先生⑧
あの日から、カカシがくノ一と一緒にいるのをピタリと見かけなくなったのは、偶然なんだろうか。
受付に来ないのも。
時間的に混み合っていないからか、報告者がいない受付で、イルカは縦肘をつき、顎を支える。あの時。言われた台詞は、背を向けていて良かったのか悪かったのか。今さらカカシの顔を窺い知る事なんて出来ない。あのまま逃げずに振り返ったら分かった事だけど、それは今思ってもとてもじゃないけど、出来ない。
イルカは眉根を寄せた。
(だって…、だって…)
さみしいとか、そんな事言うんだったら。
だっら引っ越さなきゃいいだろ。
子供みたいな眼差しで笑うなよ。
あんな笑顔を見せるなよ。
あの人には、いつもとなりに誰かがいるのに。
だから、さみしいなんて。
それは、自分が言う筈だったのに。
よく考えたら、こんなに人を好きになった事はなかった。
でも、今日は甘い匂いはしないです
思い出しただけで何処かに埋まってしまいたくなる。イルカは縦肘を解き項垂れた。
ああ、なんかすんげー頭が悪そうなこと言っちゃったよな。
きっとうちの生徒でも言わない。
ちょっと冷静になればあんなことは言わなかった。そのちょっとが。カカシの前では皆無になってしまっていた。
ため息を盛大に吐いて顔を上げ、報告所の入口から見間違えようがない銀髪を目にして。
身体が硬直した。
だから。今、目の前に現れても困るのだけれど。
自分の体温が下がっていくのがわかった。
ニコリともしない、表情が全くわからない顔のカカシはイルカの机の前まで真っ直ぐ歩いてきた。気まずい顔を貼り付けたままのイルカに構うことなく報告書を置かれる。
怒ってるのか。
呆れてるのか。
たぶんどっちもだろうその顔を見れない。出された報告書に目を通しチェックをしす。視線を上げることなくイルカは頭を下げた。
「……問題ありません。お疲れ様でした」
頭を上げないイルカからは、ポケットに片手を入れたままのカカシが見えている。暫く待ってみるがいい加減動かないカカシに、イルカはそっと顔を上げた。
青い目と視線が交わる。顔を上げるのを待っていたかのように、カカシが口を開いた。
「先生」
「………はい」
「今日何時に終わるの?」
「あ…5時…です…」
「今日、仕事終わったら。校門で待ってて」
反射的に、嫌だ、の2文字がイルカを支配した。
「…え、あ、でも、」
見下ろしていたカカシの視線が逸らされ、返答が出来ないでいるイルカに背を向け、報告所を出て行く。
「……イルカ、お前何したんだよ」
隣の同僚が心配そうな表情を向けている。冷静な顔を保ちたくて、指先に力を入れた。
「………分からん…」
そう答えるだけで、いっぱいいっぱいだった。
自分を見下ろしていたカカシの目を思い出しただけで、思わず目を瞑る。
事情があろうがなかろうが、あんな目で見られたら誰だって動揺する。
何を話すのだろうか。それを思うと心臓が嫌な動きをし、途端気分が悪くなった。
どうしよう。ーー怖い。
勝手な事言ったのは自分だって分かってるのに。
怖い。
職員室に逃げても解決にならないと分かってはいるが。自分の席で、意味もなく仕事をしてみる。職員室の時計はもう5時を過ぎている。
カカシに合わせる顔がない。
重い腰を上げれずに、時間ばかりが過ぎていく。自分らしくない。時間厳守。遅刻厳禁。約束を守らない事が何よりも嫌いなはずなのに。
1時間。6時を時計は指している。
自分の何かも限界だった。イルカは鞄を手に掴むと、席を立つ。職員室を出て窓から校庭を覗いた。夕日も沈み闇が浮かぶ校庭の先ーー、校門に見える人影を見た瞬間イルカは走り出した。
通り過ぎる同僚に声をかけるのもままならず、階段を降り、校庭を走り抜けて、校門まで来た時は息が上がっていた。一歩近づいたイルカに、カカシが振り返った。
「やっと来た」
乱れた呼吸のままのイルカを見て、笑った。
遅刻したのに。責めることもしない。ただ、笑ったカカシを見たら、消してしまいたいくらいに自分を咎めたくなる。
気まずそうな顔のまま、肩にかけた鞄をぎゅっと掴んだ。
「すみません」
小さく呟いた時にはカカシは背を見せていた。
「あるこ」
「あ、…はいっ」
歩き出したカカシの背中を追いかけて、背後につくと、カカシが足を遅めてイルカの横についた。それが気まずくて、思わず俯いてしまう。しばらく歩けばちらほらいた人も疎らになり始める。無言を先に破ったのはカカシだった。
「せんせーはさ、」
「は、はいっ」
それだけでビクリとしたイルカを見て、カカシがクスクスと笑った。
「すっごい身構えてるねー」
「………すみません」
「いや、いいけどね」
まだ笑いを零しながら、カカシは手を口に当てた。カカシを窺うと、目がカチリと合った。
「俺のこと、嫌い?か、苦手?」
「え?」
「どっち?」
「え?いや、どっちでも」
フルフルと顔を振ると、カカシは眉を下げた。
「ホント?」
「はい。あ、あのっ、前はあんな事言って、本当にすみませんでした」
頭を深々と下げる。カカシを想うあまりであったとは言え、あんな言葉は言うべきではなかった。
「……じゃあどんな意味で言ったの?」
「え、」
静かに言われたその台詞にイルカは下げていた頭を上げる。
真っ直ぐにイルカを見つめる、カカシの顔があった。真面目な眼差しが、ふと細められ、カカシが笑った。
「なんて、聞いちゃダメだね。また先生に嫌われちゃう」
「だから、俺はカカシさんを嫌いなんかじゃないです。むしろ…好き、ですから」
必死に言うイルカを見て、カカシがゆっくりと笑った。
「ホント?」
力強く頷くと、カカシはふふと声を漏らして笑い目を細めた。
柔らかくて、嬉しそうな顔。その表情に自然と心臓が高鳴る。
カカシは軽く首を振った。
「分かってる。ただね、俺はさ、どーも人と接するのが下手だよね」
苦笑してカカシはまた歩き出した。
カカシの背中は自分と同じくらにな筈なのに。大きく、広く見えるのは何でだろう。
闇夜でも輝く銀色の髪。草臥れたようにボサボサで。でもとても惹かれる。その髪を、カカシが長い指で掻いた。
その白い指にも惹かれる。
それだけで、胸が苦しくなった。
苦しすぎて、笑えてくる。イルカは目元を緩めてカカシの後ろ姿を見つめた。
こりゃ、重症だ。
相手は男だって、俺分かってんのか?
上忍だぞ?
写輪眼だぞ?
雲の上の上の、ずっと上の人で、すっごいモテて。
「先生」
カカシの声で我に帰り、カカシが振り返っていたのを知る。
「え、あっ、はい!」
「こんな風に話しかけちゃ駄目?」
「……え?」
カカシは出していた手をポケットに入れた。その仕草を目で追っていて、
「そばをチョロチョロすんなって言うならやめるよ」
「え、…」
何を言われたか分からなくて、カカシの顔に視線を戻した。笑顔がない、カカシの顔はあまりにも端正で、吸い込まれそうになる。
チョロチョロって、何だろう。
「カカシさんーー?」
「だから、たまには話しかけて?」
「どう言う意味で、」
「えー?そのまんまだよ?」
見せるカカシの笑顔に自分の表情が固まっていた。
「こういうの、もうやめるから」
それだけ、言いたかったのよ
オネエ言葉でそう言ったカカシは、その後ニコと手を振って、上忍マンションへ帰って行った。
商店街に寄ろうと思ったが、その気力がなくなっていた。冷蔵庫の中を思い出しながらアパートへ歩く。
そう言えば。カカシさんに「好き」とか言っちゃったな。
でも、訂正する為の好きだと思われてんだろうな。
カカシの柔らかい微笑みを思い出して、胸がチクチクと痛んだ。
これって、振られたとかになるんだろうか。いや、もしかして嫌われたとか。
ぼんやりそんな事を考えながら、アパートまで歩き、空に浮かぶ月を見上げた。
(………まん丸)
満月。
それはとても綺麗で、輝く月の色が眩しくて、思わず俯き目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶ銀色の髪。
思い出しただけで。少しだけ、涙が出そうになった。
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受付に来ないのも。
時間的に混み合っていないからか、報告者がいない受付で、イルカは縦肘をつき、顎を支える。あの時。言われた台詞は、背を向けていて良かったのか悪かったのか。今さらカカシの顔を窺い知る事なんて出来ない。あのまま逃げずに振り返ったら分かった事だけど、それは今思ってもとてもじゃないけど、出来ない。
イルカは眉根を寄せた。
(だって…、だって…)
さみしいとか、そんな事言うんだったら。
だっら引っ越さなきゃいいだろ。
子供みたいな眼差しで笑うなよ。
あんな笑顔を見せるなよ。
あの人には、いつもとなりに誰かがいるのに。
だから、さみしいなんて。
それは、自分が言う筈だったのに。
よく考えたら、こんなに人を好きになった事はなかった。
でも、今日は甘い匂いはしないです
思い出しただけで何処かに埋まってしまいたくなる。イルカは縦肘を解き項垂れた。
ああ、なんかすんげー頭が悪そうなこと言っちゃったよな。
きっとうちの生徒でも言わない。
ちょっと冷静になればあんなことは言わなかった。そのちょっとが。カカシの前では皆無になってしまっていた。
ため息を盛大に吐いて顔を上げ、報告所の入口から見間違えようがない銀髪を目にして。
身体が硬直した。
だから。今、目の前に現れても困るのだけれど。
自分の体温が下がっていくのがわかった。
ニコリともしない、表情が全くわからない顔のカカシはイルカの机の前まで真っ直ぐ歩いてきた。気まずい顔を貼り付けたままのイルカに構うことなく報告書を置かれる。
怒ってるのか。
呆れてるのか。
たぶんどっちもだろうその顔を見れない。出された報告書に目を通しチェックをしす。視線を上げることなくイルカは頭を下げた。
「……問題ありません。お疲れ様でした」
頭を上げないイルカからは、ポケットに片手を入れたままのカカシが見えている。暫く待ってみるがいい加減動かないカカシに、イルカはそっと顔を上げた。
青い目と視線が交わる。顔を上げるのを待っていたかのように、カカシが口を開いた。
「先生」
「………はい」
「今日何時に終わるの?」
「あ…5時…です…」
「今日、仕事終わったら。校門で待ってて」
反射的に、嫌だ、の2文字がイルカを支配した。
「…え、あ、でも、」
見下ろしていたカカシの視線が逸らされ、返答が出来ないでいるイルカに背を向け、報告所を出て行く。
「……イルカ、お前何したんだよ」
隣の同僚が心配そうな表情を向けている。冷静な顔を保ちたくて、指先に力を入れた。
「………分からん…」
そう答えるだけで、いっぱいいっぱいだった。
自分を見下ろしていたカカシの目を思い出しただけで、思わず目を瞑る。
事情があろうがなかろうが、あんな目で見られたら誰だって動揺する。
何を話すのだろうか。それを思うと心臓が嫌な動きをし、途端気分が悪くなった。
どうしよう。ーー怖い。
勝手な事言ったのは自分だって分かってるのに。
怖い。
職員室に逃げても解決にならないと分かってはいるが。自分の席で、意味もなく仕事をしてみる。職員室の時計はもう5時を過ぎている。
カカシに合わせる顔がない。
重い腰を上げれずに、時間ばかりが過ぎていく。自分らしくない。時間厳守。遅刻厳禁。約束を守らない事が何よりも嫌いなはずなのに。
1時間。6時を時計は指している。
自分の何かも限界だった。イルカは鞄を手に掴むと、席を立つ。職員室を出て窓から校庭を覗いた。夕日も沈み闇が浮かぶ校庭の先ーー、校門に見える人影を見た瞬間イルカは走り出した。
通り過ぎる同僚に声をかけるのもままならず、階段を降り、校庭を走り抜けて、校門まで来た時は息が上がっていた。一歩近づいたイルカに、カカシが振り返った。
「やっと来た」
乱れた呼吸のままのイルカを見て、笑った。
遅刻したのに。責めることもしない。ただ、笑ったカカシを見たら、消してしまいたいくらいに自分を咎めたくなる。
気まずそうな顔のまま、肩にかけた鞄をぎゅっと掴んだ。
「すみません」
小さく呟いた時にはカカシは背を見せていた。
「あるこ」
「あ、…はいっ」
歩き出したカカシの背中を追いかけて、背後につくと、カカシが足を遅めてイルカの横についた。それが気まずくて、思わず俯いてしまう。しばらく歩けばちらほらいた人も疎らになり始める。無言を先に破ったのはカカシだった。
「せんせーはさ、」
「は、はいっ」
それだけでビクリとしたイルカを見て、カカシがクスクスと笑った。
「すっごい身構えてるねー」
「………すみません」
「いや、いいけどね」
まだ笑いを零しながら、カカシは手を口に当てた。カカシを窺うと、目がカチリと合った。
「俺のこと、嫌い?か、苦手?」
「え?」
「どっち?」
「え?いや、どっちでも」
フルフルと顔を振ると、カカシは眉を下げた。
「ホント?」
「はい。あ、あのっ、前はあんな事言って、本当にすみませんでした」
頭を深々と下げる。カカシを想うあまりであったとは言え、あんな言葉は言うべきではなかった。
「……じゃあどんな意味で言ったの?」
「え、」
静かに言われたその台詞にイルカは下げていた頭を上げる。
真っ直ぐにイルカを見つめる、カカシの顔があった。真面目な眼差しが、ふと細められ、カカシが笑った。
「なんて、聞いちゃダメだね。また先生に嫌われちゃう」
「だから、俺はカカシさんを嫌いなんかじゃないです。むしろ…好き、ですから」
必死に言うイルカを見て、カカシがゆっくりと笑った。
「ホント?」
力強く頷くと、カカシはふふと声を漏らして笑い目を細めた。
柔らかくて、嬉しそうな顔。その表情に自然と心臓が高鳴る。
カカシは軽く首を振った。
「分かってる。ただね、俺はさ、どーも人と接するのが下手だよね」
苦笑してカカシはまた歩き出した。
カカシの背中は自分と同じくらにな筈なのに。大きく、広く見えるのは何でだろう。
闇夜でも輝く銀色の髪。草臥れたようにボサボサで。でもとても惹かれる。その髪を、カカシが長い指で掻いた。
その白い指にも惹かれる。
それだけで、胸が苦しくなった。
苦しすぎて、笑えてくる。イルカは目元を緩めてカカシの後ろ姿を見つめた。
こりゃ、重症だ。
相手は男だって、俺分かってんのか?
上忍だぞ?
写輪眼だぞ?
雲の上の上の、ずっと上の人で、すっごいモテて。
「先生」
カカシの声で我に帰り、カカシが振り返っていたのを知る。
「え、あっ、はい!」
「こんな風に話しかけちゃ駄目?」
「……え?」
カカシは出していた手をポケットに入れた。その仕草を目で追っていて、
「そばをチョロチョロすんなって言うならやめるよ」
「え、…」
何を言われたか分からなくて、カカシの顔に視線を戻した。笑顔がない、カカシの顔はあまりにも端正で、吸い込まれそうになる。
チョロチョロって、何だろう。
「カカシさんーー?」
「だから、たまには話しかけて?」
「どう言う意味で、」
「えー?そのまんまだよ?」
見せるカカシの笑顔に自分の表情が固まっていた。
「こういうの、もうやめるから」
それだけ、言いたかったのよ
オネエ言葉でそう言ったカカシは、その後ニコと手を振って、上忍マンションへ帰って行った。
商店街に寄ろうと思ったが、その気力がなくなっていた。冷蔵庫の中を思い出しながらアパートへ歩く。
そう言えば。カカシさんに「好き」とか言っちゃったな。
でも、訂正する為の好きだと思われてんだろうな。
カカシの柔らかい微笑みを思い出して、胸がチクチクと痛んだ。
これって、振られたとかになるんだろうか。いや、もしかして嫌われたとか。
ぼんやりそんな事を考えながら、アパートまで歩き、空に浮かぶ月を見上げた。
(………まん丸)
満月。
それはとても綺麗で、輝く月の色が眩しくて、思わず俯き目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶ銀色の髪。
思い出しただけで。少しだけ、涙が出そうになった。
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