欠片③

伝えた時間より大幅に遅れてしまった。
片付けも早々に慌てて帰る支度をして建物からでた。
朝食の後、終わる時間を聞かれ答えたら、自分の方が早いから門で待っていると言われた。
もう30分以上待たせている。
記憶をなくした彼は恋人でも何でもない。そんな相手が遅れれば、きっと呆れて帰ってしまっていてもおかしくない。諦め気味で待ち合わせまで歩けば、門に背を預けて本を読んでいるのが見え、息を呑んだ。
胸が自然と高鳴る。
彼はずっと自分を待っていた。
その事実が信じられなくて、側まで走り寄ると頭を下げた。
「すみません、お待たせしてしまって」
「ん…、いーよ。じゃ行こっか」
気にする素振りも見せずにカカシは本を仕舞うと、顔を上げる。目が合った。藍色の目。
表情はあまり変わらないが、怒ってはなくほっとした。
「残業?」
横に並ぶのは変な気分で、少し後ろを歩いていたら、肩越しにチラと見られた。
「あ、…はい。今日急に休んだ人がいて、仕事が増えて」
「へぇ、イルカって真面目なんだ」
「あっ、本当は早く帰りたかったんですが…」
しどろもどろになると、ふふふと笑われた。
「いいよ。謝る必要ないでしょ?」
へんなイルカ、と言い背を向ける。

予定よりも遅くなり、今から夕飯を作ると時間がかかるので、一品は出来合いで済ます事になった。
商店街まで足を運び、食材や惣菜を選ぶ。 惣菜だけでは栄養が偏るから野菜を買って。煮物は時間がかかるからサラダかな。後は明日の食材も買って。
色々考えている自分の横で、彼は黙ってついてきていた。
(つまらないよな。きっと)
何も言わない彼に何故か申し訳なくなり、
「…すみません、付き合ってもらって」
と言うと、きょとんとされた。
「何で?楽しいよ、こう言うの。イルカの作る料理楽しみ」
真顔で言われて、顔が一気に熱を持った。
「今日泊まっていいよね?」
目を細めて言われ。
かぁぁぁっと身体も熱くなった。
今ここで言うか?
返事も出来ずに顔を背けて、買い物を続けた。きっと今ひどい顔してるんだろうな。自分もそのつもりだったなんて、口が裂けても言えっこない。

結局、彼は泊まって行った。


それ以来、彼は家に来た。
何日も来ない時もあった。任務の事は何も言わないから、聞く事もなかった。
時々家に来て。
時々待ち合わせて。
時々彼の家に行く。

何が変わったのだろう。昔のままの錯覚を覚える。何も変わっていないのだと。
「イルカ」
でも。
呼ばれて気がつく。この人は恋人じゃない。ぽかんと空いた穴はそのままだ。けど、名前を呼ばれると気持ちが和らいだ。その穴は塞げないけど、名前を呼ばれるだけで良かった。必要とされてると感じるから。

しばらくカカシと会っていなかった。ランクの高い任務をしているのだろう。
任務表を持ち上忍の待機所に行く。
「今カカシと付き合ってるの」
扉を開けた所で女の声がして、動きを止めた。その女を見ると、カカシが記憶を無くして直ぐの頃一緒に歩いていた女だった。仲良く、腕を組んで。
「それ本当なの?」
半信半疑の声が上がる。
「いいでしょ、この前付き合ってるよねって確認されちゃって」
「へぇ、いいな」
自分の存在に気がついたのか、こっちを見て笑みを浮かべた。
「…今は変なのに捕まってるみたいだけど?いいわ、気にしない。だって付き合ってって言われたのは私だから」
こっちを見ながら勝ち誇ったような顔で、言った。
そうなんだ。知らなかった。そりゃそうだろう。だって、俺は言われていない。
付き合っても。
好きも。
何も言われていない。
「あら、任務表?ご苦労様」
態とらしく声をかけられ、女上忍に任務表を渡した。この人は、彼が俺のところに通っているのを知っているのだ。知っていてわざと聞かせた。彼は自分を選んでいるのだと。
分かってる。そんな事。
「…失礼します」
弱々しく頭を下げて、待機所を後にした。
最悪だ。聞きたくなかった。彼はあの女を選んだのだ。上忍で、綺麗で、スタイルもいい。お似合いのカップルだろう。
それに比べて、自分はなんて釣り合わない事か。中忍のパッとしない、内勤の男。誰が見たって、おかしいと思う。

玄関の音で、ハッとした。
扉が開きカカシが姿を現した。任務へ行っていたのだろう。荷物を背負っていた。手には袋を持っている。
「見て、これ。お土産もらっちゃった。イルカはカステラ好き?」
いつになく機嫌がいい。靴を脱ぎ、荷物を降ろして部屋に上がる。
「……イルカ?」
ぼんやりと眺めていたら声をかけられた。
「どうしたの?」
不思議そうに顔を覗かれ目を逸らした。
「イルカ変だよ、どっか痛いの?…何かあった?」
何を言えばいいのかも思いつかない。逸らしたままの顔を触られ、思わず払いのけていた。
「………して」
「え?」
「…どうして俺の所に来るんですか」
「…どうして?」
「…彼女の…彼女の所に行けばいいでしょう?」
一瞬目を丸くして、眉を寄せた。
「…カノジョ?何ソレ?オレ付き合ってるヤツいないよ?」
酷い。そんな事を言うのか。俺はそれでもいい。だって何も言われてないから。でも、あの女には言ったはずなのに。付き合ってって、言ったはずなのに。
「…っ、あなたは、酷い!」
鼻の奥がつんとしたかと思うと、目から涙が溢れた。
「どうしてそんな事言うんですか!?酷いっ!酷いです!」
カカシは目を見開いた。
何を言ってるんだという顔。
誰と付き合おうが自分には関係ない。その通りだと思う。
でも、辛い。
「…っ…ふっぅ…カカシさん何て嫌いです!大っ嫌いです!…出てってください!」
「イルカ、待って」
腕を掴まれた。信じられないくらい強い力は振りほどくのを許さなかった。
「離してっ、」
「嫌だ、離さない」
目が冷たい。その奥にははっきりと怒りが見えて身体が強張った。
「イルカ、聞いて。オレは……」
ピタリとカカシの動きが止まった。
「……………?」
静かに息を吐いて舌打ちをした。
「…はぁ、こんな時に……オレ帰ってきたばっかなんだけど」
掴まれた手を離された。ジンジンと痛む腕をさする。
「…ごめんね、呼ばれたから、ちょっと待ってて」
また溜息をついて下ろしていた荷物を手に取ると、玄関から出て行った。
召集されたのか。
窓を覗くと黒い影が動いたのが見えた。カカシが建物の影に立ち、横に暗部が現れた。思わず隠れて覗き見た。
カカシは自分が家にいるのを知っているから、気にはしていないのかも知れないが。暗部と何か話している。飄々としながらも、カカシの目は鋭い。
トップクラスの上忍だと思わざるを得ない。
遠い存在に感じる。雲の上の人。
窓から顔を引っ込めて涙を拭った。
「イルカ」
気配がなかった。その声に驚いて顔を上げるとカカシが玄関にいた。部屋に上がると手を取った。
先ほどとは違い、手を握るその手は優しい。
召集されて行ってしまったのかと思っていた。
「ごめんね、今からまた任務」
それは分かっていた。カカシ程になれば、力がある程必要とされる。必要とされれば行かざるを得無い。
「…戻ってくるから」
「え」
「だから、待ってて」

待ってて

頭の中で重なる声。身体が震えた。自分でも驚くくらいにガタガタと身体が震える。
「っ……ゃだ」
「…イルカ?」
掌が肩を優しく包む。
「いか…ないで…」
「…………イルカ」
「カカシさん、行かないでっ」
強く頭を横に振った。再び涙が溢れ出す。
怖い。
そんな風に言わないで。
心の中で叫ぶ。
こんな事は言ってはいけない。自分も忍だ。分かってる。でも、彼を離したくない。
支離滅裂とはこの事だ。手離そうと思ったのに、行って欲しくないなんて。頭が沸騰しそうになる。おかしくなりそうだ。
「イルカ!」
頭を降り続ける自分を揺さぶった。涙でぐしゃぐしゃの顔を間近から覗き込まれる。
「すみません…ごめんなさい」
開きかけた口にカカシの唇が強く押し付けられていた。激しく舌を割り込まれ、貪り吸われる。息つく暇もないキスに身を任せた。唇が離れ、熱を持った目尻を指で触る。
「…行くね」
立ち上がり、姿を消した。いなくなった玄関をただただ見つめる。
行ってしまった。
本当にーー行ってしまった。
暫く床に座り込み動けなかった。

「イルカ、聞いて。オレは……」

その後に何て言おうとしたんだろう。
(…聞きたくない)
きっと言われる。
付き合ってないと。
遊びだと。
男相手に本気で相手にするわけがない。
俺は、相応しくないのだから。


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