欠片②


「あれ…ねぇ、いつもの人は?」
目当ての男が見当たらない。声をかけられた男が弾かれるように顔を上げた。
「あ、えっと、……」
「ほら、鼻にキズがある」
手でジェスチャーすると、あぁ、と男は頷いた。
「あいつは今日はアカデミーです」
「アカデミー?何で」
面倒臭いなぁ、と顔を顰めればひっと怯えたように息を飲んだ。
「じゅ、授業を受け持っていますので」
何だ、受付だけじゃなく先生もしてたのか。
言われてみれば先生ぽい。ふと男の顔を思い描いた。でも思い出すのは泣きそうな顔だけ。
傷以外特徴がある訳でもない、どこにでもいそうな男だ。あの歳で中忍て事は間違っても任務で一緒にはならないだろう。いても後方支援と回復補助くらいか。
やっぱり思い当たらない。きっと次もハズレだな。
軽く溜息を吐き出してアカデミーの建物まで行き、ぐるぐると歩き回る。教室を覗くとその男が教壇に立っていた。
「なーんか、なつかしーんだけど…」
思わず呟いていた。久しぶりのアカデミーで授業を見て新鮮な気持ちになった。男は大きな声で子ども達に忍びの心得を説いていた。受付所にいたあの同じ男には見えないくらい、表情が明るく生き生きとしている。
まるで別人だ。
暫く男の様子をジッと見ていた。目が離せない自分がいた。オレにはあんな顔した事ない。
何度か顔を合わせたが、あの笑顔を何故自分に見せなかったのか。
気がつけば、苛立っていた。殺気が出たかと慌てて教室を離れる。窓から教室が見える木に登り、腕を枕にして男を見た。
(怒ってる…)
生徒に唾を飛ばす勢いで怒鳴っている。正直子どもは苦手だからねえ。やっぱ先生ってすごい大変そう。
男の唇を見た。
あの口からオレの名前が出たなんて、何だか嘘みたいだな。ぼんやり思いながら唇を見つめた。
「…いいか、忍の心得第25項だ、よく覚えておけ。…忍はどの様な状況においても感情を表に出すべからず任務を第一とし、何事にも涙を見せぬ心をもつべし……」
男の唇から言葉を読み取り、口に出して呟く。
「…だがな、ここに居る仲間を見捨てるような忍にはなって欲しくない…忍も人間だ…」
へぇ。
目を細めて男を見た。
あの先生、……悪くない。


子どもが教室からいなくなるのを見計らい、教室に入った。男は黒板に向かい、片付けをしている。
…犬のシッポ。
高く結んだ髪が揺れていた。
「せーんせ」
声をかければ、気配を消した覚えはないが、ビクッと目に見えるほど身体が震えて。振り返り、黒い目を大きく見開いた。警戒しているような顔をしている。
「……ぁ、……」
顔をジッと見たまま動かない。
残念。
さっきの生き生きしたセンセイはどこへ行ったのか。口を歪めて笑い、男を見た。
「そう怯えないでよ。オレ何か悪いコトした?」
そう言えば、ふるふると顔を横に振る。
「あのさぁ、聞きたいコトがあって」
「………はい」
「オレを名前で呼んだよね。覚えてる?」
「……………」
「アンタさ、オレの何なわけ?」
「……………………………」
長い沈黙があった。男は何かを考えているようだった。
「………知り合いみたいなものです」
知り合い。
男の黒い瞳をじっと見た。目の奥が不安で揺らいでいる。
ーーーー嘘。
見抜いたとこで、どうしたものか。深く息を吐き出して、机を指でトントンと叩いた。
「……だってさ、オレはアンタなんて知らないのよ。記憶はいい方だから。…アンタの顔も名前も知らない。でもセンセイは知ってた。ーーナンデ?」
「…そんなの、知りません。俺だけが一方的に知ってただけですから」
「カカシさん、なんて名前で呼んだのに?」
「…それも俺が勝手に…」
拉致があかない。帰ろ。
「はぁ、まあいいや。じゃあね」
頭を掻いて手を挙げる。
「なーんか思い出せそうな気がするんだけど…」
「…っカカシさん!」
呟いて教室を出ようとしたら、腕を掴まれた。
「……え」
驚いた。腕を掴まれるとは思っていなかった。 間近に来た男は両手で腕を掴み、その顔は何かを訴えかけるかのような。そんな顔をしていた。
…あ、また。
男の手に視線を落とした。力強く掴んだ割に持つ指は弱々しい。その指は、震えていた。

なんだろ、コレ。胸がーー。
虫が這うかのように胸が騒ぎだしていた。男の顔が愛おしく感じた。ハッキリと自覚している。
この男に欲情していると。
マズイ。
それでも男の顔から目が離せない。手を取ると、自分よりも暖かく無骨な指に触れる。撫でるように指を動かした。ピクリと反応する様に男の手が動く。
触りたい。もっと、見えないところも。触りたい。
「…ソレ、誘ってるよね」
「………え?」
開いた唇から、中にチラと見える赤い舌に喉を鳴らした。男を抱き込むと、その場から姿を消した。


日焼けした肌は吸い付くような質感だった。血管が見える項は性欲を掻き立てた。途中から涙を流して喘ぎ、オレの名前を呼んだ。
「センセ」
耳元でそう囁けば返される名前。それだけで酷く興奮した。名前を知らない男に、何度も腰を振った。まるで、盛ったサルだ。それでもヤリ足りない欲情はまだ残っている。男の肌を確かめるように触った。
(キモチイイ…)
自分でつけた赤い跡は身体中に散っいる。それを見ると満足感に満たされる。男を抱いたのはいつ振りだったか。
確か暗部の頃、用意されていた伽を一度だけ抱いた。それとは比べ物にならないくらいに気持が昂った。男の家を聞く余裕もなく、自分の家に連れてきていた。
後悔はしていない。
可愛い。
男に想う言葉じゃないと分かっているが、可愛いと思う。顔に張り付いた黒い髪をすくい上げる。目を瞑る横顔。
あぁ、あの目が見たい。
頬を摩れば欲火がつく。
我慢しよう。起きるまでの我慢。

センセイは、なんて名前だっけ。起きたら教えてもらおう。








記憶を無くした恋人に犯された。

言葉で並べ立てると何て陳腐だ。いや、陳腐そのものだ。あの人は俺の名前すら知らなかった。名前も顔も知らないと言った。
ーー言ったクセに。



恋人と言っても付き合ってまだ一ヶ月も経っていなかった。アカデミーの帰りに待ち伏せされ、告白された。話もろくにしていない、何回か顔を合わせたくらいだったのに、彼は酷く緊張して、顔を赤らめていた。
「オレの恋人になって」
端整な顔立ちは同性だろうと惹きつける。そのうえ里一の優秀な忍で、里内外で知らぬ忍はいない。仲間からの信用も厚く、優しい。
欲しいものは全て持っている。そんな人なはずなのに。自分を必要とし求めてくれた。
嬉しい。素直に思った。


任務に行くと聞いたのは任務前日だった。
「絶対、ぜっっっったい、26日までには戻ってくるから」
「カカシさん、無理しないでください。子どもじゃないんですから。別にその後改めて祝ってくれればそれでいいです」
目を見開いて肩を掴まれた。
「イヤだ。最初にオレが祝ってあげたい。誰よりも早くイルカ先生におめでとうって言いたいから」
しかし任務は任務。彼が請け負うレベルは中忍の自分とは違い里さえ動かしかねない内容ばかりだ。いい大人のしかも自分の誕生日だからと言って、任務を繰り上げるなんてして欲しくなかった。
「火影様とも話をつけて暗部の一部隊を後で送ってもらえる事になったから」
暗部。昔所属していたとは聞いた事があったが。顔を青くすると、優しく抱きしめられた。
「大丈夫。ムリしないから。だから待ってて」
「……絶対ですよ?」
「約束」
目を細めて微笑んだ。その顔が儚く見え涙が出そうになったのは秘密だ。
いつも、いつも。強く願った。どうか無事に帰ってきますように。



「起きた?」
ぼんやりした頭に響く低い声に視線を向けた。頬を長い指で優しく撫でられ、無意識に身じろぎした。ふと困った顔をして覆い被さられ、意図が分かりひっと息を飲んだ。
「ゃっ…もぉやっ…」
「だってそんな顔されたら…我慢出来ない」
脇腹を撫でられ焦った。これ以上されたら明日立てなくなりそうだ。
「……っ、カカシさんっ」
「あぁ、そうだ…」
熱っぽい息を耳元で吐かれる。むくりと起き上がりマジマジと顔を眺めらる。
「…………?」
「センセイの名前、教えて」
この人、やっぱり俺の事覚えてないんだ。少しは期待したんだけどな。
「…うみのイルカです」
「……イルカ………」
呟きに顔を見れば少し惚けたようにして、またまた期待をしたが、口の端が上がった。
「……いいね。イルカ。ね、イルカって呼んでいい?」
「…はい」
「イルカ…」
嬉しそうな顔をして、気がつけばまた押し倒されていた。
「今度はちゃんと名前呼ぶから」
その為に聞いたのかよ。
「……イルカ」
名前を何度も囁かれ、結局動けなくなるまで抱かれた。

空が明るくなり鳥の囀りが聞こえる。こんなに絶倫だったか?ほとんど寝ていない頭で思い、深く息を吐いた。
昨日は授業の片付けの途中で抜けてしまった。なんて言い訳をすればいいのか。今日は受付だけど流石に遅刻は出来ない。取り敢えず家に帰って準備をして
「イルカ」
思考を遮られた。
シャワーを浴びた頭をタオルで拭きながら歩いてきた。
「動ける?シャワー浴びて綺麗にしよ?」
終わった後にタオルで拭かれ処理はしてくれたが、流石にシャワーは浴びたい。出来ればお風呂に入りたいが、そんな贅沢は言ってられない。手伝ってもらいシャワーを浴びると朝食を作ってくれた。
懐かしい。
付き合ってからお互いの家を行ったり来たりしていた。自分の家に来る事がほとんどだったから、数回来ただけだったが。
その時も彼が朝食を作ってくれた。白飯に味噌汁に出し巻き卵。そして魚。
自分の作る味と全く違う。繊細で丁寧で、とても美味い。
「オレ今日簡単な任務だから、その後イルカの家に行ってもいい?」
「…………え?」
魚を突っついていた箸を止めて顔を上げた。
「駄目?」
「あ、いやっ、駄目では…」
「…約束ね」
ほっと息を吐いたと思ったら、お代わりを聞かれお茶碗を差し出した。
彼はどう言うつもりだろう。
お茶碗に御飯を盛る、その綺麗な横顔は機嫌よく微笑んでいた。



彼の頭の中から自分だけが消えているのと気がついたのは、彼が退院してしばらく経ってからだ。面会謝絶から一般病棟に移されたのを聞いて、すぐに走った。14日の任務を8日で終えて帰ってきた。だが、その代償と言うべきか。3日意識が戻らなかった。
幸い怪我は腹に負った傷だけで、命に別状はなかったが、戦闘後倒れて意識が回復しないと聞いて肝を冷やした。
写輪眼の酷使で長く意識を失くす事に疑問を感じたが、問題なく回復して安堵した。と同時にやはり無茶をしていた事は許し難い。結局無理がたたり約束の日は彼を見舞う日になってしまったのだから。
でも良かった。一緒に祝える。
会ったらきっと、謝りながらもおめでとうと言ってくれるだろう。だから、早く会いたい。
早足は次第に小走りになっていた。最初に何て声をかけよう。やっぱり、おかえりなさい。と言ってあげたい。
無事に帰ってきてくれてありがとうと。

「アンタ誰」
と言われ。出てけと言われ。状況が飲み込めなかった。病室を後にして担当の医師に問えば、特に問題はないと言う。
いや、あるだろ。だって彼は、俺を知らない。自分からみたら別人のようだ。
退院した彼は他の上忍仲間といつものように会話をしていた。女と付き合うのは想定外だったが。とにかく、確信した。
彼は、俺の事だけの記憶を失っている。都合よく、面白いくらいに。彼の頭から消え去ったのだ。


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