見えない男④

「イルカの様子はどうだ」
 いつもの様に人払いをした後で問われた一言に、カカシはポケットから手を取りだし頭を掻いた。
 正直、本体事態に変調がないからなのか、人任せにしか感じない火影の言葉は苛立ちを覚える。
「別に、普通ですよ」
 素っ気ない返答に、火影は僅かに反応を見せた。
「それは分かっている。特段報告するような事はないかと聞いてるんだ」
「ないですね。あの人は至って元気ですよ。もし変調があったら報告しますからご心配なく。そんな事より、本体自身に対する治療法の進捗はないんですか」
 あったら連絡している、と言う同じ様な眼差しにカカシはため息を吐き出した。
「・・・・・・ま、いいですよ。日帰りの単独任務だったら受けますんで、まわしてください」
 嫌み混じりの言葉は火影には通用しない。特に今はないと言われ、カカシは執務室を後にした。廊下を歩きながらカカシは嘆息する。
 自分を含めイルカの今の事情を知っている者はまだいいが。はやりこの前の事も然り、子ども達には可哀想な気もしてくる。
 そして、焦っているのは周りだけだ。本人は戻りたいとも、戻れない事に何の不安も抱いていない。
 それだけが引っかかるが、火影にそれをどう伝えるべきか、分からなかった。にこやかに、いつも自分の周りにいるイルカ。保護観察の対象であると頭では分かっているのに。家に帰ると笑顔で出迎えてくれて。その日の七班の任務の話や他愛のない話も聞いてくれる。イルカの存在に馴染んでいる自分がいた。
 廊下を半分まで歩いた時、反対側から上忍仲間であるアスマが歩いてくる。
「よお」
 通りすがりに声をかけられる。足を止めた。
「今から任務か」
 執務室に用がある場合は任務の受ける時か、その報告か。どちらかしかない。
 日常会話の過ぎないが、イルカに関する報告だと本当の事を言えるわけがない。
「報告」
 短い答えに、アスマは深く詮索の目を向ける事はない。軽く頷いた。
「じゃあ今夜一杯どうだ」
 煙草を指に挟んだまま、手で杯を傾ける仕草をする。
 ふと浮かんだのは昨夜のイルカの言葉だった。

 たまにはどこかで飲んできたらどうなんですか?
 風呂から出てキッチンに向かい、冷蔵庫からビールを取り出した時に言われた台詞に、カカシは振り返った。
 ソファの上に寝転がりながらこちらを見ているイルカと目が合う。すっかりここの住人として馴染み、その光景はなんの違和感もない。
 カカシはビールを一口飲みながら、濡れた頭を首にかけたタオルで拭いた。
 イルカが来てから、七班の任務終えたら買い物をし、帰路に就き夕飯を作り、日付が変わらない内に床につく、と言う摂生した生活習慣が身につき始めていて、外食すらしていない。
「いいの?」
 そう口にしたのはなんとなくだった。
 じゃあそうするね、と言えばいいだけだったのかもしれない。イルカは僅かに目を丸くする。その目がふっと緩んだ。
「当たり前じゃないですか」
 ソファに寝転がるイルカはいかにも可笑しいと、そんな顔をした。カカシはビールを喉に流し込むと、イルカがいるソファに腰掛ける。
「先生は酒とか飲むの」
 あ、今じゃなく普段ね。付け加えると、ちょこんとカカシの隣に座り直したイルカは、一回頷く。
「へえ」
 感心を含んだ口調にイルカは片眉を上げた。
「俺だって酒くらい飲みますよ」
「何飲むの?」
「俺はビールとその後は焼酎ですね」
 それは自分と同じだと、知ることのなかった共通点にカカシはイルカの横顔をじっと見つめた。
「じゃあ今度一緒に飲もうか」
「え?」
 話としては当然の流れだった。なのに、またイルカの黒い目が丸くなる。答えを待つように僅かに首を傾げながら、ふと思い出す。
「ねえ、先生。そう言えばこの前さ、」
 口にした時、イルカが急に立ち上がった。
「イルカ先生?」
「俺、ちょっと散歩に行ってきます」
 散歩にしては遅すぎる時間に、イルカはふわりと外へ出て行く。

「おい」
 アスマの声に我に返る。気がつくと、アスマが眉を寄せてこっちを見ていた。
「行くのか行かねーのか、どっちだ」
「ああ、いいよ。行く」
「じゃあ7時ぐらいに酒酒屋な」
 煙草をふかしながら背を向ける友人に、はーい、と軽く手を降り、その手を後頭部へ移す。
 アスマの背中を見つめながら、イルカの少し不自然な笑顔を思い出していた。


 酒酒屋でアスマと酒を飲み、そこで顔を合わせた他の上忍仲間と合流をした。そこまでは良かった。
 アスマは紅につき合って二軒目に行くことになり、さっさと上がろうとした。なのに、ーー。
 夜道で身体をカカシにぴったりと寄せ、腕を組んでくるくノ一に、カカシはため息をついた。
「うちに寄っていかない?」
「んー、行かない」
 怠そうな返答に、くノ一は少しむくれた表情を向けた。
「どうして?」
 あのねえ、とカカシはため息をついた。
「どうしてって、俺はあんたが送って行って欲しいって言ったからつき合ってるだけでしょ」
「あら、それってOKって意味って事じゃないの?」
 綺麗な顔に浮かぶ赤い唇が妖艶に微笑む。男を落とすのには上等な手段だ。
「悪いけどそんな気分じゃないの」
「そんなの寄ってみなきゃ分からないじゃない」
 柔らかい胸を押しつけてこようが、酷く嫌な気分になるだけだった。面倒くさい女に捕まったと、またため息が出そうになった時、ふわり動いた風にカカシは顔を上げ、少しだけ息を呑んだのは。
 イルカがいたから。
「ねえ、じゃあ私があなたの家に行ってもいい?」
 甘ったるい女の声は、きっとしっかりイルカの耳にも届いている。でも、これはこっちの都合と状況で。イルカには関係ないのに、浮かんだのはーー見られたくないものを見られた、と言う何故か、罰の悪い気持ちだった。
「イルカ先生、あの、これは、」
 思わず口から言葉が漏れる。何言ってんの、俺。冷静にそう思う自分が浮かぶのに、抑えられなかった。それに、言い訳しようもしようのないぐらいに、女はぴったりとカカシに寄り添っている。
 違うんです、と言い掛けるカカシにイルカは少し後ずさった。
 イルカ先生って?女が不思議そうに聞き返してくるが、それはどうでも良くなっていた。
「ちょっと、カカシ?あなた誰に言ってるの?」
 カカシが向いている方へ女が顔を向けた途端、イルカは背を向け走り出す。
 思わず追いかけ手を伸ばしていた。
 イルカに触れられるはずがないのに。カカシの伸ばした指先にイルカの指先が確かに触れた暖かい人肌感触。
(・・・・・・え?)
 信じられないがそれは事実で。自分の指がイルカに触れていた。勢いのまま、イルカの手をカカシは掴む。
 イルカもまさか掴まれるのは思っていなかったのだろう。えっ、と息を呑み引っ張られるままに足を止め、カカシに振り返る。その目は驚きに見開いていた。
「ねえカカシ、さっきからあなた何してるの?」
 さっきから一人で気味が悪いと言わんばかりのくノ一の声は、カカシの耳に届かない。
 イルカに触れる事が出来るこの事実を、お互いに驚きただ顔を見合わせるしかなかった。



 僅かな変調があったにも関わらず。
 あれから二日、イルカはカカシを避けていた。
 そんなに嫌ならここを出て行けばいいのにと思うのに。出て行くことはせずに、ただ、カカシにろくに話しかけようともしない。
 最初はこっちも呆れ半分意地にもなりイルカのその態度に合わせていた。イルカ自身も意地になっているのは分かっていたし、自分の神経は伸びきってはいる方で、然程気にもならないはずなのに。
 任務から帰り部屋に入ると、お帰りなさいと、イルカの声だけがかかる。部屋を見渡すと、隅に座っているイルカを見つけた。既に背を向けている。ベストのジッパーを下げポーチを外しテーブルに置きながらその姿を見つめ、
「ねえ」
 先に折れるのは気に入らないが。
「いい加減機嫌治してよ」
 そう声をかけても返ってくる言葉がない。カカシはため息を吐き出しながら、後ろを向いて正座しているイルカを見つめ、がりがりと銀色の頭を掻いた。
 そのため息に返ってきたのが、
「・・・・・・放っておいてください」
 一体何なの。
 思わずまたため息が出そうになり、自分のカカシは腕を組みながら片手の手のひらを、口布の上から自分の口元に当てた。
 ゆっくりと息を吐き出してカカシは一人、ソファに腰を下ろす。床に正座しているイルカの後ろ姿を見つめた。
 放っておけと言ってるのだから、そうしたいが。そんな気分にはなれなかった。イルカはきっと頑固な性格の持ち主だ。こうだと思ったら、きっとこのまま沈黙を続けて、てこでも動かないだろう。それが何となくわかり、うんざりした気持ちにもなる。
 他人とあまり関わってこなかったのもあるが、こんな時、どんな言葉が適切なのか分からなかった。それに、ただ、このままの状況でイルカといるのは嫌だと思った。
 二日前自分が飲みに行った夜の事が原因だと言うことは分かる。ただ、何を話したらいいのか分からない。
 迷いながらも仕方なしにカカシは口を開いた。
「ねえ先生。あの日はさ・・・・・・元々は、アスマと飲んでたのよ。でね、そしたら紅達が同じ店にいてね、」
 何の説明をしてるんだろうと、内心可笑しくなる。一体この説明が何の意味があるのか。カカシは続ける。
「そこでアスマ達と別れて俺は帰ろうと思ったわけ。で、あの女が送って欲しいって言うから、」
「もういいです」
 イルカの声に遮られる。ゆっくりとイルカがカカシへ顔を向けた。
「別に、あの女性との経緯とか・・・・・・聞いたって仕方ありませんから」
 カカシは眉を寄せていた。苛つきが顔に出る。
「じゃあ何でそんなに怒ってるわけ?」
 立ち上がってイルカに詰め寄る。立ち上がりかけていたイルカの腕を掴んだ。
「ねえ、何が気に入らないの?」
 イルカの顔を凝視する。計るように黒い目を見つめても、強い眼差しが返されるだけで、分からない。
「そんなに俺が女といるのが嫌だった?」
 怒り任せに出た言葉に、イルカの肩がぴくりと震える。カカシは動きを止めた。 
 瞬きをする間に、イルカの顔がかあ、と真っ赤に染まる。その赤くなるイルカの顔をまじまじと見つめた。
(・・・・・・それって・・・・・もしかして)
「・・・・・・嫉妬?」
 確信のないままぽつりとカカシの口から出た言葉。一気にイルカの耳が真っ赤に染まる。
 恥ずかしさに潤んだ黒い目に、赤く染まった頬に、胸がどきんと高鳴った。相手は男のなのに、直結し沸き上がったのは、性欲だった。
 男相手に欲情した事は一度もなかった。
 イルカを掴む手に力が入り、イルカが眉を寄せた。
「なに、カカシさ、」
 言い掛けたイルカの口を自分の唇で塞ぐ。イルカは目をまん丸にした。
 抱き寄せるイルカの身体に感じるのは薄っすらとした暖かさ。たぶんこの人はそこまで体温が低くない。チャクラは感じないと言うのに、ぬるりとした舌の絡む感覚と、唾液が混ざる水っぽい質感、それにイルカの息も感じる事が出来る。
 はだけた病院着から、イルカの胸元が見え、それだけで下半身が疼いた。
 元々性欲は薄い自分には信じ難い反応。
「な、なにをして、やめ、」
 唇を浮かせたイルカは嫌だと首をそむける。その首筋に唇を乗せると、びくりとイルカの身体が跳ねた。
「ね・・・・・・先生・・・・・・一回だけ、」
「え?、な、・・・・・・に?」
「・・・・・・やらせて・・・・・・?」
 少しの間の後、その言葉を理解したのか。顔を真っ赤に染めたまま、イルカの黒い目が見開いた。
 その表情を見たら、血が沸き上がるのを感じた。忍の世界では色事は男も女も関係ない。だが、興味はなく男同士の経験なんてなかった。
 それでも、目の前のイルカの熱をもっと感じたい。カカシはイルカの許可なく緩い病院着を掴みはだけさせる。そのまま胸の先端を舌でねろりと舐めた。
 ひっ、とイルカが声を引き攣らせる。
 やばいなあ、と頭の隅のどこかで冷静でいる自分がそう思うも、今は自制心が勝る事はなかった。変わりに冷静な自分が冷ややかに自嘲するだけだ。
 今回は自分はこんな事はしてはいけない。あくまでも火影から監視を頼まれている立場なのに。
 それより、自分の熱を。どうにかしたかった。
 肌に顔をつければ、僅かに感じるイルカの汗の匂いに頭がくらくらとする。カカシはそのイルカの肌を甘く噛んだ。
 片手でイルカの両手を押さえつけ、もう片方の手で下半身をまさぐる。反応を示しているが、まだ柔らかいそれを手の内に入れた。
「だ、め・・・・・・っ」
 イルカが震える声で抵抗する。自分の額宛てを外し床に放り投げた。もう何回も目にしているだろう、カカシの素顔に、激しい熱を露にした右目に、イルカが一瞬息を飲んだ。その隙を逃さないと、カカシは再びイルカの唇を塞ぐ。舌を差し込みながら、イルカの硬くなりつつある陰茎を擦り上げる。柔らかい先端を硬い親指の腹で擦ると、イルカの背中がしなった。
「・・・・・・ん、・・・・・・ふっ、」
 深い口づけを与えながら、何度も強く擦り上げる。イルカの上擦る声が、手の中で熱く震える肉が、自分の行為で快楽に落ちている。それが、酷く興奮した。
 擦り上げ、射精感を促す度に、イルカが震える。我慢しているのが分かったが、力が入らなくなっているのか、為す術がなく快楽の波に浚われていく。
「あっ・・・・・・ぁ、あ・・・・・・っ」
 浮いた唇から、イルカの声が漏れた。ぶる、と身体が震え熱い飛沫をカカシの手のひらの中に飛び出す。イルカがの身体の力が抜け、腕をぐったりと床に落とした。
 髪や服は乱れ、胸を上下させながら、熱い吐息を繰り返し吐き出している。
 ぼんやりと見下ろしなが、手のひらを広げた。
(・・・・・・ほんとに出てる・・・・・・)
 幻でもなんでもないのを確認するように、カカシは手のひらに飛び散ったそれをぺろりと舐める。不味いとは思えなかった。そこからカカシはイルカに覆い被さり首筋に顔を埋める。
「・・・・・・ぅ、や、・・・・・・」
 力なく声を漏らすイルカにカカシは小さく笑った。
「やじゃないでしょ、こんなになってるのに。ーーだってさ、あなたの身体は今病院じゃない。じゃあこれって何だと思う?先生の・・・・・・心?」
 押し倒して見下げるカカシに向けられた、黒い目が揺れる。その目から涙が溢れ、こめかみを伝う。その涙に、動きが止めていた。
 瞬間、イルカが繋ぎ止めていたカカシの手をふりほどき、そのままカカシの胸に伸ばされる。
 気がついた時には、イルカに両手で突き飛ばされていた。無様に尻餅をついたカカシの耳に聞こえたのは、玄関の扉が勢いよく開閉する音。
 イルカがいなくなった部屋で、カカシは床に座り込んでしばらく呆然としていた。
 引き始めてはいるが、まだ身体が熱い。
 ついさっき、自分がイルカにしようとしていた事が、今更ながらに冷め始めている頭に浮かぶ。
(・・・・・・やっちゃった)
 未遂とはいえ、立場上この行動は確実にまずい。火影の制裁が気になることはないが、やりすぎなのは明らかだった。
 歯止めが効かなくなる前に、イルカが止めてくれて良かったと言うべきか。
 いや、歯止めは既に効かなかった、が正解だ。
 カカシは身体を床に横たえ、もう一度イルカが出て行った玄関の扉を見つめる。
 イルカは、ここへ帰ってくるだろうか。
 ーー分からない。
 今まで感じた事のない胸を浸食するような感覚と、イルカを傷つけた事による罪悪感から胸の痛みを感じながら、カカシは目を閉じた。


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