先生①

雨が降る。
静かに静かに。
1日中。

締め切った窓の外を寝転びながら見上げた。
灰色の雲と窓に張り付いた水玉を見て。
「……太陽見てぇ」
呟いた。
勢いをつけて起き上がると、頭がガンガンした。昨日から熱が下がらない。だが明日は出勤。だからどうしても熱を下げて行かなければ。
痛む頭を押さえて机を見る。作ったテストの資料が置かれ、もとい散乱していた。明日のテスト。休み前にやると宣言しちゃったもんなあ。
勉強してる生徒の姿を思い浮かべて軽く息を吐き出した。
ふと浮かぶのは金髪の生徒。
あれは勉強するとかじゃなくて、きっとテストすら忘れてる。
それだけ考えただけでイルカは1人笑った。
だが頭は痛い。
薬。買って来よう。
咳き込み、う〜、と唸る。
風邪薬と、食いもん、身体が寒いからなんか温まるもん。あとは…。
ぼんやりした思考に頭を振った。
「兎に角、買い物…行こう」
スウェットのままイルカは玄関まで歩き、自分が解いたままの髪に気がつく。一瞬だけ考えて、全てが億劫になっていた。すぐ帰るから大丈夫、と言い訳を口にしてそのまま部屋を出た。
鍵をかけていると、隣にの部屋のドアが開き驚いた。
確かそこは空き部屋だったはずだ。
昨日まで。
普通に予想するに誰かが越してきた事になるんだろうが。この雨の中越して来たなんて。なんとも可哀想に。
よく見れば、段ボールが数個山積みされていた。やはり少し濡れている。
ぼんやり考えていると、開いた扉から男が姿を現した。銀色の髪が先に視界に入った。のそりと出てきた男が、イルカに気がつく。
「…どうも」
(…あ、顔に傷)
左目は閉じたまま縦に入った傷をイルカは眺めた。傷自体は珍しくない。自分にだって鼻頭に傷があるのだ。
頭を下げる事すら忘れて相手の顔を見ていた。
それに不思議そうな顔を見せた。
「……何か」
言われて、気がつく。不思議な顔ではなく、不審な顔をしていると。
挨拶も返さずに返事もいないでジッと顔を見られたら誰だってそうなる。
でも、それは。
頭がぼやぼやするせいで。
脳が揺れるほど頭痛がするせいで。
身体が熱いのに、寒くて。
ついでに言えば視界もぼやけてよく見えない。
でも、お隣さんだから、何かを言わなければ。
「はじめ、…」
銀髪に薄い唇だけが、視界に入る。
「はじめ、まし…れ」
ぐるぐる回る。
その薄い唇が開いて何かを言っているのに。
何も聞き取る事が出来なかった。
見えたのは真っ暗な闇。
最後に捉えた唇は。
あれはーー何て言ったんだろう。





布団を干したい。

意識が戻りつつある頭がシーツの肌触りからそう考える。
だって、もう一週間以上干してない。
暖かい布団。お日様の香りに包まれたい。
身体をもぞと動かして、自分の匂いが染み付いている布団に眉を寄せた。
「お日様……に、会いたい…」
言いながら目を薄っすら開いて。
視界いっぱいに映る顔に、一気に目が覚めた。
ガバッッッッ
「あいっっっっ……つっ、……」
勢いよく上半身を起こして、血圧が下がっていたのか、眩暈と引き続いている頭痛に頭を押さえる。
頭を押さえながら、下を向いたまま動揺がイルカに広がっていた。
目の前にいる男は……誰だ?
余りの驚きに顔を上げずに考える。考えるが、見知らぬ男なのだから考えても分かるはずがない。イルカはゆっくりと顔を上げて男の顔を見た。
動揺が滲み出たイルカの表情とは裏腹に静かな面持ちを見せていた。
「あの、……」
恐る恐る口きながら顔を見て、左目の縦に入った傷に気がつく。
あの傷、何処かで。
思考が傷に向かったイルカを見て、男が手を動かした。男の掌がイルカの額に触れ、驚いてビクリと身体を揺らした。
「まだ熱あるね」
「は?熱…?」
男は畳に落ちていたタオルを拾う。
「外でぶっ倒れたの、覚えてない?」
「外…」
言われて、ようやく自分が買い物の為に外にでていた事を思い出した。
玄関を出て、確か隣に誰か越してきて、…この人。薄い記憶を蘇らせながら、相手をまじまじと見る。銀色の髪に、薄い唇しか思い出せない。
だから、アンダーウェアから繋がる口布は、あの時していなかったような気がしたのだが。
青い目がすっと細くなった。
「せんせい。そんな見つめないでよ」
「え!?」
目が微笑みながら驚くイルカを見ていた。その顔にタオルを置かれ視界が塞がれる。
冷たく濡れた感触に、そのタオルが自分の為に用意された物だと気がつく。
タオルを顔から外せば、男は立ち上がっていた。
「薬はテーブルの上」
短く言って歩き出され、男は玄関に向かっていて慌てた。何か聞きたい事が山の様にあるのに。
お礼だってまだ何も言えていない。
「あ、待って」
起き上がろうとすれば、男は手でイルカを制した。
「待ってて」
そのまま予想した通りに男は部屋を出て行く。
待ってと言ったのに、逆に待てって、何だよ。布団の中で上半身を起こしたまま、何を待てばいいのか、とりあえず考える。
多分、絶対隣りに越してきた人だよな。で、多分倒れた俺を部屋まで運んで寝かせてくれたんだよな。
チラと言われたようにテーブルを見れば、薬の箱が置かれていた。
自分の家にはもう無かったから。きっと、あの男の人の。
「………なんか、いい人だな」
手に持つタオルに視線を戻した。
これも、あの男が。
ガチャ
扉が開いてハッと顔を向ければ。
その男が立っていた。
手に鍋を持って。
すぐに漂ういい匂いに、反射的にイルカのお腹がぎゅるるると、鳴り出した。
余りの腹の音の大きさに熱い顔が更に熱くなる。
恥ずかしさに耐えながらチラと相手を見る。目だけしか見えないのに、ニンマリと笑っているように見えた。だって、目が弓なりになっている。
「引越し素麺」
言って、テーブルにタオルをひき、その上に鍋をごとりと置いた。
「あ、違うか。煮麺か」
言い直してイルカに顔を向けた。

「て事で、よろしくねー。せんせい」

覆面の男が言った。


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