不完全な男と⑤

精神的疲労による症状を医者から説明されていたが。
記憶が曖昧になる事に疑問を持ち始めていた。
昨日も気がつけば雨の中傘もささずに歩いていた。家を出たまでは覚えているのに、時間が飛んで雨に打たれている時は一瞬戸惑いを隠せなかった。
自分なりに意識を探るが、其処まで不安要素は見当たらない。不思議なのが、何故か自分が満たされている気持ちになっているという事だ。
精神的に不安定なはずが、自分の中にある暖かな何かにギャップを感じざるを得ない。
なんだろうね、これ。
ただ、頭痛は減ってきている。
今日は特に記憶か途切れる事もない。任務お預けをくらってる身から待機所に詰める事も出来ない。今日の任務は午後から七班の任務だけ入っている。
暇を持て余すように歩いているとアスマが部下を連れて歩いていた。ちょうど任務が終わったらしい。アスマはカカシに軽く手を挙げると部下と離れ歩いてきた。
「調子はどうだ」
「……それ嫌み?見ての通り、だよ」
ポケットに手を入れ、アスマに怪訝な顔をした。そんなカカシに臆する事なく、アスマは新しい煙草に火をつけた。
「ちゃんと治るまでの間じゃねーか。苛々すんなよ」
あぁそうだ、とアスマがカカシを見た。
「お前ってイルカがお気に入りなんだな」
耳を疑った。
ドクリと動いた心臓に血が身体中を一気に巡る。
いつ、いや、なんでコイツ知ってるの。
一度でも誰かに話した事もなければ態度に出した事もない。
突然イルカの名前が出ただけで頭が真っ白になる。
動揺を隠すように、いつものようにはぐらかす台詞が何故か出てこない。
代わりに一気に顔が熱くなった。
アスマは赤い顔で黙るカカシに眉頭を寄せた。
「……どうした、お前、…目が…いや、顔も」
「は、目?顔?何が?」
ぎこちなく手を後頭部に回したら、また頭痛かと聞かれ、頷いた。
「まあ、ね」
「…じゃ、無理すんなよ。なんせ三代目が目を光らせてるからな」
どう取るわけでも無く、はははと笑って片手を上げて背を向けた。
どうにかやり過ごしたまま、カカシは動けなかった。
動悸が治らない。カカシは顔を顰めた。
未だに顔が熱を持っている。
一言言われただけなのに、何この反応。情けない。自分が自分でないような。
結局言い出した理由も聞けなかった。
イルカが、何、なんて言った?
お気に入り?
自分の行動について考えたが、どう考えても思い当たる節が見当たらない。
イルカを想うようになってから、ずいぶんと経つ。いや、イルカを特別な目で見ていたと気がついたのは最近だ。
最初は無意識だった。考えないようにしていたが、イルカを想わない日がなくなり、気がつけば自分の心を支配していた。彼は「特別」だと。
ただ、それにアスマが気がつくはずがない。
ーーもしかしたら。
今回の精神的疲労に関係し、記憶が薄らいでいる時に何かが起きているのかもしれない。
イルカがありもしない事に礼をしてきた事を思い出した。
あの素振りからイルカの動揺は本物だった。嘘をつくような人間でもない。
イルカの言っている事が本当だったらーー?
カカシは初めて自分に危惧の念を抱いた。
が、どうする事も出来ない。
眉尻を下げ口元に手を当てる。
「…やばいよね」
カカシは溜息を零した。



***


カカシは朝から不思議な感覚を感じていた。
どうも身体の調子が悪い。
チャクラの乱れを感じるし、頭がフラフラとする。
任務に出ている間も落ち着かない。丸で自分が自分でないような。
報告が終わった後、病院に行くべきか。
部下を解散させ歩いている時、ズキン、と頭に痛みが走った。
瞬間目の前か真っ暗になり、同時に感じる浮遊感。
目を開けたら、立ち止まっていたはずが歩いている。
身体が勝手に動いてる。
心転身の術…?
冷静に考えてみるも経験上違うと分かるし、何よりその技を受ける隙はない。
チャクラに乱れはあるが、自分のチャクラしか存在していない。
考えているうちにも自分は任務報告を済ませ、何処かに向かい出した。
面倒臭い事になってきた。
取り敢えず様子を見るしかない。
ふと、自分が立ち止まる。商店街があるわけでもない普通の道だ。
と、視界にイルカを確認する。驚くのも束の間に、イルカに話しかけ並んで歩き出した。
信じらない。
自分が普通に話しかけ、イルカもごく普通に自分と会話をしている。
イルカが、自分に微笑んでいる。
あり得ない。

何コレ?
何なの?

フィルター越しに見ているような、自分であるのに自分でない。
カカシはただ、その光景を見つめるしかなかった。
その間にも不可思議な会話をし始めている。
気持ち悪いとか悪くないとか。
一体何を……。
「じゃあ、付き合ってくれますか?」
自分の言葉に目を剥いた。
付き合う?
冗談だろ。
だが、イルカは困ったようにし、顔を赤らめている。
可愛い。
この人、こんな顔するんだ。
だが、イルカが認めるはずがない。そんな仲じゃなかったはずだ。
イルカは伏せていた目を上げカカシを見る。
承諾を口にした。
イルカが、自分と付き合うと言った。
嘘だ。
嘘だ。
どうして?
オレの事なにも知らないのに。
何でなの?

イルカと別れて帰途に着いた。
カカシは頭が混濁した。同時に抑えられないくらいの興奮と怒りが現れる。
出たい。この中から。
オレじゃないオレに笑わないでよ。
イルカ先生。
オレだけに笑ってよ。

ドクン

視界が振れて浮遊感が激しくなる。苦しくなると同時に自分ではないこの身体も苦しいのか、両手で頭を押さえて座り込んだ。
吐き気を伴うくらいの頭痛が襲い、再び視界が真っ暗になる。
カカシは意識を手放した。

目を開けると朝になっていた。
床に倒れていた為か、身体が痛い。
起き上がり掌を見つめて指を動かしてみる。
カカシは安堵の息を吐いた。
元に戻っている。
他の誰でもない。自分だ。
カカシは手早くシャワーを浴びソファに腰を下ろした。
不思議な事に、薄らいでいた記憶も全て頭に蘇っていた。
自分がイルカを食事に誘い、告白をした事も。
昨日の出来事も思い出し眉頭を寄せた。
苛立ちと疑念が渦巻くが、目に見えない束縛から解放された為か、気持ちは意外にも落ち着いていた。
記憶と共に心情も全て蘇っていた。
良かったと言えばそれまでだがーー。
カカシはキツく瞼を閉じる。
リアルに蘇り過ぎなんだよ!
両手で顔を覆って舌打ちした。
こんな事説明する訳にもいかない。
しかも、不本意ではない。
だとすれば、恋人同士として振る舞うのが相当だ。
いや、本当に恋人同士か。
イルカの恥じらいだ笑顔を思い出し身体が熱くなる。
嫌われているとばかり思っていたのに、イルカは自分を選んでくれた。
それは素直に嬉しい事だった。


***


どう接すべきか分からなかった。
事実、恋人として向き合い、きちんとした付き合いをした事がなかった。今まで何人かと付き合ったが、身体を求める伽に過ぎない。
ただ、イルカに任せるように、自分は側にいるようにした。
優しい笑顔を毎日見られ、時には弁当を作ってくれた。
味はそこまで美味いとは思わなかったが、焦げた卵焼きや、きつく握られたおにぎりは自分の為だと思うと何より愛おしく、嬉しかった。
帰り道、何気無く話した会話でイルカは落ち込み泣きそうな顔を見せた。
そこまで気落ちする内容でもなかった筈なのに、イルカの表情に胸が締め付けられ、湧き上がる思いのままにキスをした。
触れたくて堪らなかったイルカの唇は柔らかく、それだけでカカシを煽る。
思うままに貪ると、イルカは力なくカカシのベストを掴み、それを支えるようにカカシはドアにイルカを押し付けて何度もイルカを味わった。
濡れた黒い瞳に思わず理性が切れそうになる。
だが、順序を踏まなければ。
カカシは一緒に住む事を提案した。


イルカを抱いた時、今までにない興奮を覚えた。我慢をしていた分、たがが外れたのかもしれない。
女のような膨らみのない胸に愛撫すれば、切な気に眉を顰めて息を吐く。
堪らず喉を鳴らしていた。十代の子供のように異常なくらい興奮する。
必死で自分に応えようとするイルカが可愛くて仕方がない。
一度では止まらなかった。欲望のままにイルカを何度も抱いた。
単純な動きをする行為に、こんなにも気持ちいいと感じた事は一度もなかった。
名前を呼び、呼ばれる度に熱に浮かされた気分になった。


火影の呼び出しに気がついた時はイルカと一緒にいた時だった。
久しぶりに現れた頭痛に、イルカは驚くほど顔を青くした。何をそんなに慌てふためいてるのかと首を傾げれば、今度は病院に行くと言う。
ただの頭痛に何故そこまで心配するのか不思議に思っていると、頭上で鷹が鳴いた。
仕方がない。
暫く任務停止を受けていた。その解除をしてくれれば有難いが。
イルカに告げ別れると火影の部屋へと向かう。
部屋に入り、見知らぬ老人を目にして密かに顔を顰めた。
上層部の人間にしては記憶のない顔だ。
朗らかな微笑みを向ける老人をチラと見た。
「呼んだのは他でもない、お前の先日受けた診断結果の件だ」
「はぁ、…そうですか」
火影のピンとこない台詞に軽く呟けば、老人はカカシに近づいた。
臙脂の羽織から両手を出してカカシの頭に触れようとした。
思わず後退ると、声を立て笑った。
「あぁ、これは申し訳ない。私は医師です。あなたの症状を聞きまして立ち寄ったまでです。少し診させていただけますかな?」
医師?何でわざわざ。
訝しんでいても仕方がない。自分が招いた種だ。カカシは諦めて老人を見ると、「こちらへ」と、奥の部屋へ促された。
促されるままに部屋に入り、手を向けられたソファに座る。
一体何をするつもりだ。余計な事を探られたくない。
事によっては出て行きたい気分になるが、扉の向こうからは火影の気配が強く感じられ、諦めたように嘆息した。
「そんな警戒しなくても大丈夫ですよ。私は深層心理までは診ませんから」
意図を知っているかのような声にカカシは顔を上げた。
「じゃあ、何をするんです?頭痛もほとんどないですよ」
「……診る限りは問題がないと思いますよ。しかしね、すこしばかり複雑になっていたら厄介ですから」
両手をこすり合わせてカカシの目の前に立った。
「両目を見せていただけますかな。横になり目を閉じてください。…すぐすみますから」
胡乱な眼差しを老人に向け、額当てを取るとカカシは目を閉じた。
額に当てられた掌から暖かな熱を感じる。体温とは違うチャクラの熱だ。
不意にイルカの顔を思い出す。
今までになく不安気な顔は何をそんなに心配していたのだろう。
終わったらイルカに会いに行こう。会ってあの笑顔を見て…
そこからストンと意識が落ちた。


***


話し声が聞こえる。
回復する意識の中、目を開けた。
どのくらい意識を離していたのか。ボンヤリと古い木の天井を見つめた。
普通の睡眠よりは意識が深く眠っていたらしい。徐々に回復する感覚に、再び耳に入る声がイルカの声だと分かった。
少し慌てている。
心配した顔をしていたが、火影の部屋にまで来たなんて。
でも、オレがここにいるのを何故知ってーー。
だが、それは直ぐに分かった。

「イルカ、任務御苦労だった、褒美は多少はずませてもらう」

自分でも驚くほど落ち着いていた。
頭にその台詞は静かに入り、理解した。
起き上がり額に手を当てる。
そっか、イルカ先生。アンタ任務だったの。
だからオレをすんなり受け入れたんだね。
不安そうな顔は、オレに怯えてたから。

扉が叩かれる。
答える間も無くゆっくり扉が開かれた。
臆するイルカの気配を感じ思わず溜息がでそうになる。
顔を見たくない。
見たらきっとーー。
「・・・・・出て行ってください」
沈めるように口にした。
動かないイルカにカカシは唇を噛んだ。
「出てけって言ったんです」


***

翌日から単独任務をこなした。
無駄に考える時間を欲しくない。任務を増やし、寝る時間以外は任務にあてた。
今まで任務とあらばどんな内容もしてきた。非道冷酷に。一時期闇に落ちた事もある。
だから分かる。
任務だったからと、イルカを責める事は出来ない。任務を果たす事は、忍びとして有るべき姿であり、従わざるを得ない。
だが、正直どう接し、どんな顔でイルカ会えばいいのか分からなかった。
意識してイルカを避けた。
虚しい気持ちを埋めるには、他の女と付き合うのもいい。自分を好きと言ってくれるなら。自分も他に目を向けてられる。

任務報告所にイルカがいた。
頭の中では冷静でいられるが、イルカと目が合い、思わず目を逸らしていた。不自然な程に。
何か言いたげな黒い瞳。
任務が終わったと言うのに、何故そんな目をする必要がある。
苛立ちを覚え急いでその場を後にした。

報告所からでた所でイルカが追いかけてきたのが分かった。直ぐに姿を消すつもりだったが、イルカに呼び止められ、足を止めた。
後腐れなく縁を切れて良かったはずだ。
一緒にいて情が湧いたのか。
そうだね、あなたは優しい。きっとそうだ。でもね、それは要らぬ世話ってやつだ。
下手な同情がどれ程苦しめるかーー。
それを分からせる為はイルカに非礼の言葉をぶつけるしかない。
侮辱的な言葉を吐いた。
逃げの一手のような言葉しか発しないイルカに、再び苛立ちを感じる。
そこは任務だったからと、言えばいいのに。
打ちのめされたような顔をするイルカから背を向け、離れた。

これでいい。
酷いやつだと怒りを向ければいい。
これできっと元のままだ。

恋は盲目なんて、本の中だけだと思ってた。
空を見上げカカシは小さく笑った。

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