先生⑤
ここ最近になって目で追う先のカカシは1人でいる事が少なかった。同僚と言えば聞こえはいいが、上忍、中忍のくノ一が殆どで、要は、異性だ。
前々から普通にそこにいるだけで存在感がある人だと思っていたけれど、今改めてカカシを見て思う。彼は何を取っても申し分ない条件を持っているが、それ以上に、常に女性にとって華がある存在だという事。
カカシが恋人と別れたと言う情報は、彼女達にとっては何より甘い蜜らしく、正に花に引き寄せられる蜂の様に見えてならない。
気にしないようにしている筈なのに、視界に入る事が多くなったのは、何より自分もその蜂の如く、カカシに惹かれて意識をしてしまっているのだと。
未だそれを素直に受け入れられる自信すらなく、無意識に考えないようにしていた。
一抱えするには多い書類を持って歩いていた。本当は分けて運べばいいだけの話だが、移動場所は別棟にある為無理に一回で終わらせたかった。要は自分はズボラなのだ。一回で済めば越した事がない。
話し声が聞こえる。書類から顔を覗かせ先を伺い見れば、少し先でカカシが立ち止まりくノ一と話をしていた。カカシが立ち止まっているのはそのくノ一が話しかけたからだろうと推測しつつ、一定の距離を保つように調整して少しだけ足を速めた。
カカシとその女性がどんな話をしているか、もしかしたら仕事の話かもしれないと分かっているのに、仲睦まじい会話だったらと考えずにはいられない。だから、会話が聞こえない距離を保つ事に注視していた。
「先生」
通り過ぎ背中を見せ、しばらくしたところで呼び止められた。自分を名前を付けずに先生と呼ぶのは一部の生徒かカカシだけだ。
振り返ればカカシは走って駆け寄ってきた。自分の元へ。愛想ではない自分に向けられたカカシの微笑みは、隣人の特権だと思わずにはいられない。
「手伝いますよ」
言われた言葉に目を丸くして、それは流石にと、イルカは笑って首を振った。
「いや、平気ですよ。すぐそこですから」
「何言ってるの」
言ったと同時に、持っていた書類の重みが軽くなり、見れば半分の書類の束をカカシが抱えていた。
「あ、ありがとうございます」
そこまでされてしまっては断るのも難しく、イルカは素直に礼を口にしたが、里一のエリートに書類運びを手伝わせていいものか悩むのには変わらない。カカシが書類の束を抱える姿は違和感すら覚え、罪悪感すら芽生えてしまう。
硬い笑顔に気がついたカカシが片眉を上げイルカを見た。
「俺が持ったら似合わないですか」
「あ、いえ!そんな」
慌てて首を振る。そんな事は無いが、見た事がない。多分、周りにいる人も。
「そんな顔してると全部持っちゃいますよ」
カカシは意地悪くはにかみ、目を細めた。
こんな顔を見られるのも隣人の特権。
心地いいと思えるカカシの隣を歩き、イルカは密かに心を綻ばせる。
カカシより少しだけ背が低い自分からはカカシを窺い見やすい。
銀色の髪はふさふさとして、柔らかそうに動いている。自分の髪とは違う髪質と髪色は太陽の光に輝いて、それさえ綺麗だと思えた。
でもいつか、今自分がいる場所には、カカシの心を射止めた新しい人が歩くのだろう。彼に集まる蜂たちは皆イルカから見れば勇ましく羨ましい。
時間の問題なのだろうと、思っただけでひどく寂しい気持ちになった。だから、カカシの優しい目をあまり見れなくて、話しかけられても、顔を見れず前を向いたまま。
「じゃあ、またね」
「はい、ありがとうございました。助かりました」
「気にしないでよ。だってお隣のよしみじゃない」
心臓がぎゅっと縮こまった。その後その心臓に重く何かがのしかかる感じ。
自分で隣人の特権だと言ったくせに、カカシから言わたその言葉は寂しく感じた。彼に悪気がないことは分かっていても、ただの隣人だと突きつけられたようだった。
事実、そうなのだけども。
自分の表情の変化に気がついたのかは分からない。一瞬カカシの青い目は自分の黒い目の色を確かめるような眼差しを見せた。
が、その青い目を緩め片手を上げると、カカシは背を向ける。
イルカは見送りながら、身体の力を抜き息を吐き出した。
何一喜一憂してんだ俺。
きっと立場の違いがあり過ぎて勘違いしてしまっているんだ。
気のせいだと思わなければ。
馬鹿な考えは持ってはいけない。
でも、それをこれから何度自分に言い聞かせる事だろう。
*
「もう直ぐ出来るな」
「何が?」
受付で隣の同僚に聞き返すとペンを指で回しながらイルカを見た。
「上忍専用マンション」
「…え?上忍専用?」
キョトンとすると、
「アパートだったのをマンションに建て替えてたの知らないの?あ、そっか。イルカは一般のアパートだもんな。それでさ、上忍様方が今まで中忍アパートにも振り分けられてたんだよ」
色んな意味で大変だったと同僚が嘆くように続けている。
だがその声は途中から聞こえなくなっていた。
上忍専用マンション。
そうか。だからカカシはあのアパートに来たんだ。漸く納得出来た。でもそれはどうでもいい。
カカシはあのアパートから引っ越してしまう。
自分の隣から、いなくなる。
マンションが出来たら。きっと。
ズンと胸に重い痛みが走った。
それは決定的な痛みだった。
参ったな。
俯き書類を目で通しながら口角を上げ、ペンで頭を掻く。
ホント、参った。
短い笑いを零していた。
誤魔化しし続けてきた。それが今、目の前に嫌でも思い知らされそうで、耐えるように、でもまた誤魔化すように顔に笑いを浮かべた。
「はたけ上忍、お疲れ様です」
同僚が少しだけ張りのある声を出した。
運悪く、と言えばいいのか。カカシが受付に姿を表す。迷う事なくイルカの前に来て報告書を置いた。
顔を上げると、いつもと変わらない顔。イルカは腹に力を入れ、カカシを見て微笑んだ。
「お疲れ様です」
「うん」
置かれた報告書に目を落として、口を開いた。
「聞きましたよ、もう直ぐ上忍専用マンションが出来上がるそうですね」
少しだけ、間があった。
「あぁ、…うん」
イルカは伏せた睫毛を瞬きさせて、書かれている項目にペンでチェックを入れていく。
「マンションて言うくらいですから設備もしっかりしてそうですね。羨ましいなぁ」
中忍の隣人らしい台詞を上手く話せているだろうか。心臓が小刻みに打ち始めていた。
判子を押して、顔を上げるとニッコリと笑ってカカシを見た。
「早く引っ越したいんじゃないですか?楽しみですね」
カカシは。
いつもの緩んだ目元ではなかった。
だが、笑顔を崩さないイルカを見て、軽く頷き、いつもの笑みを浮かべた。
「うん、まあね」
「報告書、問題ありません。お疲れ様でした」
「うん、ありがと」
涼しげな目元は、直ぐにイルカを視線から外した。
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前々から普通にそこにいるだけで存在感がある人だと思っていたけれど、今改めてカカシを見て思う。彼は何を取っても申し分ない条件を持っているが、それ以上に、常に女性にとって華がある存在だという事。
カカシが恋人と別れたと言う情報は、彼女達にとっては何より甘い蜜らしく、正に花に引き寄せられる蜂の様に見えてならない。
気にしないようにしている筈なのに、視界に入る事が多くなったのは、何より自分もその蜂の如く、カカシに惹かれて意識をしてしまっているのだと。
未だそれを素直に受け入れられる自信すらなく、無意識に考えないようにしていた。
一抱えするには多い書類を持って歩いていた。本当は分けて運べばいいだけの話だが、移動場所は別棟にある為無理に一回で終わらせたかった。要は自分はズボラなのだ。一回で済めば越した事がない。
話し声が聞こえる。書類から顔を覗かせ先を伺い見れば、少し先でカカシが立ち止まりくノ一と話をしていた。カカシが立ち止まっているのはそのくノ一が話しかけたからだろうと推測しつつ、一定の距離を保つように調整して少しだけ足を速めた。
カカシとその女性がどんな話をしているか、もしかしたら仕事の話かもしれないと分かっているのに、仲睦まじい会話だったらと考えずにはいられない。だから、会話が聞こえない距離を保つ事に注視していた。
「先生」
通り過ぎ背中を見せ、しばらくしたところで呼び止められた。自分を名前を付けずに先生と呼ぶのは一部の生徒かカカシだけだ。
振り返ればカカシは走って駆け寄ってきた。自分の元へ。愛想ではない自分に向けられたカカシの微笑みは、隣人の特権だと思わずにはいられない。
「手伝いますよ」
言われた言葉に目を丸くして、それは流石にと、イルカは笑って首を振った。
「いや、平気ですよ。すぐそこですから」
「何言ってるの」
言ったと同時に、持っていた書類の重みが軽くなり、見れば半分の書類の束をカカシが抱えていた。
「あ、ありがとうございます」
そこまでされてしまっては断るのも難しく、イルカは素直に礼を口にしたが、里一のエリートに書類運びを手伝わせていいものか悩むのには変わらない。カカシが書類の束を抱える姿は違和感すら覚え、罪悪感すら芽生えてしまう。
硬い笑顔に気がついたカカシが片眉を上げイルカを見た。
「俺が持ったら似合わないですか」
「あ、いえ!そんな」
慌てて首を振る。そんな事は無いが、見た事がない。多分、周りにいる人も。
「そんな顔してると全部持っちゃいますよ」
カカシは意地悪くはにかみ、目を細めた。
こんな顔を見られるのも隣人の特権。
心地いいと思えるカカシの隣を歩き、イルカは密かに心を綻ばせる。
カカシより少しだけ背が低い自分からはカカシを窺い見やすい。
銀色の髪はふさふさとして、柔らかそうに動いている。自分の髪とは違う髪質と髪色は太陽の光に輝いて、それさえ綺麗だと思えた。
でもいつか、今自分がいる場所には、カカシの心を射止めた新しい人が歩くのだろう。彼に集まる蜂たちは皆イルカから見れば勇ましく羨ましい。
時間の問題なのだろうと、思っただけでひどく寂しい気持ちになった。だから、カカシの優しい目をあまり見れなくて、話しかけられても、顔を見れず前を向いたまま。
「じゃあ、またね」
「はい、ありがとうございました。助かりました」
「気にしないでよ。だってお隣のよしみじゃない」
心臓がぎゅっと縮こまった。その後その心臓に重く何かがのしかかる感じ。
自分で隣人の特権だと言ったくせに、カカシから言わたその言葉は寂しく感じた。彼に悪気がないことは分かっていても、ただの隣人だと突きつけられたようだった。
事実、そうなのだけども。
自分の表情の変化に気がついたのかは分からない。一瞬カカシの青い目は自分の黒い目の色を確かめるような眼差しを見せた。
が、その青い目を緩め片手を上げると、カカシは背を向ける。
イルカは見送りながら、身体の力を抜き息を吐き出した。
何一喜一憂してんだ俺。
きっと立場の違いがあり過ぎて勘違いしてしまっているんだ。
気のせいだと思わなければ。
馬鹿な考えは持ってはいけない。
でも、それをこれから何度自分に言い聞かせる事だろう。
*
「もう直ぐ出来るな」
「何が?」
受付で隣の同僚に聞き返すとペンを指で回しながらイルカを見た。
「上忍専用マンション」
「…え?上忍専用?」
キョトンとすると、
「アパートだったのをマンションに建て替えてたの知らないの?あ、そっか。イルカは一般のアパートだもんな。それでさ、上忍様方が今まで中忍アパートにも振り分けられてたんだよ」
色んな意味で大変だったと同僚が嘆くように続けている。
だがその声は途中から聞こえなくなっていた。
上忍専用マンション。
そうか。だからカカシはあのアパートに来たんだ。漸く納得出来た。でもそれはどうでもいい。
カカシはあのアパートから引っ越してしまう。
自分の隣から、いなくなる。
マンションが出来たら。きっと。
ズンと胸に重い痛みが走った。
それは決定的な痛みだった。
参ったな。
俯き書類を目で通しながら口角を上げ、ペンで頭を掻く。
ホント、参った。
短い笑いを零していた。
誤魔化しし続けてきた。それが今、目の前に嫌でも思い知らされそうで、耐えるように、でもまた誤魔化すように顔に笑いを浮かべた。
「はたけ上忍、お疲れ様です」
同僚が少しだけ張りのある声を出した。
運悪く、と言えばいいのか。カカシが受付に姿を表す。迷う事なくイルカの前に来て報告書を置いた。
顔を上げると、いつもと変わらない顔。イルカは腹に力を入れ、カカシを見て微笑んだ。
「お疲れ様です」
「うん」
置かれた報告書に目を落として、口を開いた。
「聞きましたよ、もう直ぐ上忍専用マンションが出来上がるそうですね」
少しだけ、間があった。
「あぁ、…うん」
イルカは伏せた睫毛を瞬きさせて、書かれている項目にペンでチェックを入れていく。
「マンションて言うくらいですから設備もしっかりしてそうですね。羨ましいなぁ」
中忍の隣人らしい台詞を上手く話せているだろうか。心臓が小刻みに打ち始めていた。
判子を押して、顔を上げるとニッコリと笑ってカカシを見た。
「早く引っ越したいんじゃないですか?楽しみですね」
カカシは。
いつもの緩んだ目元ではなかった。
だが、笑顔を崩さないイルカを見て、軽く頷き、いつもの笑みを浮かべた。
「うん、まあね」
「報告書、問題ありません。お疲れ様でした」
「うん、ありがと」
涼しげな目元は、直ぐにイルカを視線から外した。
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