犬とベイビー④

「腕、見せて」
カカシの家にいた。
抵抗を見せないイルカを両手で抱え込み連れて来ていた。
ご飯を食べさせてくれたが。
少し元気を取り戻したイルカは、カカシが近づいただけで、警戒心を見せ小さく唸った。
「はぁ、またなの」
大袈裟にカカシはため息を零した。頭をガリガリと掻いて、床に座り込みあぐらをかいてイルカを見た。
「ね、そんなに警戒心をビンビンにおっ立ててどうすんの。自分が損するだけだよ。分かってる?」
反論出来ずイルカの黒い目はジッとカカシを見つめた。
「あー…、あれでしょ、最初に言ったのが悪かったんだよね。…縊り殺したりしないから。分かった?」
イルカの耳がピクリと動いた。
それでも尚動く様子を見せないイルカに、カカシは小さく唸った。
「……始末もしない……しないよ。だから腕、見せて」
語尾は強い口調だった。茶化す事のない眼差しに、嘘味がないとカカシの顔色を眺めて。
しかし、イルカも半分諦めた気持ちになっていた。
仕方がない。
そう、仕方がないんだ。
この男がこんなにしつこいなんて。
知らなかったから。
側から見れば薄汚れていて、ボロボロで、フラフラして。ただの小さな野良犬だ。
放って置くのが常識だ。
見て見ぬ振りをするのが当たり前なんだ。
カカシの事はほとんど知らないし、話した事もかぞえるくらいしかない。
だから。
やっぱり変なヤツだって、思う。
イルカはゆっくりと、カカシに近づいた。警戒は隠さずに、だけど一歩ずつ歩き、イルカは自ずからカカシの前まで来た。
そしてカカシをジッと見上げた。
その様子を静かに見守っていたカカシは、小さく息を吐き、眉尻を下げた。
「やっと許してくれたね」
僅かな表情の変化にイルカは目を開いた。胸がジワリと熱くなる。自分でも説明ができない昂りに、イルカはただ流されるようにカカシを見つめる事しか出来なかった。
じゃ、見せてね、とカカシは続け、イルカの左前脚を触った。最初は指で毛を撫で、前脚を掌に乗せた。
「…………」
黙ったままイルカの脚を撫でたり摩ったり。丹念に見た後、薬草を前脚に巻きつけ、包帯で固定した。
「しばらくは安静にしてなさいよ」
頭を数回撫でられ、カカシは立ち上がった。歩いて行く方へ顔を向け、イルカは後を追うつもりもなく、居間にある掃き出しの窓際に座り込んだ。包帯を巻かれた前脚を軽く持ち上げてみる。
木の上から落下してからはずっと痛かった。今までそれどころでは無かったんだけど。
ズキズキと骨に響く痛みだったのだが、冷たい薬草はヒンヤリと気持ちがいい。
鼻を近づけてふんふんと嗅いでみれば。キツイ臭いに鼻の奥がツンとした。
うわっ!クサッ!!!何だこれ?
何回か咽せて鼻から臭いを取るように頭を必死に振った。
「あ~、言い忘れたけど臭いはひどいから、ソレ」
カカシが苦笑気味に現れた。
それ早く言えよ!!
避難じみた視線を投げる。
思い切り嗅いだ為、まだ臭いに頭がクラクラした。
「鈍いね、そんなのすぐ分かるようなものでしょ」
でもね、とカカシが屈んでイルカを見た。
「即効性はあるから、すぐ痛みは取れるよ」
まだ鼻をぐしぐしさせるイルカを面白そうな顔で見ていた。
「こっちおいで」
言われて、カカシを見る。
距離は取りつつカカシの行く先に歩けば、テーブルの脇の床に置かれた器を目にした。
「スープ、温まるから。これ飲んで寝な」
指差す方を見れば、近くに大き目の柔らかそうなクッションがすぐ近くに置かれていた。
使い古されているあたりから、忍犬が使っていたものだろうか。
クッションに近づき鼻を鳴らして嗅いでみる。犬臭くはない。
「洗ってあるよ。臭くないから」
クスクスと笑いを零してカカシは椅子に座った。
「スープ、冷めないうちに食べなよ」
テーブルに両腕を置き、その上に顎を乗せてイルカを見ている。
美味しそうな匂いにイルカは皿まで近づいた。しかし、カカシの視線が気になり食べるに食べれない。
顔を上げればカカシと目が合う。
「見てたら駄目?」
ワン、と一声吠えればカカシは軽く頷き立ち上がった。
「いいよ、ごゆっくり」
カカシは居間から姿を消し、イルカは早速皿に向き直してペロリと舐めた。
甘い。よく見れば野菜もたくさん細かく切られて入っている。
舌で掬って飲む。不自然だと頭では思うのに、手脚で食べれない分合理的で食べ易い、と納得しながらスープを飲んだ。

「お、綺麗に食べたね」
全て食べ終わり、皿の前で満腹感に浸っていた時に上から声が降ってきて、イルカは飛び上がった。
気を抜いていたのもあるが、この男は気配が無さ過ぎる。
飛び上がったイルカは振り向き抗議するように小さく吠えた。
「なに、何で怒るの」
不思議そうな顔をし、眉を寄せた。
見ればカカシは軽装に着替えて、タオルを肩に掛け髪を拭いている。
風呂に入ってきたのか。
いいな。
鼻を動かし、石鹸の香りを嗅ぎながら思った。
紅に犬にされてから身体を休める事があまりなかった。
人間に戻ったら一番に風呂に入ろう。入ってなみなみ入れたお湯にゆっくりと浸かっていたい。
出来れば温泉の素だって入れたい。柚子か、檜か。あぁ、そうだ炭酸のも身体に良さそうだ。
「あ、風呂に入りたい?」
カカシの声に我に返り、慌てて低い声で否定した。
この姿では遠慮したい。あと暫く我慢すれば戻れるのだから。
それに、多少気は許してはいるが、カカシに触れられるとどうしても落ち着かない。何故かは分からないが、気持ちがザワザワとする。
こんな小さな身体を湯船にぶち込まれたら。やりそうだ。やりそうで怖い。
やはり嫌だと再び吠えればカカシは笑いを零した。
「ま、今日はね。いいよ。寝な」
片手を上げてカカシは寝室へ入って行った。


イルカは木の上にいた。
下を見下ろせば地面すら見えない。丸でジャックと豆の木のツルの様な高さの枝にイルカはいた。
手脚がブルブルと震える。
霧がかかり視界は悪い。何も見えない中、イルカは泣きそうになる。
これでは降りる事すら出来ない。
靄の中で何かがキラッと瞬く。自分の周りで何箇所も光り、それがイルカ目掛けて飛んできた。
クナイ…!
四方八方から数え切れないクナイが飛んでくる。
イルカは幹を蹴り、飛んだ。
瞬間イルカが留まっていた枝に幾つものクナイが刺さる。
そのままイルカは急速に落ちた。
地面が見えない高さに、風を切りながら落下を続ける。
余りの速さに気を失いそうになる。
イルカは身体を強張らせ目を固く閉じーー。


イルカは目を開けた。
口で荒く息をし、筋肉か硬直し脚がピクピクと動く。
辺りを見渡せば、真っ暗な部屋に月明かりが窓から入り込んでいた。
夢?…そう、夢だ。
クッションを確かめる様に匂いを嗅いだ。安堵感に包まれ、張り詰めた気持ちが途端に緩む。
震える身体に落ち着かせるように深呼吸を繰り返すと、イルカは立ち上がりトコトコと歩いて窓辺に立った。
庭だろうか。
改めて窓から庭を見渡した。
それにしても酷い。
月夜に広がるその広い庭は、庭と呼ぶには相応しくない程荒れていた。
雑草はイルカが人間であれば腰くらいの高さまで生えている。その間からは自生していたのか、植えられたのか。色々な草木が雑草の間からは顔を覗かせていた。
紅葉、梅、山茶花、万作。手入れは勿論されてはいない。だが、その季節の花はひっそりと花びらを開かせ、夜露に濡れて輝いている。
庭自体はもっと手入れをすれば、きっと見栄えのある庭なんだろうけど。
勿体無いな。
カカシ自身里を誇る忍びであり、想像するに家にいる時間はほとんどなく、庭の手入れをする時間すらないのだろう。
でも、惜しいな。
安アパート住まいのイルカからしたら、この平屋の戸建てと言うだけで羨ましい。しかも庭まである。
この広さならナルト達を呼んで色々な事が出来そうだ。
先の広がらない事を考えて首を振った。
今は犬なんだけど。
溜息を零して、視線を先程まで寝ていたクッションに向けた。ついさっき見ていた夢が頭を掠め、すぐ眠る気になれない。
イルカは何気無しにカカシの寝室へ脚を向けた。見れば寝室もカーテンを閉めておらず、窓から月の光が部屋を照らしていた。
寝台まで行き、前脚を寝台に乗せ顔を出した。
カカシの寝顔をジッと眺める。
寝ているだろうか。カカシは定期的な寝息を立てている。
銀色の髪は月光に輝き、鈍く優しい色を放っていた。
縦に走る傷を見つめる。
女誑しだと思っていたが。(いや、実際そうだろう)整った顔立ちを眺めて妙に納得した気持ちになる。
綺麗な顔に名声もある。木の葉で、今彼の右に出る忍びはいないだろう。だとしたら、女だったらやっぱりふらふらとついて行っちゃうのかな。
いや。
イルカは頭を振った。
俺は違う。
顔がいいからと言っても色んな女性を取っ替え引っ替えしてるヤツには、絶対に惚れない。
浮気したとかで問い詰めたら面倒臭そうな顔して、でも繋がりは断ちたくないから、適当な理由並べて誤魔化しそうだ。そこからベットに連れられて、有耶無耶にされたり…。
って、何考えてんだ!俺は!
男である自分が考える事ではない。しかも今は犬だ。
「何してるの?」
びくりとして目を向ければ、カカシは目を開けていた。眠そうな色違いの瞳がイルカを映している。
「寝れない?」
その問いに返事をすべきか、考える間もなくカカシの手がイルカの身体を持ち上げる。
アッと思った時にはカカシの胸元に抱き込まれていた。
驚いて逃げ出そうとした時、
「怖い夢でも見た?」
頭上からカカシの声が静かに聞こえた。
イルカは暴れようとした身体を止める。
まるで心が読まれた様で対応に考えると、カカシがふふ、と笑う。
「暖かいね。カイロみたい」
カイロって。
ムカッとすれば、
「だけど、明日はやっぱり身体洗うから」
ちょっと臭うんだよね、呟きと抱く腕に少しだけ力が入った。
臭いなら離せよ。
くそっ。
身動きが取れなくなり、イルカは困った顔をして。仕方ないと、カカシの手に顎を乗せ溜息を零す。
確かに。暖かい。
雪は降ってはいなかったが、木造の家に深々と寒さが滲み入っているようだ。
カカシの心音がイルカの身体に伝わる。
何年ぶりだろう。他人と肌を合わせて聞く心音。子どもの頃、母親と寝ていた以来かもしれない。
カカシの温もりに柔らかな心地よさが、イルカを包む。
きっと、さっきの夢はもう見ない。
意味のない確信を微睡む頭で考えながら、ゆっくりと目を閉じた。




カカシは忍服を着込みながら、どうりでね~、とボヤいた。
窓から見える景色は白く。庭全体に薄っすらと薄化粧を纏った様だった。
「取り敢えず、ご飯はここに置いておくから」
用意したおにぎりをカカシは指差した。
「庭で遊んでもいいけど、身体を汚さないでよ。これ以上臭くなったら嫌でしょ?」
窓の外を見ているイルカに苦笑気味に声をかけた。

「じゃ、夕方には帰ってくるから」
靴を履き、カカシは扉を閉める。
閉められた扉を見つめ、イルカは居間の窓に向かった。窓から庭を通り、出て行くカカシの背中を見送る。
姿が見えなくなり、イルカは朝、包帯を巻き直してもらった前脚を見つめた。
痛みがだいぶ取れてきている。
感心して脚を動かして。
犬になって初めて感じている平穏な場所に、イルカは改めて大きな安堵感を覚えていた。
カカシはああは言ったが。
何だろう。雪を目にしてからワクワクとしている自分がいた。
冷たい雪に身体を塗れて遊びたい。
そんな衝動に駆られながら、窓の外を眺める。
でもまだ外は寒い。日が高くなって暖かくなってきたら遊ぼう。
イルカは寝室に向かい、カカシの寝台に登ると、布団の中にもぞもぞと入り込んだ。



扉の解錠する音に、イルカは玄関へ向かった。
玄関にいるイルカを見て、カカシは動きを止めた。その顔は驚いている様に見えた。
ジッと一点を見つめる様にイルカを見て、泳がす様に視線を外した。
「ただいま……」
呟いて、カカシは扉を閉める。
「また汚れたね」
カカシに言われてイルカは何のことか分からず、首を傾げた。
外で遊びはしたが、汚さない様に気をつけていた。夢中に遊んだけど。
そんな呆れるほど汚いのだろうか。
自分の身体を鼻で嗅いでみる。
「ま、いいけどさ」
溜息を零して靴を脱ぐと、カカシは居間に向かう。イルカはその後をついて歩く。
カカシはベストを脱ぎ、椅子に座れば、イルカもその脇まで歩きカカシを見上げた。
カカシと目が合う。
さっきから、カカシが見せる妙な顔持ちが気になって仕方がない。
が、フイとカカシは顔を背けた。
イルカはどうしたのかとカカシの様子を伺う。
空気を震わせてカカシが笑い出し、ギョッとした。
一体どうしたと言うのか。
ますます分からなくなり困惑するが、当のカカシはまだ笑っている。
一頻り笑った後、カカシはチラとイルカを見た。
意味が分からずジッと見上げれば。
カカシは困った様に頭を掻いて笑った。
「そんな尻尾振っちゃって。オレにそんなに会いたかったんだね」
その言葉にガン、と衝撃が走った。
だ、誰が思うか!
大体尻尾なんて振ってないはずだ。
尻尾を見たくてもお尻の先にある為、中々見れない。
悔しくてクルクル回って尻尾を追いかければ、カカシが堪らず吹き出した。
「いやね、見れないから。ね?」
腹が立ち、手を伸ばしたカカシに吠える。
「あー、ごめんね。はいはい」
カカシの掌がイルカの頭に触れ、撫でられる。
納得がいかず憮然としてカカシを見れば、またカカシの頬が緩んでいる。
し、尻尾…っ!?
確かに。
イルカの尻尾はしっかりと喜びを表現していた。
素直な身体の反応にイルカは動揺した。
自分では全く意識していないはずなのに。
身体中が熱くなる。
穴があったら入りたい。
恥ずかしくて堪らなくなった。
だけど、
悔しいが、尻尾を振っていたのは事実で。
イルカは諦めて、大人しく頭を撫でさせた。
そんなイルカを、カカシが目を細めて再び頭を撫でる。
カカシに撫でられるのは嫌じゃない。
そう、嫌じゃないって自分でも分かっている。

ま…いいか。
尻尾を振りながら、イルカはそんな事を考えた。

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