恋と笑って⑦

昼休みが間もなく終わる。煙草へ席を外していた同僚も戻り、たわいのない雑談をしていた。
バン、と大きな音を立て後ろの廊下に続く扉が開いた。何事かと昼寝をしていた者も起き、イルカも会話を中断して振り返った。
何のことはない。綱手が立っていた。見た目美しい容姿からは見えない、豪快な動作は里内では周知されている。
どうしましたか、と一人の同僚が立ち上がって訊いたが、綱手はそれには応えず視線は一点を捉えていた。
「イルカ、ちょっといいか」
「あ、はい」
イルカが返事をした時は既に踵を返し背を向けていた。イルカは慌てて立ち上がると悪りいな、と隣の同僚に声をかけ、そのまま扉から出て行く綱手の後を追った。
ずかずかと大股で歩く綱手に追いついたイルカに、気がついていないはずはないが、何も言わない。
「あの、」
取り敢えず発したイルカの言葉に、いいからついてきな、と背を向け言われ黙るしかなかった。漸く綱手が振り返り口を開いたのは執務室に入った後だった。
仕事を頼まれる他考えていなかったイルカはそのつもりで心構えを作っていたが、彼女から出た言葉は違っていた。
「城に行ってもらう」
「は、」
驚くイルカを前に綱手は苦虫を噛み潰した顔をした。
「悪いな、状況が今一つ掴めてないのが現状なんだよ」
顰めたままの顔で綱手は腕を組んだ。
「城に行ったままのカカシが戻って来ない。鳥を使って帰るよう伝令したら、逆にイルカ。お前を送るよう言われた」
カカシからな。
大げさにため息を零すと、褐色の目をイルカへ向けた。
「お前は何か聞いてはいるのか?」
「いえ」
直ぐに返答したイルカに、疑いの眼差しは向けられていない。また綱手はため息をつき、思案するように天井を見上げた。
全くあの姫には世話が焼ける、と一人呟き、固まったままのイルカへ顔を戻した。
「カカシの軟禁がお前で解けるって言うんなら行かせるしかない。イルカ」
「はい」
名前を呼ばれ反射的に背筋を伸ばした。
「取り敢えず城に向かってくれるか」
「...分かりました」
頷くイルカに神妙な顔つきは崩さなかった。情報も少ないが相手があの葵姫。成人しているとは言えまだ二十歳を迎えたばかりだ。なだめて適当にあしらえと、そう言うことだろう。
「あの姫の我が儘にはこれ以上つき合ってられん。機嫌を損ねない程度にカカシを連れて帰れ。いいな」
イルカが考えた通りの綱手の口調に苦笑いをし、また頷くしかなかった。

なんでだ。
イルカは胸中は困惑で渦巻いていた。
カカシが何故俺を呼ぶ必要があるのか。話はカカシから聞かされてはいたが、呼ばれる事とは全く別だ。
カカシがピタリと姿を現さなくなっていたから、時期的にもたぶん城へ向かっているのだろうと思ってはいた。今日発ちますなんて言われても困るからそれで良かった。
だけど。何で俺なんだ。
まさか綱手を前に断る事はできなかった。下手に言い訳をする事もあの場では出来なかった。
あの様子からすれば、綱手はカカシと自分との関係は知らない。
呼ばれる理由なんて皆目検討がつかないのは、綱手も自分も一緒だ。立場が違うだけで。
軟禁って、なんだよそれ。それにも頭を傾げる。
葵姫の仰せのままにカカシは契りを交わしに行ったのに。それで尚そんな事をするのか。
カカシが今置かれている現状が、軟禁が事実ならそれは納得いかない。
苛立ちを抱えながらロッカーを開けると、イルカは自分の鞄を取り出す。ある程度必要な荷物を揃えてながら、イルカの表情は憮然としたままだった。
美しく利発だと言われているあの姫が。
恋に墜ちれば人もまた変わってしまうのだろうか。そう思えば素直に胸が痛くなった。
違う、とイルカは否定する。
そう俺は違う。
身支度を整えるとアカデミーを後にし城へ脚を向けた。

場所もしっかりと覚えている。昔、教師になる前、城下町で任務として通った事があるからだ。寺子屋で読み、書き、そろばんを教えた。数ヶ月だったが子供たちにも懐かれ充実しとても楽しかった。力のある大名の元にある城下町は栄える。活気に満ち溢れて華やかで美しい街だった。きっとそれは今も変わらないだろう。
あれから足を運ぶことがなかったのだが、まさかこんな形で行くことになるとは。イルカの足取りは重い。だが行かなくては何も始まらない。
イルカは枝へと飛躍した。
城下町に着く手前でイルカは足を止めた。
降り立った木の脇にある姿を目にしたからだ。小型の忍犬。
「パックン」
驚いた顔をするイルカを見るなり、立ち上がると短い尻尾をぱたぱたと振った。イルカは身を屈め目を細めてパックンの頭を撫でた。
「待っててくれたのか」
何度か頭を撫で、背中や腹もゆっくりと撫でる。
ある程度イルカに撫でさせた後パックンが口を開いた。
「あぁ、待っていた。正規でないルートで案内する」
眉を顰めたイルカをパックンはジッと見つめた。
「カカシがイルカを招いたのはあの父親は知らぬ。ちょっと事情が変わったのだ。...兎も角イルカ、お主をカカシの元まで案内する。ついてこい」
「あ、パックンちょっと、」
状況を訊こうとしたが素早い行動に慌ててイルカは後を追った。
要領を得ない頭で考える。
正規でない?父親は知らない?事情が変わった?
要は、自分は招かれざる客って事じゃないか?
ますます混乱するがその説明をカカシに求めるしかないって事なのか。
気配を消し素早く的確に移動するパックンの後についていけば、城下町を抜け、外堀から裏庭に入る。敷地は広い。緑の茂みを利用して奥へと進めば、綺麗な赤い屋根瓦の屋敷が目に入った。平屋で広さも相当あるが、ここでは離れと言った所だろうか。手入れが行き届いた庭。絵に描いたような日本庭園が広がる。
何故自分を呼んだのか。イルカの頭はそれに支配されていた。理由がなければ自分など呼ばないはずだ。
思考を巡らせたままゆっくりと歩きだしたパックンの後についていた。
「お待ちしておりました」
普通に屋敷の玄関の隅で、姫のお付きだろうか。正座をしてイルカに丁寧に頭を下げていた。
「は、」
イルカも反射的に姿勢を正し、頭を下げる。
「心配無用。ここは葵姫の専用の邸宅。ここの人間は心得ておる」
警戒するイルカにパックンが小さな声で言った。そしてその玄関に座り込む。
「さ、お上がりください」
立ち上がった女が促すよう掌を見せ、イルカはそれに従い靴を脱いだ。
「こちらです」
広い屋敷の廊下を歩き出す。
ここにカカシがいるのだろうか。
イルカはギュっと鞄の紐を掴んでいた。落ち着いた邸宅に静寂しかなく、イルカの緊張は高まる。
「...姫におつき合いいただき、感謝しております」
お忙しいでしょう、とイルカの漂わせていた緊張をくみ取ったのか、少し前を歩く従女が歩みを緩めイルカの顔を伺いながら言った。
「あ、いや!」
大きくなった声をイルカは慌てて抑え、そのような事はと小さく続けるイルカに、その従女が口に手を当て笑った。イルカは顔を赤らめ口を噤む。
「...私、来られるのは女性とばかり思っていました」
「と申しますと」
聞き返すと、従女はイルカのその台詞に軽く首を傾げた。
「はたけ様は思い人を呼ばれたとお聞きしておりましたから。ですが、姫を説得される方を呼ばれたのですね。私もそれは名案だと思います」
「.........え?」
イルカの脚が止まった。それに気がつき、数歩進めていた従女が脚を止めイルカに振り返る。
思い人?
それは、恋人と言う事じゃないか。
固まったままイルカは動けなかった。
そこでイルカは思い当たる。カカシの意図がハッキリとした。自分を呼んだ理由が。
女に変化してここに来いと、そういう事だったのか。
どんな経緯かは分からないが、自分には恋人がいると、そんな話になりそれを証明する為に、俺を呼んだのだ。
だったら直接俺に式でも飛ばしてくれれば良かったのに。
あ、違うか。
すぐに思い当たる事実にイルカは苦笑した。
ただ身体だけの繋がりの関係の自分に送るわけがない。だから綱手経由でカカシは頼んだのだ。全ては任務と言う一括りの中の出来事に過ぎないのだから。
落ち込んでいる自分に気が付き、違うと頭を振る。
そうじゃない。カカシの意図に気が付かず、そのままの格好でここまで来てしまっている。
イルカは眉根を寄せた。
「....あの」
従女が不思議そうな表情を浮かべイルカを伺っていた。
「あ、少しここで待っていていただけますか?もう一人、待たせているんです」
「....はぁ」
要領を掴めない従女を残して、イルカは急いで玄関へ戻るフリをし、廊下を戻る。死角になっている突き当たりの廊下で周りの気配を確認する。
誰もいない。
そこで一呼吸おき、指で印を結ぶ。白い煙がイルカを包んだ。
「...服装も...よし」
綺麗な着物に身を包んだ女性に変化していた。
髪を整えるように触る。
さっさと済ませてカカシを連れて帰らなければ。
イルカはそのまま従女の待つ廊下へ向かった。



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