きえる①

執務室を出て元部下に気がついたのは、弧を描く廊下を半分くらい歩いた時。
一瞬どう挨拶すべきか考えたものの、よ、といつもの様に手を挙げることを選んだカカシに返されたのは曖昧な苦笑いと会釈だった。
サクラと一瞬に並んで歩いているくノ一は、サクラに合わせる様に会釈を自分にする。
予想以上に素っ気ない挨拶に、まあ、そうなるだろうなあ、とカカシは歩きながら自分の胸元を確かめる様に視線を向けた。
ほどよい大きさに膨らんだ胸が、そこに存在している。
見慣れたと言えば見慣れてはいるが。
でも元部下にあんな顔をされるのはちょっとなあ、と改めて思うカカシに走り寄る足音が聞こえ、振り返ればサクラだった。
「あれ、用はもう済んだの?」
カカシの問いにサクラは、ええまあ、と曖昧な言葉を言う。
行き先は突き当たりの執務室。用があるから向かったはずだ。
「だって気になっちゃったんですもん」
ちょっと待っててもらってるんです、とサクラは可笑しそうに、カカシに向け悪戯っぽい笑みを浮かべた。
成長している元部下の、まだまだあどけなさを残す表情はカカシの眉を下げさせる。
「で、まだ戻らないんですか?」
「分かってるのに聞かないでよ。好きでこんな格好してるわけじゃないんだからさ」
情けない顔を見せると、サクラは合わせるように笑った。
つい先週サクラを含む4人で任務を遂行したばかりだった。
当初女性ばかりのフォーマンセルの任務の予定だったが、1人の上忍が別の任務で負傷し、適役を探した綱手が白羽の矢を立てたのが、カカシだった。
木の葉と同盟を結んでいない里と繋がりが深い大名の城に潜伏するには、女性であれば短期的な潜入に手っ取り早く、要は都合が良い。
上忍でない忍びに直接の潜入は荷が重く、サポートする側のリスクが高くなるだけだ。
カカシなら負傷した上忍の能力もカバー出来、上手くやれるだろうと、綱手の一言で話は決まり。
簡易的な変幻ではなく、綱手自らチャクラを練り込み、手の込んだ術を施された。
とは言っても女性にされたのには変わらないが。
上記の通り、任務は無事に遂行した。
なのに悲しいかな未だ女性の姿のままな訳は。
負傷した上忍のくノ一がするはずだった他の任務を、それもお前が適役だと、勝手に決められたからだった。それが終わるまでは面倒だからそのままでいろと、随分とぞんざいな扱いだとは思った。
そしてこのカカシの姿の内情を知ってるのは、今回任務に就いたカカシ含む4人と、綱手だけ。
特殊な変幻は里内でも機密な情報とされるのは知っていたが。今回はたまったものじゃないとカカシは抗議した。
合理的でいいじゃないか
そう口にした綱手はカカシの悲痛知らずと言った顔だったのを思い出す。
「でも来週あたりには任務ですよね」
サクラの気を使った言い方に、少し情けなくもなる。
「5日後ね」
早く戻りたいカカシの気持ちが滲み出たのか、またサクラは眉を下げ微笑んだ。
「でしたね」
「でもこんな機会はそうないんですから。それなりに楽しんでもいいんじゃないですか?」
思いもよらない言葉にカカシは少し目を丸くした。
「楽しむって。なにそれ」
「ほら、ケーキ屋さんに行ったりとか」
「あー…、俺甘いの苦手なんだけどね」
がっかりな口調で言われてサクラは今気がついたと言わんばかりに、あ、と開けた口に手を当てた。
「そうでした」
そう口にしたと同時に名前を呼ばれ、サクラは振り返り返事をする。
「じゃあ頑張ってくださいね、カカシ先生」
小声で、しかし力強く言うと、サクラは背を向け執務室へ駆けていく。
カカシは桃色の髪を見つめながら、
「頑張るねえ」
と嘆息しながら呟いた。



頑張ってくださいと言われても。
うんざりしているのが正直な気持ちだった。自分でこの術を解ければどんなにいいかと何度思った事か。
数人以外は事情を知らない状態で、誰かに気軽に話しかける訳にもいかない。
さっき執務室に足を向けたのも、息がつまると苦情を言う為だった。
相変わらず書類の山に囲まれた綱手は、カカシの顔を見ただけで嫌な顔をしたが、苦情を聞くなり、
「息がつまるか。お前も血の通った人間だったんだね」
豪快に笑った綱手はカカシが口を開く前に続けた。
「少し長い休暇だと思えばいいだろう。お前は働きすぎだ」
「綱手様ほどではないですよ」
平気で言い返してくる部下に綱手は片眉を上げたが、直ぐに鼻で笑った。
「じゃあここで補佐でもやってくかい?」
あー、いや、と口を濁すカカシをまたもや綱手は鼻で笑う。
「だったら大人しく休暇を楽しむんだね。じきにまたごたごたしてくるのは目に見えてるんだからな」
机の上の書類の如く、考えられるだけでも問題が山積しているのはカカシも痛いくらいに分かっていた。
自分の元部下が関わっているのだ。1人は修行の為に里を出て。もう1人はーー。
「ったく、しけた顔するんじゃないよ。そんな顔見せる為にここにきたのかい?」
思考を断ち切った綱手の言葉に顔上げると、強い眼差しがカカシに向けられていた。が、一回視線は外され目の前の書類に落とされ、再びカカシに褐色の目が向けられる。
「じゃあアレだ。お前と仲良いアスマにだけは言っとくよ。それでいいだろう?」
頬杖をつきながら綱手はため息を吐いた。



サクラと別れて歩きながら。
綱手の表情を思い出しカカシは眉を寄せた。そんな顔をさせるつもりはなかったし、たぶん向こうもそう感じているに違いない。
強く優しい火影から、三代目をふと思い出しそうになり、カカシは首を振る。
起きた事にどうこう嘆いたって仕方がない事くらい分かってるのに。改めて気持ちの整理がついていない事を痛感させられた。今置かれた状況を嘆くより自分の不甲斐無さに対する苛立ち。
ふと顔を上げると、窓に映るのは見慣れない美女。肩まである髪から続く腕や脚も白く細く華奢で。
眉を寄せただけのその顔が幼気な美少女のようで、それにも苛立ちを感じて、思わずカカシは窓に映る自分を忌々しげに見つめた。
元の姿の自分からは程遠い姿の自分を見ていたら、弱気になっている自分が馬鹿らしく感じた。
考えるのはやめよう。綱手から休暇をもらえたのだ。昼間から飲みに行こうか。いや、アスマにはじきに話が伝わるだろうから夕方までは別の事をするべきか。
考えながら振り向きざまに人とぶつかりそうになった。
相手の抱えていた書類が落ちそうになり、カカシは咄嗟にその書類を押さえる。
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いや、こちらこそ」
相手に素直に礼を言われたカカシは、そう返しながら、その声に聞き覚えを感じ、書類の横から覗く顔に目を向けた。
黒い髪に鼻頭の傷。イルカだった。
「怪我はなかったですか?」
問われたカカシは瞬きをした。
「…いえ別に」
「そうですか、良かった。では失礼します」
「あ、はい」
頭を下げられ、カカシもまた頭を下げた。
歩き出すイルカを目で追い黒い尻尾を見つめて。カカシは首を傾げた。
ぶつかってもないのに怪我なんてあるわけないと、疑問が浮き上がると同時に、自分が今本来の姿ではないと思い出す。
硬い笑顔を浮かべたイルカの表情を思い出し、変な気持ちになってカカシはつい吹き出していた。
まともな会話すらしない相手だったが。印象通り、生真面目なイルカらしい対応だった。
ぶつかってもないのに怪我なんて。
紳士と言えばそうなのかもしれないけど。自分だったらそんなキザったらしい台詞。相手が女性であろうとも。
あ、口説きたい女だったら違うか、と思い直したカカシはまたそこで可笑しくなった。
だってきっとイルカは口説くつもりもなくて、あの言葉を選んでいるのだ。
カカシは1人、笑いを漏らした。


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