不完全な男と①
イルカは朝から受付の担当になり、任務の報告を受けていた。
書類に目を通していると、ぬっと現れた影で書類が陰る。声をかけられる訳でもない影の主に、イルカは小さく溜息をついて、顔を上げた。
表情がまったく読み取れない男----はたけカカシは報告書を無造作に机に置いた。
(この人か...)
正直、イルカはこの上忍が苦手だった。まず愛想がない。お互い仕事場の人間関係に他ならないが、こうも無機質な態度をされると、扱いにくい。
教え子を預けて大丈夫なのかと不安になったが、うまくやっているようで、安心はしていた。
誰もが認める、エリート中のエリート。写輪眼のカカシを知らないものはない。非情な世界で里の為に任務を遂行しているのは理解するが、他の上忍に比べるとあまりにも人間味の欠ける男だ。
「おはようございます。任務お疲れ様です」
「おはよ、よろしくね」
イルカが報告書にろくに目を通す前から、カカシは立ち去る。
(朝から気分わる...)
猫背で歩くカカシを渋い顔で見送った。
今回はフォーマンセル以外の単独任務だったのか。
内容はA級で夜明けまでの任務。立ち去るカカシからは微かに血の匂いがした。
走り書きで書かれた内容も簡潔だ。
(問題なし、...か)
殺し合いに問題なしと書かれた任務。遠い、雲のような人だ。
イルカは報告書を、丁寧にしまった。
今日は残業もなく、早く家に帰れそうだ。
カバンを肩にかけて職員室を出た。夕飯の内容を考えながら廊下を歩き、突き当たりの角に気配を見つけた。
壁に背をもたれて立っている。
(----あれは...)
カカシだと確認して、少し驚いた。アカデミーの職員室に来る事がないからだ。
そういえばここ数週間カカシを見かけなかった。
不思議に思いながらもカカシの前まで来て頭を下げた。
「....お疲れ様です。今日は何かこちらにご用でしたか?」
イルカの声に顔を上げて、
「えぇ、まあ...」
と頭を掻いた。言いにくい事があるのか、少し困ったような顔をしている。
関わりたくないが、職員である以上話を聞かなければならない。早く帰りたいが仕方がない。イルカは小さく落胆した。
「職員室で話を聞きますから、どうぞ」
「あー、職員室には用はないです」
否定され眉を寄せた。じゃあ何なんだ。じれったい言い方に感じたが、すぐに返答がきた。
「イルカ先生に用があって待ってました」
「・・・・え?」
カカシが自分に用だと言っている。
もしかして、教え子の事だろうか。今までろくに会話をしていなかったが、教え子の事ならば話は別だ。それは聞きたい。
「もし良かったら、飯食いながらどうです?」
「飯、ですか」
想定外だった。ご飯を一緒に食べる間柄ではない。
「あ、今日は用事がありましたか?」
思わず顔に不信感が出ると、慌ててカカシ聞き直した。
「いえ、用は特に」
「良かった。じゃあ行きましょう、オレが奢りますから」
ホッとしたのか、目を細めて笑った。こんな顔をするのかと、内心驚く。
はあ、と気の抜けた返事をして、カカシの後についた。
想像していたよりも、カカシは話しやすかった。聞き上手で酒もあってか会話も弾む。
話す内容は教え子のの事やアカデミーであった話で大した内容でもないのに、楽しかった。
あまり酒は飲めないのか、イルカに付き合う程度にちびりちびりと口に運ぶ。
覆面を外したカカシは思いのほか整っていた。額当ての下にも興味がそそられるくらいに。想像するに、きっと美形だ。
イルカを優しい目で見ながら微笑むカカシは、今までとは別人の用だった。しかも、男相手に恥ずかしくなるくらい優しい。
「イルカ先生、また誘ってもいい?」
帰り際、勘定を済ませたカカシがイルカを見た。
イルカが普段足を運べないような高級な店で奢ってもらい、ええ勿論です、と気がつけば相槌をしていた。
「良かった、約束ですよ」
「はい。今日はご馳走様でした」
「いいえ、こちらこそ」
嬉しそうに微笑む。
(礼儀正しい人だ)
中忍である自分に敬語で、姿勢も崩さない。気配りもできている。付き合い話すと、常識的な上忍だ。
今までカカシに対して抱いてきた粗悪感に、申し訳ない気持ちになった。
数日後アカデミーの昼休みに外に出ると、カカシを見かけた。別の上忍と話をしている。話が終わるのを見計らい声をかけた。
「カカシ先生、先日はご馳走様でした」
振り返りカカシはイルカを見て少し驚いたように目を開いたが、すぐ眉を顰めた。
きょろきょろと辺りを見渡す。
「それオレに言ってるの?」
(俺、カカシ先生って、言ったよな...)
聞こえないはずがないのに、
「はい、カカシ先生に」
「...ご馳走様って何。何のこと?」
目が真剣だ。イルカは呆気にとられた。自分が何か間違った事を言ったのだろうか。
「カカシ先生、先日の事を覚えていないんですか?」
「........さあ、全く」
ふざけてるのか。
「それ、人違いじゃない?アナタと何処かに出かけた記憶はないですよ」
胡乱な目でイルカを見る。カカシは嘘をついているように見えない。
「じゃ、オレ任務ありますから」
それ以上声をかけれず、カカシが見えなくなるまで立ち尽くした。
どういう事だ。納得がいかないまま、イルカは午後の授業に戻った。
午後の授業も終わり、職員室に向かう廊下にカカシが立っていて、少し驚いたが、昼の事もあり出来れば関わりたくない。
それはカカシも同じだろう。そのままカカシの横を素通りし、
「イルカ先生」
声をかけられ気分が重くなる。正直、知らないフリをされて会話もしたくない。
何歩か歩いた後立ち止まり、一呼吸つき、重い体で振り返った。
何の用だ。
カカシはにこにことしている。昼間と面様の違いが気味が悪い。
「今日はもう授業は終わりですか」
「・・・ええ、まあ」
「もし良かったら今日飲みにいきませんか」
「・・・・・・・・」
「イルカ先生?」
昼の事に何も触れてこない。
まさかの誘いの言葉をかけられ、さすがに相手が上忍と言えどイルカの表情は険しい。
「あの、どういうつもりですか」
イルカの怪訝な顔にカカシがようやく気がついた。
「この前の約束ですが、今日あたりどうかなと思ったんです。予定があるならまた出直します」
すまなそうな顔をしているが、あさっての返答が返ってくる。
「予定はないです。けど、昼にあんな言い方して、誘われても困ります」
「え、昼?昼にイルカ先生と会いましたか。今日は初めて顔を出しましたが」
とぼけるのもここまでくると天晴れだ。まっすぐに受け応えしてしまう自分は、さぞかしからかい甲斐があるに違いない。
「とにかく、約束はまた改めてお願いします」
話にならないと向きを変えたら、腕を掴まれた。
「待ってください」
顔を顰めて掴まれた手を見た。これ以上話すことはないはずだ。
別の教員が歩興味本位の顔をして通り過ぎる。イルカは早くこの場から逃げたい気持ちになった。
「離していただけますか」
「オレ、何かまずい事言いましたか」
あまりに真剣な眼差しで聞かれて、言葉に詰まった。
まずいも何も、まずい事だらけだ。
自分にこれ以上何を困らせたいのだろう。
押し黙るイルカの手を離したが、カカシは納得のいかない顔をしている。
「分かりました、今日は帰ります」
諦めたのか、背を向けて歩き出した。何故かその背中はとても寂しげだ。
罪悪感にとらわれて引き留めたくなったが、思いとどまる。これでまた知らないととぼけられたら堪らない。気にしない事にしよう。
イルカは気持ちを切り替えて職員室へ戻った。
翌日、朝から雨が降っていた。受付業務で席に着いた途端カカシが現れた。傘をさしていなかったのか、少し髪や肩が濡れている。
度々現れるカカシにうんざりとした気持ちになった。
他の受付には目もくれず、まっすぐイルカの前に立つ。
「・・・おはようございます」
「おはようございます。イルカ先生、ちょっといいですか」
見える右目を笑みに細めたまま見つめている。始まったばかりだが仕事中で躊躇すると、
「すぐすみますから」
と付け加えられた。
周りの同僚も驚きながらも好奇の目で見ている。ここで話せない内容なのか。昨日の事を謝りに来たのか。
イルカも上忍相手に多少無礼をしたと気が咎めていた事もあり、わかりましたと、席を立ちカカシの後について受付の外に出た。
「雨、オレ嫌いなんですよ」
受付に常備してある傘をさして中庭まで歩き、カカシが不意に口を開いた。
「鼻がね、効かなくなるから色々と鈍ってめんどうでしょ」
少しだけ困った面持ちで笑う。
カカシの様な天才の忍でも弱みがあるのか、と少し面を食らった。この場を和ませたいからなのか冗談なのか、カカシの言葉に軽く相槌をうった。
「俺も、苦手です。ガキの頃からどうしても憂鬱になりがちで。雨で濡れた外の匂いは好きなんですけど。・・・やっぱり太陽があると元気もらえるし」
話しながら、くだらない内容だったかとカカシを見ると、傘をさしてイルカをじっと見つめていた。
柔らかな視線に思わず視線をそらした。
どうもカカシに見られると気恥ずかしくなる。
「本当はもう少し時間をかけたかったんですが」
ふいに話が変わりカカシに視線を戻した。
「イルカ先生、オレと付き合ってください」
(あれ、今・・・何て言った?)
意味が理解出来ずに今のセリフには続きがあるのかと、カカシの言葉を待った、が間が空いたのでイルカは首を傾げた。
「あの、もう一度言ってもらってもいいですか。付き合うって・・・、」
「イルカ先生の事が好きだと言ったんですが」
苦笑気味にカカシが笑う。
「・・・え、え!!・・・えぇ!?」
思わず大きな声が出た。持っていた傘を落としそうになり、慌てて両手で掴み直す。
何を突然言い出すのか。自分とカカシの関係に恋めいたものがあったのか。いや、存在すらしていない。
「あの、好きって、どんな好き・・・」
「勿論恋愛感情ですが」
決定的な言葉を口にされ閉口するしかなかった。頭の中が真っ白になる。
口をぱくぱくさせ言葉が出てこないイルカに、
「急で驚きますよね、返事はまた後日改めて聞かせてください」
と、さしていた傘を閉じイルカの手に持たせる。触れたカカシの指が暖かくて、イルカの心拍数が上がるのが分かった。
じゃあまた、と何も言えないイルカを残して雨の中姿を消した。
その日の仕事は全く出来なかった。単純なミスが重なり上からきつく叱咤されるも、話が頭に入らない。
気分が悪いのかと同僚に心配されるほどに仕事に身が入らなかった。
残業も当然積みさかなり、居残りの様に職員室に取り残されていたら、火影から呼び出しがかかった。
最悪だ。今日のミスが火影の耳にまで入ったのだ。
大目玉を食らうのを覚悟してイルカは、火影のいるドアを叩いた。
低い声で返事がありドアを開ける。渋い顔をして、両肘をつき手を組みながらイルカを見ていた。
「イルカです。御用と聞いて参りました」
「・・・まぁ座れ」
言われるままに、客用ソファにおずおずと腰を下ろす。
火影は黙ったままイルカを見入っていたが、長いため息をついて組んでいた手を机に置いた。
「・・・呼び出したのは話があってな」
「はぁ、・・・」
渋い顔のままの火影をちらりと見る。余りにもひどい仕事ぶりに落胆しているのか。
なかなか本題に入らないので、イルカは部屋を小さく見渡した。歴代火影の写真が並ぶ中、4代目の写真を見つける。
若くして自分の運命を決め貫いた、優しく微笑む写真からは想像もできない。不意にカカシと顔が重なり、ぶんぶんと頭を振った。
「・・・カカシの事なんだがな」
「え」
火影の言葉に驚いて顔を見た。
「上忍のはたけカカシだ。今ナルトを担当している」
このタイミングで名前を出され、声が上擦った。誤魔化すように軽く頷いた。
「はい、存じてます」
「・・・一ヶ月くらい前になるか、カカシがある任務を終えてからおかしな言動が見られてな、最近は任務に支障をきたし損ねた」
「・・カカシ先生が・・」
パイプに火をつけ深く息を吸いイルカに視線を戻した。迂闊だった。
イルカは背中がヒヤリとした。イルカ自身気がついていたのに、見抜けなかった。
火影は続ける。
「カカシ本人に聞いた話だが、先月の任務先で多少頭に負傷したそうだ。検査を受けたが、何らかの衝撃で精神が分裂している可能性が高い」
耳を疑った。カカシ先生が。まさか。そんな症状を患っていたなんて。
イルカの顔が青くなる。
「本人には自覚症状がない。今カカシには2つ人格がある。元々の人格と新しく出来た人格、イルカ、その新しい人格が、お前と接触しているな?」
あれが新しい人格?そうか、だとしたら別人のような態度をした理由がつく。
知らなかったとはいえ、カカシに酷いことを言った事に後悔した。
黙ったままのイルカに、火影は続ける。
「上忍であるゆえ接しにくいとは思うが、イルカ、ここは一つ任務として完治まで協力してくれぬか?」
「協力、ですか」
火影は頷く。
「刺激をかけないよう、まあ肯定も否定しないように対応してくれ」
「はあ、しかし・・」
火影の口ぶりから、カカシがイルカに恋愛感情を抱いてるとは気がついていない。分かっていたらイルカには話さないだろう。
心境複雑になり、口を濁していると、火影は眉間に皺を寄せた。
「あれでもカカシは木の葉にとっては有力な人材だ。他言無用でやってくれ、いいな」
有無を言わせないと、話を打ち切られイルカは仕方なく承諾した。
「・・・分かりました」
任務なら仕方がない。自分を納得させて出て行くイルカに、
「くれぐれも刺激はするな」
と釘を刺され力なく頷いた。
面倒な事になってきた。イルカは深いため息をついて、この先の自分の暗転に消沈した。
数日間、カカシはイルカに接触してこなかった。
自分からは動く必要はないと考え、特に何も行動していない、本当はしたくないが正直な気持ちだった。
カカシは自分に告白してきた。あれが精神分裂による症状なのか。だとしたら、迷惑もいいところだ。
カカシ自身、あろうことか男に恋愛感情を持ち告白したなんて知ったら、どう思うのだろう。自分だったら耐えられなくて発狂しそうだ。
元々のカカシは性悪な印象が強く、自分に好意を持つなんてあり得ない。むしろ相手にしたくない感が滲み出ていた。
そんな相手に付き合ってくださいなんて言ったと知ったら。考えただけで恐ろしい。
(・・・俺、カカシ先生に殺されないよな・・・)
イルカは身の危険を感じて身体を震わせた。
仕事が終わり、アカデミーをでて商店街に向かった。今日は何を作ろうかと思考を巡らせていると、電柱のから人影が現れカカシだと分かる。
心臓が高鳴った。あれは、どっちのカカシだろう。どちらにしろカカシと接触するのが恐怖だ。
肩にかけた鞄を強く握り、近くまで歩くと、カカシはニコリと笑った。
新しい人格だと確認して、イルカも合わせて笑みを浮かべた。
「イルカ先生、こんにちは」
相変わらず礼儀正しい。人格でこうも印象が変わると面白い。
「仕事帰りですか、お疲れさまです」
「はい、あ、えっと、カカシ先生は、今日はナルト達と任務でしたか?」
カカシが眉を下げて苦笑した。
「ええ、まあそんなところです。最近単独任務と掛け持ちしてたんですがね、火影様が急に身体を休めと、だからほとんどガキ相手の毎日です」
頭を掻くカカシに、大変ですねと、話を合わせる。
「あのじーさんの気まぐれには参りますよ、全く」
カカシが歩き出したので、イルカも後ろを歩く。
カカシが足を遅めてイルカの横に並んだ。
「イルカ先生、この前の返事、もらっていいですか?」
顔を覗くようにイルカを見た。
聞かれるだろうと思っていたが、実際に口にされるとやはりショックを受ける。
返事をどうすべきなのか。ずっと考えていた。考えすぎて眠れなかった事もある。どう考えても付き合うなんてありえない。
「・・・俺男ですし、恋愛されるような魅力もないし、ご迷惑かけるだけだと思います」
やんわりと否定の言葉を口にした。
「イルカ先生は十分魅力的ですよ。・・ま、オレも男と付き合った事ないですけど」
だったら何故!とイルカは心で叫ぶ。
「自分みたいなのと付き合っても気持ち悪いだけですよ」
「・・・やっぱ、告白されて気持ち悪かったですか」
カカシの気落ちした顔を見て、慌てて否定した。
「いや、気持ち悪いとは思ってないです!」
それは本当だった。自分に優しくしてくれるカカシを気持ち悪いとは思えなかった。
自分のようなぱっとしない中忍を相手にするカカシに申し訳ないとまで思う。
これがイルカでなく相手が女性だったらどんなに幸せな事だろう。
優しくて顔も格好よく、里内外まで名声があり高収入。完璧なまでの条件だ。
「じゃあ、付き合ってくれますか?」
断る理由のネタが無くなり、口をつぐむ。
だけど、火影から言われた言葉が頭を霞む。合わせるしかないからだ。これは任務なのだ。
「じゃあ、・・・友達から、でよければ」
「オレ恋愛対象だから友達は無理です」
きっぱり言われ、観念した。
「分かりました。よろしくお願いします」
渋々小さな声で口にすると、カカシが目を細めて微笑んだ。
「嬉しい。夢みたいだ」
カカシの幸せそうな顔を見て胸が痛む。
そうです。夢じゃないんです。すみませんと、内心謝る。
まさかあの有名なはたけカカシと恋人同士になるなんて、少し前まではあり得なかった話だ。
彼の名声を傷つけない為にも、早く完治して欲しい、とイルカは心底念じた。
カカシとの関係はびっくりするくらい、紳士的な付き合いだった。
朝は時間が合わないのか、会わなかったが、昼は時間に一緒にご飯を食べた。
時々イルカが作る弁当を渡して外で食べる。美味しそうに食べる顔がとても可愛い。
帰りは、イルカの家まで一緒に来るが、家の前で挨拶をしてカカシは帰る。その毎日が続いた。
内心イルカは安心していた。この程度なら付き合いとしていい距離だ。一時はどうなるかと、深く考えすぎたのかも。
一週間ほど経ち、まるで自分たち二人はまるで十代の青春みたいだと思い、含み笑いをしたら、隣にいたカカシがどうしたの、とイルカを見た。
いつもの帰り道を、2人で歩いていた。
「あ、カカシ先生と一緒に歩いて帰ると、何か若い子同士のカップル見たいで、可笑しくって」
口元を緩めて笑うと、カカシは不思議そうな顔をした。
「あぁ、そうなんですか。・・・オレ若い頃から任務に駆り出されててそんな事する暇なかったな」
思い出すように呟き、
「違うな・・、あの頃は死がすごく身近な存在に感じて、人と接するのが苦手だったのかも」
情けなさそうに笑い、イルカはカカシを見つめた。
そうだ、カカシは自分とは違う、修羅の道を歩んできたのだ。暗部にいたと噂で聞い
たこともあった。軽々しく口にした事に後悔した。
イルカの表情を察したのか、すぐに手を振る。
「でもね、もうそんな風には思ってないないから、その分今はこうしてイルカ先生と一緒に歩いてますし」
幸せですよ、と付け加えた。
平和ボケしたこんな中忍に合わせる事ないのに。
優しさが胸に突き刺さる。
イルカの家の前に着き、いつものように頭を下げた。
「ありがとうございました」
少しシュンとした自分に気にかけてくれているのが分かり、情けない気分になる。
無理に笑顔を作りおやすみなさい、と背を向け鍵を取り出そうとした時、不意に背中が暖かくなった。
背中からカカシの腕が回され抱きしめられているのだと分かった。カカシの腕が少しだけ力が入るのを感じる。
肩越しに見ようとしたら銀髪が鼻にかかった。
カカシの匂いがイルカの肺いっぱいに広がり、途端胸が苦しくなる。
「カ、カシ先生・・?」
どうしたらいいのかもどかしくなり呼びかける。
「イルカ先生・・・」
名前を耳元で囁かれ、背中がゾワリとした。腕を離され前に向かされた時、カカシが覆面を無造作に下げた。
綺麗な顔立ちが現れ、久しぶりに見たなあと、ぼんやり考えていると、カカシの唇がイルカの唇と重なり、目を見開いた。
(これ・・もしかしてキスされてる?)
動揺が一気に広がり、腕で押し返そうと思ったが、カカシの舌が口内に浸入したのに驚く。
イルカの歯をなぞるように舐め、舌に触れ慌てて逃げようとしたが、角度を変えられ敢え無く捕まる。何度も絡み合い頭がぼんやりしてきた。
経験が浅いイルカでも分かる。これが上手と言うのだ。
身体が熱くなり、腰に力が入らなくなる。気がつけば背中を扉に強く押し付けられ、辛うじて立っていられた。唾液が喉を通り、腰に甘い痺れが伝わる。
唇が離れ、あまりの熱さに口が寂しく感じた。
唐突すぎて、抵抗すら考えられなかった。
そのまま座り込みそうになり、カカシの腕を掴んだ。まだ腰が疼いている。
「気持ちよかった?」
クスリと笑いカカシは目を細めてイルカを見た。
途端恥ずかしさで、首から顔が赤くなる。
気持ちいいなんて、口が裂けても言えない。
「オレね、考えてたんですが」
そう言われ、はい、とようやく返事が出来た。
「毎日イルカ先生を送るのも嬉しいんですが、一緒に住めたらどうかなと思いまして」
「え、一緒に、ですか?」
考えていなかった。時々送ってくれるだけなのも悪い気がして、その後自分の家に誘
い、飯なりお酒なり持て成そうと、何度も考えた。ただ、カカシの手前、自分から誘うのは不謹慎な気がしてならず、やめていた。
でも、一緒に住むとなると話が別だ。承諾して、もし元のカカシの人格に変わったら
どうなるのか。それこそ修羅場になるのではないか。
ここで下手気に断るのも話の流れから変なのか。
あまりに長考しているイルカを見てカカシが首をかしげた。
「イルカ先生?」
「あ、はい!すみません、つい考え込んでしまって」
「まだ、早かったですか?・・あ、もしかして、キスしたの怒ってます?」
「いやっ、違います」
「オレの家ね、部屋が沢山あるから余ってるんです。どうですか?」
それはますますやばい。カカシの部屋に中忍が上がりこんで一緒に住んでると知った
らどうなるか。まだ自分の部屋の方が説明がつきやすい。
「それだったら、俺の部屋に来てください。キッチンも使い慣れてる方がいいし、この部屋気に入ってるんです。・・・狭いですが」
少し上目遣いで見ると、カカシの顔がパッと明るくなりホッと胸をなでおろす。
「狭いほうが何かと楽しそうですし、イルカ先生がそう言ってくれるなら、こっちにします」
楽しいの意味がわからないが、とにかくよかった。
じゃあ、今日は帰るね、と唇にキスを落としてカカシは姿を消した。
付き合いと言うのはこう言う事か。身をもって体験し、ついさっきされたキスを思い出して頭を強く降った。胸が苦しいのはなんでだろう。
自分の胸の中に擡げてくる感情を抑えなくてはいけない。これは任務なのだ。
任務と言葉にすると、カカシに残酷な事をしてるようで、無性に辛くなる。こんな事早く終わればいいのに。
イルカは顔を上げ、薄っすら見え始めた星を仰いだ。
NEXT→
書類に目を通していると、ぬっと現れた影で書類が陰る。声をかけられる訳でもない影の主に、イルカは小さく溜息をついて、顔を上げた。
表情がまったく読み取れない男----はたけカカシは報告書を無造作に机に置いた。
(この人か...)
正直、イルカはこの上忍が苦手だった。まず愛想がない。お互い仕事場の人間関係に他ならないが、こうも無機質な態度をされると、扱いにくい。
教え子を預けて大丈夫なのかと不安になったが、うまくやっているようで、安心はしていた。
誰もが認める、エリート中のエリート。写輪眼のカカシを知らないものはない。非情な世界で里の為に任務を遂行しているのは理解するが、他の上忍に比べるとあまりにも人間味の欠ける男だ。
「おはようございます。任務お疲れ様です」
「おはよ、よろしくね」
イルカが報告書にろくに目を通す前から、カカシは立ち去る。
(朝から気分わる...)
猫背で歩くカカシを渋い顔で見送った。
今回はフォーマンセル以外の単独任務だったのか。
内容はA級で夜明けまでの任務。立ち去るカカシからは微かに血の匂いがした。
走り書きで書かれた内容も簡潔だ。
(問題なし、...か)
殺し合いに問題なしと書かれた任務。遠い、雲のような人だ。
イルカは報告書を、丁寧にしまった。
今日は残業もなく、早く家に帰れそうだ。
カバンを肩にかけて職員室を出た。夕飯の内容を考えながら廊下を歩き、突き当たりの角に気配を見つけた。
壁に背をもたれて立っている。
(----あれは...)
カカシだと確認して、少し驚いた。アカデミーの職員室に来る事がないからだ。
そういえばここ数週間カカシを見かけなかった。
不思議に思いながらもカカシの前まで来て頭を下げた。
「....お疲れ様です。今日は何かこちらにご用でしたか?」
イルカの声に顔を上げて、
「えぇ、まあ...」
と頭を掻いた。言いにくい事があるのか、少し困ったような顔をしている。
関わりたくないが、職員である以上話を聞かなければならない。早く帰りたいが仕方がない。イルカは小さく落胆した。
「職員室で話を聞きますから、どうぞ」
「あー、職員室には用はないです」
否定され眉を寄せた。じゃあ何なんだ。じれったい言い方に感じたが、すぐに返答がきた。
「イルカ先生に用があって待ってました」
「・・・・え?」
カカシが自分に用だと言っている。
もしかして、教え子の事だろうか。今までろくに会話をしていなかったが、教え子の事ならば話は別だ。それは聞きたい。
「もし良かったら、飯食いながらどうです?」
「飯、ですか」
想定外だった。ご飯を一緒に食べる間柄ではない。
「あ、今日は用事がありましたか?」
思わず顔に不信感が出ると、慌ててカカシ聞き直した。
「いえ、用は特に」
「良かった。じゃあ行きましょう、オレが奢りますから」
ホッとしたのか、目を細めて笑った。こんな顔をするのかと、内心驚く。
はあ、と気の抜けた返事をして、カカシの後についた。
想像していたよりも、カカシは話しやすかった。聞き上手で酒もあってか会話も弾む。
話す内容は教え子のの事やアカデミーであった話で大した内容でもないのに、楽しかった。
あまり酒は飲めないのか、イルカに付き合う程度にちびりちびりと口に運ぶ。
覆面を外したカカシは思いのほか整っていた。額当ての下にも興味がそそられるくらいに。想像するに、きっと美形だ。
イルカを優しい目で見ながら微笑むカカシは、今までとは別人の用だった。しかも、男相手に恥ずかしくなるくらい優しい。
「イルカ先生、また誘ってもいい?」
帰り際、勘定を済ませたカカシがイルカを見た。
イルカが普段足を運べないような高級な店で奢ってもらい、ええ勿論です、と気がつけば相槌をしていた。
「良かった、約束ですよ」
「はい。今日はご馳走様でした」
「いいえ、こちらこそ」
嬉しそうに微笑む。
(礼儀正しい人だ)
中忍である自分に敬語で、姿勢も崩さない。気配りもできている。付き合い話すと、常識的な上忍だ。
今までカカシに対して抱いてきた粗悪感に、申し訳ない気持ちになった。
数日後アカデミーの昼休みに外に出ると、カカシを見かけた。別の上忍と話をしている。話が終わるのを見計らい声をかけた。
「カカシ先生、先日はご馳走様でした」
振り返りカカシはイルカを見て少し驚いたように目を開いたが、すぐ眉を顰めた。
きょろきょろと辺りを見渡す。
「それオレに言ってるの?」
(俺、カカシ先生って、言ったよな...)
聞こえないはずがないのに、
「はい、カカシ先生に」
「...ご馳走様って何。何のこと?」
目が真剣だ。イルカは呆気にとられた。自分が何か間違った事を言ったのだろうか。
「カカシ先生、先日の事を覚えていないんですか?」
「........さあ、全く」
ふざけてるのか。
「それ、人違いじゃない?アナタと何処かに出かけた記憶はないですよ」
胡乱な目でイルカを見る。カカシは嘘をついているように見えない。
「じゃ、オレ任務ありますから」
それ以上声をかけれず、カカシが見えなくなるまで立ち尽くした。
どういう事だ。納得がいかないまま、イルカは午後の授業に戻った。
午後の授業も終わり、職員室に向かう廊下にカカシが立っていて、少し驚いたが、昼の事もあり出来れば関わりたくない。
それはカカシも同じだろう。そのままカカシの横を素通りし、
「イルカ先生」
声をかけられ気分が重くなる。正直、知らないフリをされて会話もしたくない。
何歩か歩いた後立ち止まり、一呼吸つき、重い体で振り返った。
何の用だ。
カカシはにこにことしている。昼間と面様の違いが気味が悪い。
「今日はもう授業は終わりですか」
「・・・ええ、まあ」
「もし良かったら今日飲みにいきませんか」
「・・・・・・・・」
「イルカ先生?」
昼の事に何も触れてこない。
まさかの誘いの言葉をかけられ、さすがに相手が上忍と言えどイルカの表情は険しい。
「あの、どういうつもりですか」
イルカの怪訝な顔にカカシがようやく気がついた。
「この前の約束ですが、今日あたりどうかなと思ったんです。予定があるならまた出直します」
すまなそうな顔をしているが、あさっての返答が返ってくる。
「予定はないです。けど、昼にあんな言い方して、誘われても困ります」
「え、昼?昼にイルカ先生と会いましたか。今日は初めて顔を出しましたが」
とぼけるのもここまでくると天晴れだ。まっすぐに受け応えしてしまう自分は、さぞかしからかい甲斐があるに違いない。
「とにかく、約束はまた改めてお願いします」
話にならないと向きを変えたら、腕を掴まれた。
「待ってください」
顔を顰めて掴まれた手を見た。これ以上話すことはないはずだ。
別の教員が歩興味本位の顔をして通り過ぎる。イルカは早くこの場から逃げたい気持ちになった。
「離していただけますか」
「オレ、何かまずい事言いましたか」
あまりに真剣な眼差しで聞かれて、言葉に詰まった。
まずいも何も、まずい事だらけだ。
自分にこれ以上何を困らせたいのだろう。
押し黙るイルカの手を離したが、カカシは納得のいかない顔をしている。
「分かりました、今日は帰ります」
諦めたのか、背を向けて歩き出した。何故かその背中はとても寂しげだ。
罪悪感にとらわれて引き留めたくなったが、思いとどまる。これでまた知らないととぼけられたら堪らない。気にしない事にしよう。
イルカは気持ちを切り替えて職員室へ戻った。
翌日、朝から雨が降っていた。受付業務で席に着いた途端カカシが現れた。傘をさしていなかったのか、少し髪や肩が濡れている。
度々現れるカカシにうんざりとした気持ちになった。
他の受付には目もくれず、まっすぐイルカの前に立つ。
「・・・おはようございます」
「おはようございます。イルカ先生、ちょっといいですか」
見える右目を笑みに細めたまま見つめている。始まったばかりだが仕事中で躊躇すると、
「すぐすみますから」
と付け加えられた。
周りの同僚も驚きながらも好奇の目で見ている。ここで話せない内容なのか。昨日の事を謝りに来たのか。
イルカも上忍相手に多少無礼をしたと気が咎めていた事もあり、わかりましたと、席を立ちカカシの後について受付の外に出た。
「雨、オレ嫌いなんですよ」
受付に常備してある傘をさして中庭まで歩き、カカシが不意に口を開いた。
「鼻がね、効かなくなるから色々と鈍ってめんどうでしょ」
少しだけ困った面持ちで笑う。
カカシの様な天才の忍でも弱みがあるのか、と少し面を食らった。この場を和ませたいからなのか冗談なのか、カカシの言葉に軽く相槌をうった。
「俺も、苦手です。ガキの頃からどうしても憂鬱になりがちで。雨で濡れた外の匂いは好きなんですけど。・・・やっぱり太陽があると元気もらえるし」
話しながら、くだらない内容だったかとカカシを見ると、傘をさしてイルカをじっと見つめていた。
柔らかな視線に思わず視線をそらした。
どうもカカシに見られると気恥ずかしくなる。
「本当はもう少し時間をかけたかったんですが」
ふいに話が変わりカカシに視線を戻した。
「イルカ先生、オレと付き合ってください」
(あれ、今・・・何て言った?)
意味が理解出来ずに今のセリフには続きがあるのかと、カカシの言葉を待った、が間が空いたのでイルカは首を傾げた。
「あの、もう一度言ってもらってもいいですか。付き合うって・・・、」
「イルカ先生の事が好きだと言ったんですが」
苦笑気味にカカシが笑う。
「・・・え、え!!・・・えぇ!?」
思わず大きな声が出た。持っていた傘を落としそうになり、慌てて両手で掴み直す。
何を突然言い出すのか。自分とカカシの関係に恋めいたものがあったのか。いや、存在すらしていない。
「あの、好きって、どんな好き・・・」
「勿論恋愛感情ですが」
決定的な言葉を口にされ閉口するしかなかった。頭の中が真っ白になる。
口をぱくぱくさせ言葉が出てこないイルカに、
「急で驚きますよね、返事はまた後日改めて聞かせてください」
と、さしていた傘を閉じイルカの手に持たせる。触れたカカシの指が暖かくて、イルカの心拍数が上がるのが分かった。
じゃあまた、と何も言えないイルカを残して雨の中姿を消した。
その日の仕事は全く出来なかった。単純なミスが重なり上からきつく叱咤されるも、話が頭に入らない。
気分が悪いのかと同僚に心配されるほどに仕事に身が入らなかった。
残業も当然積みさかなり、居残りの様に職員室に取り残されていたら、火影から呼び出しがかかった。
最悪だ。今日のミスが火影の耳にまで入ったのだ。
大目玉を食らうのを覚悟してイルカは、火影のいるドアを叩いた。
低い声で返事がありドアを開ける。渋い顔をして、両肘をつき手を組みながらイルカを見ていた。
「イルカです。御用と聞いて参りました」
「・・・まぁ座れ」
言われるままに、客用ソファにおずおずと腰を下ろす。
火影は黙ったままイルカを見入っていたが、長いため息をついて組んでいた手を机に置いた。
「・・・呼び出したのは話があってな」
「はぁ、・・・」
渋い顔のままの火影をちらりと見る。余りにもひどい仕事ぶりに落胆しているのか。
なかなか本題に入らないので、イルカは部屋を小さく見渡した。歴代火影の写真が並ぶ中、4代目の写真を見つける。
若くして自分の運命を決め貫いた、優しく微笑む写真からは想像もできない。不意にカカシと顔が重なり、ぶんぶんと頭を振った。
「・・・カカシの事なんだがな」
「え」
火影の言葉に驚いて顔を見た。
「上忍のはたけカカシだ。今ナルトを担当している」
このタイミングで名前を出され、声が上擦った。誤魔化すように軽く頷いた。
「はい、存じてます」
「・・・一ヶ月くらい前になるか、カカシがある任務を終えてからおかしな言動が見られてな、最近は任務に支障をきたし損ねた」
「・・カカシ先生が・・」
パイプに火をつけ深く息を吸いイルカに視線を戻した。迂闊だった。
イルカは背中がヒヤリとした。イルカ自身気がついていたのに、見抜けなかった。
火影は続ける。
「カカシ本人に聞いた話だが、先月の任務先で多少頭に負傷したそうだ。検査を受けたが、何らかの衝撃で精神が分裂している可能性が高い」
耳を疑った。カカシ先生が。まさか。そんな症状を患っていたなんて。
イルカの顔が青くなる。
「本人には自覚症状がない。今カカシには2つ人格がある。元々の人格と新しく出来た人格、イルカ、その新しい人格が、お前と接触しているな?」
あれが新しい人格?そうか、だとしたら別人のような態度をした理由がつく。
知らなかったとはいえ、カカシに酷いことを言った事に後悔した。
黙ったままのイルカに、火影は続ける。
「上忍であるゆえ接しにくいとは思うが、イルカ、ここは一つ任務として完治まで協力してくれぬか?」
「協力、ですか」
火影は頷く。
「刺激をかけないよう、まあ肯定も否定しないように対応してくれ」
「はあ、しかし・・」
火影の口ぶりから、カカシがイルカに恋愛感情を抱いてるとは気がついていない。分かっていたらイルカには話さないだろう。
心境複雑になり、口を濁していると、火影は眉間に皺を寄せた。
「あれでもカカシは木の葉にとっては有力な人材だ。他言無用でやってくれ、いいな」
有無を言わせないと、話を打ち切られイルカは仕方なく承諾した。
「・・・分かりました」
任務なら仕方がない。自分を納得させて出て行くイルカに、
「くれぐれも刺激はするな」
と釘を刺され力なく頷いた。
面倒な事になってきた。イルカは深いため息をついて、この先の自分の暗転に消沈した。
数日間、カカシはイルカに接触してこなかった。
自分からは動く必要はないと考え、特に何も行動していない、本当はしたくないが正直な気持ちだった。
カカシは自分に告白してきた。あれが精神分裂による症状なのか。だとしたら、迷惑もいいところだ。
カカシ自身、あろうことか男に恋愛感情を持ち告白したなんて知ったら、どう思うのだろう。自分だったら耐えられなくて発狂しそうだ。
元々のカカシは性悪な印象が強く、自分に好意を持つなんてあり得ない。むしろ相手にしたくない感が滲み出ていた。
そんな相手に付き合ってくださいなんて言ったと知ったら。考えただけで恐ろしい。
(・・・俺、カカシ先生に殺されないよな・・・)
イルカは身の危険を感じて身体を震わせた。
仕事が終わり、アカデミーをでて商店街に向かった。今日は何を作ろうかと思考を巡らせていると、電柱のから人影が現れカカシだと分かる。
心臓が高鳴った。あれは、どっちのカカシだろう。どちらにしろカカシと接触するのが恐怖だ。
肩にかけた鞄を強く握り、近くまで歩くと、カカシはニコリと笑った。
新しい人格だと確認して、イルカも合わせて笑みを浮かべた。
「イルカ先生、こんにちは」
相変わらず礼儀正しい。人格でこうも印象が変わると面白い。
「仕事帰りですか、お疲れさまです」
「はい、あ、えっと、カカシ先生は、今日はナルト達と任務でしたか?」
カカシが眉を下げて苦笑した。
「ええ、まあそんなところです。最近単独任務と掛け持ちしてたんですがね、火影様が急に身体を休めと、だからほとんどガキ相手の毎日です」
頭を掻くカカシに、大変ですねと、話を合わせる。
「あのじーさんの気まぐれには参りますよ、全く」
カカシが歩き出したので、イルカも後ろを歩く。
カカシが足を遅めてイルカの横に並んだ。
「イルカ先生、この前の返事、もらっていいですか?」
顔を覗くようにイルカを見た。
聞かれるだろうと思っていたが、実際に口にされるとやはりショックを受ける。
返事をどうすべきなのか。ずっと考えていた。考えすぎて眠れなかった事もある。どう考えても付き合うなんてありえない。
「・・・俺男ですし、恋愛されるような魅力もないし、ご迷惑かけるだけだと思います」
やんわりと否定の言葉を口にした。
「イルカ先生は十分魅力的ですよ。・・ま、オレも男と付き合った事ないですけど」
だったら何故!とイルカは心で叫ぶ。
「自分みたいなのと付き合っても気持ち悪いだけですよ」
「・・・やっぱ、告白されて気持ち悪かったですか」
カカシの気落ちした顔を見て、慌てて否定した。
「いや、気持ち悪いとは思ってないです!」
それは本当だった。自分に優しくしてくれるカカシを気持ち悪いとは思えなかった。
自分のようなぱっとしない中忍を相手にするカカシに申し訳ないとまで思う。
これがイルカでなく相手が女性だったらどんなに幸せな事だろう。
優しくて顔も格好よく、里内外まで名声があり高収入。完璧なまでの条件だ。
「じゃあ、付き合ってくれますか?」
断る理由のネタが無くなり、口をつぐむ。
だけど、火影から言われた言葉が頭を霞む。合わせるしかないからだ。これは任務なのだ。
「じゃあ、・・・友達から、でよければ」
「オレ恋愛対象だから友達は無理です」
きっぱり言われ、観念した。
「分かりました。よろしくお願いします」
渋々小さな声で口にすると、カカシが目を細めて微笑んだ。
「嬉しい。夢みたいだ」
カカシの幸せそうな顔を見て胸が痛む。
そうです。夢じゃないんです。すみませんと、内心謝る。
まさかあの有名なはたけカカシと恋人同士になるなんて、少し前まではあり得なかった話だ。
彼の名声を傷つけない為にも、早く完治して欲しい、とイルカは心底念じた。
カカシとの関係はびっくりするくらい、紳士的な付き合いだった。
朝は時間が合わないのか、会わなかったが、昼は時間に一緒にご飯を食べた。
時々イルカが作る弁当を渡して外で食べる。美味しそうに食べる顔がとても可愛い。
帰りは、イルカの家まで一緒に来るが、家の前で挨拶をしてカカシは帰る。その毎日が続いた。
内心イルカは安心していた。この程度なら付き合いとしていい距離だ。一時はどうなるかと、深く考えすぎたのかも。
一週間ほど経ち、まるで自分たち二人はまるで十代の青春みたいだと思い、含み笑いをしたら、隣にいたカカシがどうしたの、とイルカを見た。
いつもの帰り道を、2人で歩いていた。
「あ、カカシ先生と一緒に歩いて帰ると、何か若い子同士のカップル見たいで、可笑しくって」
口元を緩めて笑うと、カカシは不思議そうな顔をした。
「あぁ、そうなんですか。・・・オレ若い頃から任務に駆り出されててそんな事する暇なかったな」
思い出すように呟き、
「違うな・・、あの頃は死がすごく身近な存在に感じて、人と接するのが苦手だったのかも」
情けなさそうに笑い、イルカはカカシを見つめた。
そうだ、カカシは自分とは違う、修羅の道を歩んできたのだ。暗部にいたと噂で聞い
たこともあった。軽々しく口にした事に後悔した。
イルカの表情を察したのか、すぐに手を振る。
「でもね、もうそんな風には思ってないないから、その分今はこうしてイルカ先生と一緒に歩いてますし」
幸せですよ、と付け加えた。
平和ボケしたこんな中忍に合わせる事ないのに。
優しさが胸に突き刺さる。
イルカの家の前に着き、いつものように頭を下げた。
「ありがとうございました」
少しシュンとした自分に気にかけてくれているのが分かり、情けない気分になる。
無理に笑顔を作りおやすみなさい、と背を向け鍵を取り出そうとした時、不意に背中が暖かくなった。
背中からカカシの腕が回され抱きしめられているのだと分かった。カカシの腕が少しだけ力が入るのを感じる。
肩越しに見ようとしたら銀髪が鼻にかかった。
カカシの匂いがイルカの肺いっぱいに広がり、途端胸が苦しくなる。
「カ、カシ先生・・?」
どうしたらいいのかもどかしくなり呼びかける。
「イルカ先生・・・」
名前を耳元で囁かれ、背中がゾワリとした。腕を離され前に向かされた時、カカシが覆面を無造作に下げた。
綺麗な顔立ちが現れ、久しぶりに見たなあと、ぼんやり考えていると、カカシの唇がイルカの唇と重なり、目を見開いた。
(これ・・もしかしてキスされてる?)
動揺が一気に広がり、腕で押し返そうと思ったが、カカシの舌が口内に浸入したのに驚く。
イルカの歯をなぞるように舐め、舌に触れ慌てて逃げようとしたが、角度を変えられ敢え無く捕まる。何度も絡み合い頭がぼんやりしてきた。
経験が浅いイルカでも分かる。これが上手と言うのだ。
身体が熱くなり、腰に力が入らなくなる。気がつけば背中を扉に強く押し付けられ、辛うじて立っていられた。唾液が喉を通り、腰に甘い痺れが伝わる。
唇が離れ、あまりの熱さに口が寂しく感じた。
唐突すぎて、抵抗すら考えられなかった。
そのまま座り込みそうになり、カカシの腕を掴んだ。まだ腰が疼いている。
「気持ちよかった?」
クスリと笑いカカシは目を細めてイルカを見た。
途端恥ずかしさで、首から顔が赤くなる。
気持ちいいなんて、口が裂けても言えない。
「オレね、考えてたんですが」
そう言われ、はい、とようやく返事が出来た。
「毎日イルカ先生を送るのも嬉しいんですが、一緒に住めたらどうかなと思いまして」
「え、一緒に、ですか?」
考えていなかった。時々送ってくれるだけなのも悪い気がして、その後自分の家に誘
い、飯なりお酒なり持て成そうと、何度も考えた。ただ、カカシの手前、自分から誘うのは不謹慎な気がしてならず、やめていた。
でも、一緒に住むとなると話が別だ。承諾して、もし元のカカシの人格に変わったら
どうなるのか。それこそ修羅場になるのではないか。
ここで下手気に断るのも話の流れから変なのか。
あまりに長考しているイルカを見てカカシが首をかしげた。
「イルカ先生?」
「あ、はい!すみません、つい考え込んでしまって」
「まだ、早かったですか?・・あ、もしかして、キスしたの怒ってます?」
「いやっ、違います」
「オレの家ね、部屋が沢山あるから余ってるんです。どうですか?」
それはますますやばい。カカシの部屋に中忍が上がりこんで一緒に住んでると知った
らどうなるか。まだ自分の部屋の方が説明がつきやすい。
「それだったら、俺の部屋に来てください。キッチンも使い慣れてる方がいいし、この部屋気に入ってるんです。・・・狭いですが」
少し上目遣いで見ると、カカシの顔がパッと明るくなりホッと胸をなでおろす。
「狭いほうが何かと楽しそうですし、イルカ先生がそう言ってくれるなら、こっちにします」
楽しいの意味がわからないが、とにかくよかった。
じゃあ、今日は帰るね、と唇にキスを落としてカカシは姿を消した。
付き合いと言うのはこう言う事か。身をもって体験し、ついさっきされたキスを思い出して頭を強く降った。胸が苦しいのはなんでだろう。
自分の胸の中に擡げてくる感情を抑えなくてはいけない。これは任務なのだ。
任務と言葉にすると、カカシに残酷な事をしてるようで、無性に辛くなる。こんな事早く終わればいいのに。
イルカは顔を上げ、薄っすら見え始めた星を仰いだ。
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