恋と笑って⑨
「結局姫の我が儘か」
ため息混じりに綱手が言った。今回の任務は正に綱手のその一言だったと言える。
イルカはカカシと執務室にいた。
綱手はそう言うと、背もたれに身体を預けた。机の隅に置かれていた木製の肩たたき棒を手に取ると、とんとんと自分の肩を叩く。それは三代目の遺した物で、アカデミーの子供たちが手作りしプレゼントした物だ。執務室にそれは置かれ、いつしか綱手が受け継ぐように使っている。年季がはいった飴色をしていた。
イルカはそれをぼんやり目で追っていた。カカシが端的に説明をするのを横で訊いていた。
城を抜けた後、城下町を二人で歩いていた。日も暮れかかり、茜色に街を染めている。
昔と変わらない華やかな城下町。行き交う人も多く、木の葉の里よりも数多く軒を連なる店からは、料理の良い香りが漂っていた。
カカシはイルカの少し前を歩き、振り返ろうともしない。パックンがいれば少しは話かけやすかったのかもしれない。だが二人だけの今、カカシが歩く少し後をイルカは黙ってついて歩いた。
背をずっと向けられるのは自分にとってホッとしたが気まずくもある。目に入った魚屋の総菜に秋刀魚の焼き物を目にした。
カカシさん秋刀魚が好きだって前言ってたな、と思いながら。
ふと前に視線を戻して目の前にカカシの背中があり、ぶつかりそうになり慌てて脚を止めた。
よそ見をしていてカカシが立ち止まった事に気がついていなかった。
「...カカシさん?」
動かないカカシを背後から伺う。
「あのさ」
急にくるりと向きを変えられ、イルカは少し驚く。
「...はい」
何だろう。カカシは緊張した顔をしていた。
「怒ってる?」
少しだけ目を開いていた。そんな事、言われると思っていなかった。逆にカカシが怒っているとばかり思っていた。さっきまで不機嫌に口もきこうとしなかったのはカカシだ。
怒っていないと言われれば嘘になるだろう。葵姫の前でした芝居に驚き怒れたのは事実だ。でも、結果上手く行き無事にカカシを連れて帰れているのだ。イルカはカカシを責めるつもりはなかった。
夕日が傾いたのか、振り向いたカカシは赤い色に染まっていた。髪は銀色と朱色が溶けるように光り、思わず髪に目を奪われる。視線を移せば白い肌も朱い色にほんのりと染まり、身に包んでいる服も朱く染まっていた。
綺麗だな、と素直に思った。途端、胸が僅かに締め付けられたように苦しくなった。
「せんせ?」
呼ばれてカカシの目を見ると、赤い太陽の光りに包まれながら、不安げな表情を浮かべていた。イルカは微笑んだ。
「いいえ、怒っていません」
「何で?」
直ぐに返され、イルカは眉を寄せた。
「え、だって、...今はこうして無事解放されて良かったじゃないですか」
ね、と言えば不満そうにイルカから視線を外した。
「説明は要らないの?」
言われ、責めるような眼差しに戸惑いながら首を傾げた。
「説明、ですか」
「だから、あんたを呼んだ理由や葵姫と契りを、」
「兄ちゃん、どうだい?安くするよ?」
威勢のいい声がかかった。横を向けば、先ほど目にした魚屋の店員がイルカを見ていた。笑顔を返すと、見てってよと手招きをされ、イルカは一歩近づいた。
「今日はね、秋刀魚がいいの入ったんだよ」
そう、確かに夕方だと言うのに、喙も濃い黄色で鮮度がいい秋刀魚が並んでいた。隣のスペースではその魚の焼き物が並べられている。
「カカシさん、この秋刀魚、買っていかないですか?ほら、美味しそう、」
カカシに顔を向けて。呆けたような顔したカカシにイルカは言葉を止めた。傷ついたような、そんな表情で自分を見つめている。
「...カカシさん?」
呼びかけると、カカシの表情が微かに動く。小さく微笑んだ。
「うん。じゃあ買っていこうか」
「はい」
イルカもカカシに向かって微笑んだ。
カカシの苦々しい微笑みがイルカの頭に残った。
「てことで報告は以上なんで」
「まぁ待ちな」
カカシの間延びした声に我に返った。さっさと退散しようとするカカシを綱手が引き留める。
「...で?」
「で、って何です」
「イルカを呼んだ理由はそれだけか」
ゆっくりと振り返るカカシに、ゆとりのある背もたれにゆさゆさと体重を預けながら、綱手は言った。
「変化が得意なのは知っていましたから」
「それはもう訊いた」
素っ気なく返し、綱手はイルカへ視線を向けた。またカカシへ視線を戻す。
綱手の疑問は最もだろう。自分だって最初分からなかった。
「後は、そうですね。目利きもあるからですかねー」
美味いですよ、それ。と、カカシがそう答えながら、綱手にお土産と渡した秋刀魚の焼き物を指さした。美味そうな匂いは先ほどから部屋を漂っている。
その包みに目を落とし、また褐色の瞳がカカシを見つめ、そうかい、と素っ気なく答えると、イルカへ視線を向けた。
「イルカ」
「はい」
返事をすると、肩をとんとんとリズムよく叩いていた棒を机の上に置いた。
「悪かったね。丸く収まったんだ。よしとするしかないね。二人とも明日は一日ゆっくり休みな」
お疲れさん。これは酒の肴にするよ、と手のひらをひらひらさせ、出て行くよう促される。イルカは頭を下げ、カカシと共に執務室を後にした。
「本当は焼きたてが食べたかったですね」
イルカの持つ袋にはカカシと自分の分の秋刀魚が入っている。報告を済ませて、カカシの任務も終わり自分も終わった。安堵したら自分が空腹だったと気がついた。
「カカシさんは大根おろし使って食べるんですか?」
カカシを見ると、イルカを見つめているカカシがいた。ぼーっとしたまま返事もなく、ただイルカを見つめている。
あの城下町で買い物をした辺りからカカシはこんな調子だ。報告時にはさすがにしっかりとしていたが。カカシも疲れているのだろう。
「カカシさん?」
もう一度名前を呼ぶと、一度だけ瞬きして目元を緩ませた。
「ん、なに?」
見えているのが右目だけだからじゃない。微かにしか変化しないその曖昧な表情。何故かそれがイルカを不安にさせた。それでも答えるカカシの声は優しい。
「明日は休みをもらえたんです。ゆっくり休んでください」
そう言って袋を差し出す。カカシは小さく首を傾げた。
「イルカ先生のもあるよ?」
「いいんです。だってカカシさんに買っていただいたものですし。カカシさん、」
「俺は先生が食べたいと思って買ったんだよ?」
どうして、とカカシの目がそう言っていた。
そっか、そうだよな。自分の言った言葉でカカシを困らせているとようやく気がつく。
「俺はいりません。イルカ先生。あなたが食べて」
ぐいと押しやるように袋をイルカに押しつけられ驚く。
「カカシさん、一体どうしたんですか?任務も無事終わって、こうして帰れて」
言ってる途中でカカシが笑いをこぼした。笑って視線は地面に落としたままイルカを見ようともしない。イルカは眉を寄せた。
カカシは背を向ける。
「カカシさん」
「ついてこないで」
小さな声だっだが、はっきりと聞こえた。背を向けたままのカカシがぽつりとこぼした。
「ーーなんだろね、あなたの言ってる事は正論なのに、胸に突き刺さるんですよ」
突き刺さる。言葉が出ないイルカの耳にまたカカシが小さく笑ったような、息を吐いたような、音が聞こえた。
「こんなの初めてなんですよ。ーーどんな刃より、あんたの言葉は痛い」
イルカは眉間に皺を寄せていた。口は開くのに、そこからどうしても言葉が出てこないイルカに、返事はないと判断したのか。カカシは歩き出す。
待って、と言いたかった。だが待ってと言ったところで自分はカカシに何と言葉をかければいいのか。混乱にただカカシの背中を見つめることしか出来ない。
「....カカシさん....」
姿が見えなくなった頃、ようやく出たのはカカシの名前だった。
さっきまで空腹だったはずなのに、削がれたように消え去ってしまっている。イルカはしばらくその場から動けなかった。
一緒に食べたかった秋刀魚はもう冷え切ってしまった。
ぽっかりと胸に穴が空いたみたいだった。自分がカカシに言ったように、任務は終わり、問題はなにもないはずなのに。この胸の消失感は何なのだろう。
思わず胸に手を当てるが何も変わらない。その奥がーー痛い。
カカシさん...
名前を呼べば、更に胸が痛くなった。
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ため息混じりに綱手が言った。今回の任務は正に綱手のその一言だったと言える。
イルカはカカシと執務室にいた。
綱手はそう言うと、背もたれに身体を預けた。机の隅に置かれていた木製の肩たたき棒を手に取ると、とんとんと自分の肩を叩く。それは三代目の遺した物で、アカデミーの子供たちが手作りしプレゼントした物だ。執務室にそれは置かれ、いつしか綱手が受け継ぐように使っている。年季がはいった飴色をしていた。
イルカはそれをぼんやり目で追っていた。カカシが端的に説明をするのを横で訊いていた。
城を抜けた後、城下町を二人で歩いていた。日も暮れかかり、茜色に街を染めている。
昔と変わらない華やかな城下町。行き交う人も多く、木の葉の里よりも数多く軒を連なる店からは、料理の良い香りが漂っていた。
カカシはイルカの少し前を歩き、振り返ろうともしない。パックンがいれば少しは話かけやすかったのかもしれない。だが二人だけの今、カカシが歩く少し後をイルカは黙ってついて歩いた。
背をずっと向けられるのは自分にとってホッとしたが気まずくもある。目に入った魚屋の総菜に秋刀魚の焼き物を目にした。
カカシさん秋刀魚が好きだって前言ってたな、と思いながら。
ふと前に視線を戻して目の前にカカシの背中があり、ぶつかりそうになり慌てて脚を止めた。
よそ見をしていてカカシが立ち止まった事に気がついていなかった。
「...カカシさん?」
動かないカカシを背後から伺う。
「あのさ」
急にくるりと向きを変えられ、イルカは少し驚く。
「...はい」
何だろう。カカシは緊張した顔をしていた。
「怒ってる?」
少しだけ目を開いていた。そんな事、言われると思っていなかった。逆にカカシが怒っているとばかり思っていた。さっきまで不機嫌に口もきこうとしなかったのはカカシだ。
怒っていないと言われれば嘘になるだろう。葵姫の前でした芝居に驚き怒れたのは事実だ。でも、結果上手く行き無事にカカシを連れて帰れているのだ。イルカはカカシを責めるつもりはなかった。
夕日が傾いたのか、振り向いたカカシは赤い色に染まっていた。髪は銀色と朱色が溶けるように光り、思わず髪に目を奪われる。視線を移せば白い肌も朱い色にほんのりと染まり、身に包んでいる服も朱く染まっていた。
綺麗だな、と素直に思った。途端、胸が僅かに締め付けられたように苦しくなった。
「せんせ?」
呼ばれてカカシの目を見ると、赤い太陽の光りに包まれながら、不安げな表情を浮かべていた。イルカは微笑んだ。
「いいえ、怒っていません」
「何で?」
直ぐに返され、イルカは眉を寄せた。
「え、だって、...今はこうして無事解放されて良かったじゃないですか」
ね、と言えば不満そうにイルカから視線を外した。
「説明は要らないの?」
言われ、責めるような眼差しに戸惑いながら首を傾げた。
「説明、ですか」
「だから、あんたを呼んだ理由や葵姫と契りを、」
「兄ちゃん、どうだい?安くするよ?」
威勢のいい声がかかった。横を向けば、先ほど目にした魚屋の店員がイルカを見ていた。笑顔を返すと、見てってよと手招きをされ、イルカは一歩近づいた。
「今日はね、秋刀魚がいいの入ったんだよ」
そう、確かに夕方だと言うのに、喙も濃い黄色で鮮度がいい秋刀魚が並んでいた。隣のスペースではその魚の焼き物が並べられている。
「カカシさん、この秋刀魚、買っていかないですか?ほら、美味しそう、」
カカシに顔を向けて。呆けたような顔したカカシにイルカは言葉を止めた。傷ついたような、そんな表情で自分を見つめている。
「...カカシさん?」
呼びかけると、カカシの表情が微かに動く。小さく微笑んだ。
「うん。じゃあ買っていこうか」
「はい」
イルカもカカシに向かって微笑んだ。
カカシの苦々しい微笑みがイルカの頭に残った。
「てことで報告は以上なんで」
「まぁ待ちな」
カカシの間延びした声に我に返った。さっさと退散しようとするカカシを綱手が引き留める。
「...で?」
「で、って何です」
「イルカを呼んだ理由はそれだけか」
ゆっくりと振り返るカカシに、ゆとりのある背もたれにゆさゆさと体重を預けながら、綱手は言った。
「変化が得意なのは知っていましたから」
「それはもう訊いた」
素っ気なく返し、綱手はイルカへ視線を向けた。またカカシへ視線を戻す。
綱手の疑問は最もだろう。自分だって最初分からなかった。
「後は、そうですね。目利きもあるからですかねー」
美味いですよ、それ。と、カカシがそう答えながら、綱手にお土産と渡した秋刀魚の焼き物を指さした。美味そうな匂いは先ほどから部屋を漂っている。
その包みに目を落とし、また褐色の瞳がカカシを見つめ、そうかい、と素っ気なく答えると、イルカへ視線を向けた。
「イルカ」
「はい」
返事をすると、肩をとんとんとリズムよく叩いていた棒を机の上に置いた。
「悪かったね。丸く収まったんだ。よしとするしかないね。二人とも明日は一日ゆっくり休みな」
お疲れさん。これは酒の肴にするよ、と手のひらをひらひらさせ、出て行くよう促される。イルカは頭を下げ、カカシと共に執務室を後にした。
「本当は焼きたてが食べたかったですね」
イルカの持つ袋にはカカシと自分の分の秋刀魚が入っている。報告を済ませて、カカシの任務も終わり自分も終わった。安堵したら自分が空腹だったと気がついた。
「カカシさんは大根おろし使って食べるんですか?」
カカシを見ると、イルカを見つめているカカシがいた。ぼーっとしたまま返事もなく、ただイルカを見つめている。
あの城下町で買い物をした辺りからカカシはこんな調子だ。報告時にはさすがにしっかりとしていたが。カカシも疲れているのだろう。
「カカシさん?」
もう一度名前を呼ぶと、一度だけ瞬きして目元を緩ませた。
「ん、なに?」
見えているのが右目だけだからじゃない。微かにしか変化しないその曖昧な表情。何故かそれがイルカを不安にさせた。それでも答えるカカシの声は優しい。
「明日は休みをもらえたんです。ゆっくり休んでください」
そう言って袋を差し出す。カカシは小さく首を傾げた。
「イルカ先生のもあるよ?」
「いいんです。だってカカシさんに買っていただいたものですし。カカシさん、」
「俺は先生が食べたいと思って買ったんだよ?」
どうして、とカカシの目がそう言っていた。
そっか、そうだよな。自分の言った言葉でカカシを困らせているとようやく気がつく。
「俺はいりません。イルカ先生。あなたが食べて」
ぐいと押しやるように袋をイルカに押しつけられ驚く。
「カカシさん、一体どうしたんですか?任務も無事終わって、こうして帰れて」
言ってる途中でカカシが笑いをこぼした。笑って視線は地面に落としたままイルカを見ようともしない。イルカは眉を寄せた。
カカシは背を向ける。
「カカシさん」
「ついてこないで」
小さな声だっだが、はっきりと聞こえた。背を向けたままのカカシがぽつりとこぼした。
「ーーなんだろね、あなたの言ってる事は正論なのに、胸に突き刺さるんですよ」
突き刺さる。言葉が出ないイルカの耳にまたカカシが小さく笑ったような、息を吐いたような、音が聞こえた。
「こんなの初めてなんですよ。ーーどんな刃より、あんたの言葉は痛い」
イルカは眉間に皺を寄せていた。口は開くのに、そこからどうしても言葉が出てこないイルカに、返事はないと判断したのか。カカシは歩き出す。
待って、と言いたかった。だが待ってと言ったところで自分はカカシに何と言葉をかければいいのか。混乱にただカカシの背中を見つめることしか出来ない。
「....カカシさん....」
姿が見えなくなった頃、ようやく出たのはカカシの名前だった。
さっきまで空腹だったはずなのに、削がれたように消え去ってしまっている。イルカはしばらくその場から動けなかった。
一緒に食べたかった秋刀魚はもう冷え切ってしまった。
ぽっかりと胸に穴が空いたみたいだった。自分がカカシに言ったように、任務は終わり、問題はなにもないはずなのに。この胸の消失感は何なのだろう。
思わず胸に手を当てるが何も変わらない。その奥がーー痛い。
カカシさん...
名前を呼べば、更に胸が痛くなった。
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