きえる④

「仕事くださいよ」
執務室に入室してすぐカカシに開口一番に言われた言葉に、綱手は書類を持ったまま片眉を上げる。が、鼻で笑われた。
「ひどい顔だね」
不機嫌丸出しって顔だな。笑って書類に目を戻され、カカシは眉を寄せた。ポケットに片手を入れる癖はそのままに、不愉快な顔を見せるカカシへもう一度綱手は目を向ける。
「綺麗な顔が台無しだよ」
更に眉根を寄せるカカシに、綱手は肩を竦めた。息を吐き出して持っていた書類を机に置くと、背もたれに体重を移動させる。
「本当、お前は仕事人間だね。まあいいさ。これ、アカデミーへ持って行ってくれるか」
指を指したのは書類。カカシはむっとして綱手を見た。
「俺が欲しいのは任務です」
「だったら今は生憎お前に言い渡せるものはないよ」
片手を挙げた綱手に冷たくあしらわれ、カカシは口をぐっと閉じた。予想していた答えだが。次の任務まで待機だと改めて思い知らされる。
「分かったなら、ほら」
再び差し出される書類の束。雑務だと分かるが。正直どうでも良くなっていた。
「分かりましたよ」
素直に、だが機嫌悪く返答をして書類を受け取ると、その渡された書類を抱え、カカシは執務室を出た。


抱えている書類をめくり、カカシは顔を顰めた。歩いていた足を止める。
当たり前だがどれも全てアカデミーへの書類。イルカを思い出したのは必然的で。行きたくはないが、受け取ってしまったのだから仕方がない。
カカシはため息を吐きながらその書類を捲った。
イルカの書いた筆跡が目に付いたのは、筆跡を知っていたから。力強くしっかりした字だが、多少右上がりで。
それに、報告書も書き損じや抜けている箇所があれば、上忍でろうとイルカは指摘をした。もちろんカカシも例外ではない。
中忍試験であんな事があったが、イルカはいつも笑顔だった。緊張しているもの垣間見えたが。報告所での自分に向ける表情を思い出した。最近、あの笑顔を最近見ていない。そう思っただけで、胸に苦しさを覚えカカシは無意識にゆっくりと息を吐き出していた。
そう思ったのは、里外に任務に出ていたのもあるし、そのままこの格好になったからだ。会ってはいるが、この姿になってから笑顔らしい笑顔は見ていない気がする。
「おい」
考え事をしいていたカカシの注意力は薄くなっていた。不意に肩を叩かれ、身体がびくりと跳ねる。
顔を上げると、そのカカシらしからぬ反応に、驚いた顔をしたアスマが立っていた。
「・・・・・・なんだ、どうかしたのか?」
「え、別に?」
カカシは書類を抱え直し首を横に振る。ふーん、とアスマは不思議そうな顔をしながらも煙草を指で挟んだ。
「何だその紙は」
「別に、何だっていいでしょ」
そっけない口調にアスマは笑った。
「なに、何なの?」
睨むカカシにアスマは背が低くなったカカシを見下ろすように見つめた。
「見た目べっぴんでも中身はやっぱりカカシだな」
「うるさいよ」
むくれる顔にアスマはまた笑って、そう言えば、と思い出したように口にした。
「ラーメン屋でな、イルカが珍しく女と言い争ってたって聞いたんだけどよ、それって、」
言い終わらないうちに表情が微かに曇るカカシを見て、合点したのか。アスマは眉を下げた。
「なんだ、やっぱりお前か」
「地獄耳だね、お前」
「テウチさんから直接聞いたんだから仕方ねえだろ。って言うかな。お前、その格好で他の奴らにあんま接点持つなって言われてなかったか?」
酒の席でついはずみでイルカに声をかけた事が原因だと、自分も分かっている。言い返せないカカシは黙って視線をずらした。
そんなカカシを見つめ、アスマは顔を掻くと、
「あいつはお前と違って真面目なんだからよ、あんまからかってやるなよ」
カカシの肩に手を置くと、アスマは背を向け歩き出した。

俺だって真面目だっての。
変わった人間が多い上忍の中でも、自分はまともな方だ。
言い返せなかった文句を言いながら歩けば、アカデミーまではすぐだった。
執務室がある建物と同じ敷地内にあるが、アカデミーに足を踏み入れたのはいつぶりだろうか。
ナルト達を担当した直後、一回教室に行った以来だと、懐かしさを覚えながら建物の中に入る。
誰宛でもない。職員室にいる誰かに渡せばいいだろう。カカシは階段を昇り真っ直ぐ職員室へ向かう。
授業中のせいもあってか、教室から授業の声が聞こえる意外は静かだった。職員室の前まできたカカシは足を止めた。すぐに開ける事に戸惑いを感じ、開かれた扉の隙間から中の様子をうかがう。
黒い尻尾がそこにはあった。いない方がよかったのかいた方がよかったのか。それは自分自身でも分からなかった。
この姿で顔見知りなイルカに声をかけるのが自然かもしれない。
でも。
昨日の今日で、なんて声をかければいいのか。
イルカは自分の席に向かってペンを走らせていた。受付で見る時と同じ顔で、真っ直ぐ机に向かっている。
「イルカ先生」
イルカの名前を呼んだのは自分ではなく別の人間だった。思わず目で追うと、職員室に繋がるっている給湯室から女性がマグカップを持って現れた。イルカが顔を上げ女性に気がつく。両手に持っていた片方のマグカップを差し出すと、イルカが顔を掻きながら礼を言い、受け取った。
そこから二人が何やら話し始める。お互いにはにかむような表情を浮かべるその光景を見つめ、ああ、この人はこんな顔もするんだ、とカカシは声をかけるタイミングを失ったまま、どうしようかと思案した。ただ渡せばいいだけなのに。
気づいて欲しいような欲しくないような。不思議な気持ちのままでいれば、ふとイルカが会話を止めこっちへ視線を向けた。
当たり前だがカカシに気がつく。
驚いた顔をされるのは何度目か。目が合っただけで、何故か居たたまれない気持ちになった。外で待って別のイルカでない人に渡せば良かったと今更ながらに後悔の気持ちが押し寄せる中、イルカはマグカップを置くと隣に立っている女性教員に一言声をかけ、席を立ちカカシに向かって歩いてきた。
イルカが半分開いていた扉を開けた時、カカシは持っていた書類を差し出した。
「綱手様からです」
自分でも早口だと思った。
「え?」
聞き返されたが、カカシは持っていた書類を押しつけるようにイルカに突き出した。促されるまま受け取ったイルカに、
「じゃあ」
「あ、待ってください」
と背を向けようとしたカカシをイルカが呼び止める。
「内容を確認しますので。お待ちいただけますか?」
それは当然の事だった。火影からの書類は機密性が高い。自分は暗部だとイルカに言ったが、はっきりとは知らない相手から渡されるのだ。確認が必須なのは当たり前だった。
カカシは、はい、と答えると、イルカに立ち直る。
それを確認してイルカはその場で書類を捲り始めた。
イルカの顔を一瞬見たが、それ以上は見れずに視線を廊下に落としていた。
勝手な質問をしてその答えが気にくわなかったからと、ひどい言葉をイルカにぶつけたのは確かだった。
それをイルカは責めてもいいはずだが。いや、それとも深く知りもしない女だからどうでもいいのかもしれない。
自分だったら相手にしない。
消極的考えは自分らしくないと思うが、イルカの前にしたらそんな考えばかりが頭に浮かんだ。謝るべきだろうか。迷いが自分に生じる。
「はい。確かに受け取りました」
その声で我に返る。視線を上げるとイルカが自分を見ていた。少し固い顔に見えるのは気のせいではない。
自分もこんな顔をしているのだろうか。そう思ったら逃げ出したくなる衝動に駆られた。
「ご苦労様でした」
自然下を向いていたカカシはその声に顔を上げる。
その言葉も、イルカから久しぶりに聞いた気がした。
「ーーあの、」
気がつけばイルカは少し心配そうな顔をしていた。何か言われると思ったら、反射的に嫌だと感じ、カカシは頭を下げると逃げるように背を向け歩き出した。

自分らしくない。
その一言に尽きた。
あの後、イルカは何を言うつもりだったのだろうか。何にせよ、楽しい話ではない事は確かだ。
だって自分は最初からイルカを不快にさせているだけで、客観的に見ても頭の悪い女だと思う。
そんな女にイルカをこれ以上思い悩ませる必要もない。アスマの言った通り、イルカは真面目だ。感情的になった自分の言葉に素直に傷つき、不必要に考えてしまうかもしれない。
そう、これ以上話しても何かが生まれるわけでもない。
そこまで思ってカカシははっとした。
何かが生まれるなんて。そんな事をなんで思ったのか。
一気に動揺が体中に広がる。
馬鹿らしい。
動揺している事を認めたくないように、カカシは中心街へ向かって勢いよく歩き出した。



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