目を閉じれば①

「はい、ここまで!」
イルカは2回手を叩いた。
それを合図に手裏剣を手に持つ生徒が片付けを始める。だらだらとした動きを見てイルカは鼻から息を吸い込み、肺に空気を送り込んだ。
「いいか!明日は今日やった演習のテストをやるからな!」
その声は演習場の隅々まで響き渡った。
ええー!と生徒から不平の声が上がり、怒号となり飛び交う。イルカは両手を腰にあて、そんな生徒を見据えた。
「手裏剣は忍びの基礎だ。しっかり復習して、自信のないやつは練習だ!」
イルカの表情に嫌な顔を見せながらも生徒たちは手を止めていた片づけに取り掛かった。それでもこの子たちは練習をしてくるだろう。一人一人の生徒の表情を確認して、イルカは見守るように微笑んだ。

「精がでるな」
「火影様」
振り返る先に火影が後ろ手を組んで立っていた。こんな場所に珍しいと、イルカは軽く会釈をし、火影の元へ足を向けた。新緑が芽吹き、演習場にもたくさんの桜が蕾を開かせていた。
「手裏剣にこだわりを持つのはお前くらいだな」
自分だけと言われたら確かにその通りだ。他の同僚はここまで手裏剣にはこだわった教え方をしない。それでも自分の培った全てを生徒に託したく、イルカはその拘りを捨てる事はなかった。自分でもそれはよく分かっている。イルカは苦笑した。
「火影様からの教えを説いているだけです」
幼い頃アカデミーから帰るイルカに、火影は何度も説いてくれていた。
「………そうか」
それとは別に頭に過る昔の記憶。中忍になるために我武者羅に鍛錬した日々。
イルカは懐かしそうな眼差しで空を見上げ、一息つくと火影に向き直した。
「で、今日はどうされました?」
「ああ、…お前の担当していた下忍に就く上忍師が決まったからな、その報告だ」
後ろ手に組んでいた手から書類を渡され、こんな事はめずらしいと内心驚きながらイルカは受け取った。
「外でよろしいんですか?私が改めて執務室に伺いますが」
「散歩ついでにな。……たまには外で話すのもよかろう」
「はあ...」
歩き出した火影に返答しながら、イルカも歩みを進めた。

「ーーアスマ上忍なら心強いです」
手に渡された書類に目を通しながらイルカは1人頷いた。
イルカの納得した表情とは裏腹に、火影は分かりやすく顔を顰めた。
「そういう経験もあやつには必要よ」
「……はい」
苦笑して火影に同調する。一度里を離れた息子とて、今や上忍の中でも主要の1人。火影としてアスマを責任のある立場に置くことも必要なのだろう。実際アスマは実力共に包容力があり信頼も高く、下には慕う人間も多い。教師として、彼を上忍師に就けてくれるのは有難かった。
「…で、ナルトは、」
ぺらとページを捲り、先に続くはずの言葉が途絶えた。イルカの目から表情が消える。歩みを進めていた足が止まっていた。

はたけカカシ

うずまきナルト、うちはサスケ、春野サクラの3名を担当する上忍師として、表記されている。
書面に書かれた名前は、イルカのその目から脳に伝わり、そこから一気に10年前の記憶が蘇った。そこから今日に繋がるまでの記憶も。固まり動かなくなったイルカに、火影は思慮深い眼差しを向けていた。
魂が抜かれたようにぼんやりとしたまましばらく書類を見詰めて。誤魔化しきれないと分かっていながらも、その自分を押し隠すように顔を上げた。だが火影への言葉が見つからない。
静かに息を吐いた火影は、視線をイルカが手に持つ書類へ移し、口を開いた。
「今日付けで暗部から配属移動した。……ナルト並びにサスケの監視を兼ねてな」
「……そうですか」
踏み込むなと言われ続けてきた暗部の領域をすんなりと話をするのは、火影の意図があっての事だろうが。
未だ回転しない頭で、こくりと、一回イルカは頷いた。
「写輪眼と名も通っている。任せて問題のない男だ」
「……はい」
肩を叩かれ、弾かれたように我に帰った。火影の眼差しが何を語っているのか。何も理解出来ない。肩から手が離れ、火影は向きを変え歩き出した。その背をただ見詰めて。イルカは見えなくなるまで動けなかった。



あの年、紛争は終わった。だけどカカシは自分の元に現れる事はなかった。
そして、自分は中忍に昇格した。
合格した時、直ぐに思い浮かんだのは父や母ではなくカカシだった。伝えたくてあの河原にも足を向けた。洞穴にも。
たぶんその時には、もう暗部の使うルートは変わっていたのだと思う。時間を見つけてはあの場所に行っていたから、なんとなく分かった。中忍になり、任務の幅も広がり行動範囲も広がり、時間があればカカシを探した。だが、探すだけではカカシを見つける事は出来なかった。
闇の如く消えた暗部を見つけるのは不可能に近く、だが、火影に聞くことはなかった。
自分は待つと伝えた。それでも姿を現さないのは、きっとカカシは帰る場所を見つけたのだ。
イルカはそう結論付けし、そこからはカカシを探すのをやめた。
写輪眼の名は里内外に広まっていた。だけど、それが本当にあのカカシなのか。実体がない存在に気を止めてはいたが、結びつけるものはなにもない。
だから、記憶を頭の隅に押しやった。

なのに。

10年経ち25歳になった今。
アカデミーの教師として渡された書類にある名前をどう解釈すればいいのか。
カカシがまた自分の世界に現れた。
特別目をかけていた生徒の上忍師として。
顔合わせがある訳でもない。報告書類だけの関係。きっとカカシにも生徒を担当していた教師として、自分の名前が渡されている。
ピイ、と頭上で鳥の鳴き声が聞こえ、イルカは空を見上げた。メジロが番いで気持ちよさそうに飛んでいる。
淡い青色の空。薄雲の間から見える空。
その遥か先に、見えない未来を見出そうとしていた懐かしい感情を久しぶりに思い出した。大人になる事に必死で、不安で、怖くて。闇雲にもがいていた。

カカシ。

それだけで胸が一杯になり、顔を強張らせた。
押しやっていた記憶に包まれていた感情、それは不安だった。
写輪眼のカカシは、あのカカシだったと、それだけでひた隠しにしていた感情が解けていく。
生きていた。
静かに、ゆっくりと。身体の中の全ての空気を吐き出すようにして、イルカは目を閉じた。




会うとすれば任務報告所。そう思っていた。
アカデミーの教師と受付業務を兼任している。カカシが七班を率いて受付に現れるだろう。
その時、俺はどんな顔で会えばいいのか。10年経てばそれなりに変化もあるだろう。ましてやカカシは暗部にいた。つい最近まで。皮肉にも自分があの時やめろと言った暗部に、あれから10年、カカシはいた事になる。それは、生き残ったと言うべきか。
イルカは笑いを零した。自分は中忍のまま、内勤をしている。あの頃は高みは火影とまで考えていたのに。火影になると口癖の、金髪の元教え子となんら変わらない。
それでも今の環境に満足しているんだけど。
肩に掛けた鞄を背負い直して。自分を呼ぶ声にイルカは振り返った。
「イルカせんせー!!」
茜色に染まる夕焼けをバックにナルトがアカデミーの時と変わらない表情で駆けてきた。ばふん、とイルカに体当たりする様に抱きつく。イルカは目を細めて金髪の髪を撫でた。
「任務は終わったのか?」
顔をぐいとイルカに上げて、歯を見せて嬉しそうに笑顔を見せた。
「もっちろん!」
辺りを見渡せばサスケやサクラはいない。この様子から解散してカカシは任務の報告に向かっているのだろう。
会わなくて良かったと言うべきか。複雑な気持ちにただ、イルカはナルトの顔を見詰めた。
「ナルト!あんた走るんじゃないわよ。里の中で迷子ってこれ迷惑だから」
サクラの声にイルカは顔を上げた。呆れ顔をしながらもサクラはナルトに鋭い目線を送っている。すぐ近くの路地からサスケも仏頂顔で現れた。
イルカの心音がトクン、と鳴った。
路地を見つめるイルカの視界に銀色の髪が見える。ゆっくりと姿を見せた男は、ポケットに片手を入れたまま、サスケの後ろから歩いてきた。
ナルトがサクラと言い合いながら、自分に何か言っているのは分かったが、耳に入ってなかった。
大きく見えるのは、あの時のままのカカシ越しに見ているからだろうか。左目は額当てで隠され、露わなのは眠そうな右目だけ。思い描く事もなかった成長したカカシを、幻を見るかのようにぼんやりと目で追っていた。
「ーーンセ!イルカせんせーってば!」
掴まれた腕を揺すられて、引っ張るナルトに視線を戻した。
「あ、ああ、なんだ」
「何だって、俺の今日の活躍聞いてなかったのかよ!」
子供らしく拗ねた顔を見せられ、無理に頬を緩ませてナルトの頭に手を置いた。
「ごめんな、ちょっとぼーっとしてたな」
「あーもー、カカシ先生から教えてやってくれってばよ!」
トクン
高鳴る心臓に身体が揺れそうだ。
ナルトが背後に振り向き、イルカも顔を向ける。初めてカカシと視線が交わった。変わらない、青く澄んだ瞳。表情のない目が、ふと笑った。
「あー、あなたがイルカ先生ですか。俺はたけカカシと言います」
「...はあ」
人のよさそうな笑顔は自分に確かに向けられていた。イルカは気のない相槌をうっていた。

「初めまして。よろしくね」

聞き間違いかと思った。
目が点になったイルカは次第に目を開き、ジッとカカシを見つめる。
初めまして?
色々会話を思い描いていた。なんて言おうか。カカシにこう言われたら、どう答えるとか。
だが、『初めまして』の予想はしていなかった。いや、思いもよらなかった。
それに、笑っているのに表情がない。作り笑顔だと見抜いたが、だからどうと言うものでもない。
イルカはただ、頭を下げた。
「……初めまして。アカデミーで担任を務めておりましたうみのイルカと言います」
敬語に違和感を感じるが、その対応しか思い浮かばない。困惑しながらも台詞はスラスラと出てきた。ただ、ここからどう繋げば。
「…ナルトが、…いつもお世話に、」
「いーえ、毎日楽しませてもらってるんで。やる気だけはあるみたいですからね」
笑うカカシを眺めなから、頭を掻く仕草は変わらないな、とぼんやり思った。
「それじゃ、今から報告しますんで」
「あ、はい。…お疲れ様、でした…」
カカシはまだ言い足らなさそうなナルトの背中を押しながら歩いていく。それをただ見送るしかなかった。
ナルトが背伸びしながらカカシに何かを言っている。カカシは屈みこみ、ポンと頭を叩いた。それだけで嬉しそうにナルトは笑った。カカシも笑う。

作り笑顔ではない笑顔で。

無性に嬉しいのに、虚無感を覚えていた。


NEXT→

スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。