目を閉じれば④

正直寝起きは最悪だった。
ガンガンと痛む頭を抑えて、目覚まし時計を掴んで針が指す時間を確かめる。低い声を漏らしながら布団の中に沈み込んだ。

昨日はやられたと思った。
あの投げかけと共に消えた上忍は、しばらく待ったが、公園には戻って来なかった。
カカシとのやりとりを、取り残された頭にはすんなりと蘇っていた。動揺が波のように襲いかかる。深く考える必要がないくらいにカカシは言葉を残していったのだ。そして酒も。
その残された酒を、全部飲んだ。
飲んだからといって忘れられるわけがないのに。いささか自分の動揺に呆れはしたが、気持ちはスッとした。飲んでいる間は。
飲んでも飲んでも酔えない事もあるんだと知った。
出会ってからどんだけ振り回す気だよ、あの上忍。
あんな風に目の前から消えて、どの面下げて会うつもりなのか。ただ、会おうと思わなければ会う事もないが。

二日酔いも治まった午後、火影は酒臭さが残るイルカに苦言を呈しながらも、遣いを頼んできた。甘美堂で注文していた和菓子を取り行けと言う。ついでにその渋い顔をどうにかしてこいと言われ、自分がどんな顔で受付に座っていたか思い知らされた。それはきっと二日酔いではない理由だと、火影は見抜いているのだろう。
甘美堂の店主はガラス張りに並べられた和菓子を箱に入れ包む。桜色の上生菓子とよもぎ餅。どちらも火影が昔から好んで口にしていた。甘い物はそう好きでないイルカも、この上品な甘さは嫌いではなく、むしろ好きだ。小さな頃からイルカちゃんと呼ばれていたが、今や先生と呼ばれる気恥ずかしさもあり足は遠のくばかりだったのだが。イルカはこの機にと、自分用にも幾つか買い、お茶を出してくれた店主に頭を下げながら椅子に座り口にした。濃い抹茶の味にイルカは両手で器を包みほうと一息ついた。
考えないようにしても、気を抜くともやもやと胸が晴れない感じに溜息が出た。しかし自分の勝手で火影の厚意に甘えるのは、やはり気が揉める。飲んだら早く戻ろう。
入り口をぼんやりと眺めて、目に入った横顔がカカシだと分かり、思わず立ち上がっていた。一瞬だったが、ハッキリと捉えていた。隣にいる綺麗な女性を。
腕を、組んでいた。
どっどっどっ、と心臓は激しい運動を繰り返した後のような動きをした。脈打つ身体が熱いのか寒いのか。手に汗握る掌は、熱を持つのに汗は冷たく。
乾いた唇を舐めてそのまま下唇を噛んだ。

任務報告所に戻ってきたイルカは、行く前よりも更に悪くなって帰ってきた顔色に、火影は眉根を寄せながら菓子を受け取った。もう帰れと言った火影に、イルカは強く否定し席に戻り仕事を再開する。
気分が悪い。吐きそうだ。
それは、何よりイルカ自身認めたくなかった。
馬鹿のように忘れられない、カカシの横顔と女の横顔。
その時の自分の慌てよう。
もういい。もうたくさんだ。
(ーーーー勘弁してくれ…っ)
報告を笑顔で受け取りながら、イルカは心で叫んでいた。




仕事が終わった時には月が真上から西へ傾きかけていた。
イルカは夜中にも関わらず扉を強く叩いた。
部屋には明かりが灯っている。気配すら感じないのは1人でいるという事だといいが。嫌な危惧を胸に抱くが、扉を叩くのはやめなかった。
一向に開かないのは、本当に居ないからか、出たくないからか。深く息を吸い込み、イルカは口を開いた。
「イルカです」
数秒後すぐに気配が動き、扉が開かれた。
開けた相手は目を見開いて驚きを隠せない表情を見せている。ベストだけを脱いだ格好で、寛いだ格好すらしていない。
「どうしたの?」
未だ驚いたままのカカシは、決してにこやかでないイルカの顔を見ていた。
「家に入れてもらえますか」
「へ?」
間の抜けた声を出すカカシの前に和菓子の包みを出した。
「お土産です」
「は?」
包みを両手でカカシが受け取ると、イルカは玄関に入った。
「お邪魔します」
屈み込むイルカを眺めて、カカシが口を開いた。
「俺の家、よく分かりましたね」
靴を脱ぎながら、投げかけられた台詞に顔を上げた。
「情報収集は基本中の基本じゃなかったですか?」
「あぁ……そうでしたね」
言いのけるイルカにカカシは苦笑した。
良かった、誰もいない。
部屋を見渡し、改めて安堵しながら、イルカは部屋に上がった。自分の部屋より広いが物が少ない。
「何か、飲みますか」
「いりませんし、酒はもう結構です」
冷蔵庫へ向かおうとしたカカシに突っぱねる言い方に、自分でも冷たいと思うが出てしまっていた。嫌な苛立ちだと分かるのに。カカシへのあてつけだと分かっているのに。だけど、今まで酒で誤魔化していたのは間違ってはいないだろう。素面で向き合いたい。それだけだった。
「…分かりました」
素直に答えるカカシは、どこか行き場を無くし追い詰められたような不安が顔に現れている。その表情を、イルカは仏頂面のままで見ていた。
違う、そうじゃないだろ。八つ当たりをしにきたんじゃない。話を切り出す頭に過る昼間の場面を消したくて、苛立ち気に目を閉じた。カカシが何か言おうとしたのを察し、イルカは掌で制しながら、違うんですと苦し紛れに声を出した。ゆっくり目を開け、一呼吸する。カカシを見た。
「カカシ先生。俺は、あなたと友達になりたかった」
イルカの台詞にすこし目を丸くした。その目を見詰めてイルカは続けた。
「今はそんな立場ではないので言いません。15の俺の気持ちです。あの時、あなたと向き合いながら一緒に大人になりたかった」
それは紛れも無い自分の純粋な気持ち。今もそれは変わらない。あの頃はされた行為に戸惑うばかりで、冗談で流されたくないと抵抗をした自分がいた。
今や彼は誰もが恐れる忍びとなり、その里一の忍びが情けないくらいに自分に向けた気持ちをどう受け止めるべきかとか。昨日から酔えない頭で考えて、気がついた。
カカシはギリギリのラインまで歩み寄るが、そこから自ら動く事はなかった。俺を待っていたのだ。ラインに立つ事もせず同じ土俵に立つ事もしない、自分を。ずっと。
イルカは手を伸ばす。カカシは反射的に手を差し出した。触れるその指先は冷たい。イルカはそのまま手を引いて歩き出した。一人暮らしの間取りには寝室と思われる場所は一つだ。イルカは部屋に入り目にした寝台の前で手を離す。眉を寄せてじっとイルカを見るばかりだったカカシが口を開いた。
「…イルカ先生…?」
どこか心細そうに名前を呼ぶ。
10年前、暗部に襲われそうになって、出さないと決めていたカカシの名を何度も呼んだ。名前を呼んだあの時、あの時に答えが出ていたのに。
それに10年経って気がついた。
まだ、まだ少しだけ、それは間違いじゃないかと思えるが。それを確かめに来たのだ。
「イルカ先生。どうしたの」
「だってしょうがないじゃないですか」
被せるように。それだけ言って、イルカはカカシに近づき腕を首に回した。ピクリと動くカカシに構わず口布を引き下げると唇を押し付けた。むにゅ、と柔らかい唇を合わせぎこちなく何度も押し付けて。胸がどきどきする。合わせた胸から、カカシの鼓動も短く高鳴っているのが分かった。
「カカシ先生…」
瞼を伏せたまま、イルカは小さく名前を呼んだ。間近で息を呑み、そのままゴクリと喉を鳴らしたのが分かった。
「どういう事…?」
戸惑いを含み、すこし掠れた声が耳に聞こえる。
ああ、くそ。なんて言えばいいのか。もどかしさに息苦しくなる。自分の恋愛経験の儚さがなんて歯痒いことか。
「だから…」
言い淀みながら、ゆっくり伏せていた瞼を上げてカカシを覗き込んだ。不安を宿した目と交わる。イルカは自分の乾いてくる唇を舐める。カカシの視線がすぐに唇に及んだ。その唇をゆっくりと開く。
「…あんたとセックスしたい。それで十分だろ?」
ぐう、と見開かれた目は自分を凝視して、
「イルカ先生…」
熱に絆されたようにぼんやりとした声でカカシは名前を口にし、自分の額当てを取り素顔を晒した。ふと、悔しそうな顔をする。
「あなたにそこまで言わせるなんて。俺、なんかカッコ悪いね」
ホントにと苦笑気味にイルカを見る。
「イルカ先生、好きだよ。あなたサイコーにカッコ良い」
「格好良い訳ないでしょう」
カカシは微笑みで否定した。
こんな端整な顔の男に言われたら嫌味に聞こえてもおかしくないが、見せられる笑顔がかわいくて。今はただひたすらにイルカの胸を締め付けた。
言葉にしてから身体の奥から熱がこみ上げていた。男というのはなんて単純な身体なのか。恥ずかしさからくる熱だけでないのは明らかだった。
だが、カカシがイルカの手を自分の熱へ導き、張り詰めたそこに息を呑んだ。
「好きな人から誘われるって、こんなになるんだよ」
カカシはイルカの表情を確認してにんまりと笑う。顔に熱を持ったイルカを寝台に押し倒した。
「電気は」
「誘っといて何言ってるの」
咄嗟に出た焦りにカカシは笑いを零し、どうせ消したって見えるんだからと優しく微笑んで唇を合わせた。


*次からR-18なので、何となくここで区切ります。


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