先生④

「あ」
玄関から出た時に、カカシも出てきたのか、ベストだけを脱いだ格好で鍵を持って立っていた。
「おはようごさいます」
ございますの『す』を言った時には既にカカシは目を逸らし鍵をガチャリと閉めた。
…あれ?こんな近くで聞こえてなかったわけ、ないよな。
「あの、カカシさん」
声をかけても、やはり顔を向けないカカシに疑問だけが浮上する。
何か…機嫌悪い?
アカデミーへ出勤するイルカは鍵をかけながらカカシを伺う。
少し前の自分の態度をそこで思い出した。
(もしかして、俺があんな態度をとったの根に持ってる…のか)
イルカの背後を通り過ぎるカカシに慌てて向き直った。
「カカシさんっ」
カカシの冷たい目はイルカを怯ませるには十分だった。綺麗な顔ほど凄みがある。
足を止めイルカを見たカカシに、言おうか悩むが。
「と、途中まで一緒に歩いていいですか?」
目が少しだけ柔らかくなった気がした。
「……うん」
小さい声で応えると階段を降りだす。イルカも慌てて後に着いた。

「今日は、お休みですか?」
「…うん」
「そうですか」
笑ってみるが、やはりカカシは口数が少ない。
チラと横目で窺うが、額当てで隠れて殆ど顔は見えないに近い。
会話が続かない。
それはすごく嫌だと思った。
「休みなのに、こんな朝早くから出かけられるんですね」
「ん、慰霊碑にね」
カカシは顔を前に向けたまま。
慰霊碑と言われ、聞くべきじゃなかったと後悔した。
「そうですか…」
「行ける時はね、行くの」
会話が返ってきて顔を上げれば、カカシがイルカを見ていた。
「俺らしくない?」
「え!?そんな全然!!」
慌てて否定するイルカにカカシは目を細めた。
(あ、笑った)
それだけで気持ちが明るくなる。嬉しさを隠しきれずにイルカも頬を緩ませた。
「その後はゆっくり掃除とか洗濯するつもり」
「え?そうなんですか?」
「だっていい天気じゃない」
お布団も干さないとね。と言われてイルカは勢いよく頷いた。
「分かります!休みの日にはそれが一番大事ですよ」
「うん。先生お日様好きだもんね」
ふふふと笑いを零され、そのカカシの嬉しそうな顔に、何故か頬が熱くなった。
やばい、調子に乗りすぎた。
そんな顔を見せたくなくて、視線を前に戻す。まだ、カカシが自分に視線を向けているのが分かった。見られていると思うだけで恥ずかしいのか、何なのか分からない。自分の分からない気持ちを混ぜっかえすように明るい口調で切り替えた。
「天気もいいし!デート日和じゃないんですか?」
直ぐに返事は来ず、代わりにカカシは笑った。
何で笑うのか。
横にいるカカシに目を向ければ、やはりカカシはイルカを見て、微笑んでいる。
「別れたよ」
「………え?」
「終わったの、あの日にね」
まさかそんな言葉を返されるなんて思ってなく、目が点になったままカカシを見つめてしまっていた。
「だからね、今日はゆっくり家事をしようかなって」
カカシは空を見上げた。
道の角で足を止める。空から視線を戻すと、ぽんと、頭に掌を置かれた。そこから数回撫でられる。
「じゃあね、先生」
猫背気味の背中を見送って、見えなくなって、漸くイルカもアカデミーへの道へ足を進めた。

何で。

何でそんな大事なこと。

俺に言うんだ。

しかも笑って。

俺は彼女に振られた時は、泣きそうになった。
カッコ悪いけど、それは事実で。
そんな話題を笑って話せるようになったのは最近になってからだ。
この前なんか、別れた彼女が知らない男と腕組んで歩いてた。笑ってる幸せそうな彼女の顔を見たら、不思議と悲しくならなかった。安心した。
そして気がついた。自分は立ち直ってきてると。案外平気なんだと。
でも、カカシさんは別れてそう経ってないのに。

何で笑ってられるんだ?










「あ、布団」
イルカはアパートの二階に干したままの布団を見上げた。見上げる先はカカシの部屋。
アカデミーから買い物して帰ってきたイルカは買い物袋を片手に階段を上がる。
もう6時を過ぎて、夕暮れが街を包んでいた。
干すのが遅かったから、敢えて干したままにしてるのか。
にしても、すぐ夜になるのに。
イルカは鍵を開けながら隣の部屋を見た。
出かけてるのかな。
自分の部屋に入り、買い物袋から食品を取り出し冷蔵庫に入れる。まとめ買いした肉は小分けにして冷凍庫へしまった。
一頻り片付けてベランダへ向かう。洗濯物を干すくらいしかスペースはないから、身体を少し乗り出して、取り込み、チラと隣を見た。
洗濯物はないものの、布団は出たままだ。
「…………」
乾いた洗濯物を畳み始める。畳みながらもやはり隣の布団が気になって仕方がない。
「決めた」
イルカは畳んでいた洗濯物を途中にして、立ち上がって玄関に向かった。
カカシの部屋の前で立ちチャイムを鳴らす。
何回か鳴らして、漸く扉が開いた。口布だけをしたまま。眠そうな顔のカカシが顔を出した。
「どーしたの?」
「あの、布団。干したままだったから」
「あぁ、そっか。忘れてた」
「………寝てたんですか?」
「うん」
カカシはふにゃりと笑った。
「気持ちいいからついウトウトしちゃったみたい」
情けなさそうな顔で頭を掻く。
「ありがとー、取り込むね」
「はい、じゃあ」
「あ、待って」
「はい」
部屋に戻ろうとして呼び止められ、カカシを見た。
「今日ね、大家さんからお菓子貰ったんだけど、先生にもって渡されたの」
「あ、そうだったんですか。じゃあいただきます」
カカシは少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「俺、実は甘いもの苦手で」
「はぁ」
「俺の部屋で一緒に食べてくれる?」
「…はあ」
「ほら、一応食べた感想言いたいから」
ね、と言われて、それならと頷く。
「やった」
ほわりと柔らかい笑みを浮かべた。
また、いつものようにカカシの笑みに見惚れてしまう。
あぁそうか。きっと、俺はこの人の笑顔が好きなんだ。
イルカはカカシの笑みにつられるように微笑んだ。



「そこ、座ってー」
カカシが言うのはきっとテーブルの脇にあるソファだろうか。
イルカは言われるままに座る。
カカシは寝室に入っていく。きっとベランダの布団をしまうためだろう。
案の定、カカシが布団をしまい、窓を閉める音がする。
自分と同じ間取りの部屋。だが、やはり家具も置かれている物が違うためか、別の雰囲気を感じた。部屋の隅にはまだダンボールが重なっている。
「先生コーヒー飲める?」
寝室からカカシが出てきて、慌てて視線をカカシに向けた。
「はい、大丈夫です」
「ブラック?」
「はい」
「じゃあ一緒だね」
カカシがキッチンへ向かう。
モノトーンで綺麗な物ばかり。自分のどこかのスーパーで安売りで買ったような物とは違うなあ。
そりゃ、そうだよ。カカシさんトップレベルの上忍だぞ?
俺みたいな内勤のペーペーとは天と地だよ。
「なに?なんか言った?」
カカシがコーヒーを持ってテーブルに置いた。
「いや、何にもっ」
苦笑いをして、頭を掻く。
「俺の部屋、雑然としてるでしょ」
お菓子をテーブルに置いて床に胡座をかいて座ったカカシがイルカを見た。
「いや、そんな事ないですよ?俺の部屋は物が多いから」
「だからいいんじゃない」
「え?」
「暖かみがあって、好きだよ」
「…そ、そうですか?」
「うん」
カカシの噓偽りのない笑顔に、イルカは小さく笑った。
「カカシさんがそう言ってくれるのは嬉しいです」
「うん。ほら、食べて」
で、感想聞かせて。
促され、当初の目的を思い出して、お菓子を食べた。
それは、レーズンバターサンド。
甘くて、でも濃厚で美味しかった。
カカシは、俺が食べるのを嬉しそうに眺めて、コーヒーを飲んでいた。

お菓子を食べ終わり、コーヒーのお代わりを貰う。気がつけば色々な話をしていた。任務先で足を運んだ珍しい場所や、上忍仲間の話を可笑しく楽しく話す内容は、イルカを惹きつけた。
笑いすぎで床に転げる。自分でも無意識にクッションを抱えて笑っていた。
「先生笑い過ぎ」
カカシも笑いながら、笑い過ぎて涙目になったイルカを見た。
「だって…、」
まだ可笑しくて堪らない、と床に転がりながら目を擦る。
「……ね、センセ」
不意に苦し気な表情をし、
「あんま寛がないでよ」
困ったように小さく笑った。
「え……?」
「俺ね、今さみしいんだから」

さみしいんだから。

それは、彼女と別れた、から。だろうか。
そう考えるのが自然な内容だけど。でも、俺はただの隣の中忍で。
しかも男で。
だけど、カカシの声を聞いたら申し訳ない気持ちになった。
「あ、……はい。すみません」
ゆっくりと起き上がり、正座をする。それを見てカカシは、苦笑いを浮かべ目を床に落とした。
「あ、いや、そうじゃなくて、」
言いにくそうな顔に、更に申し訳なくなる。階級も違い、上官の家にいるにも関わらず砕けすぎた自分に落ち度があるんだ。
腿に置いた掌をギュッと握った。
「いや〜、あんま真剣に考えないで?」
ほらほら、と正座を崩すように手で言う。
「…ん〜とさ、ま、彼女にはとはなあなあに付き合ってたから。気持ちはとっくにお互いになかったんだよね」
でもさ、なんでだろ。先生にこんな事言うのやっぱりおかしいよね。と言い笑うカカシに合わせるように笑った。
笑いながら思う。

おかしいですよ。
それ、わざわざ俺に必要ないですよ。
でも、明るく努めようとするカカシの顔を見たら、胸が苦しくなった。
きゅうきゅうと胸が締め付けられる。

苦しい、と思った。

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