かわいい人といわれたい②

本当は、綱手の命令を断ろうと思えば断る事が出来た。
自分が断らないと知って綱手が自分に命を下したのかは分からないが、今考えるとあながち間違いではないのかもしれない。
でも。
今思ってどうするんだよ。
イルカは自分の部屋に戻っていた。冷静さを取り戻しつつあるが、どうしても今日の事が頭から離れない。
ベットに寝転び額に手を当てた。
電灯を指の間から眺めて。ぼんやりとした目で綱手の言葉を思い出していた。
綱手様は優しい。けど、やはり愛する人を必要と考えるのは女性である故なのか。
愛する人の為に、愛する人がいるからーー人は強くなる?
綱手の考えを簡潔にしたらそう言う事なのだろう。
だが、父と母は死して自分を守った。死を自ずから選んだ訳ではないが、結果愛する者の為に命を落とした。
紙一重の持論だ。
理解はする。しかしただ単に綺麗事に感じるのは俺も偏に戦いを重んじる忍びだという事なのか。若しくは「男」だからなのか。
その綱手の意図を知ってか知らずか、カカシの決断は早かった。
うん、あれは早かった。
ごろりと身体を横に向ける。
何年かぶりにあんな会話らしい会話をした。
いつもは決まった挨拶しかしてこなかった。
お疲れ様です。
お願いします。
ありがとうございました。
数える程しかない、何とも簡素で薄い内容ばかりだ。
それでも仕事をしていれば彼の任務内容や病室に運び込まれた事も把握してしまい、怪我をしたと聞けば心配したし、任務が過密過ぎる時はスケジュールを調整する担当に口を挟んだ事もあった。
自分でも分からない事だらけだ。
思わずため息が零れる。
遠い人のはずだったのに、何年かぶりの会話で彼は俺の目の前に来て、胸ぐらを思い切り掴まれた気分になった。
しかもあんな言い合い。
赤面した顔を覆って左右に転がり枕に顔を埋めた。
不思議な人だと片付けてしまえばそれまでだけど。




「先生」
サクラを見かけた。
白衣を纏う彼女は五代目を師とし弟子になった。心無しかいつもの元気が見て取れない。
「久しぶりだな」
「はい。あれ、先生寝不足ですか」
元気がないと声をかけるばかりか、逆に自分の事を言われ、ギクリとした。
「先生もお忙しいみたいですけど、」
腰に手を当てサクラは繋げた。
「手を焼くヤツがいなくなって寂しかったりしてるんでしょ」
口調はいつものサクラだが。口元は少し寂しげに微笑んで、自分と同じ階級に昇格した時の表情を何故か思い出させた。
一瞬慰めるべきか躊躇する。
そんなイルカに顔を向け、悪戯な目を見せ、私はそんな事思ってませんから。とはにかまれ苦笑した。
ナルトのように頭を叩いて軽口を叩くかのように、一言言えたらどんなに良いだろうか。



カカシの病室に顔を出した。
「あれー、イルカ先生。また来たの」
昨日より回復している。
愛読書を片手に持つカカシがイルカを見つけて笑った。
「……来ちゃ悪いですか」
「いえいえ、そう言う意味じゃないですがね」
昨日は逃げ出した尻目もあるが、頭を掻くカカシにフンと軽く鼻を鳴らして寝台まで歩み寄った。
「どうぞ」
近くにあるパイプ椅子に手を向けられ、どうも、と自分に引き寄せて座った。
「さっきサクラに会いました」
口火を切る方向が定まらず、ついさっき見かけた事を口にした。
「へえ、そうですか」
「ちょっと沈んでるようで心配になったんですが、逆に自分の心配をされて…生徒に心配されるのは何か情けないと言うか、」
「先生としての心情ですね」
軽く相槌を打ちながらもカカシは少し困ったような顔をして、包帯は既に取れている自分の手を見つめた。
「…オレかねぇ」
「は?」
「いや、何でも」
ハハと笑い、実はね、と繋げた。
「さっき此処にきてたんですよ」
「えっ、あ、そうでしたか」
成る程、医療忍者として木の葉病院に常駐するサクラは、カカシに会いに来てもおかしくない。
「ほら」
言われて昨日指差された壁を見る。
思わず声をあげそうになった。
「…これは凄いな」
「でしょ?五代目は何を教えてるんですかね」
綱手の開けた穴がぶち抜かれている。
五代目から医療忍術だけでなく怪力を継いだとばかりの穴にイルカは目を見張った。
不意にサクラの浮かない表情の理由に気づかされる。
サクラとしてもカカシに無理をして欲しくなかったんだ。医療忍者として綱手の意思を継げば尚更のこと。
同時にサクラが感情を隠さず怒りを露にした気持ちが羨ましくなる。真っ直ぐで揺るぎない心が。自分と重ねるとなんて眩しい事か。
いつから俺は変わってしまったのだろう。
「綱手様とサクラがね……」
イルカは呟くと立ち上がり穴の空いた壁に指で触れた。
これこそが、2人のカカシへのメッセージだ。
「…カカシさんはモテるんですね」
ぽつりと口から零れた。
「……それ喧嘩売ってます?」
「え?何がですか」
振り返れば、ひどく不機嫌な顔をしていた。
「……イルカ先生、その痛い失言やめてよね」
はあ、と大袈裟なため息をつかれ、?が頭に浮かぶ。
気に触る事を言ってしまったのか。
上手く伝わらないのは当たり前なのだが。眉を寄せたカカシはイルカをジッと見ている。
「そんな事より、カカシさん」
「そんな事って……ま、いいですけど」
カカシの促しに、寝台の前に置かれた椅子に戻った。
昨日色々考える事があった。不思議な程に頭が冴えて。
カカシに会いに来たのは疑問をぶつける為だった。
改まって面と向かうのは勇気がいる事だが、病室と言う雰囲気はイルカの背中を押した。
「何故規定違反をしたんですか」
「えぇ~、そっちの話をしますか」
露骨な顔をしたカカシを見据えた。
「いいですか、俺はこの機だから言いに来たんです。あなたは無茶をするような人じゃない。なのに何故、」
綱手の口にした闇が浮かび、イルカは唇を噛んだ。昨日から浮遊してならないその闇を蹴散らしたい。
「言いたくないってのは有りですか」
「は?いや、無しの方向で」
「あ~、そうなの」
面倒だと言わんばかりの顔で、カカシは沈黙を選んだ。
イルカもそれ以上の追及は避け口をつぐむ。
下を向いていたカカシの視線がチラとイルカを見た。
「……ん~、…あのさ、…笑わない?」
笑う内容じゃないだろ。真面目な話に破顔するような男に見えるのか。
「……はあ、まあ内容によりますが」
一応、と言えば視線を泳がせながら口を開いた。
「何て言えばいいのかな……笑わなくなったから、です」
「……ん?え、えーっと、笑わなくなった。ですか」
気の抜けた声で返していた。
「うん、そう」
カカシは至って真面目な顔をしている。
「ここ数年の情勢ってさ、不安定なわけでしょ。芯を抜かれたみたいにぐらぐらしてて」
大蛇丸の木の葉崩しを皮切りに、雪崩れるように各国も不安定になってきた。
「やなんだよね、こう言うの。オレ元々平和主義だから。…子どもらが笑わないってのは嫌なのよ」
分かるでしょ、とカカシは顔を上げた。
「サクラもさ、笑わなくなったよ。任務行く度に。此処にいるようになっても」
病室の床を指差した。
イルカの表情が硬くなった。今の現実を素直に出されて胸が痛む。
水面下で動き出しているこの世界を包む酷い事態に、いやおう無く巻き込まれているのは、カカシが言うアカデミーを卒業した子ども達だ。
「だからさ、その不安を少しでも取り除くのがオレの務めでしょ」
「…だから暗部に?」
ん?と、カカシは片眉を上げた。
「まあね。動きやすいから。サポートしてあげたくても、目の前で堂々としてたらアイツらの成長を妨げかねないしね」
淡々とカカシは語る。
顔が強張るのを隠せなかった。
それでもカカシが倒れるまで無茶をするのは、認めたくない。自分が同じ立場で同じ考えを持つと分かっていても。
自分の掌を見つめて話すカカシに胸が苦しいほど締め付けられた。
何て言えばいいのか。熱くなった胸に目頭まで熱くなり、咄嗟に言葉を探した。
俺はあなたが心配です、と言ったらこの人は何を思うのか。
口にすべきか戸惑っていると、バンっと扉が開きサクラが入ってきた。
イルカに気がつき一瞬躊躇したように見えたが、すぐにカカシを見た。いや、睨んだに近い。カカシはサクラの睨みも全く臆する事なく顔を向けていた。
うわ、怒ってるなあ。
鼻頭を掻いてサクラの顔を見る。先ほどの女性特有の揺らぐ表情は微塵も見えない。
「カカシ先生、検査です」
「………あぁ、はいはい」
のそりと寝台から身体を起こして立ち上がる。腕を組みカカシの様子を見ていたサクラは、扉へ手を向けイルカを見た。
「イルカ先生、悪いですが今から検査に入るんです」
「あ、あぁ、そうだな。じゃあ、俺はこれで」
椅子から立ち上がり、カカシを目で追えば、歩き方も至って普通で。安堵した時に目が合った。
仁王立ちしているサクラを見て、またこっちに顔を向ける。
おいおい、サクラを余り待たせないほうがいいのでは。
見送りの笑顔を作ればズイ、とイルカに近づいた。
「オレの予定では明日退院するんですよ」
低い声でぼそりと呟いた。
「…は?」
顔が近くなりイルカの身体がピクリと動く。
「いや、う~ん、そう。それだけです」
頭を掻いて背を向け歩き出した。
廊下に出たカカシの後を追い、背中をそっと伺う。
何、何だ。何が言いたかったんだ。
「カカシ先生の計算は合ってないわ」
チクリとサクラが口を出した。
「え~、そう?ま、確かに今回も家までは倒れない計算だったけどねぇ」
間の抜けた答えにサクラの目が釣り上がる。
「だ、か、ら!倒れる計算まで入れてるのが間違ってるんですよ!」
「あのねぇ、サクラ。声が大きいよ」
カカシの台詞と廊下に響いた自分の声にサクラはハッとして口を閉じる。
火に油はやめた方がいいのでは。イルカは一人冷や汗を掻く。
部屋に空いた穴を忘れた訳ではないはずだ。
先を切って歩き始めたサクラを見て、カカシはため息を零し、呟いた。


「わかんないね…な~んで怒ってるのかね…」


耳を疑った。
全く分からないと言うその顔は嘘身が感じられない。
この男。本気で言っているのか。
笑って欲しいと、さっきまで言っていたあの上忍だよな?
それとも、わざと分からないふりをしているのか。
経験を積めば積むほど状況に身が絡まっていく。
履き違えた忍びを、イルカ。お前ならどうする。



俺はーーどうする?


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