きえる⑥

雨は降る。
黒い雲から大粒の雨が里を覆うように打ち付ける。
カカシも。カカシの手を引くイルカもまた、濡れていた。
「ねえ、ちょっと。ちょっと待って」
目的もなく走っているように見えるイルカに声をかければ、イルカの足が止まった。里の地理は詳しいが、どこへ向かおうとしているのか分からない。
中心街から離れた場所の立ち止まったその周りは普通の住宅が建ち並んでいた。
少しだけ荒い息を吐きながら、イルカは振り返った。
「一体どこ行くの」
カカシの問いは当たり前なはずなのだが、イルカ少し困った顔をする。
「あー・・・・・・、どうしましょう」
頼りない苦笑いを浮かべた。
カカシは呆れてイルカを見る。
「・・・・・・どうしましょうって。それに、彼女。置いてきて良かったの?」
「彼女なんて、俺にはいないですから」
乾いた声で笑った。
「でも、」
言い掛けたカカシの手を再びイルカが掴む。
「・・・・・・?」
「まだ雨やみそうにないんで」
イルカの黒い目がカカシを見つめた。

「どうぞ、汚いですが」
イルカが部屋に上がり、散らかった衣類を手に取りながら、玄関に立ったままのカカシに声をかけた。
さっきイルカがつけた蛍光灯が部屋を照らしている。ちゃぶ台の上には団扇が一枚置かれ、部屋の隅には忍びに関する本や雑誌が積まれていた。
玄関で立ち尽くしたままその部屋を眺めていると、奥からイルカがタオルを持って現れる。
「あの、あがってください。これ、タオルです」
イルカの首にもタオルがかけられていた。
あ、バスタオルの方が良かったですかね。と聞かれ、カカシは、いえ、と答えイルカからタオルを受け取った。
そこからまたイルカに、どうぞ、と上がるよう促され、カカシはそこでようやく靴を脱ぎ部屋に上がった。
一人暮らしの男の部屋らしい。雑然とはしているが片づいてはいる。自分の部屋と似たようなものだと思いながら、部屋を眺める。カカシは身体もタオルで拭き、出された座布団に座った。
黙りこんだカカシを心配そうにイルカは見つめ、あ、と声を出した。カカシは顔を上げる。
「あの、俺、雨を避ける為であって、変な意味でつれてきたんじゃないんで」
思ってもみなかった言葉を返され、カカシは目を丸くする。今言った台詞のまんまで、他意はないと思っていた。
「知ってますよそんなの」
きょとんとして言えば、え?と返される。
「あー、えっと。たぶん。そうだと私も思ってたから」
言い方を間違えたと、誤魔化すとイルカは戸惑いながらも微笑んだ。
「そうですか」
恥ずかしそうに微笑み、目を細めた。
(・・・・・・あ)
初めて見た。
目を奪われるカカシにイルカは気がつく様子もなく、
「暖かいお茶、煎れますね」
イルカは台所へと背を向けた。自分の座っている場所からイルカの姿が見えなくなる。それだけで一人にされたような、冷えた空間にいる気がして、台所へカカシは顔を向けた。
耳を澄ませば、イルカが奥でお茶を用意している音が聞こえ、カカシはほっとして息を吐き出した。
イルカを待つ中で思い浮かぶのは、当たり前だがさっきまでの出来事。何でこんな事になったんだろうかと思う。それに。飲み屋が建ち並ぶあの場所で、周りにいた人間を勝手に置き去りにしてここに来てしまった事を、改めて思い出した。テンゾウや、その仲間。そしてーーイルカの連れていた女性も。
イルカ越しに見えた、あの女の表情が。
ほんの一瞬だったのに。脳裏にしっかりと残っている。
もやもやした気持ちが浮遊した。
そこから視線を上げ、部屋を見渡した。
ここの部屋にも、イルカはきっとあの女性を招き。この場所にも座ったんだろうか。
そこまで思って、カカシは眉を寄せた。
「お待たせしました」
振り向くと、イルカがマグカップを2つ持って立っていた。自分がどんな顔をしていたのか。イルカはカカシを見て少し心配そうな顔をしたが、直ぐに微笑んだ。
安心させるような笑顔。
ああ、この笑顔は俺は好きだとカカシは実感した。
そして、イルカは優しい。
同時にずるいと思った。
他人の男の人格に興味を持つ事なんてなかったが。
イルカのこの真っ直ぐで、優しくて暖かい人柄と。そしてこの展開に、惹かれない女がいるだろうか。
自分がもし女だったら、この人でいいんじゃないかと思ってしまう。その先はどうであれ。
それに。きっとイルカは公言通り、手を出さないだろう。こんないい女が目の前にいても。
「雨、やまないですね」
イルカは真っ暗な窓へ顔を向け呟いた。
そこからイルカはお茶を飲みながら、暢気そうに天気の話し始めた。
アカデミーで教える天気を予想する方法やら、そこから生徒の話、カカシは相づちを打ちながらイルカを見つめる。
イルカはどうして自分を部屋につれてきたのだろうか。
さっき言った通り、流れからなんだろうが。
自分に気をかけてくれている事は素直に嬉しくて。
胸が苦しくなるのは。
嘘で固めた自分に向けられるイルカの視線が痛いからだ。
そう、きっとそうだ。
どうせ明日任務に行ったらもう、この姿ではなくなるのだから。
そう思ったら、寂しさが胸の中で広がっていた。
「・・・・・・イルカ先生」
ぽつりと名前が口からこぼれていた。それは、イルカを呼びたかったからなのか。自分が何かを確認したかっただけなのか。分からない。
はい、と素直に返事をしたイルカはマグカップをちゃぶ台に置き、笑顔でカカシを見る。
「先生」
カカシの表情に何かを感じたのか、笑顔だったイルカの表情が微かに固まる。黒い瞳がカカシを映した。
いや、自分ではない、存在するはずがない女性を。
それを否定したくて、カカシは一回視線をずらして閉じていた唇に力を入れる。再び顔を上げた。
「イルカ先生」
何をやっているんだろうと自分でも思うのに。
イルカを呼ぶ自分の声は甘ったるい。
イルカの目は困惑の色を見せたが、その奥には別の色も見える。それは、男であれば当たり前だ。その表情は緊張で固い。
誘うとはこんな気持ちになるんだと思う。感じた事のないような、胸の苦しさ。
女性には、何度も甘い匂いと共に誘われた。それと、自分は同じ事をしている。
最低だ。
紛い物の身体で誘惑するのは。
イルカの顔が近くなるのを客観的に見ている感覚を襲う。
この先はーー何もないのに。
俺は何やってるんだろうか。

この部屋の包み漂っていた空気を止めるかのように、ドアを叩く音が響いた。
玄関を叩く音。
イルカは短く息を吐き出した。すみませんとカカシに言うと立ち上がる。玄関へ歩き出すイルカを見つめた。近づいていた距離が離れていく。温度さえなくっていくような感覚を覚えた。
扉を開けたイルカが、あ、と声を出す。
目を向けると、あの場所に取り残された女が立っていた。雨に顔や身体を濡らして。
(・・・・・・ああ、なんだ)
冷め切った心がカカシを包み、身体の力が抜けていく。
(やっぱり彼女なんじゃない)
そう思ったら、自分の場違いさにおかしくなってくる。
ホント、可笑しい。

ガタン
大きな音にイルカは後ろを振り返る。
そこにいたはずのカカシはそこにはもう居なく、イルカは部屋を見渡した。
開け放たれた窓からは、静かに雨が振り込んでいた。


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