真夜中のポルカ④

職員室から窓を眺める。ここ何日も雨が降り続いていた。梅雨でもないのに珍しい。窓こそは開けていないが、窓に打ち付ける雨を見ながら持つペンを回した。書類に目を戻し仕事を再開させる。
「イルカ、今日終わったら夕飯行かないか」
「いい、行かない」
声をかけた相手に顔を上げるでもなくイルカは答えた。
「最近、何かお前変じゃねぇ?」
「別に、変じゃないから」
同僚は肩をすくめて立ち去る。
1番イルカが分かっていた。分かっていたが、正直何がこんなにも自分を不快にさせているのか分からなかった。順調に仕事を終わらせて席を立つ。アカデミーの外に出たら、雨はほとんど止んでいた。広げた傘を閉じて手に持ち歩く。
「イルカ先生」
呼び止められたままに振り向き、覚えのない相手だとイルカは思った。長い髪が背中まで伸びている。綺麗な顔立ちの女性だった。イルカは教員という職業柄、名前や顔を覚えるのは得意だ。だが、イルカを呼び止め目の前にいる女性は全く記憶がなかった。が、声は聞いたことがある、気がした。腕を組み顔を傾げてイルカを見ている。
「うみのイルカ、先生」
確認するかのように再び名前を呼ばれた。まるで値踏みをするかのような目つきに、イルカは不快な顔を露わにした。
「…そうですけど」
イルカの答えに口元が上がるのが分かった。
「あなたが、イルカ先生なんだ。ねえ、カカシはご存知?」
カカシの名前がでて、イルカは警戒するかのようにその女を見た。
考えないようにしていた、聞きたくもない名前を出されてどう答えるべきか考えた。
「知らない、訳ないわよね。あなたがイルカ先生なら」
妖艶な瞳がイルカに向けられる。
イルカは溜息をついた。
「…何の用ですか」
「あるからわざわざ来てるのよ。あなた、ちょっと無責任なんじゃないの?」
一歩イルカに歩み寄る。
(無責任?なんだそれ)
「だってそうでしょ?使い捨てるような真似しないでよ」
「使い捨てる?意味が分かりません」
女は大きな目を開き、口元に手を当てる。
「やだ、とぼけるの?酷い男ね。カカシが別れるって言うから私は身を引いたのに、あんなカカシ見てられないのよ。あなた忍なんでしょ?素人の私が見ても分かるのよ。わかってる?」
「……分かりません。俺はあの人に関わりたくありませんから」
「あなたカカシを捨てたんでしょ?」
「いいえ、あなたが思っているような関係にもなった事はないですよ。1度も」
「でもカカシはあなたと関係を持つからと、私から離れたのよ。そんなはずないわ」
一切引く気はないのか、女はイルカを強い眼差しで見た。
----関係をもつ。カカシがイルカにしていた事がそうならば否定はしないが、既に終わった事だ。
「どう解釈されているか分かりませんが、俺には関係ありません」
「あるわよ。あぁ、いいわ。じゃあ言い方を変える。カカシの様子を見て来て」
否定しようとしたイルカを見て女は手を振り言った。イルカは眉をひそめた。
「何で俺が」
「それが1番早いもの。貴方が言う木の葉のはたけカカシは有能な忍でしょ?食欲も
ないし元気もなくてやつれてるわ。危険な仕事もしたりするんでしょ?貴方心配じゃないの?」
イルカは口を噤んだ。あのカカシが受ける任務はS級のものばかりのはずだ。それなのに体調を崩してると言われれば心配には心配だ。
「はい、これ」
手に渡された薄ピンク色の紙。開くと綺麗な字で住所が書かれていた。
聞くまでもなく、カカシの住所だろう。
「私が何言っても聞かないから、お手上げなの。あの様子じゃ何日も寝てないみたい。だから貴方がみてあげて。捨てる前にはその位してあげてもいいんじゃないかしら?」
「………」
「お願いね」
無言を肯定と受け取ったのか、女は去っていく。
甘い香りがする女性だった。きっとカカシの女なのだろう。いや、女だったのか。
イルカは手にした紙ををじっと見つめた。


上忍らしい場所ではないが、カカシらしい場所だな、とイルカは思った。大きな庭から見える平屋の家を見つめた。庭は手入れがされていないのか、雑草が覆い茂っている。かと思えば選定された紫陽花は小さな芽と葉っぱをつけていた。並べられた置き石つたいに歩きながら家の前まで来た。ノックすべきか手を挙げたまま躊躇する。軽く深呼吸をして、軽くドアを叩いた。返事がない。もう一度ドアを叩く。
「イルカです」
自分の名前を出し様子を見る。ガタ、と物音が聞こえた。暫くするとドアが開く。カカシの顔が半分見えるくらいに開かれていた。
その表情は暗い。
----顔色が悪い。まるで病人だ。それに痩せている。
カカシと関係を絶ってからそんなに経っていないはずなのに、変わり様にイルカは目を見張った。
イルカの目に映るカカシの姿に胸が痛くなる。直ぐに言葉が出なかった。
「……なに?」
冷たい眼でイルカを見ている。今にもドアを閉めそうな気がした。
「カカシ先生、……何所か具合でも、」
「……アンタには関係がないでしょ。用はそれだけ?」
締めようとされ慌てて片手でドアを抑えた。
「待ってください」
もう片方の手もドアに伸ばし、カカシの手に触れた。イルカはその手の熱さに目を開いた。
「……カカシ先生、もしかして熱が」
「だからアンタには関係ないと、」
「関係なくないです。熱があると分かってやすやすと帰るわけに行きません。部屋に入れてください。」
言い放つイルカに顔をしかめたまま、カカシはドアを解放した。ダルそうに身体を柱に擡げている。
「それで、どうしたいの?」
「とにかく、熱をみせてください」
拒否されると思いつつカカシの額に手を当てる。
熱い。カカシの身体が熱く熱を持っているのは明らかだった。
「カカシ先生、ベットに行きましょう。……あちらですね」
肩を貸すようにしてカカシを支え、寝室と思われる部屋へ移動した。ベットにカカシ
を寝かせて布団をかける。
かなりの高熱だ。カカシはイルカに何かを言うでもなく大人しく目を閉じ、時折辛そうに息を吐いた。
「病院には行きましたか?」
「…行かないですよ。嫌いなんです」
「じゃあ薬は?」
「…薬は暗部から貰ってるのがあるからいいです」
「風邪薬を暗部から…?それは飲みましたか?」
「…うるさいねアンタは。飲まないですよ。ただの風邪ですから。だいたい薬は嫌いです」
呆れてカカシを見た。まるで子どもだ。
「…とにかく、俺は薬を買ってきますから。他に具合の悪いところはありますか?」
「…喉が痛いです」
そっぽを向きながカカシが答えた。
完全な風邪だ。高熱だからと他の病気を疑ったが、この様子なら風邪に違いない。
取り敢えず風邪薬が必要だ。カカシの口ぶりでは薬を家に常備していないだろう。疑っていたため手ぶらでカカシの家まで来ていた事を少し後悔するが、考えていても
仕方がない。
「ちゃんと寝ていてくださいね」
カカシからは返事がない。何故かふてくされているようにも見える。溜息をついてイルカは立ち上がった。イルカはカカシの家をでて、必要と思われる物を買い揃えて戻る。
カカシは目を閉じ規則的な呼吸を繰り返している。
(寝たのかな…)
氷嚢に氷を入れてカカシの額にそっと当てた。
(…あとはご飯かな)
立ち上がりキッチンへ向かう。消化に良いおじやを作り、カカシの寝室へと運ぶ。正座をしてカカシを見ていたら、ふと目を開いた。
「カカシ先生、目が覚めましたか。どうですか?まだ身体が震えたりしますか?」
「…いえ」
カカシは横目でイルカを確認して、額に当てられている氷嚢を触る。
「じゃあ、おじやを作りましたから食べてください。少しでも食べて、薬を飲んでください」
茶碗によそい、おじやを差し出す。
カカシは氷嚢を枕元に置き、身体を起こした。
思ったよりもカカシはおじやを食べ、薬と水の入ったコップを渡すと、土鍋を片すためにキッチンへ向かった。あらかた洗い物を済ませて寝室へ戻る。
またカカシはウトウトとしているのか、目は閉じたままだ。本当は汗をかいた身体を拭き、着替えをさせたかったのだが。何せ忍服のままなのだ。呼ばれれば任務に行くつもりだったのか。
(…痩せたな)
顔が少しこけているように見える。こんな短い期間に痩せてしまうのか。それほど何も食べていなかったのか。あの女はカカシが寝てないと言っていた。顔色を見てそれは明らかだった。
カカシの顔をじっと見つめる。
(…ちゃんと寝てるし)
それにご飯も食べた。
それだけで安心した。
本当はカカシの家に来るつもりもなかった。
嫌いなはずなのに、顔が見たくなった。
顔を見て熱があると分かったらじっとしていられなかった。
イルカはカカシのベッドに両腕を置いて顔を伏せた。
嫌いなはずなのに。
どうしてしまったんだろう。



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