犬とベイビー⑤

あと1日かな。
イルカは紅が帰ってくる日を考えていた。
早めに片付けたらパックンがカカシの所に戻ってくるはずだから、帰ってくるとしたら明日か明後日か。
カカシが出掛けた後、手持ち無沙汰に部屋で寛いでいたが、演習場に脚を向けてみる事にした。
もしかしたら、という事もある。
外に出ようとし、朝カカシが出かける前に口にした事を思い出した。

「外ではしゃいで遊ぶのもいいけど、気をつけるって事をした方がいいよ」
ご飯を食べていたイルカは、なんの事かと顔を上げれば、カカシは意外にも真面目な顔をしていた。
「 自覚ないと思うけど。お前はさ、仔犬の割にチャクラが強いんだよ、わかる奴には分かるの。目の前にいる奴に警戒しても遅いの。目に見えないからこそ、警戒ってのをしないと」
ギクリとした。仔犬と言えども中身は中忍の成人した男だ。アンバランスなチャクラにカカシは気がついていたのだ。
肝を冷やして固まっていると、だからね、とイルカの頭に手を置いた。
「どーも、猪突猛進するタイプだから。…油断大敵って事だよ。ボーッとしてたら気がついたら胃の中って事になってたら嫌でしょ?」
カカシの例えに面食らって言葉が出てこなかったが、イルカは素直に頷いた。

胃の中ってのは言い過ぎだよな。
そんな化け物が里中をウロウロしてる訳じゃあるまいし。
カカシが指定したキッチンの小窓からイルカは外に出た。
雪が降った地面は柔らかい。
前脚も良好だ。
跳ねるように雪の上を走り、イルカは庭から出た。
白い息を吐きながら演習場に着いた時はすっかり息が上がっていた。
心地いい疲れに荒く呼吸を繰り返しながら、一周歩いてみる。
イルカ以外の犬の足跡は見つけれなかった。
待ち遠しい。
犬である生活に慣れはしたが、考えるのは仕事の事。
紅の事だから自分の事を火影へ連絡済みだろう。だが、やはり犬として落ち着いた暮らしを送っている場合ではないのだ。
年末はもう直ぐで、教員としてやるべき仕事は山のようにある。
1日休むだけで残業が増えるのは当たり前。同僚達が何とか頑張ってくれてはいると思うが、甘えるわけにもいかない。
犬が苦手なのを克服するのが目下自分の目的なのは忘れてはいないが。
正直、分からないが印象なのだ。
犬になってから色々あり過ぎた。
不覚にも得体の知らないエリート上忍に拾われて、飼いならされている事実。
やはり腐っても忍犬使い。侮れなかった。

演習場から出た時に頭上でカラスが鳴いた。
仔犬からの視覚からか、無意識に警戒して連なって旋回しているカラスを見上げた。
互いに鳴き声をこだまさせ、会話しているようで君が悪い。
視線を前に戻し目前あった何かに身体をぶつけた。

ーー獣の面

それは忘れもしない、イルカの脳に焼きついていた、あの暗部の男。
気がついた時にはイルカの身体は男に掴まれていた。



恐怖が身体を支配していた。
どうしようもならない。
知りたくもない暗部の待機所に男は入った。
「…見た犬だな」
コイツも知ってる。
「隊長が放ったって聞いてから探してたんだよね」
男は満足そうに答えた。
「使い物になりそうだからさ」
「それで何匹目だ。いい加減忍犬使いには向いてないって思わんのか」
「こんなの代わりは何匹でもいるから、問題ないって」
せせら笑っていた。
最悪だ。
捕まらないようにしていたはずなのに。
表舞台には出てこない連中に捕まったならば、紅もそう簡単には探し出せないのかもしれない。
自分の油断に激しく後悔した。
背筋が凍るような人間とは思えない言葉を吐く相手に、どう抵抗すべきか。
首を強く掴まれて驚いた。悲鳴のような声を上げれば、上を向かされ首を何かに圧迫される。
首輪だった。首輪に鎖を繋げそこから、部屋の隅に繋げられる。凶器で頭を殴られたような感覚に襲われた。
「ここで飼う気か」
「保護だよ。逃げ出されたら面倒だろ?どうせここは俺らだけしか使ってないし」
聞けば聞くほど落胆したくなる台詞に、イルカは吐き気がしてきた。
力任せに鎖を何回か引っ張れば、頭に衝撃が走り身体が横にフラついた。
殴られたと一瞬理解出来なかった。
「おい、」
「躾だよ、躾」
面をつけたままの男を睨んだ。
暴力に敵わないが、憤りを隠せない。
イルカの唸り声に男は軽く笑った。
感情の見えない面はイルカに恐怖を植え付けた。
「じゃあ任務に行きますか」
男達はイルカを見ることなく部屋から出て行った。
殺風景な部屋は、何よりも虚しさがこみ上げる。声を出すのも諦めた。
それになによりも寒い。
剥き出しの板の上で身体を丸める。
山の中の孤立した小屋は、助けを求める事も出来ない。これではカカシの言う胃の中と同じ。
そう、カカシの懸念に耳を傾けていなかった結果だ。
心の中でカカシに謝る。
身元もない野良犬の自分を拾っただけでなく、飯を与え、怪我の手当てをしてくれ、住む場所も提供してくれた。
怪我をさせたのに。咎める事もしなかった。
カカシの事を無愛想で人の話も聞かないで不真面目な人間だと決めつけていた俺にだ。
よく理解もしないで見たままのカカシを嫌悪していた自分が情けない。
カカシは確かに口は悪いが、俺を理解し心配までしてくれていた。
その心配さえ、俺は裏切って…今に至る。
殺されるのは時間の問題かもしれない。
そう、俺はあの青い血が流れてるような男の玩具にされて犬のまま死んでいくんだ。
あれだけ苦手だった犬の姿で。
因果応報だ。まさにその通りだ。


小屋で朝を迎えた時にあの男が戻ってきた。
生肉を持って。
目の前に無造作に床に置かれた肉の塊に、顔が引きつった。
多少残っていた食欲が一気に無くなる。
「あれ、何で食べないかな。食べないと死ぬよ」
は?死ぬ?
ゾッとして面を見つめた。
こんな物食べたらよっぽど死ぬんじゃないか。目に見えないサルモネラ菌が見えてくるようだ。
「食べたくないならいいや。今から任務ね」
任務ーー。
思い出したくもない記憶が脳をかすめた。身体の芯からすくみ上がる。
男は食べないと判断したのか、鎖が解かれ乱暴に片腕に抱えられた。
逃げ出したい。
逃げ出したいのに、身体が動かない。
嫌だ。
怖い。
「あれ、えっと…はたけ上忍。どうしましたか」
男の声にうな垂れていた頭を上げる。
本当にカカシが立っていた。
脇に大型の忍犬が座っている。
イルカはカカシの顔を見た途端緊張が緩んだ。
カカシが、探してくれた。
カカシは横にいた忍犬を戻すと、男に振り返った。鋭い目をしたまま、カカシはイルカを指差した。
「それ…アンタの?」
「は?これっすか。俺の新しい忍犬です。ちょっと前に森で拾ったんですよ。いなくなって探してたら昨日見つけたんで」
「………そ」
「あ、この犬に何かありましたか」
「用って言うか、…探してたんだけどね」
イルカを見た。
その眼差しに違和感を感じたのは、気のせいか。
いや、気のせいではない。凍るような目を向けられている。
「必要なら、返しますか」
男の言葉に驚きホッとした。
が、
「いいや。アンタのなら」
そう言った。
聞き間違いなのかと思いカカシを凝視する。
カカシの台詞は、いらないと、言った。
……何で?
気持ち悪いくらい緊張が高まる。血の気が引く感覚があるのに、心臓がどくどく血液を痛いくらいに流す。
カカシはイルカを見ようともしていなかった。
「了解です。じゃあ俺任務行きますから」
焦った。
どうして?
この男に俺を渡すのか?
「あっ、こいつ」
カカシに気を取られている男の隙をついて、手を噛み、腕から抜け出した。
カカシの足元に走り見上げると、ーー見下げられた冷たい目線に、背筋が凍った。
「ほら、行きなよ」
カカシに片脚で身体を押されてた。
本当にカカシが言ったのかまだ信じられなかった。
イルカは再びカカシの足元に寄る。
男が舌打ちした。
「どうも躾がなってなくて、ほら、こっち来い」
苛立ちを隠さない男の声に、慌ててカカシの後ろに隠れた。
それだけは嫌だ。
絶対に嫌だ。
「呼んでるよ?」
降りかかるカカシの声に、イルカは必死で鼻を鳴らしカカシを見た。
この男がどんな酷いヤツだって知らないんだ。だからそんな事を言うんだ。
冷ややかな目線が突き刺さるが関係ない。この男だけは嫌だ。
命を石みたいに平気で投げ捨てる。
カカシはそんな男に渡すような人間じゃない。そうだろ?
何回か吠えるが、冗談ではないと、カカシの表情を見て悟る。
怒りが込み上げてきた。
じゃあ何で俺なんか拾ったんだよ。
放っておいてくれって言ったじゃないか。
飯も手当ても、何の為にしたんだよ。
ふざけるな!!
吼えたてる。怒りをぶつけるように。
縊り殺さないって言ったじゃないか。
始末しないって。
同じ事しようとしてるって分からないのかよ。
俺に死ねって、言ってるのと同じなんだよ。
「ほら、こい」
恐怖に身体が反応して跳ね上がった。
思わずカカシの靴を噛んだ。
離れたくない。
離れたくない。
離れたくない。
カカシから、離れたくない。
身体を千切られてもいい。
牙が折れても構わない。
離れない。
「いい加減にしろ!」
男が凄味のある声で近づき、身体がブルブル震えだす。イルカは目を瞑った。
「撤回、ね、撤回していい?やっぱこれ貰うわ」
その声に目を開けた。
「ほら、こんな俺に懐いちゃってる。いいよね?」
「……はあ」
納得の行かない声が聞こえた。
「…アンタさぁ、忍犬なんだと思ってる?もうちょっと考えた方がいいよ」
カカシはヒョイとイルカを抱えた。
「これ警告」
ぶっきらぼうに、殺気を込めて。
男が反射的に姿勢を正した。
「は、はいっ!」

カカシは無言で立ち去った。

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