知りたくて知りたくない事①

居酒屋。時間的に客の酒が回り始めた店内は、酒と煙草と料理の匂いに包まれていた。
カウンターに座っていたカカシは、入り口に捉えた気配が自分の待ち人だと分かるが、向きも変えずに猪口で口を湿らせた。
「遅いじゃないの」
背後に立った相手に言えば、はあと溜息混じりの返答が聞こえた。
「すみません。これでも急いだ方なんです」
謝るのが得策と判断したのか、素直に詫びを入れてカカシの横の席に座った。
ビールください。とカウンター越しに店員へ声をかける。
「忙しいの?」
忙しいと分かっているが。カカシの態とらしい言葉にも顔色を変えずにまあそうですね、とおしぼりで手を拭きながらカカシをようやく見た。
「先輩の抜けた穴埋めに駆り出される毎日ですから」
言われて、何それ、久しぶりに会ってそれはないでしょうよ。とちいさく笑って再び猪口から口に酒を流しこんだ。
「人手不足に悩むのはどこも一緒よ?」
「ええ、まあそれは十二分に承知してます」
目をかけてきた後輩の泣き言は聞きたくないし酒の肴にもならないと、そこから無言で酒を飲めば、相手も真面目に合わせてビールを飲む。久しぶりに、しかも居酒屋で、二人きりで飲む機会はたぶん片手でも数えるくらいしかない。自分には違和感すら感じないが、長年仲間として連れ添ってきただけに、相手の、変わらないがマイペースを貫き通すような愚鈍さに苛立ちを感じた。
変に思慮深いんだよねえ。
仕方なしにとカカシは口を開いた。
「テンゾウさ、」
「はい」
「俺の過去の女って覚えてる?」
カウンターに目を向けながら聞けば、テンゾウは明らか様に眉を寄せた。
「はあ…まあ」
久しぶりに会って話す話題が女?と顔に書いてある。本人はそのつもりは勿論ないだろうが。だが、それこそ本命の内容だけに、カカシは至って顔を濁す相手に構わず、目線を向け、続けた。
「正直さ、覚えてないのよ。だからテンゾウに聞くしかないから聞いてんの。昔の女ってさ、みんな一貫して似たような感じだったかね」
そこからテンゾウは素直に質問を受け入れたのか、一頻り記憶を巡らせるように視線を空に浮かせた。
「そうですね。中身まで深く知る前に消える人が多かったりしましたが、皆大体は統一性が見られました」
「教えて」
テンゾウは半分まで飲んだビールを飲み干すと、改めてカカシを見た。
「じゃあ、言いますね。まず綺麗な顔立ちで、間違っても可愛い系ではないです。で、背は高い。体型は華奢。色白、長髪でほぼストレート。性格もストレートで……まあ、…気立ては間違っても良いとは、言えない、...ような。と、いう...感じですかね」
並べられた条件にみるみるカカシの顔色が変わっていくのが分かったのだろう。尻すぼみになりながらもテンゾウは言い切って空のビールグラスに目を移した。
カカシは短いため息を吐く。
「基本近寄ってくる女がそんな感じだったんだよね」
言い訳みたいな言葉を吐いて、カカシは店員にビールの追加を頼んだ。
どうもです、と言うテンゾウに構わずまた溜息を零した。
いかにもと、手に取るように伝わる態度に、テンゾウは質問を投げかけるべきだと判断した。
「何ですか。先輩、色恋で悩みですか」
「そう。悪い?」
枝豆を手に取り、乱暴に口に放り込む。
「いや、…悪いなんて。ただ、初めてですよね」
「何が?」
「女の悩みで相談受けるのって。今まで一度だってなかったですから」
テンゾウは新しく置かれたビールを一口飲んだ。
女と言われてカカシは複雑な気持ちになった。自分からそうふったのだから、ごく自然な相手の言葉だが。
自分の悩んでいる相手は男だ。
言うか、言わずにおくべきか。そこにさえ悩みを感じながら頭をガリガリと掻いた。そして、テンゾウの口から先ほどでた「色恋」に、自分が相手にその気持ちを持っているから悩んでいるのだと、改めて気づかされる。
それ以前の問題だと思っていたのに。
「どうしたんです?」
気持ちに一区切りついたのか、テンゾウはメニューから適当につまみを頼むと、カカシを見た。
そうだ。自分は相手に恋をしている。それを認めるだけで、今回テンゾウを呼んだ意義があるって事だ。


「いーや、別に」
低い声で呟くその声は決して機嫌が良いとは言えない。悪い、と言った方がいい。徳利から酒を注ぐカカシを横目で見て、既に数本空けられた徳利があるとテンゾウは推測した。余り好んで日本酒ばかり飲まないはずのその行動は、やはりカカシの今回の悩みの深さを推し量れる。正直身体を合わせる為だけだったはずの女しか、自分は知らない。ここまでカカシを悩ませる相手は一体どんな女性なのか。悩みうんぬんよりも、相手への興味が先にテンゾウの中に芽生えてきていた。
闇から足を洗えば広がる世界だってあるのは分かるが。だがそれは行った先ではないから想像が難しい。
「そんな悩むなんて。どんな女なんですか?」
ストレートに口にしたテンゾウに、カカシは顔を歪めた。
「あ、いや、…じゃあ言い直しますが、今までの女と何が違うんですか?」
余りにも形相の変わりように慌てて取り繕うように言葉を足していた。
それでもカカシの顔は変わらないが、それ以上酷くならなかった為、言い直した質問は間違った聞き方ではないと、変に安堵した。
カカシは立て肘をついたまま猪口で口を湿らせる。
「可愛い」
「は?」
「だから、可愛い」
ポカンとしたテンゾウに、カカシから同じ言葉を被せられ、はい、と頷いていた。
「…違いって言うならね、さっきテンゾウが言ったのと反対だって事だーね」
それは何となくだが薄々そう感じてはいたが。
「真面目。でしっかりしてるんだよね。…けど、意外に抜けてる所もあって。真面目なだけに笑い顔が柔らかいんだよね」
カカシの話す横顔を横目で見ながら眩暈がした。カカシは酔っているのか。出来ればそうであって欲しい。テンゾウはビールを飲みながら未だ動揺していた。
正反対だ。少し聞いただけで今までの女とは明らかに正反対の存在に、カカシが悩んでもおかしくないのかと、納得した。だが何故カカシがこんなに機嫌が悪くなるのか分からない。
「でも顔はそこまでじゃないよ。でもさ、可愛い」
それはさっき言っただろ。
言いたいのを堪えてビールを喉に流し込む。
てか、このカカシは気持ち悪い。自分にはそんな風に相手を話すカカシへの抗体が出来ていない。過去、自分の先輩として闇に潜っていた頃は、花街に女を囲って、飽きるからと、それとは別にも代わる代わる女を横に連れていた。1人の女がこんなにもカカシを酔わせ、自分に相談をもちかけさせる。
そんな面倒な選択、自分ではあり得ない。素直に花街に通った方が何かに置いて楽なのだ。
それを教えてくれたのは、他でもない、横で酒を飲んでいるカカシだ。
「……ぽくないって言いたいんでしょ」
白い指先で猪口を弄びながら、目線はカウンターに向けたままカカシが言った。見通されているのなら話は早い。
テンゾウも前を向き、煮魚をつつきながら口を開いた。
「やめといた方がいいと言っても良いんですか」
「…う〜ん、そうね。半々かな」
「じゃあ言います。やめておいた方がいいです。楽な選択を俺は勧めますよ」
目だけを向ければ、カカシの横目と目が合った。知らずヒヤリとした空気に背中がゾワリとする。それを顔に出さぬよう務めるのは簡単だ。知らぬ顔を保ちながらビールを喉に通した。
「…問題は実際、勃つかどうかだよね」
耳に入った台詞に保ちきれなくなったテンゾウは、喉からビールを戻しそうになる。それが少し気管に入り、短く咳を繰り返した。
「か、身体の問題、です、か」
「俺さ、夜迦相手でも勃った事ないからさ。テンゾウは?」
咽せるテンゾウに気にすることなく会話は続けられている。
相手は男。それを告げられ、テンゾウはようやく自分が相談役に選ばれた理由か分かる。こんな相談、口が堅く長年自分を知ってる相手にしか言いたくはない。
なるほど、自分は適役だ。
しかし。
自分だってノーマルだ。それはカカシも重々承知のはず。
おしぼりで口を拭いながらカカシを見た。
「俺は、一度も」
言えば、カカシは数回頷いた。
「申し訳ないですが、俺は考えただけで、無理があります。先輩もそこを悩まれるのなら無理という事じゃないですか」
「………かね」
「はい」
しっかりと意思を伝えるようにテンゾウはカカシを見た。
この世界よくある話に理解はあるが、カカシが無理をしてまで乗り越える利点など存在しないはずだ。少なくとも自分にはない。
「可愛いんだけどなあ」
ボンヤリと呟き頭を上げ天井にある剥き出しの梁を眺めている。
可愛い?男が?
グラスを持つ手に力が入った。強張るテンゾウに、ふとカカシが上を向きながら目だけを向けた。冷ややかな青い瞳が、ゆっくりと薄っすら微笑む。不思議な感覚に今まで感じた事のない痺れが身体を走った。直後に粟立つ。
よく分からない感覚を鎮めるようゆっくりと息をすれば、カカシはゆらりと立ち上がった。口布を戻すカカシを見つめていれば、懐から出した多めの金を、未だ手から離せないでいるビールグラスの横に置き、背を向ける。

カカシはどんな選択をするのだろう。

テンゾウは一人、日本酒を追加した。


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