一つだけの⑦

報告を終えたカカシは保健室へ向かっていた。
イルカに任せてはいたが。部下だと言うのを忘れたわけじゃない。
ただ、頭に浮かぶのは、あの黒い目。
(……違う)
否定の言葉を念じて。
カカシはポケットから手を出し、苛立ちに任せて銀髪を強く掻いた。
カラ、と保健室の扉を開けると、捉えていた気配の顔がそこに並んでいた。
(…あぁ、そうだった)
忘れそうになっていた、保険医の女がナルトの掌に包帯を巻いていた。
「怪我は大したことないそうです」
イルカがカカシに一歩近づいて言った。
「そうですか」
扉を閉めナルトを見る。カカシに向かって包帯で巻かれた拳を突き出した。
「こんな怪我、直ぐに治るってばよ!」
威勢のいい声に、カカシは眉を下げ息を吐き出す。
「じゃあ、明日の任務も文句言わずにしっかりやんなさいよ」
「…っ、…分かってるってば!」
むくれて、金髪の頭をプイと背けた。そのまま手を伸ばし、イルカの腕を取る。
今日の自分の活躍は凄かったと、言い訳がましくとは言い過ぎかもしれないが、ナルトはイルカに話し出した。また始まったな、と2人のやり取りをぼんやり眺める。一生懸命に話すナルトの顔を見るイルカの表情は、今まで見てきたはずなのに。初めて目にするようで。
あの居酒屋で、目の前にいたイルカ。今はまた別の顔。
「仲良いのね」
横で保険医の女が口を開いたが、耳に届いてなかった。その女の視線さえも。口布の上から口元に指を当てながらイルカの表情を見入っていた。
ナルトを見る優しい眼差しがふと上がり、カカシへ向けられる。軽く息を呑み向けられた視線から逃げるように目を反らした。
「イルカ先生、先行ってるってばよ!」
一通り話し終わったナルトは、充電されたように元気な笑顔を見せ、保健室から出ていく。
問題もなかった事だし、自分もそろそろ退散しようと思った時、
「ねぇ、カカシ。私はそれでもいいから」
保険医の女に言われて、何の事かと顔を向けた。不敵な口元の意味さえ分からず冷たい眼差しを向けると、女は白衣のポケットから手を出し、髪をかき上げ耳にかけ、続けた。
「身体だけの関係でもいいって言ったの」
「あぁ、そう」
そんな事。
自分が言った事を思い出し、軽く頷きナルトが締め切らなかった半分開いたままの扉に手をかけた。今日はそんな気分になれない。報告も済んだことだし、そのまま家に帰ろうか。
保健室からでてしばらく歩いてすぐ、背後から迫る足音に肩越しに振り向けば、イルカに腕を取られて目を見開いた。
黒い眼差しは明らかに非難を向けている。急に腕を取られた事も、イルカのその眼差しも。理解出来ずに分かりやすく眉根を寄せイルカを見た。
「……なに?」
素直に聞けば、クッとイルカの眉間に皺が寄った。
「ちょっと、来てください!」
「は?何で?」
「いいから!」
二の腕を強く捕まれ引っ張られる。更に訳がわからないが、カカシは取り敢えず大人しく従った。
イルカは廊下の端にある部屋を開けると、その中に引っ張り込み、扉を荒々しく締める。
腕を漸く離され、カカシは扉を締めたイルカの背中を眺めた。
「何なの?イルカ先生。どうしたの?」
聞くと、イルカは振り返った。
「さっきの、どういう事ですか?」
「さっき?…さっきって、いつ?」
言われてもさっきとは何の事か。取り敢えず任務帰りから保健室にいた時までの経緯を思い出そうとすれば、一歩イルカに詰め寄られた。
「さっきはさっきです!あの….、保険医の方が言った事です!」
「…あぁ」
ようやくさっきの意味が分かり頷く。が、なにを怒るのか。カカシは首を傾げた。
「で、なに?」
イルカの眉間の皺が深くなった。
「身体だけのお付き合いを提案されたんですか?」
「うん、そう」
「何故です!?」
聞かれ、カカシは口を閉じた。
なんでって。
自分でも不透明な部分に、返答を窮する。未だ非難を含ませた目を向けているイルカを見た。大体イルカの自分に対する憤りの意味も分からない。それは素直に苛立ちに変わった。
「…関係ないでしょ、アンタには」
「……っ!………でもっ…」
カカシの発した台詞にイルカは傷ついたような表情を浮かべた。下唇を噛んで視線を床に落とす。
その表情、仕草を見たら身体の血が沸き立つのを覚えた。
イルカは苦しげな顔のまま背を向け、本棚へ身体を向ける。片手を詰められたように並んでいる忍術書に手をかけた。
「関係ないかも…しれないですが、嫌です…っ、わっ!?」
気がつけばイルカの腕を掴んで振り向かせていた。
「な、に?」
目を回すイルカの腕を掴む手に力が入る。間近からイルカの顔をのぞきこんだ。
「気になるの?俺の事が」
イルカは少し目を見開いた。
「俺がどんな女と寝ようがアンタには関係ないじゃない。それとも何?セックスフレンドなんてモラルに反してるとか言いたいわけ?」
捲したてた口調のままイルカを見て、薄く開いたイルカの唇へ視線を移し黒い瞳に戻す。
更に顔を近づける。イルカは黒い眼差しをカカシから外すことはない。カカシは人差し指で口布を下した。
「カカシ…先生…?」
漸く触れそうな距離で呼ばれた自分の名前。それは熱い息となり、カカシの唇にかかる。
勢いでそのままイルカの唇を塞いだ。ぬるりと舌を割り込ませると、イルカは震えた。声さえ上げさせない行為に困惑が伝わる。でも、どうでもよくなっていた。本能が自分を支配している。抗うイルカの舌を強く吸い、 荒々しく口付ける。その激しさに思わずイルカの唇を噛んでいた。逃れようとするイルカの後頭部に掌で押さえれば、イルカの結われた髪はぐしゃぐしゃになった。
「…ふ、……ん………っ」
キスでこんなに自分の身体が昂るのは初めてで、カカシは夢中になっていた。密着した身体を揺すりあげるようにイルカの身体を本棚に押し付ける。詰められた本は落ちる事はないが、ベストと擦れる音を出した。
下腹部をイルカのそこへ擦り付けると、イルカの熱が確かに伝わり、カカシの熱もイルカに伝わった。痺れる感覚が背筋を走り、ぶるりと震える。突き上げる衝動のままに唇から首筋にキスを変える。押さえていた掌を、イルカの尻に移した。
「っ!!…カ、カカシさん…っ、やめてください…っ」
必死に口にしたイルカの言葉に、カカシは顔を上げまた間近でイルカをのぞきこんだ。潤んだ目を見て堪らない気持ちが湧き上がる。
「俺、アンタがいい」
気がついたら、そう口にしていた。
「え…?」
「いいよって言って。そしたらあの女とも寝ない。ね?」
再びキスを強請るように頬に唇を押し付け、唇を塞ごうと顔を動かした時、身体をぐうと両手で押しのけられる。
怪訝な目でイルカを見ると、更に怒りを秘めたイルカの顔が目の前にあった。イルカが拳を振り上げる。避けようと思えば出来たのに、カカシはそれを受け入れた。
「…いった…」
見事に命中し、殴られた部分に手を当てた。イルカに目を向ければ、真っ赤になったイルカがふるふると身体を震わせていた。
「あんた最低だ!!」
言い放ち、イルカは背を向け扉から姿を消した。
しばらく立ち尽くしていたカカシは、嘆息し頭を掻いた。
驚くくらいに自分らしさを見失っていた。まだ熱が身体から引かない。
掌を広げる。夢中にイルカの身体を求めていた。先ほどまであった突き上げる衝動は間違いようがない。あのまま、拒まれなかったら、この場所で確実にーー。
指先まで酔いしれているようで。
広げた掌でカカシは顔を覆った。


NEXT→
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。