苦い③

最近よくカカシと目が合う。
と言うか、視線を感じるその先に必ずカカシがいて。青くて眠そうな目が反らされる事なく自分を見つめるのは、なんだかちょっと恥ずかしいと言うかむず痒いと言うか。
ほんの数秒の事に、イルカは頬をを赤くして視線を下げた。
(・・・・・・気にしない)
そのまま反対側から歩いてきていたカカシと廊下ですれ違い、カカシの姿が見えなくなると、ゆっくりと息を吐き出した。
あの視線にどう対応したらいいのか、分からない。それに、あのキス。
強引なのに、触れる唇は熱くて。
ようやく離された時は、少し放心状態になっていた。カカシに名前を呼ばれて我に返り、そこからカカシを待っている子供達の所へ急かして行かせた。
きっとあの時も自分は顔が真っ赤だったに違いない。

本当だったら、突き飛ばしてもよかった。自分はただお礼を言いたかっただけなのに。
なのに、そうしなかったのは。
カカシを受け入れようとした自分がいるから。
心の隅に押しやっていた事実に、イルカは階段を降りながら眉を寄せる。書類を抱えていた腕に力を入れていた。
カカシは一体何がしたいのだろうか。
立ち止まったイルカはその場でぼんやりと考え、あの眠そうな眼差しを思い出し、奥にある真意を探ろうとした。
ただ変わっていると、それだけで済ます事が出来ればいいが、そんな事出来る訳がない。
ふと上から聞こえてくる声がイルカの意識を引き戻した。反射的に顔を階段へ向ける。
さっきカカシと共に執務室へ向かった上忍の声、だからカカシも一緒にいるだろう。
何故かイルカは急いで目の前にある扉から外に出て、建物の影に隠れていた。
別にカカシに会いたくない訳じゃない。
(たださっきの今では、ちょっと)
意味の分からない言い訳を心で呟きながら、二人が出て行くのを壁に身を隠して待つ。
程なくして扉が開いた。
「ーーそーいえばさ、あの中忍とお前、なんかあったの?」
たわいない会話かと思っていたから。まさかのその台詞に、イルカの心音がどくりと鳴った。
無意識に抱えている書類の束を指の腹で強く押していた。
「なんかって、なに」
とぼけたようなカカシの声が直ぐに返る。
「いや、なんて言うかさ、さっきもそうだけど二人してガン見し合ってたかなーって」
聞きながら客観的に指摘されたその事実が、一気に頭の中で沸騰しそうになる。身体が熱くなった。
「ああ」
はは、と笑うカカシの声が聞こえた。
「変?」
「んー、まあ、そうだろ。関係性ないしな」
「あるじゃん、俺上忍師でしょ」
「ああ」
上忍仲間が納得したような声で笑う。
話を振ったその上忍はその話に興味があるようでないような。探っているようで探っていないような。
気配を消しながら、イルカはぐっと息を詰めるように唇を閉じた。
「ああ、じゃねーだろ。お前じゃなくてもさ、ソレ系の噂とかここでは普通にあるしよ」
「なにそれ」
「え、だからさ、」

まあ、忍びの世界ならではのアレ。

ちゃかすような笑いを上忍が零す。
だんだんと遠のく二人の会話に、ただ、イルカはじっとその場で立っていることしか出来なかった。
誰もいなくなったその場所で、じっと足下を見つめた。まだ、心臓が痛いくらいに高鳴っている。
いるだけで目立つカカシは、たったあれだけで話が浮かんでくる。
もともとカカシの色々な噂を耳にはしていた。
女はよりどりみどりだとか、特定の女を持たないとか。
正直住む世界が違う人だと思っていた。
それなのに。
 変?
別におかしくもなんともないと言うように。
あっけらかんと。
カカシの低い声と共に発せられた言葉の一文字一文字が、自分の脳に染み込むように頭の中でぐるぐると回る。胸の苦しさに、イルカは眉根を寄せた。
(・・・・・・変だろ・・・・・・絶対)
壁に背を預けながら仰ぐように顔を上げた。


「あー雨だ」
教室で掃除をしていた一人がぽつりと呟いたのが、ちょうど様子を見に教室に入ってきたイルカの耳に聞こえた。その言葉通り、生徒がほうきを持ったまま窓から外を眺めている。
「何だお前、傘持ってきてないのか」
「だってさあ、朝晴れてたんだもん」
「お前なあ」
その言葉にイルカは呆れた声を出した。
「忍びであれば一日の天気ぐらい予想しなくてどうする、それに家だったらテレビや新聞なり、確認する事だって出来るだろう」
説教を始めたイルカに、生徒が苦い顔を見せた。
「まあそうだけど・・・・・・なんか先生、じーちゃんみたい」
ぼそりと呟くその言葉にイルカは片眉を上げれば、生徒が口を尖らせた。
「だーって、今時新聞なんて、アナクロ過ぎるって」
言いながら目つきが鋭くなるイルカを見て、生徒が苦笑いを浮かべながら肩を竦める。
そこからまた説教してもいいが、いかにもナルトが言いそうな台詞だと思っただけで、イルカはふと頬を緩ませた。説教を続ける代わりに、ふう、と息を吐き出す。
「まあいい。俺も昔は新聞なんて読みもしなかったからな」
「え、本当かよ?」
聞き返す生徒に、ああ、と答えながらイルカは自分の鞄から折りたたみ傘を渡す。
「ほら」
え、と驚く生徒に傘を手渡した。
「今日は俺のを貸してやる、明日忘れずにもってこいよ」
「あ、うんっ」
子供らしい嬉しそうな笑顔を見せられ、イルカも微笑みながら生徒の頭を軽く叩いた。

「・・・・・・なんて言っても、俺も今日折りたたみしか持ってこなかったんだけどなあ」
イルカは校舎裏の出入り口でぼんやりと雨がふる景色を眺めて呟いた。
だって、仕方ない。どうしても一人になると考えるのはカカシの事で。そのせいでうっかり天気予報を確認するのを忘れたのだ。
そう、だから自分のせいじゃない。
いもしない相手に自分勝手に責任を擦り付けるように。そこまで思って、ばかばかしいと、ため息を吐き出した。
顔を上げぎゅっと肩にかける鞄の紐を握った。そこから勢いよく走り出す。
校門を出てすぐ見えた人影にイルカは顔を向け、そこで驚きどうしようか戸惑いながらも、その足を止めた。
カカシが、立っていた。
何でここにいるんだろうか。
ここはアカデミーの校門前で、だれかを待っているのか、それともーー。
立ち止まったまま黙って見つめていると、カカシがイルカに歩み寄った。イルカを傘の中に入れる。
「ーーあの、」
「もう帰り?」
聞かれてイルカは戸惑いながら、一回頷いた。
「ええ」
「じゃあ一緒に帰ろうよ」
「・・・・・・え?」
「傘、忘れたの?」
「あ・・・・・・まあ、・・・・・・そうですけど」
「じゃあちょうどいいね」
微笑まれ、困惑した。
「あの、誰かを待ってたんじゃ」
「うん、イルカ先生を待ってた」
はっきりと言われれば、それ以上何も言い返せなかった。なんでですか、とも結構です、とも言えない。
それに、当たり前のように、待ってたなんて言われて。
どうしたらいいのか、分からない。
カカシが歩き出したので、イルカもそれに合わせてゆっくりと歩き出した。
しかし、自分が傘を忘れたとは言え、この状況はまずいんじゃないだろうか。今日カカシと上忍仲間が話していた事が頭の中でぐるぐると再生される。
あんな事を言われたのに、どうしてカカシは自分を待っていたんだろうか。またこんなところを見られたら、周りから何か言われるのは間違いないだろう。
あの上忍の言っている事は間違ってはいない。
今までなんの接点もなく、時々受付で会話をした程度だったのに。一つの傘で一緒に帰っているなんて。
好奇の目で見つめられるのを想像しただけで、イルカは眉を寄せた。
「イルカ先生」
「あ、はいっ」
顔を上げるとカカシがイルカを見つめている。
「道はこっち?」
気がつけばちょうどT字路まで来ていた。
「あ、はい。でもここ曲がったら、あっちに行くので、そこまでで、」
上忍専用のアパートが自分が住んでいるアパートとは反対方向にある事ぐらいは知っていた。少し早口になったイルカをカカシはじっと見つめ、
「うん。じゃあ、あの角まで」
そう答えてくれた事に内心ほっとしながら、ふと視界に入ったカカシの肩を見つめた。
その肩から腕が、濡れている。
「あの、」
「ん?なに?」
「肩が・・・・・・濡れて、」
申し訳ない気持ちが言葉に出ていた。カカシは気にもしていないのか、濡れた身体へ視線を向けるわけでもない。ああ、と小さく笑った。
「別に気にしなくていいよ。俺、一人の時は傘差さないし」
何でもない風に笑う。
胸が苦しくなって、イルカは思わず心臓の辺りを手で押さえた。
(・・・・・・嫌だな)
当たり前のように何で言うんだろうか。
こんな事を普通に女性にするんだろうか。
だとしたら、モテるのも納得がーー、
「先生」
名前を呼ばれ顔をカカシへ向けた。傘を差している為だから当たり前なのに、間近のカカシに反射的に心臓がきゅっとなった。
そして、三度目だから。いい加減分かる。顔を近づけた意味が。
思わず後ろへ身体が反っていた。当たり前のようにカカシが近づく。塀が続く道に逃げ道はなかった。
何も考えず後ずされば壁に背中がつき、思わず、あ、と小さな声がイルカから漏れた。
「キスしていい?」
三度目にして、初めて行為の前に承諾を求めてきたが、良いわけがない。
「・・・・・・だ、駄目です、だ、んっ」
口は直ぐに塞がれた。
唇を押しつけられ、舌が当たり前の用に割り入ってくる。ぴくりと身体は素直に反応し、イルカの頬が紅潮し始める。
壁に押しつけられたまま、イルカは拳をきゅっと軽く握った。
微かに唇が離れた時、イルカは顔をずらした。
「・・・・・・やっ」
嫌だと、意思表示をしてもカカシはやめようとしない。顎を持たれ、イルカは身構えながらも、気がつけばカカシを腕で押していた。
「駄目って言ってるじゃないですかっ」
少し驚いたように目を見開いたカカシは、不思議そうに顔を傾げた。
「なんで駄目なの?」
「何でって・・・・・・っ」
直球で聞かれて、またイルカは困った。
あの上忍の言葉が頭にチラついて離れない。
それに、自分は間違っていないはずなのに、カカシといると、その気持ちが薄れていく。
丸でカカシの行為が間違っていないかのように。
「だって、つ、つき合っていないのに、こんなのは変です」
言いたかった言葉が、詰まりながらも口から出てきた。
どんな返答がくるのか。予想さえ出来なく、ただカカシを見ていると、また不思議そうにカカシが首を傾げた。
「えー、俺たちつき合ってるじゃない」
驚いた。
一体いつ、どこからつき合っていたのか。今までのカカシとの出来事が一気に浮かぶのに、全く分からない。
「つき合ってなんか、」
「キスしてるのに?」
「・・・・・・っ」
だ、だって、と言葉に出来ずに口ごもる。
「イルカ先生はつき合ってないのにちゅーなんてするんだ」
ふっと目を細めて微かに微笑みながら言われ、かあ、と顔が熱くなった。
酷い、と思ってもその言葉が出てこない。
ぐっと唇を噛む。悔しいけど、受け入れたのは事実だ。
ーーでも。
イルカはゆっくりと口を開ける。
「だったら、・・・・・・もう、はたけ上忍とはしません」
目を見開くカカシに構わず背中を向ける、
「イルカせんせ、」
「しませんっ」
カカシが呼び終わる前にくるりと振り返ったイルカは、はっきりとそう告げると、再び背を向け走り出した。
意地悪そうなカカシの顔が目に浮かび、イルカは走りながら眉を寄せる。

そうだ。もう絶対、しない。

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