きえる②

この格好でウロウロ歩き回る気になれないカカシは、昼間は部屋で過ごした。
普段部屋にいても身体を休めるだけで、何もしなくて時間を持て余したのはいつぶりだろうか。
掃除を粗方済ませ、床に身体をゴロリと横にした。
天井から視線を横にして、窓から見える空をぼんやり眺めていたら気がつけば寝ていて。起きた時はもう日が傾き始めていた。
床で寝た身体に多少怠さを感じて、カカシは背伸びをしながら開けていた窓を閉める。
窓から見える景色が少し違って見えるのは、背が低くなっているからだとわかっていた。
カカシはため息を吐き出す。
こんな時間を過ごすくらいだったら、1人山へ行って修行をした方が良かったのかもしれない。
それに、何もしていなくとも空腹はちゃんと感じる。
腹をさすりながらどうしようかと考え、あ、そうだ。と、アスマの存在を思い出したカカシは、1人の時間に持て余した気持ちから解放される気分に、足軽に部屋を出た。

受付の外で待ち伏せするように待っていたカカシは、アスマの姿を見るなり片手をひらひらと振った。
見た事もない女性に一瞬警戒するように眉を寄せたアスマだが、既に綱手から話を聞かされていただろう。直ぐにカカシと気がつき嘆息した。

「何で俺なんだよ」
居酒屋でアスマはうんざりとした顔を隠さずにカカシを見た。
カカシはそんなアスマの前で嬉しそうにビールを飲む。
「別にいいでしょ。俺のおごりなんだから」
その台詞にカカシをジロと見た。外見からはカカシとは思えない嫌味なくらいの美しさは、アスマの顔を顰めさせる。短く息を吐き出した。
「女装した男と飲んでも嬉しくねえよ」
低いアスマの呟きに、カカシは片眉を上げた。
「女装じゃなくて女体化だから」
「んなこたあ分かってる」
苛立ち気にジョッキを持ちビールを飲み干すアスマに、ならいいじゃん、とカカシもあっけらかんとビールを飲む。通り過ぎそうになった店員に片手を上げた。
「あ、お兄さん、ビール2つ追加ね」
にっこりと店員に微笑むカカシの使い分けた言動に、アスマは諦めたように息を吐き出した。
ビールがくる間にと、アスマは煙草に火を付ける。
「まあ、綱手様から聞いた時は難儀だとは思ったんだけど、結構楽しんでるみたいだな」
その台詞にカカシはその綺麗な顔立をアスマに向け、眉を微かに寄せた。
「冗談やめてよ」
それは本音だった。
誰が好き好んで何日も女の格好をしたいものか。そっちのけがある訳ではないのだ。
それに、この女体化で1週間はちょっとーー長い。
カカシは目の前にある枝豆を手に取り、さやから出すと口に入れる。
自分は20代の健全な若い男である訳で。今直ぐにだって元の自分に戻りたいし、女を抱きたい。
そう言う事は、流石に女性である綱手の頭からは抜けているのだ。
だがわざわざそんな事を口に出すのは憚られ、カカシは1人口を尖らせてテーブルに肘をついた。
カカシの気持ちを知らないアスマは、店員から追加したビールを受け取り、逞しい腕でビールを喉に流し込む。
「でもまあ、ここでこうして気楽に素顔晒して酒を飲めるのもいいんじゃねえの」
カカシは目を丸くしてアスマを見た。
確かにそうだ。
そう言われたら、今ここにいるのは写輪眼のカカシだとアスマを除き、誰1人知らない。色眼鏡で見られる事に慣れているにしろ、それは素直に嬉しく感じた。
「だから今日は付き合ってよ」
「まあ、ほどほどにな」
さらりと釘を刺され、カカシは笑ってビールを飲んだ。
不意にアスマが視線を上げる。同時に背中で、お疲れ様です、と聞こえた声にカカシは振り返った。
そこには、今朝廊下で会ったイルカが立っている。仕事帰りなのか。いつも目にする鞄を肩にかけていた。
アスマの返事に笑顔を見せたイルカの目が、自分に向いた。
「今朝はどーも」
ニコリと笑うと、イルカは少し驚いたように目を一瞬丸くして。直ぐに笑顔を浮かべてカカシにも頭を下げた。
2人のやり取りを、アスマは眉を顰めて見つめ、
「…知り合い…か?」
対応に困ったまま、アスマに聞かれる。
イルカは慌てたように首を振った。
「あ、いや、知り合いと言うわけではないんです、ただ、」
「廊下でぶつかりそうになったんですよね、私の不注意で」
私と言うカカシの言葉に合点したアスマが、ああ、と軽く頷いた。
「いや、こちらこそ手が塞がっていて。驚かせてしまい申し訳無かったです」
相変わらず馬鹿を付けたくなるくらいの真面目なイルカの対応に、カカシの頬がつい緩み、それを隠すようにカカシは笑顔で応える事を選んだ。
「どうです、一緒に飲みませんか?」
口にしたカカシ自身も内心驚いた。普段の自分だったら、イルカを気軽に飲みに誘う事は無かっただろうし、一緒に酒を飲む機会すらないだろう。アスマがさっき口にした、今ははたけカカシでない、と言う今の現実が背中を押していたのは確かだった。
おい、とアスマがカカシを止めるような眼差しを向けたが、無視した。
イルカは当たり前だが困ったように、硬い笑顔で、いやしかし、と口を濁す。
今朝顔を合わせたとは言え、初対面に変わらない相手に誘われたらそうなるだろうが。カカシ自身気にしていないのだからいいだろうと、カカシは空いている自分の隣の椅子を動かした。
「どうぞ」
優しく微笑めば、さらに困った顔になりイルカは眉根を寄せアスマへ視線を向けた。
何をこれ以上遠慮する事があるかと不思議に思ったカカシにイルカは、
「いや、でも…せっかく2人で飲んでいるんですから」
その台詞でようやく分かる。
イルカはアスマと自分が恋人か、それに近い仲だと。そう思い邪魔してはいけないと。躊躇っているのだ。
カカシは思わず吹き出していた。
自分は本当は男なのだ。
「ごめんなさい。でも大丈夫。あなたが思っているような関係ではないから」
声を立てて笑ってしまったカカシは、顔を赤らめるイルカに謝りながらそう言うと、イルカは、はあ、と少し恥ずかしそうに答える。
やり取りを眺めていたアスマはため息を吐き出し、
「こいつの言う通りだから、気にすんな」
と面倒臭そうに言った。

「へえ、じゃあ先生をやられているんですね」
聞いておいて、初めて聞いた風のカカシの表情に、アスマは苦い顔を薄く見せる。何がしたいんだ、とアスマに問われている気がするが。カカシは気にしなかった。
だって、こんな状況はきっとないのだ。自分ではない自分として、楽しく酒を飲んで何が悪い。開き直りにも近いが、サクラの言う楽しみは出来ないが、これはアリだと自分で納得していた。
イルカはカカシの質問に答えながらビールを飲んだ。
「でも、アスマさんとお知り合いだったとは正直驚きました」
「え、何で」
聞き返したカカシに、いや、失礼な意味ではなく、とイルカは追加する。
「私もアスマさんとは長いですが、あなたとお会いしたのは初めてでしたので」
イルカからしたら当たり前だろう素直な意見。
アスマは、どう答える訳でもなくカカシに任せるように黙ってビールを飲んでいる。
今の自分のこの姿は偽りである限り、その場限りの偽りは自分には必要不可欠だと分かっている。カカシはニコリとイルカに微笑みを向けた。
「ま、自分が暗部なのもあるし。それに知り合いって言っても昔恋人だったってだけで、今回は私が暇だから誘っただけだから」
イルカは飲みかけのビールを吹き出しそうになったのか、むせた口に手を当てた。
合わせるしかないアスマはダンマリを続行している。
「今はちゃんと恋人がいるみたいだしから、そう会えないけど」
そう続けたカカシに、ねえ、と振られたアスマは煙草を吸いながら、まあな、と低く呟いた。
少し目を丸くしたイルカは暗部と言う事に驚いたのか、元恋人と言う関係にした事をおどろいたのか。まあ、どっちもだろうな、と自分が知る限りのイルカの性格を踏まえながら思い、ビールから切り替えた焼酎を飲む。
「…今仰られた事が事実なら、」
言葉を切ったイルカに真っ直ぐ視線を向けられ、カカシは縦肘を付きながらイルカへ目を向けた。
「俺は、それはどうかと思います」
カカシは2回瞬きをして頬杖をついた顔を手から離す。
「…何が?」
聞き返すカカシの全く意味が分かっていないと言うその表情に、イルカは怪訝そうな眼差しを強めた。
イルカのその意味さえ分からない。
「今恋人がいるアスマさんに、暇だから声をかけるなんて。不謹慎かと思います」
ハッキリと口にされても、やはりカカシにはイルカの言っている意味が良く分からなかった。
首を傾げる。
「何が不謹慎?」
「それは……」
聞き返せばイルカに言い淀まれ、カカシは手のひらを見せた。
「別に気にしないから。ハッキリ言って?」
促せば、イルカは一回テーブルに落とした黒い目をカカシに戻した。
「アスマさんの今の恋人に…失礼かと」
少しの間を置いて。カカシはまた吹き出していた。
可笑しい。
自分の常識の中では無かった。
自分自身、今誰かと付き合っていようが、前付き合っていた女と身体の関係だけ続いている事はよくあった。向こうから誘ってくるのが殆どで。
だけど、それが何だと言うのか。
笑うカカシに、イルカはぐっと眉を寄せた。
「あなたには今付き合っている方はいないんですか?」
聞かれ、カカシは取り敢えず、自分の状況を思い出す。
さっきの通り、身体の関係だけの女は数人いる。
「……まあ、…何人かは」
曖昧に答えると、イルカの目が丸くなった。
真剣な眼差しが、イルカと温度差のある表情のカカシを映す。
「何人かはって…」
言葉を切って、辛そうな表情になったイルカは、
「あなたはもっと自分を大切にすべきだ」
カカシに強く、そう言った。


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