口笛④
「休みだって」
カカシが肩を竦めてイルカに振り返った。
久しぶりに休みが重なった。休みの日はあまりカカシは外に出たがらない。それでもイルカが提案した事に、珍しく頷いてくれたのに。
イルカは扉に張られた紙をぼんやりと見つめた。
桜の大木が店の隣に葉を茂らせ、時折揺れる風は2人に木陰を作る。
2人はイルカが働いていた、あの飲食店に脚を運んでいた。イルカも仕事に忙しく顔を出せなかったので、親父さん夫婦が気にはなっていた。カカシも勿論、イルカがやめてから店に出入りしてない。と、訊いていた。
6月と言えど昼間の気温は高い。その暑さにイルカの額は薄っすら汗ばんでいたが、カカシは長袖のアンダーウェアを身につけ、続きの口布までしているが、涼しい顔でイルカの表情を伺い見ていた。
「休みなら仕方ないでしょ」
カカシなりの慰めなのかも分からない、その台詞に、イルカも漸くこくんと頷いた。
都合により臨時休業いたします。
その字は店のお品書きに書かれている字と同じ。親父さんの筆跡だった。
急に休む事は、店に通いだしてから、働いていた時もほとんどなかった。仕事が生き甲斐と、親父さんが言っていた事を思い出す。
奥さんの腰痛が再発したとか、もしかして親父さんが体調崩したのかもしれない。
「....っふぁ」
不意に鼻を摘まれてイルカは驚きに思考は途切れる。振り払おうとする前にカカシは手を離すと、イルカに顔を近づけた。
「捨てられた子猫」
呆れたような顔でため息混じりに言われ、意味が分からないと摘まれた鼻を手で触りながらカカシを見た。
「何ですか、それ」
「また来ればいいじゃない」
違う?と言われ、自分が思ったよりも落胆していた事に改めて気が付く。
そこでカカシはふっと目を細めて笑った。自分の事しか考えていないようで、意外に相手の事を見ている。同い年なのに、時折見せる仕草や動作は落ち着いていてしっかりしていて。それが何ともカカシに不思議な雰囲気を纏わせる。どうしても敬語になるのはそのせいか。
「取りあえずさぁ、...どっかでご飯食べよっか」
漸くイルカが微笑んだのを確認して、カカシは頭を掻いて、来た道へ顔を向けた。
「いいんですか?」
「んー?勿論。だってイルカとたまには外でデートもいいよね」
最近忙しかったし。そう言われてイルカは頬を赤く染めた。
デートと言う響きはイルカの胸を高鳴らせた。
それに気が付いているか分からないが、行くよー、と、手をポケットにつっこみ、カカシはてくてくと歩き出す。
てっきり、ここが休みなら家に帰りたいと言われるとばかり思っていた。
「俺、蕎麦がいいです」
イルカは嬉しさに綻ばせた顔を引き締めるようにして、そう言いながらカカシの後に駆け寄った。
「美味しい...」
海老の天ぷらを頬張りながら、実感たっぷりに言うイルカに、カカシは眉を下げて苦笑した。
「そんな美味しい?」
「はい!そうそう食べないですから!」
そう言い切るイルカに、またカカシは小さな笑いを零した。
揚げ物自体そんな好きじゃないと言っていたカカシは、ざるそばを食べている。イルカは、これでしょ?とメニューに書かれた車海老天ぷらそばを指さされ、はい!と勢いよく頷いていた。
「カカシさん、そんなんで足ります?」
覗きこむようにしてカカシの食べている蕎麦を見た。カカシがうん?と顔を上げる。無防備な表情は、自分にしか見せない。
「まあ、普通に」
「俺だったらすぐ腹減るなぁ」
カカシはだろうね、と言いながらイルカを見た。
「昼なんてこんなもんでしょ」
そう言ってカカシは手を伸ばす。親指でなぞるように、イルカの唇を擦った。イルカは驚きに目を丸くして慌てて身を引っ込める。
「な、なにすんですか!?」
「ん?だって、テカテカしてたから」
天ぷらの油で。イルカの慌てぶりにものほほんと、返す。何もかも素なんだろうが。イルカは恥ずかしさに顔が熱くなる。お昼の時間から少し過ぎてるとは言え、客が誰もいない訳じゃない。
「誰も見てないって」
周りを確認しようとしたら、カカシが口を開いた。その目をカカシに戻せば、全く気にしていないのだろう。蕎麦を啜っている。
そうかもしれないけど。恥ずかしいものは恥ずかしい。確かに誰も見てないだろうけど、と、ふと顔を横に向けた。相手は、自分を見ていた。かちりと目があったその相手に、イルカは息を呑み反応する。
「イルカ、どうしたの?」
直ぐにイルカの様子に気が付いたカカシも顔を上げた。
「アオシ...いたのか」
苦笑いして頭を掻くイルカに、アオシが立ち上がった。見られた事には間違いがない。そっとしておいてくれると少し思ったが。アオシはそうは思っていないらしい。
てか、やっぱり見られてんじゃねえかよ!と動揺の波にもまれている間に、アオシが目の前まで来る。
「よ、よう」
ギクシャクと片手を上げたイルカに、にこと笑った。同じように片手を上げる。
「よ」
「何だ、お前いるって全然気が付かなかった、」
「お久しぶりです」
軽く頭を下げたアオシの目線は自分でない事に気が付く。変な笑顔のまま、アオシの視線の先へ顔を向ける。
カカシは。さっきまで見せていた表情とはほど遠い、顔をしていた。
その挨拶に答えないまま、立っている相手を冷えた目で見つめ。あまりの長さに、イルカが何か言おうとする前に、カカシが口を開いた。
「何だ。生きてたの」
それは、そっけなく。呟いたように小さかった。でも、酷い言い方だと、思った先にアオシが笑った。顔を見れば、自分にいつも見せるような明るい笑顔で。
「はい、おかげさまで」
「.......」
そこから黙り込んでしまったカカシに、漸くイルカが口を開く。
「えっと、...知り合い?」
恐る恐る訊いたイルカにアオシが小さく笑って後頭部に手を当てた。
「あぁ、戦場で」
「戦場...そっか。お前そうだったな」
「あの時は全然周り見えてなくて、怪我して、周りに迷惑しかかけてなかったんだけどね。皆にも、カカシさんにも迷惑を、」
ドン、と重い音がした。それは、カカシは拳をテーブルにぶつけた音で。湯飲みの中の番茶が、小さく揺れていた。
ゆっくりと立ち上がったカカシは怠そうに顔を上げる。口布を下げたままで、晒された薄い唇は、歪ませるようにして、口角が上がった。
「ふっ....はは、」
不自然な笑いにイルカは眉を寄せた。
「カカシさん?」
笑ってるのに、笑ってないようで。やがて、眠そうな目を向けた。
「お前ってさぁ、相変わらずだよね。...頭いいんだけど周りもそうだと思ってるところが、ムカつく。アンタのせいで仲間が何人死んだと思ってんの?」
低い声は周りにはあまり聞こえないのか。変わらず周りは普通のおしゃべりや蕎麦を啜る音が聞こえていて。自分のテーブルだけ、凍り付いたみたいだった。
同じように固まったイルカの手を、カカシが掴んでいた。
「帰ろ」
「え?わっ」
ぐいと引っ張られ、カカシさんお会計、と慌てて机にある伝票を掴むと、カカシはその伝票をイルカから奪い取り、多めの札を挟むと店員に渡す。勢いのまま店を出ていた。
アオシは、背を向けたまま、その場に立っていたのが、暖簾の隙間から見えた。
カカシとアオシが知り合いだった事に驚いたが。カカシの態度はイルカにも分かるくらいにハッキリとしていた。
(....機嫌悪い...)
部屋に帰ってから。カカシはゴロンと床に横になったまま。動かない。片腕をまくらにしたままで。
何か、話かけようかと考えたけど。
イルカは冷蔵庫から麦茶を取り出すと氷をグラスに入れ、麦茶も入れる。
「...カカシさんも飲みますか?」
案の定、小さい声でんー、と反応はするが、それ以上はない。
イルカはグラスから氷を一つ口に含み、口の中で転がした。
(...アオシと知り合いだったのか。知り合い?いや、違う。アオシが戦場で部下だったとか)
正直、言った事がない自分には想像しか出来ない。里に平々凡々と過ごしている忍びとは、訳が違う。だから、そこに口を挟むことなんて出来るはずがない。
あんたのせいで何人仲間が死んだと思ってんの
あの時のカカシの目を思い出しただけで、背筋がゾクリとした。
(...何か、あったから、あんな言い方になったんだろうけど)
「麦茶」
「へ?」
気が付けば、カカシがこっちに体を向けていた。
「俺にもちょーだい」
「あ、はい!」
麦茶を入れて持って行くと、カカシがむくりと起きあがった。胡座をかいてイルカの持つグラスに手を伸ばす。
「ありがと」
「....はい」
ちらと伺うように目を向けられるが、直ぐにそらされる。カカシはぐいと麦茶を飲み干した。形いい薄い唇からグラスが離れる。からんと、残った氷が音を立てた。ふと目線を向けられ、目が合う。
「俺、あんたが今なに考えてるか分かるよ」
「....ぇ....え?」
何だろ。俺なにか変な事考えてたか?と、ぼんやりしていた自分に焦れば、ふっとカカシが微笑んだ。
今までの不機嫌さに見せた微笑みに、イルカは思わずカカシの顔を見つめる。カカシの見せる表情のギャップに、自分は弱いと、最近知った。ほわと緩める色違いの目に、単純に胸が高鳴る。
(...優しい目)
あと、カカシの目にも。
「...イルカはさ、」
銀髪を掻いたカカシを見る。
「俺って酷い男だと思う?」
柔らかい視線を向けたまま問われた。ふるふると頭を横に振れば、じっとイルカを見ていた、その視線が外れた。
胸が痛くなった。
簡単にうんもいいえも出来るけど。そんな一括りには出来ない生き方をカカシはしてきたのだ。死が常に背中にいて。振り返ったら戻ってこれない。自分もカカシも親はいないけど、三代目に甘やかされて育ったぬるま湯に浸かったままの自分に、何が言えるのだろうか。
もう一度、溶けた氷と混じった麦茶をカカシは飲む。きっと薄すぎて麦茶の味なんかしない。そのグラスを傾け、からと音を鳴らした。
何でもない音が、胸に、響いた。
「もし...俺じゃないヤツでも、声かけてた?」
水玉がついたカカシの持つグラスから、カカシに目を戻した。優しく問いかけられているのに、内容はスゴくシビアだ。
「じゃあ、カカシさんは...店にいたのが俺じゃなくて、別の人が声をかけてたら、」
「女だったら、つれて帰ったかな」
「え!!」
イルカの反応にカカシは吹き出した。
「ってゆーかさ、あんな店に女とか若い子なんていないでしょ。俺そういう店選んで行ってたんだからさ」
けらけら笑って前髪をかき上げる。
「イルカ意地悪」
「カカシさんでしょう!?最初に訊いてきたのは!」
「うんそう。ごめんね?」
可笑しそうに笑いを堪えながら上目遣いで見つめられ、イルカは口を噤んだ。
もしもなんて考えたらきりがない。俺はカカシを選んで、カカシは俺を選んだ。
それだけは、もしもなんて、ないはずなんだから。
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カカシが肩を竦めてイルカに振り返った。
久しぶりに休みが重なった。休みの日はあまりカカシは外に出たがらない。それでもイルカが提案した事に、珍しく頷いてくれたのに。
イルカは扉に張られた紙をぼんやりと見つめた。
桜の大木が店の隣に葉を茂らせ、時折揺れる風は2人に木陰を作る。
2人はイルカが働いていた、あの飲食店に脚を運んでいた。イルカも仕事に忙しく顔を出せなかったので、親父さん夫婦が気にはなっていた。カカシも勿論、イルカがやめてから店に出入りしてない。と、訊いていた。
6月と言えど昼間の気温は高い。その暑さにイルカの額は薄っすら汗ばんでいたが、カカシは長袖のアンダーウェアを身につけ、続きの口布までしているが、涼しい顔でイルカの表情を伺い見ていた。
「休みなら仕方ないでしょ」
カカシなりの慰めなのかも分からない、その台詞に、イルカも漸くこくんと頷いた。
都合により臨時休業いたします。
その字は店のお品書きに書かれている字と同じ。親父さんの筆跡だった。
急に休む事は、店に通いだしてから、働いていた時もほとんどなかった。仕事が生き甲斐と、親父さんが言っていた事を思い出す。
奥さんの腰痛が再発したとか、もしかして親父さんが体調崩したのかもしれない。
「....っふぁ」
不意に鼻を摘まれてイルカは驚きに思考は途切れる。振り払おうとする前にカカシは手を離すと、イルカに顔を近づけた。
「捨てられた子猫」
呆れたような顔でため息混じりに言われ、意味が分からないと摘まれた鼻を手で触りながらカカシを見た。
「何ですか、それ」
「また来ればいいじゃない」
違う?と言われ、自分が思ったよりも落胆していた事に改めて気が付く。
そこでカカシはふっと目を細めて笑った。自分の事しか考えていないようで、意外に相手の事を見ている。同い年なのに、時折見せる仕草や動作は落ち着いていてしっかりしていて。それが何ともカカシに不思議な雰囲気を纏わせる。どうしても敬語になるのはそのせいか。
「取りあえずさぁ、...どっかでご飯食べよっか」
漸くイルカが微笑んだのを確認して、カカシは頭を掻いて、来た道へ顔を向けた。
「いいんですか?」
「んー?勿論。だってイルカとたまには外でデートもいいよね」
最近忙しかったし。そう言われてイルカは頬を赤く染めた。
デートと言う響きはイルカの胸を高鳴らせた。
それに気が付いているか分からないが、行くよー、と、手をポケットにつっこみ、カカシはてくてくと歩き出す。
てっきり、ここが休みなら家に帰りたいと言われるとばかり思っていた。
「俺、蕎麦がいいです」
イルカは嬉しさに綻ばせた顔を引き締めるようにして、そう言いながらカカシの後に駆け寄った。
「美味しい...」
海老の天ぷらを頬張りながら、実感たっぷりに言うイルカに、カカシは眉を下げて苦笑した。
「そんな美味しい?」
「はい!そうそう食べないですから!」
そう言い切るイルカに、またカカシは小さな笑いを零した。
揚げ物自体そんな好きじゃないと言っていたカカシは、ざるそばを食べている。イルカは、これでしょ?とメニューに書かれた車海老天ぷらそばを指さされ、はい!と勢いよく頷いていた。
「カカシさん、そんなんで足ります?」
覗きこむようにしてカカシの食べている蕎麦を見た。カカシがうん?と顔を上げる。無防備な表情は、自分にしか見せない。
「まあ、普通に」
「俺だったらすぐ腹減るなぁ」
カカシはだろうね、と言いながらイルカを見た。
「昼なんてこんなもんでしょ」
そう言ってカカシは手を伸ばす。親指でなぞるように、イルカの唇を擦った。イルカは驚きに目を丸くして慌てて身を引っ込める。
「な、なにすんですか!?」
「ん?だって、テカテカしてたから」
天ぷらの油で。イルカの慌てぶりにものほほんと、返す。何もかも素なんだろうが。イルカは恥ずかしさに顔が熱くなる。お昼の時間から少し過ぎてるとは言え、客が誰もいない訳じゃない。
「誰も見てないって」
周りを確認しようとしたら、カカシが口を開いた。その目をカカシに戻せば、全く気にしていないのだろう。蕎麦を啜っている。
そうかもしれないけど。恥ずかしいものは恥ずかしい。確かに誰も見てないだろうけど、と、ふと顔を横に向けた。相手は、自分を見ていた。かちりと目があったその相手に、イルカは息を呑み反応する。
「イルカ、どうしたの?」
直ぐにイルカの様子に気が付いたカカシも顔を上げた。
「アオシ...いたのか」
苦笑いして頭を掻くイルカに、アオシが立ち上がった。見られた事には間違いがない。そっとしておいてくれると少し思ったが。アオシはそうは思っていないらしい。
てか、やっぱり見られてんじゃねえかよ!と動揺の波にもまれている間に、アオシが目の前まで来る。
「よ、よう」
ギクシャクと片手を上げたイルカに、にこと笑った。同じように片手を上げる。
「よ」
「何だ、お前いるって全然気が付かなかった、」
「お久しぶりです」
軽く頭を下げたアオシの目線は自分でない事に気が付く。変な笑顔のまま、アオシの視線の先へ顔を向ける。
カカシは。さっきまで見せていた表情とはほど遠い、顔をしていた。
その挨拶に答えないまま、立っている相手を冷えた目で見つめ。あまりの長さに、イルカが何か言おうとする前に、カカシが口を開いた。
「何だ。生きてたの」
それは、そっけなく。呟いたように小さかった。でも、酷い言い方だと、思った先にアオシが笑った。顔を見れば、自分にいつも見せるような明るい笑顔で。
「はい、おかげさまで」
「.......」
そこから黙り込んでしまったカカシに、漸くイルカが口を開く。
「えっと、...知り合い?」
恐る恐る訊いたイルカにアオシが小さく笑って後頭部に手を当てた。
「あぁ、戦場で」
「戦場...そっか。お前そうだったな」
「あの時は全然周り見えてなくて、怪我して、周りに迷惑しかかけてなかったんだけどね。皆にも、カカシさんにも迷惑を、」
ドン、と重い音がした。それは、カカシは拳をテーブルにぶつけた音で。湯飲みの中の番茶が、小さく揺れていた。
ゆっくりと立ち上がったカカシは怠そうに顔を上げる。口布を下げたままで、晒された薄い唇は、歪ませるようにして、口角が上がった。
「ふっ....はは、」
不自然な笑いにイルカは眉を寄せた。
「カカシさん?」
笑ってるのに、笑ってないようで。やがて、眠そうな目を向けた。
「お前ってさぁ、相変わらずだよね。...頭いいんだけど周りもそうだと思ってるところが、ムカつく。アンタのせいで仲間が何人死んだと思ってんの?」
低い声は周りにはあまり聞こえないのか。変わらず周りは普通のおしゃべりや蕎麦を啜る音が聞こえていて。自分のテーブルだけ、凍り付いたみたいだった。
同じように固まったイルカの手を、カカシが掴んでいた。
「帰ろ」
「え?わっ」
ぐいと引っ張られ、カカシさんお会計、と慌てて机にある伝票を掴むと、カカシはその伝票をイルカから奪い取り、多めの札を挟むと店員に渡す。勢いのまま店を出ていた。
アオシは、背を向けたまま、その場に立っていたのが、暖簾の隙間から見えた。
カカシとアオシが知り合いだった事に驚いたが。カカシの態度はイルカにも分かるくらいにハッキリとしていた。
(....機嫌悪い...)
部屋に帰ってから。カカシはゴロンと床に横になったまま。動かない。片腕をまくらにしたままで。
何か、話かけようかと考えたけど。
イルカは冷蔵庫から麦茶を取り出すと氷をグラスに入れ、麦茶も入れる。
「...カカシさんも飲みますか?」
案の定、小さい声でんー、と反応はするが、それ以上はない。
イルカはグラスから氷を一つ口に含み、口の中で転がした。
(...アオシと知り合いだったのか。知り合い?いや、違う。アオシが戦場で部下だったとか)
正直、言った事がない自分には想像しか出来ない。里に平々凡々と過ごしている忍びとは、訳が違う。だから、そこに口を挟むことなんて出来るはずがない。
あんたのせいで何人仲間が死んだと思ってんの
あの時のカカシの目を思い出しただけで、背筋がゾクリとした。
(...何か、あったから、あんな言い方になったんだろうけど)
「麦茶」
「へ?」
気が付けば、カカシがこっちに体を向けていた。
「俺にもちょーだい」
「あ、はい!」
麦茶を入れて持って行くと、カカシがむくりと起きあがった。胡座をかいてイルカの持つグラスに手を伸ばす。
「ありがと」
「....はい」
ちらと伺うように目を向けられるが、直ぐにそらされる。カカシはぐいと麦茶を飲み干した。形いい薄い唇からグラスが離れる。からんと、残った氷が音を立てた。ふと目線を向けられ、目が合う。
「俺、あんたが今なに考えてるか分かるよ」
「....ぇ....え?」
何だろ。俺なにか変な事考えてたか?と、ぼんやりしていた自分に焦れば、ふっとカカシが微笑んだ。
今までの不機嫌さに見せた微笑みに、イルカは思わずカカシの顔を見つめる。カカシの見せる表情のギャップに、自分は弱いと、最近知った。ほわと緩める色違いの目に、単純に胸が高鳴る。
(...優しい目)
あと、カカシの目にも。
「...イルカはさ、」
銀髪を掻いたカカシを見る。
「俺って酷い男だと思う?」
柔らかい視線を向けたまま問われた。ふるふると頭を横に振れば、じっとイルカを見ていた、その視線が外れた。
胸が痛くなった。
簡単にうんもいいえも出来るけど。そんな一括りには出来ない生き方をカカシはしてきたのだ。死が常に背中にいて。振り返ったら戻ってこれない。自分もカカシも親はいないけど、三代目に甘やかされて育ったぬるま湯に浸かったままの自分に、何が言えるのだろうか。
もう一度、溶けた氷と混じった麦茶をカカシは飲む。きっと薄すぎて麦茶の味なんかしない。そのグラスを傾け、からと音を鳴らした。
何でもない音が、胸に、響いた。
「もし...俺じゃないヤツでも、声かけてた?」
水玉がついたカカシの持つグラスから、カカシに目を戻した。優しく問いかけられているのに、内容はスゴくシビアだ。
「じゃあ、カカシさんは...店にいたのが俺じゃなくて、別の人が声をかけてたら、」
「女だったら、つれて帰ったかな」
「え!!」
イルカの反応にカカシは吹き出した。
「ってゆーかさ、あんな店に女とか若い子なんていないでしょ。俺そういう店選んで行ってたんだからさ」
けらけら笑って前髪をかき上げる。
「イルカ意地悪」
「カカシさんでしょう!?最初に訊いてきたのは!」
「うんそう。ごめんね?」
可笑しそうに笑いを堪えながら上目遣いで見つめられ、イルカは口を噤んだ。
もしもなんて考えたらきりがない。俺はカカシを選んで、カカシは俺を選んだ。
それだけは、もしもなんて、ないはずなんだから。
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