先に見えるイルカの姿を見て納得する。駆け出したナルトを胸で受け止めて、イルカは元教え子の頭を掻き回すように撫でた。
当たり前のように見てきた光景なのに、気がつけばカカシはイルカのその目元を緩ませた顔に見入っていた。あのナルトをあそこまで懐かせるのは、やはりこの男以外出来なかった事なのだろう。自分がこの3人の上忍師として就いた時から、それは薄々感じていた。
少し離れた場所で、イルカが顔を上げカカシを見て頭を下げる。カカシも合わすように、軽く会釈を返した。
「あーあ、ナルトったら」
呆れ顔で息を吐き出すサクラを見る。
「サクラは？」
カカシの声にえ？と顔を上げた。
「サクラは行かないの？」
初めて言っただろうカカシの台詞に目を丸くして、躊躇した色を含ませたが、直ぐにジロとカカシを見た。
「行かないわよ！ナルトじゃあるまいし」
「全くだ」
サクラの反対に着いていたサスケも、カカシの背後でボソリと呟いた。だが、よくよく見れば、非難を表しながらも、ナルトを見る目は暖かい。
「ふうん」
そう呟き、冷静に部下を観察しながら、カカシはイルカへ足を向けた。それに順ずるようにイルカに向かうサクラは心なしか嬉しそうだ。サスケも。こんな小悪魔に好かれる方法なんてあるんだろうか。今まで考えもしなかった疑問が頭に浮かぶ。
「わあ、先生。それ綺麗ね」
顔を輝かせたサクラがイルカが手に持つ花を見た。原色だが、しっとりとした色鮮やかな花を持っていた。
「あぁ、これか。さっき花屋のおばさんに貰ってな」
いらないって言ったんだけどな。照れ臭そうにしながら、後頭部に手を当てる。
「サクラ、良かったらやるぞ？」
少しだけ屈んで、サクラの前に花束を差し出す。その花を見て、サクラがぱあ、と顔をまた輝かせた。
「え、いいの？」
「ああ」
「…じゃあ、一本だけ」
遠慮がちに、でも嬉しそうにサクラが手を伸ばした。
「いや、一本だけじゃなくて、全部やるよ」
サクラは首を振った。
「だって、花屋さんは先生にあげたのよ？ちゃんと持って帰らなきゃ、失礼だわ」
言われた意味が分からないと、イルカは不思議そうな顔をして、ただ、女の子の強い口調に押されるように苦笑した。
「そうだな。じゃあ、あとは貰っとく」
和やかな会話。サクラの弾けた女の子らしい表情。それを見るナルトとサスケ。出来上がっている空気を静かに見守るように、眺めた。空気に色があるなら、きっと分かりやすいくらいに、イルカを取り巻く3人と自分との間には変色が見えるんだろうな。なんて考えていると、イルカは屈めた身体を戻して、カカシへ顔を向けた。視線が交わる。
「今日は野猫狩りでしたか」
「あぁ、…えぇ。そう、アカデミーの保健室に行くよう言ってあるんですがね」
何故か戸惑っていた。カカシは一応、と言いながらナルトを指差した。その傷は腕や顔にも出来ている。多少は深い。イルカに言わなくてもいいとは思ったが、口に出していた。
「じゃあお前ら、解散ね。俺は報告行かにゃならんから」
言った途端に駆け出そうとしたナルトをカカシは捕まえた。
「何すんだってばよ！」
「お前は帰るんじゃないっての。傷、俺言ったじゃない」
呆れた顔をすると、案の定。ナルトは忘れてた、と元気に笑って頭を掻いた。
「でもさ、こんな傷なんともないって」
「まあね。でもあの猫は野生なのよ。擦り傷じゃないんだから、診てもらいなさいって」
行くよ、とナルトの背中を押し、歩き出す。2、3歩歩いた後、カカシは振り返った。たぶんナルトを眺めていただろうイルカを見た。
黒く、輝きを灯している目。自分の中にある迷いを持ったまま、躊躇する。
そのカカシの視線に、イルカが小さく首を傾げた。
「イルカ先生…良かったらナルトをお願い出来ますか」
「え！？」
「時間があればの話ですが、俺報告行きますんで」
少しだけ目を丸くしたイルカが、澄んだ黒い目を細める。そして、力強く頷いた。
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何度も読み直した本を片手に開きながら。目は文字を追っているのに、頭に何にも入ってこなかった。
飲み過ぎとか
考え過ぎとか
あの中忍に説教なんかされたから、俺の頭はどっかおかしくなってしまった、とか。
大体、本音なんて言ってどーすんの、俺。
(……あの顔)
関係ない記憶なんて、残さない主義なのに。
真っ黒とは違う。海みたいな水面に輝く輝きがあって。澄んでいて。
(なんか…そう……)
丸で犬。
忍犬とかじゃなくて、そこらに転がってるような。
無邪気な犬。
イルカの顔が頭から離れない。
勝手に尋問してきたくせに、他人事な話に割り入ってきて、最後は何故か同情された。
干渉なんてものはするのもされるのも勘弁だけど。だが、おかしなことに。
(…そこまで嫌じゃかったんだよねぇ)
少しだけ興奮気味になったイルカの頬は、健康的な肌に赤みが差していた。自分を窺うように見上げた表情。薄く開いた口。
あの口の中はどんな味か。
甘く、熱いのか。
「煙草」
低い声に思考が引き戻され、目線を上げた。
アスマが口元を指をさしていた。咥えていた煙草が知らず短くなっている。
「あぁ…」
水が張られた場所に投げ入れ、何本目かになる煙草をまた取り出し口に咥える。アスマにライターを差し出され、チラと顔を窺った。
「…珍しー」
火を貰って煙草を吸い、肺の奥まで行き渡させる。ライターをカチンと鳴らして蓋を閉じるとアスマも隣にドカリと腰を下ろした。待機所には自分ら2人以外、誰もいない。同じように煙草を吹かすアスマを横目で眺めた。予想したようにこっちを見て、目が合う。カカシは短く笑った。
「なあに？」
「何が」
「言いたい事あるなら言ったら？」
付き合いが長いと嫌でも何となく分かってくる。不満がある。そんな顔をしている。
要は、アレだ。
カカシは口角を上げた。
「…『イルカセンセイ』って恋人とかいるの？」
一瞬虚をつかれた顔をしたアスマを見て、カカシは吹き出した。
「っ…ははっ、なに、やっぱあの先生の事なんじゃん」
「…てめえ」
鋭い目つきに、カカシはニンマリと笑ってアスマを見た。
「じょーだん、だよ」
宥めるようにアスマの肩を叩き立ち上がり、吸い始めた煙草をまた灰皿に投げ入れた。
わかってるって。そう言ってカカシは待機所を出た。両手をポケットに入れ、歩く。
(…なんだっけ)
アスマの苦い顔から前聞かされた事を思い出す。
親を亡くして、身寄りもなくって。まあ、此処では有りがちな話だけど。弟みたいに、家族みたいに接してきた、だったよね。
(忍びらしからぬ純真な青年…オレとは対極…)
「冗談…」
自分に言い聞かせるように。口に出していた。
「カカシ」
「……なに？」
保険医の女が立っていた。
手はポケットに突っ込んだまま、向きを変えて女を見る。
「やっぱり駄目？」
哀しそうな目をしっかりとカカシに向けていた。白衣の下は身体のラインが残るタイトなワンピース。カカシは小さい顔を、身体をゆっくりと眺めた。
付き合ってた女とはもう終わった。だから、この女が次でももういいんだけど。
カカシは地面へ視線を落とし、下足で土を軽く蹴った。
明らかに、何かが自分の中で変わっていた。
「無理」
ハッキリと口にした。これ以上にない、冷たい言い方だとは思ったが。
女は苦しげに赤い唇を噤んだ。
(泣きそうな顔…)
冷静に眺めながらも、チクリとも痛まない。その心に浮かび上がる、イルカの顔。
それだけで、カカシはきつく眉根を寄せた。
「…冗談…」
「…え？」
小さく呟いたカカシに女が聞く。何も答えないカカシに、また女が口を開いた。
「別れたって聞いたわ、だから、」
「身体だけなら」
「…え？」
ぼんやりと聞き返され、カカシは顔を上げ眠そうな目を女へ向けた。
「身体だけ。そーゆー関係なら、いいよ」
冷たい眼差しを受けながら、女は驚いたような顔をしたまま、胸の前で自分の手を握った。
目の前で金髪の部下がブスくれているのは明白だった。Dランクの任務にいつもの様に気に入らないと、子どもらしい口を尖らせた顔を眺めながら、口布の下で嘆息した。
任務は任務であり、それを分からせるのは、口で言うのは簡単だが。それより他に山積みになった問題の方が優先か、と今日の任務を振り返りながら考える。
その金髪の部下が、あ、と声を上げ、途端に明るい表情で駆け出した。それを目で追い、先に見えるイルカの姿を見て納得する。駆け出したナルトを胸で受け止めて、イルカは元教え子の頭を掻き回すように撫でた。
当たり前のように見てきた光景なのに、気がつけばカカシはイルカのその目元を緩ませた顔に見入っていた。あのナルトをあそこまで懐かせるのは、やはりこの男以外出来なかった事なのだろう。自分がこの3人の上忍師として就いた時から、それは薄々感じていた。
少し離れた場所で、イルカが顔を上げカカシを見て頭を下げる。カカシも合わすように、軽く会釈を返した。
「あーあ、ナルトったら」
呆れ顔で息を吐き出すサクラを見る。
「サクラは？」
カカシの声にえ？と顔を上げた。
「サクラは行かないの？」
初めて言っただろうカカシの台詞に目を丸くして、躊躇した色を含ませたが、直ぐにジロとカカシを見た。
「行かないわよ！ナルトじゃあるまいし」
「全くだ」
サクラの反対に着いていたサスケも、カカシの背後でボソリと呟いた。だが、よくよく見れば、非難を表しながらも、ナルトを見る目は暖かい。
「ふうん」
そう呟き、冷静に部下を観察しながら、カカシはイルカへ足を向けた。それに順ずるようにイルカに向かうサクラは心なしか嬉しそうだ。サスケも。こんな小悪魔に好かれる方法なんてあるんだろうか。今まで考えもしなかった疑問が頭に浮かぶ。
「わあ、先生。それ綺麗ね」
顔を輝かせたサクラがイルカが手に持つ花を見た。原色だが、しっとりとした色鮮やかな花を持っていた。
「あぁ、これか。さっき花屋のおばさんに貰ってな」
いらないって言ったんだけどな。照れ臭そうにしながら、後頭部に手を当てる。
「サクラ、良かったらやるぞ？」
少しだけ屈んで、サクラの前に花束を差し出す。その花を見て、サクラがぱあ、と顔をまた輝かせた。
「え、いいの？」
「ああ」
「…じゃあ、一本だけ」
遠慮がちに、でも嬉しそうにサクラが手を伸ばした。
「いや、一本だけじゃなくて、全部やるよ」
サクラは首を振った。
「だって、花屋さんは先生にあげたのよ？ちゃんと持って帰らなきゃ、失礼だわ」
言われた意味が分からないと、イルカは不思議そうな顔をして、ただ、女の子の強い口調に押されるように苦笑した。
「そうだな。じゃあ、あとは貰っとく」
和やかな会話。サクラの弾けた女の子らしい表情。それを見るナルトとサスケ。出来上がっている空気を静かに見守るように、眺めた。空気に色があるなら、きっと分かりやすいくらいに、イルカを取り巻く3人と自分との間には変色が見えるんだろうな。なんて考えていると、イルカは屈めた身体を戻して、カカシへ顔を向けた。視線が交わる。
「今日は野猫狩りでしたか」
「あぁ、…えぇ。そう、アカデミーの保健室に行くよう言ってあるんですがね」
何故か戸惑っていた。カカシは一応、と言いながらナルトを指差した。その傷は腕や顔にも出来ている。多少は深い。イルカに言わなくてもいいとは思ったが、口に出していた。
「じゃあお前ら、解散ね。俺は報告行かにゃならんから」
言った途端に駆け出そうとしたナルトをカカシは捕まえた。
「何すんだってばよ！」
「お前は帰るんじゃないっての。傷、俺言ったじゃない」
呆れた顔をすると、案の定。ナルトは忘れてた、と元気に笑って頭を掻いた。
「でもさ、こんな傷なんともないって」
「まあね。でもあの猫は野生なのよ。擦り傷じゃないんだから、診てもらいなさいって」
行くよ、とナルトの背中を押し、歩き出す。2、3歩歩いた後、カカシは振り返った。たぶんナルトを眺めていただろうイルカを見た。
黒く、輝きを灯している目。自分の中にある迷いを持ったまま、躊躇する。
そのカカシの視線に、イルカが小さく首を傾げた。
「イルカ先生…良かったらナルトをお願い出来ますか」
「え！？」
「時間があればの話ですが、俺報告行きますんで」
少しだけ目を丸くしたイルカが、澄んだ黒い目を細める。そして、力強く頷いた。
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