先生②
カカシに2回目に会った時はアカデミーからの帰り道だった。
「せーんせ」
振り返って、一瞬身を硬くした。目の前にいる人間が誰なのか、分からずイルカはその男をまじまじと見る。
男は右目しか露わになっていない。顔のほとんどを隠している。
「あの、…えっと、」
自分の事を先生と呼ぶからには面識がある人間のはずだが。顔名前を覚えるのは得意なのに。
焦りだけがイルカの中で広がり、口どもるイルカを前に、声をかけた男は唯一露わな右目を細めて笑った。
「やだなー、引越し煮麺渡したのに」
言われてハッとして頭を掻く男を見た。
銀色の髪。そうだ。確かにあの男だ。風邪で脳まで茹だってしまったか。自分を叱咤した。
「あ…あ、あの、あの時はありがとうございました!」
肩に下げた鞄をぎゅっと掴み90度に頭をさげるイルカに、また男は笑った。
「いーえ、思い出してくれて良かったですよ」
ホッとした顔を見せる男に、イルカは一歩近づいた。
「本当に、助かりました。雨の中あんな場所で、余計風邪こじらせるところでした」
「だね」
「あの、鍋、」
思い出して、言えば手を軽く振った。手には手甲がつけてある。よく見れば、全身自分と同じ支給服を身につけている。やはり同じ忍びだったかと、改めてイルカは眺めた。それに、背中には大きな荷物を背負っている。
「あのね、今から俺任務なのよ。だから、ま、そーね。適当に置いておいて」
「いや、それは、」
言い淀むイルカを前に男は軽く跳躍し、追うように上を見上げれば、木の幹にいた。
「あの!名前を!」
声をあげれば、右目がにこりと笑ったのが分かった。
「カカシ。はたけカカシでーす」
「え…カカシ…?」
「うん」
猫のように木の幹にしゃがみ込んだカカシはイルカを見下ろしていた。
口を半開きのまま真上を見上げる。そんなイルカに、カカシはひらひらと手を振った。
その姿は風と木の葉と共に直ぐに消え、余りの速さに目を丸くした。
ポカンとして暫く立っていたが。
(……カカシ?)
頭の中で言われた名前を繰り返して。イルカは思わず息を飲んだ。
(しゃ、写輪眼のカカシ!?)
憧れてさえいた名前に驚きが隠せない。1人あわあわしながらその場を歩いた。
「にしても…適当にって…」
イルカは1人残され、木の下で困ったように呟いた。
鍋を返したく、何回か部屋に行ったが出てこなかった。
いや、いない、が正しいのだけれど。
イルカは鍋を持ったまま部屋の主がいない扉を見てため息をついた。
扉の前においても、なあ。
足元のむき出しの冷たいコンクリを見て、置くのはやはり躊躇われ。むう、と顔を顰めた。
「あれ、先生」
不意にかけられた声にびくりとして振り返れば、カカシが少し驚いた顔をし、転落防止用の柵に両足を着くようにしゃがみ込んでいた。
なんでこっちに、と、正反対の場所にある階段とカカシを何度か見返していると、カカシがクスクスと笑いを零した。
「………」
決まり悪くなり、少しだけ赤らんだ顔で、口をへの字にする。
分かってる。
忍びであればその行動は不思議じゃないと。
柵から降りたカカシは一週間前に会った時のまま、背中に荷物を背負っていた。
「で、どうしたの?あ、鍋」
イルカが手に持つ鍋を見てカカシは気がつき声を出した。
「そんなの。そこに置いておいてくれれば良かったのに」
確かに一週間前も言われたけども。助けてもらったのに、隣りにいるのに、顔を合わさずなんて。
イルカは鍋を持ったままふるふると顔を横に振った。
「俺はあなたにちゃんとお礼が言いたかったんです。置いておくなんて、出来ない」
カカシは少しだけ目を開いた。が、直ぐに困ったような笑いを浮かべた。
「すごい真面目〜」
イルカの前まで歩み寄ってきたカカシに鍋を手渡す。
図々しかったかな。
そっとカカシを覗き見ると、目が合い、ふっとカカシは目を細ませ微笑する。その男前な顔に知らずイルカの胸がとくんと鳴った。
「そうだ、先生。ご飯まだ?」
「え?あ、はい。まだ…ですけど」
「これでさ、鍋作ってよ」
「へ?」
「材料ない?だったら俺今から買ってくるから」
「あー!あります!あります!」
また鍋をイルカに押し付け立ち去ろうとするカカシを慌てて呼び止めた。
任務帰りのカカシに何かさせるのは流石に躊躇われた。
「鍋、俺はしょっちゅうやるから、肉も冷凍で良ければ、あります!」
「ホント」
カカシは嬉しそうににこりとした。
「……………」
「……………」
無言で机に対面して座り、イルカは顔を青くし、顔を伏せるように下を向いていた。
これは。
これは…どうしたら、いいんだ?
一緒にご飯を食べれば必然的に覆面を取るに決まってるだろうに。しかも何故か額当てもご丁寧に外してしまっている。
「ねえ」
いい加減黙って俯くイルカにカカシが声をかける。イルカが恐る恐る目だけを上げれば、カカシは箸を咥えたままイルカを見ていた。イルカは直ぐに瞼を伏せる。
イルカの意図する事がわかっているカカシは呆れた声を出した。
「何をいまさら〜」
「だっ、だって…」
そりゃ前も素顔を見たけど、あれは俺の不慮の事故のせいであって。だがら、こんな明らか様に見ていいのか。
あのカカシだぞ!?天下に名を轟かせてる、あのカカシだ。素顔を晒さないのは里でも有名だ。なのに、こんな一介の中忍が見ていいものではないような気が。更に身を硬くしたイルカに笑い声が零された。
「こんなんだったら、俺名前言わない方が良かったね」
イルカは驚いて顔を上げた。見開いた黒い瞳を前に、カカシは安堵の顔をした。
「やっと顔を見せてくれた」
「え、」
不意を突かれたように目を丸くしたイルカに、カカシがずいと身を乗り出した。1人用の小さなテーブルでは、カカシの顔が寸前にくる。近過ぎて、イルカは息を飲み込むように止めた。
「食べよ?」
間近で細めた目が下に向く。
「せっかく先生が作ってくれたのに。冷めちゃうよ」
カカシは鍋から取り分けた皿をイルカの前に置く。湯気が立ち、カカシに装われた白菜やキノコや豚肉やらが更に乗せられていた。
そうか、鍋を取り分けたかったからか。
顔を近づけられた行動の意味を知り、納得して止めていた息を吐き出した。
座り直し、ふーふーと箸に持つ豆腐を口にするカカシを盗み見みた。この人は自分がどれだけ整っているのか、知っているのだろうか。
赤くなった顔を誤魔化すようにイルカは取り皿を手に取った。
「頂きます」
持っていた箸を上げ鍋を口にする。白菜を口に入れ奥歯で噛む。
「そう言えば、」
思い浮かんだ疑問に、イルカは伏せがちだった顔を上げると、カカシがん?と聞き返した。
「俺が『先生』って、どうして知ってるんですか」
カカシは会った初日から自分を先生と呼んでいた。名前さえ告げてもいないのに。それが不思議でならなかった。
カカシはさして大したことなさそうにああ、と頷く。
「机や床にね、教材がたくさんあったの見ちゃった」
休みなのにさ。仕事持って帰って、大変な仕事だよねー。とご飯を口に頬張り言った。
「あぁ…」
そうか。あの日は身体の調子が悪くて、確かに部屋が散らかってた。
目の前で倒れて、介抱してもらって。汚い部屋見られて。
なんか色々恥ずかしい。
「センセ」
「はい」
「美味しいね」
「は、はい」
嫌味なくらいに綺麗な顔を晒しながら、艶やかに微笑まれ、イルカはただ頷いた。
カカシはまた残った鍋を残して自分の部屋に帰って行った。
それに気がついたのは翌朝の事だった。
NEXT→
「せーんせ」
振り返って、一瞬身を硬くした。目の前にいる人間が誰なのか、分からずイルカはその男をまじまじと見る。
男は右目しか露わになっていない。顔のほとんどを隠している。
「あの、…えっと、」
自分の事を先生と呼ぶからには面識がある人間のはずだが。顔名前を覚えるのは得意なのに。
焦りだけがイルカの中で広がり、口どもるイルカを前に、声をかけた男は唯一露わな右目を細めて笑った。
「やだなー、引越し煮麺渡したのに」
言われてハッとして頭を掻く男を見た。
銀色の髪。そうだ。確かにあの男だ。風邪で脳まで茹だってしまったか。自分を叱咤した。
「あ…あ、あの、あの時はありがとうございました!」
肩に下げた鞄をぎゅっと掴み90度に頭をさげるイルカに、また男は笑った。
「いーえ、思い出してくれて良かったですよ」
ホッとした顔を見せる男に、イルカは一歩近づいた。
「本当に、助かりました。雨の中あんな場所で、余計風邪こじらせるところでした」
「だね」
「あの、鍋、」
思い出して、言えば手を軽く振った。手には手甲がつけてある。よく見れば、全身自分と同じ支給服を身につけている。やはり同じ忍びだったかと、改めてイルカは眺めた。それに、背中には大きな荷物を背負っている。
「あのね、今から俺任務なのよ。だから、ま、そーね。適当に置いておいて」
「いや、それは、」
言い淀むイルカを前に男は軽く跳躍し、追うように上を見上げれば、木の幹にいた。
「あの!名前を!」
声をあげれば、右目がにこりと笑ったのが分かった。
「カカシ。はたけカカシでーす」
「え…カカシ…?」
「うん」
猫のように木の幹にしゃがみ込んだカカシはイルカを見下ろしていた。
口を半開きのまま真上を見上げる。そんなイルカに、カカシはひらひらと手を振った。
その姿は風と木の葉と共に直ぐに消え、余りの速さに目を丸くした。
ポカンとして暫く立っていたが。
(……カカシ?)
頭の中で言われた名前を繰り返して。イルカは思わず息を飲んだ。
(しゃ、写輪眼のカカシ!?)
憧れてさえいた名前に驚きが隠せない。1人あわあわしながらその場を歩いた。
「にしても…適当にって…」
イルカは1人残され、木の下で困ったように呟いた。
鍋を返したく、何回か部屋に行ったが出てこなかった。
いや、いない、が正しいのだけれど。
イルカは鍋を持ったまま部屋の主がいない扉を見てため息をついた。
扉の前においても、なあ。
足元のむき出しの冷たいコンクリを見て、置くのはやはり躊躇われ。むう、と顔を顰めた。
「あれ、先生」
不意にかけられた声にびくりとして振り返れば、カカシが少し驚いた顔をし、転落防止用の柵に両足を着くようにしゃがみ込んでいた。
なんでこっちに、と、正反対の場所にある階段とカカシを何度か見返していると、カカシがクスクスと笑いを零した。
「………」
決まり悪くなり、少しだけ赤らんだ顔で、口をへの字にする。
分かってる。
忍びであればその行動は不思議じゃないと。
柵から降りたカカシは一週間前に会った時のまま、背中に荷物を背負っていた。
「で、どうしたの?あ、鍋」
イルカが手に持つ鍋を見てカカシは気がつき声を出した。
「そんなの。そこに置いておいてくれれば良かったのに」
確かに一週間前も言われたけども。助けてもらったのに、隣りにいるのに、顔を合わさずなんて。
イルカは鍋を持ったままふるふると顔を横に振った。
「俺はあなたにちゃんとお礼が言いたかったんです。置いておくなんて、出来ない」
カカシは少しだけ目を開いた。が、直ぐに困ったような笑いを浮かべた。
「すごい真面目〜」
イルカの前まで歩み寄ってきたカカシに鍋を手渡す。
図々しかったかな。
そっとカカシを覗き見ると、目が合い、ふっとカカシは目を細ませ微笑する。その男前な顔に知らずイルカの胸がとくんと鳴った。
「そうだ、先生。ご飯まだ?」
「え?あ、はい。まだ…ですけど」
「これでさ、鍋作ってよ」
「へ?」
「材料ない?だったら俺今から買ってくるから」
「あー!あります!あります!」
また鍋をイルカに押し付け立ち去ろうとするカカシを慌てて呼び止めた。
任務帰りのカカシに何かさせるのは流石に躊躇われた。
「鍋、俺はしょっちゅうやるから、肉も冷凍で良ければ、あります!」
「ホント」
カカシは嬉しそうににこりとした。
「……………」
「……………」
無言で机に対面して座り、イルカは顔を青くし、顔を伏せるように下を向いていた。
これは。
これは…どうしたら、いいんだ?
一緒にご飯を食べれば必然的に覆面を取るに決まってるだろうに。しかも何故か額当てもご丁寧に外してしまっている。
「ねえ」
いい加減黙って俯くイルカにカカシが声をかける。イルカが恐る恐る目だけを上げれば、カカシは箸を咥えたままイルカを見ていた。イルカは直ぐに瞼を伏せる。
イルカの意図する事がわかっているカカシは呆れた声を出した。
「何をいまさら〜」
「だっ、だって…」
そりゃ前も素顔を見たけど、あれは俺の不慮の事故のせいであって。だがら、こんな明らか様に見ていいのか。
あのカカシだぞ!?天下に名を轟かせてる、あのカカシだ。素顔を晒さないのは里でも有名だ。なのに、こんな一介の中忍が見ていいものではないような気が。更に身を硬くしたイルカに笑い声が零された。
「こんなんだったら、俺名前言わない方が良かったね」
イルカは驚いて顔を上げた。見開いた黒い瞳を前に、カカシは安堵の顔をした。
「やっと顔を見せてくれた」
「え、」
不意を突かれたように目を丸くしたイルカに、カカシがずいと身を乗り出した。1人用の小さなテーブルでは、カカシの顔が寸前にくる。近過ぎて、イルカは息を飲み込むように止めた。
「食べよ?」
間近で細めた目が下に向く。
「せっかく先生が作ってくれたのに。冷めちゃうよ」
カカシは鍋から取り分けた皿をイルカの前に置く。湯気が立ち、カカシに装われた白菜やキノコや豚肉やらが更に乗せられていた。
そうか、鍋を取り分けたかったからか。
顔を近づけられた行動の意味を知り、納得して止めていた息を吐き出した。
座り直し、ふーふーと箸に持つ豆腐を口にするカカシを盗み見みた。この人は自分がどれだけ整っているのか、知っているのだろうか。
赤くなった顔を誤魔化すようにイルカは取り皿を手に取った。
「頂きます」
持っていた箸を上げ鍋を口にする。白菜を口に入れ奥歯で噛む。
「そう言えば、」
思い浮かんだ疑問に、イルカは伏せがちだった顔を上げると、カカシがん?と聞き返した。
「俺が『先生』って、どうして知ってるんですか」
カカシは会った初日から自分を先生と呼んでいた。名前さえ告げてもいないのに。それが不思議でならなかった。
カカシはさして大したことなさそうにああ、と頷く。
「机や床にね、教材がたくさんあったの見ちゃった」
休みなのにさ。仕事持って帰って、大変な仕事だよねー。とご飯を口に頬張り言った。
「あぁ…」
そうか。あの日は身体の調子が悪くて、確かに部屋が散らかってた。
目の前で倒れて、介抱してもらって。汚い部屋見られて。
なんか色々恥ずかしい。
「センセ」
「はい」
「美味しいね」
「は、はい」
嫌味なくらいに綺麗な顔を晒しながら、艶やかに微笑まれ、イルカはただ頷いた。
カカシはまた残った鍋を残して自分の部屋に帰って行った。
それに気がついたのは翌朝の事だった。
NEXT→
スポンサードリンク