kodou②

 おでんの屋台の椅子にカカシと並んで座る。
 やっぱり夜になると多少は冷えてくるね。カカシが熱燗を口にしながら言い、イルカもまた熱燗を注いだ杯を傾けながら小さく頷いた。
 狭い屋台だからだろうか、いつも以上に近い距離で肩を並べて酒を飲む。
 前から思ってはいたが。自分よりずいぶん白いカカシの肌に素直に感心して見つめていると、カカシがふと顔を向けた。微かに首を傾げる。
「何?」
 間近で見つめられるように問われ、イルカは慌てて、いや、と前を向く。
「カカシ先生は肌が綺麗ですよね」
 俺ガサガサなんで。
 杯を持ったまま笑いながら言うと、なにそれ、とカカシも笑った。
 気分を害すのかも、と勝手にヒヤリとしたが、カカシは気にしていないようだった。
 笑って自分の皿の大根を箸でつつきながら、何故か浮かんだのは今日女性教員に言われた言葉だった。
 やっぱり、と何故かそう口にした。
 たぶん、深い意味はない。
 イルカは大根を口に入れながら心で呟く。
 もしかしたら、カカシの事を気になっているから、そう言ったのかもしれない。カカシは当たり前だが、モテる。そっとカカシの横顔を窺うと、でもさ、とカカシが続けた。
「あなたも綺麗だよ」
 前を向いていた青い目がイルカへ移る。微かに微笑みを浮かべられ、心臓がどくんと鳴る。でも、言っている事は可笑しい。今度はイルカが笑う番だった。
 
「美味かったですね」
勘定を済ませてほろ酔いで歩くイルカに、カカシがうん、と返事をしながら横に並ぶ。昼間と比べぐっと下がった気温に、イルカは体をぶるりと震わせ顔を黒い空へ向けた。夜空はどんより雲に覆われ星はほとんど見えない。最近雨が多いが、また明日も雨が降るのだろうか。
「先生、寒くない?」
 指先に何かが触れる。それがカカシの手だと分かり、視線を向けると、さらにカカシが手を軽く握る。思った以上に暖かいカカシの手に、握られる自分の手を見た途端、イルカは慌ててその手をカカシから離した。
「だ、大丈夫です」
 言って再び歩き始めながら、流石にイルカは顔を顰めた。ずっとカカシの言動に違和感を抱いてきたが、気のせいだとも思っていた。
 ーーでも。
 イルカは足を止めカカシを見る。
「どうしたの?」
 カカシもまた足を止めてイルカを見た。不思議そうな顔をする。
「・・・・・・あの、優しくしていただけるのは嬉しいですが、その、」
 何て言ったらいのか。そこでイルカは言葉を切った。ただ、自分の言った事はその通りだった。気にしないようにしていたが、店の扉を先に開けてくれたり、自分を道の内側を歩くように促したり、さっきの手に触れた事もそうだ。イルカは口を結ぶと、もう一度カカシへ視線を向ける。
「女みたいに扱われると、ちょっと、」
 少し笑いながら言葉を選んで口にした、つもりだった。
 カカシは、少しだけ驚いたような顔をした後、ふっと息を漏らすように笑う。
「ううん、そう思って扱ってる。だって、あなた今女じゃない」
 何が可笑しいのと言わんばかりの口調に、聞き間違いかと思うも、そんな訳がない。イルカは眉を寄せていた。
「ですが、これは薬で一時的に女体化しているだけで、正確には、」
「うん、分かってる」
 目の前にいるカカシは、片手で銀色の髪を掻きながら、肯定する。少し伏せていた目をゆっくりとイルカへ向けた。
「でも今は違う。それに、俺がそう扱いたいから扱ってるの」
 そうはっきりと、口にした。
 この人は一体何を言っているのだろう。困惑するイルカに、あとね、とカカシは続ける。
「俺はあなたを口説いてるんだけど」
 気が付いてなかった?
 その言葉を受け、呆然とするイルカを見てカカシはくすりと笑う。
「え、・・・・・・何で」
「だってあんたは女だから」
 女だから。その言葉が頭で理解できても、ちょっと、もう、意味が分からない。
「先生俺に言ったじゃない。同性同士で恋人とかは、俺は無理だって」
「え、いつ、俺はそんな事、」
「言った」
カカシが断言する。
「覚えてないの?去年の飲み会の酒の席で、周りがそんな話題になった時、あんたはそう言ったんだよ」
 カカシが言う酒の席とは、たぶん中忍上忍含む飲み会の事を言っているのだと分かった。記憶が僅かに蘇る。確かにそんな話題になっていた。酒を飲めば色恋の話になるのはよくある事で。
 イルカはどうなんだよ。お前は異性より同性の上忍にもモテるもんなあ。
 同僚の誰かがそう口にした。
 その時カカシが言った様に答えたのは、何となく、だった。どうだろうな、と言葉を濁す事だって出来た。でも、気が付けばそんな言葉を選んでいて、
「思い出した?」
 カカシの声で思考が中断する。顔を上げるとじっとカカシがこっちを見つめていた。
「だから、俺は諦めたんだけど。でも、今あなたは女だから」
「諦めるってどう言う、」
 意味なんですか。そう言いたかったのに。顔を上げた時には、既にカカシが目の前にいた。カカシの手がイルカの頬に触れ、その指先が少し冷たくなっているのが分かる。同時に近づいた顔は口布が下ろされ、晒されたカカシの唇が自分の唇に重なった。


 窓を開けた教室でイルカは授業の片付けをしながら、子供達が教室の掃除をしているのを眺める。
 抵抗なんて出来なかった。
 そもそも、昨日、あの時は自分の思考は完全に止まっていて。その状況に今更ながら気が付いた時に角度を変えもう一度深くキスをされ、驚いた。ぬるりと入り込んだ舌が自分の口内を荒らし、カカシの腕を掴んで抵抗するも、繰り返されるキスに頭の奥がじんとする。ただでさえ女体化で力が弱くなっているのに。既に指先の力が入らなく、カカシの服を持つだけで精一杯になっていた。漏れる吐息の合間にまた深く何度も口づけられ、その指さえも震える。
 唇が離れた時は、目尻が浮かんだ涙で濡れていた。濃厚な口づけの余韻で反論まで頭が追いつかない。
 そのままカカシはイルカを抱きしめた。広い腕の中にすっぽりと収まる。イルカを腕の内に入れたカカシは抱きしめる力を入れる。
「イルカ先生」
 甘く囁かれ、その低い声に背中がゾクリとした。
 その時誰かが話す声と、気配が近くなり。
 そのままカカシから逃げるように自分の家まで走って帰って、ーー。
「イルカ先生ってばー!」
 大きな声で呼ばれて我に返る。
 子供がこっちを見ていた。
「ごめん、どうした?」
 聞くと、子供達が呆れた顔をする。
「掃除終わったからもう帰っていいんだよね?」
 イルカは慌てて笑顔を作って、ああ、と答えると子供達の顔は笑顔に変わる。
「女のイルカ先生さよならー」
 そのまま教室を走って出て行く子供達を見送る。
 女のイルカ先生と言われる事も慣れっこになてしまった。苦笑いを浮かべてイルカは息を吐き出した。
 そして、子供達がいなくなった教室で一人、そっと自分の唇を指で触れる。あの感触をまだしっかりと覚えていて。熱くなる頬に、イルカはため息を吐き出した。

 正直なところ、全く頭の整理が出来ていない。自分の身に何が起こったのか、それは分かっていても、あんなの、整理出来るはずがない。
 口説いているとカカシはハッキリと言った。それは今までの不可解なカカシの言動を裏付けていた。
 そう、カカシは積極的だった。だから違和感を感じて戸惑った。
 それに、理由が分かったからと言って、到底受け入れる事が出来る事ではなかった。
 正直その理論は滅茶苦茶だ。
 だって俺は今は女の姿であっても、実際女でない。
 だから、ーー女だから。そうカカシに言われた時、心の奥のどこかが確かに痛んだ。
 子供達だって、そこら変はしっかり認識してるような事実をカカシはねじ曲げている。ねじ曲げて、それをぶつけてきて俺にどうしろって言うんだ。
 整理しきれていない上に考えが纏まってもいないのに。
 また廊下に立っているカカシの姿を見つけて、イルカは僅かに眉を寄せた。望んでいないはずなのに、カカシを見ただけで心臓が少し駆け足になり、それでいて反射的に頬が赤く染まる。胸の内に入れていた教材をぎゅっと抱える。ゆっくりとイルカは歩き、自分とは違って何もなかったかのような涼しい顔に見えるカカシの前で足を止めた。
 おずおずとカカシへ視線を向けると、じっとこっちを見つめている。
 気まずさから取りあえず、あの、と言い掛けた言葉をカカシは遮るように自分の名前を読んだ。
「イルカ先生、今日は会えない?」
 今、一番困る質問をカカシに言われ、イルカは口を結んだ。視線を廊下に落とす。
 会うって。大体、会ってどうするつもりなんだ。
 そうはっきりと聞きたいが、何て返ってくるのか分からないし、だから怖くて聞けっこない。それに、さっきから自分を見つめるカカシの視線を感じただけで、まともに顔さえ見れない。
 断るんだ。そう、断らなきゃ。自分に心の中で唱えるように言い聞かせながら、唇を軽く噛むと、教材を抱えていた手を取られてイルカはぎょっとした。思わず顔を上げる。
 手甲から伸びる長い指がイルカの手のひらに触れていた。その行動に目を見張り、固まっていると、
「ちょっとだけでいいから」
 言われて顔を上げ、見つめるカカシの目に射られ、イルカはじんわりと汗を滲ませた。
 だって、こんな縋るような目をするなんて思わなかった。
 ね?と言いながら。いつもより大きく感じるカカシの手が、指が。イルカの手のひらをゆっくりと撫でる。その感触がさらにイルカの顔を赤くさせる。
「きょ、今日はたぶん終わるのは、七時過ぎくらいかと思いますっ」
 つい口にしてしまっていた。それを聞いたカカシはイルカの手を解放する。
「うん、分かった」
 見上げるカカシは、顔が赤くなったイルカを見つめ、にこりと微笑む。
「じゃあ、また後でね」
 カカシは姿を消す。イルカは顔を火照らせたまま、ひんやりとした廊下で立ったまま。
 ーー結局、断れなかった。
 その事実に、イルカはまた困った顔で、静かにため息を吐き出した。


 会ってどうするんだと、カカシにそう聞きたかったが。それは心の奥では分かっていた。
 そりゃ自分だって馬鹿じゃない。あんな風に口説かれて、腰が砕けそうなキスをされ、また会いたいと言われたら。それがどんな意味か。分かっていない訳がなかった。
 いつものように、カカシに連れられて自分好みの居酒屋で夕飯を食べる。警戒していないと言ったら嘘だった。でも彼と一緒にいる事は苦痛ではなくむしろ心地良いと感じる。腹が満たされ酒も少し飲んだ事で気持ちは微かに緩む。そこから一緒に店を出て、並んで夜道を歩いて何気ないカカシのいつもの七班の話題に微笑みながら相づちを打った時だった。
 ふと空いた間にカカシと目が交わる。
「あの、」
 何気ない瞬間なのに不意に高まった緊張に言い掛けるも、口はカカシによって塞がれた。細い夜道で誰も通らないとは言え、またこの前みたいに誰かが来てもおかしくない。ーー分かっているのに。深く口づけられ、そのままイルカは口を開いていた。招き入れた舌が自分の舌を見つけ、絡まる。キスの合間にイルカの頬をカカシの大きな手が包む。何とも言えない甘い声がイルカの鼻から漏れた。
 カカシに今日誘われてから、こうなることは分かっていた。
 分かっていたのに、咄嗟とは言え、頷いた。
 唇が深く重なる度に体の奥がどうしようもなく熱くなる。外気は冷たいと言うのに。自分の熱は高まるばかりで、目にうっすらと涙が浮かんだ。もう何も考えられなくなる。
 立っているのが耐え切れなくなりそうになった時、カカシが唇を浮かせた。
「何で拒まないの?」
「・・・・・・ぇ?」
 正直頭が回っていなくて、濡れた目で見つめ返すのが精一杯だった。ゆっくりとカカシに言われた言葉を理解する。
 拒むもくそもない。あんたが勝手に、と震える唇を開けようとした時、カカシが続ける。
「それとも俺の忍耐力を試してる?あんたに関しては我慢出来ないって分かってるよね?」
 我慢できないって。なんだよそれ。ふざけんなよ。
 潤んだ黒い目でカカシを見つめ返した。
 浮かぶのはその言葉を口に出したいのに。
 元から自分を口説くとか、堂々と言いのけてあり得ないのに。なのにそれを言い出せないのは。
 諦めていた。
 カカシの嘘ではないその言葉が突っぱねたい自分の思考の邪魔をする。
 嘘の姿に縋るカカシの言葉が自分にもじわじわと毒薬の様に心に入り込んでいた。
「家、連れて帰っちゃうよ?」
 カカシの青い目にのぞき込むように見つめられ、イルカは思わず目を伏せていた。
 口から何も出てこない。濡れた唇をぎゅっと結んだ時カカシがイルカを再び腕の内に入れる。そこから二人は煙と共に消えた。


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