Take me higher①
最初は些細な違和感だった。
自分でも気がつかないくらいに。気持ちに靄がかかった感覚と言ったらわかり易いのか。その靄が何かも分からなくて、でも特段気にしていなかった。
いや、気にしないようにしていた。
元々細かい事を気にする性分じゃない。だから、いつものようにやり過ごした。
「イルカ先生」
かけられた声に我に返った。青い瞳が自分を見つめていた。
「どうしたの。ぼーっとして」
途切れていた思考から、どう言おうか考えを巡らせて、ついさっき気になった事を口にした。
「あ、いえ。それよりカカシ先生、どこか体調悪いんですか?」
いつもより箸が進まず、どことなく気になったカカシの食後の表情。
「え、そんな事ないですよ?」
少し驚かれ逆に拍子抜けする。そう見えたから聞いたのに、丸で自分が間違っていたみたいだ。
「そう、今日のご飯も美味しかったです」
ご馳走様でしたと優しく微笑まれ、イルカもニコリとして良かった、と返す。
そのまま横になり、愛読書を取り出すカカシを眺めながら流しに向かった。
まただ。
特段問題ないはずなのに。何だろう。気持ちが晴れない。でもそれが何か分からない。分からないからそのままにする。
たぶん、そうした方がいいと自分の心内で無意識に選択している。
シンクの洗い桶の中で手際よく皿を洗う自分の手を、切れてしまった心とは別に視線だけが追っていた。
今日はカカシはきっと家に来ない。
授業が終わった教室で1人黒板を消しながらふと思った。その後に出る溜息。
あれ、何で溜息なんだよ。
その溜息に自問する。
普段任務が終わればカカシは真っ直ぐ自分の家に来た。だが報告所に上がらない高ランクの任務の後はほとんど顔を出した事がない。
何か事情があるのだろう。ランクの低い任務しかこなしてこなかった自分には想像もつかないが、自分では分からない事情があるに違いない。同じ忍びとして理解すべき事だと、カカシに聞く事もないが、気にならないわけではなかった。普通に会いたいから来てくれれば自分は嬉しい。だけど、カカシは来ない。それだけだ。
教材を抱えて書庫室へ向かう。巻物を山積みに抱えた先に扉が突然開いて、そこから出てきた人とぶつかった。いつもなら気配で避ける事ができるはずなのに。その気配が全くなく、ただイルカは相手に向かってぶつかる形になった。
「すみません」
先に謝り、屈み込み廊下に散らばった巻物に手を伸ばした。
「あ、」
声を出され、巻物を拾った先に顔を上げ、改めて視界に入れた顔にヒュッと息を飲んでいた。見覚えがある。記憶力は悪い方ではない。職業柄、顔と名前は覚える能力が高い。だから。すぐに思い当たる顔に態とらしいほど視線を外していた。
カカシと腕を組んであるいていた女性。一瞬見ただけなのに。自分の頭にしっかりと記憶され、忘れる事が出来ていなかった。
「カカシの新しい人」
何故か彼女は嬉しそうな顔をした。ーーように見えた。
その先手を打たれたような台詞に一瞬身体が固まった。ただ、何故自分を知っているかは分からない。彼女は女性らしく甘い口調の割にあざとさを含む言い方だった。
綺麗な漆黒の長い髪が背中まで伸びている。大きな目をした彼女は綺麗な顔立ちをしていた。人目を惹く愛くるしい顔をしている。
ああ、そうか。その顔を眺めながらイルカは変に納得した。彼女は上忍だ。故に自分が気配がないのに気がつかなかった事に納得する。いつもは自分と同じである中忍の仲間しかアカデミーにはいないからだ。
床に跪き巻物を手にしたまま、眼を見張るイルカを見ながら赤い唇の端を上げた。
「あら、違った?」
余裕を持たせた言い方に、巻物を拾いイルカは立ち上がりながら、どう答えるべきか思案していると、彼女は小さく笑いを零した。
「ごめんなさい。驚いちゃった?私はカカシと前付き合ってて、次の相手は誰か興味があって知ってただけよ」
ケロと言う相手にただ聞くしかできなかったが、その言葉は変に納得していた。腕を組んで付き合ってなかったら、それこそ複雑な関係に他ならなくなる。ただ、カカシと付き合っていた女性を目の当たりにするのは気分が悪かった。それも言葉にされると尚更だ。生々しい言葉に知らず眉を寄せていた。
「カカシは元気?」
黙りこくってしまった相手に話を切り替えてきた。
「………はあ」
ようやく口にしたイルカに満足気な表情を見せる。
「そう言えばカカシは今日は高ランク任務だったわね。彼、気分が高揚してるから夜は大変なんじゃない?」
目を細めた笑いを見せられ、イルカの表情が硬直した。
言われた意味がよく分からない。
だって、カカシはいつも自分の家には来ない。大変って何が大変なのか。
「あら、違った?だって彼いつも激しくて。でもセックスは上手いから私は嬉しかったけど?」
一瞬の間を置いて意味が理解でき、イルカの顔が赤く染まった。同時に冷や汗が沸く。
「もしかして、…求められてない?」
素直さが裏目にでるとはこの事だ。何を答えるわけでもなく、無言と表情で答えていた。あらあら、と大げさなくらいに彼女は目を大きくした。
「ごめんね、変な事言っちゃった?そうよね、私とあなたは違うもの。求めるものが違ってもおかしくないわね」
じゃ、と足元に転がる巻物を拾い上げると、イルカの抱える巻物の上に乗せる。
屈んだ時に見えた豊満な胸が、男とあらば反応すべきはずなのに。見れば見るほど色気を含む身体にカカシが抱いていたという事実が、その女性らしい色気に居た堪れない程の不快感がイルカを包んだ。
じゃあね、とにっこり微笑まれ背中を向けて立ち去る。
ようやく身体が動いたのは何分も経った後だった。
カカシと付き合っていた彼女。
そりゃカカシが今まで、誰一人として付き合ってこなかった訳がないだろう。男の自分から見てもカカシはもてそうだ。一般的に並べる付き合う条件を全て満たしている。それに、ーーとても優しい。
腕を組んで歩いていた、あの光景かまざまざと蘇る。あれが引き金になってカカシに気持ちを伝えるに至っていた。それは間違いがない。付き合っていたならば、俺はそれの関係を引き裂いた事になる。嫌味っぽい彼女の言動は納得がいく。だから酷い罵声を浴びせられなかったよりましだ。
だが。
高ランク任務の後、カカシはあの彼女の家には行っていた。
なんで?
その事実は大きな衝撃だった。だって俺の家には来た事がない。
私とあなたは違うものね
微笑む赤い口元を思い出した。
違う。何もかも。
あんな綺麗でかわいい彼女と、無骨で冴えない自分。
上忍と中忍で内勤しかしていない自分。
女と男。
考えないようにしていたのに。
彼女と会ってしまっただけで、目の当たりにされた事実は、隠しようがない現実。
大き過ぎない柔らかな胸、きゅっと締まったくびれに丸いお尻。白い肌に長く伸びる手脚。服の上からも分かるくらいに身体のラインが綺麗だった。カカシが求めてセックスをした身体。小さくてポテッとした唇にカカシは何度も合わせたのだろう。
嫌悪感に胸の中がざわめいた。
だが、自分のとる行動は一つ。気にしなければいい。
そう、あったとしても小さな違和感だ。そう言い聞かせる。
でもそれは真っさらな布に落ちた墨汁のように、一点の不安がじわじわと心の隅で広がって。気がつけば拭いきれなくなっていた。
俺は彼の恋人として相応しいのか。
そう思うようになったのはいつからだったろう。
そもそも相応しいとか、相応しくないとか。考えなければいけなくなる事がおかしいのかもしれない。
カカシは写輪眼のカカシと他国で恐れられている。忍びであればその名を知らぬ者はいない。下忍の時に知り合って以来、写輪眼のカカシの名が凄い勢いで轟いていったのも知ってる。
アカデミーの教員になり実践からも遠のいて中忍止まりの平凡すぎる自分との釣り合いを考えない事はなかった。だけど、身体を重ねた日、カカシは大切な記念日だと言った。そこから始まったカカシと過ごす生活に何の疑問も抱かずにきたつもりだったのに。
カカシは高ランク任務の後、自分の家に帰っているのか。彼女が言っていたように殺伐とした内容と生死を分ける戦いで気分が高揚するのはあるだろう。でもカカシは何も言わないし、姿を見せない。
自分では満足出来ないから、他に相手を見つけているとしたら。
考えたくもない嫌な想像に気分が悪くなった。
嫌だ。
男らしく小さな事は気にしなければいいのに。
男だから。
だから。相応でないから。
聞けば済む事だろう。そんなのは分かってる。
いつから自分はこんなに女々しくなったのだろう。酷く臆病になってしまっている。
付き合ってもうすぐ3ヶ月。変わらず優しいカカシに。
これ以上の変化を求めたくない。
それはイルカの強い願いだった。
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自分でも気がつかないくらいに。気持ちに靄がかかった感覚と言ったらわかり易いのか。その靄が何かも分からなくて、でも特段気にしていなかった。
いや、気にしないようにしていた。
元々細かい事を気にする性分じゃない。だから、いつものようにやり過ごした。
「イルカ先生」
かけられた声に我に返った。青い瞳が自分を見つめていた。
「どうしたの。ぼーっとして」
途切れていた思考から、どう言おうか考えを巡らせて、ついさっき気になった事を口にした。
「あ、いえ。それよりカカシ先生、どこか体調悪いんですか?」
いつもより箸が進まず、どことなく気になったカカシの食後の表情。
「え、そんな事ないですよ?」
少し驚かれ逆に拍子抜けする。そう見えたから聞いたのに、丸で自分が間違っていたみたいだ。
「そう、今日のご飯も美味しかったです」
ご馳走様でしたと優しく微笑まれ、イルカもニコリとして良かった、と返す。
そのまま横になり、愛読書を取り出すカカシを眺めながら流しに向かった。
まただ。
特段問題ないはずなのに。何だろう。気持ちが晴れない。でもそれが何か分からない。分からないからそのままにする。
たぶん、そうした方がいいと自分の心内で無意識に選択している。
シンクの洗い桶の中で手際よく皿を洗う自分の手を、切れてしまった心とは別に視線だけが追っていた。
今日はカカシはきっと家に来ない。
授業が終わった教室で1人黒板を消しながらふと思った。その後に出る溜息。
あれ、何で溜息なんだよ。
その溜息に自問する。
普段任務が終わればカカシは真っ直ぐ自分の家に来た。だが報告所に上がらない高ランクの任務の後はほとんど顔を出した事がない。
何か事情があるのだろう。ランクの低い任務しかこなしてこなかった自分には想像もつかないが、自分では分からない事情があるに違いない。同じ忍びとして理解すべき事だと、カカシに聞く事もないが、気にならないわけではなかった。普通に会いたいから来てくれれば自分は嬉しい。だけど、カカシは来ない。それだけだ。
教材を抱えて書庫室へ向かう。巻物を山積みに抱えた先に扉が突然開いて、そこから出てきた人とぶつかった。いつもなら気配で避ける事ができるはずなのに。その気配が全くなく、ただイルカは相手に向かってぶつかる形になった。
「すみません」
先に謝り、屈み込み廊下に散らばった巻物に手を伸ばした。
「あ、」
声を出され、巻物を拾った先に顔を上げ、改めて視界に入れた顔にヒュッと息を飲んでいた。見覚えがある。記憶力は悪い方ではない。職業柄、顔と名前は覚える能力が高い。だから。すぐに思い当たる顔に態とらしいほど視線を外していた。
カカシと腕を組んであるいていた女性。一瞬見ただけなのに。自分の頭にしっかりと記憶され、忘れる事が出来ていなかった。
「カカシの新しい人」
何故か彼女は嬉しそうな顔をした。ーーように見えた。
その先手を打たれたような台詞に一瞬身体が固まった。ただ、何故自分を知っているかは分からない。彼女は女性らしく甘い口調の割にあざとさを含む言い方だった。
綺麗な漆黒の長い髪が背中まで伸びている。大きな目をした彼女は綺麗な顔立ちをしていた。人目を惹く愛くるしい顔をしている。
ああ、そうか。その顔を眺めながらイルカは変に納得した。彼女は上忍だ。故に自分が気配がないのに気がつかなかった事に納得する。いつもは自分と同じである中忍の仲間しかアカデミーにはいないからだ。
床に跪き巻物を手にしたまま、眼を見張るイルカを見ながら赤い唇の端を上げた。
「あら、違った?」
余裕を持たせた言い方に、巻物を拾いイルカは立ち上がりながら、どう答えるべきか思案していると、彼女は小さく笑いを零した。
「ごめんなさい。驚いちゃった?私はカカシと前付き合ってて、次の相手は誰か興味があって知ってただけよ」
ケロと言う相手にただ聞くしかできなかったが、その言葉は変に納得していた。腕を組んで付き合ってなかったら、それこそ複雑な関係に他ならなくなる。ただ、カカシと付き合っていた女性を目の当たりにするのは気分が悪かった。それも言葉にされると尚更だ。生々しい言葉に知らず眉を寄せていた。
「カカシは元気?」
黙りこくってしまった相手に話を切り替えてきた。
「………はあ」
ようやく口にしたイルカに満足気な表情を見せる。
「そう言えばカカシは今日は高ランク任務だったわね。彼、気分が高揚してるから夜は大変なんじゃない?」
目を細めた笑いを見せられ、イルカの表情が硬直した。
言われた意味がよく分からない。
だって、カカシはいつも自分の家には来ない。大変って何が大変なのか。
「あら、違った?だって彼いつも激しくて。でもセックスは上手いから私は嬉しかったけど?」
一瞬の間を置いて意味が理解でき、イルカの顔が赤く染まった。同時に冷や汗が沸く。
「もしかして、…求められてない?」
素直さが裏目にでるとはこの事だ。何を答えるわけでもなく、無言と表情で答えていた。あらあら、と大げさなくらいに彼女は目を大きくした。
「ごめんね、変な事言っちゃった?そうよね、私とあなたは違うもの。求めるものが違ってもおかしくないわね」
じゃ、と足元に転がる巻物を拾い上げると、イルカの抱える巻物の上に乗せる。
屈んだ時に見えた豊満な胸が、男とあらば反応すべきはずなのに。見れば見るほど色気を含む身体にカカシが抱いていたという事実が、その女性らしい色気に居た堪れない程の不快感がイルカを包んだ。
じゃあね、とにっこり微笑まれ背中を向けて立ち去る。
ようやく身体が動いたのは何分も経った後だった。
カカシと付き合っていた彼女。
そりゃカカシが今まで、誰一人として付き合ってこなかった訳がないだろう。男の自分から見てもカカシはもてそうだ。一般的に並べる付き合う条件を全て満たしている。それに、ーーとても優しい。
腕を組んで歩いていた、あの光景かまざまざと蘇る。あれが引き金になってカカシに気持ちを伝えるに至っていた。それは間違いがない。付き合っていたならば、俺はそれの関係を引き裂いた事になる。嫌味っぽい彼女の言動は納得がいく。だから酷い罵声を浴びせられなかったよりましだ。
だが。
高ランク任務の後、カカシはあの彼女の家には行っていた。
なんで?
その事実は大きな衝撃だった。だって俺の家には来た事がない。
私とあなたは違うものね
微笑む赤い口元を思い出した。
違う。何もかも。
あんな綺麗でかわいい彼女と、無骨で冴えない自分。
上忍と中忍で内勤しかしていない自分。
女と男。
考えないようにしていたのに。
彼女と会ってしまっただけで、目の当たりにされた事実は、隠しようがない現実。
大き過ぎない柔らかな胸、きゅっと締まったくびれに丸いお尻。白い肌に長く伸びる手脚。服の上からも分かるくらいに身体のラインが綺麗だった。カカシが求めてセックスをした身体。小さくてポテッとした唇にカカシは何度も合わせたのだろう。
嫌悪感に胸の中がざわめいた。
だが、自分のとる行動は一つ。気にしなければいい。
そう、あったとしても小さな違和感だ。そう言い聞かせる。
でもそれは真っさらな布に落ちた墨汁のように、一点の不安がじわじわと心の隅で広がって。気がつけば拭いきれなくなっていた。
俺は彼の恋人として相応しいのか。
そう思うようになったのはいつからだったろう。
そもそも相応しいとか、相応しくないとか。考えなければいけなくなる事がおかしいのかもしれない。
カカシは写輪眼のカカシと他国で恐れられている。忍びであればその名を知らぬ者はいない。下忍の時に知り合って以来、写輪眼のカカシの名が凄い勢いで轟いていったのも知ってる。
アカデミーの教員になり実践からも遠のいて中忍止まりの平凡すぎる自分との釣り合いを考えない事はなかった。だけど、身体を重ねた日、カカシは大切な記念日だと言った。そこから始まったカカシと過ごす生活に何の疑問も抱かずにきたつもりだったのに。
カカシは高ランク任務の後、自分の家に帰っているのか。彼女が言っていたように殺伐とした内容と生死を分ける戦いで気分が高揚するのはあるだろう。でもカカシは何も言わないし、姿を見せない。
自分では満足出来ないから、他に相手を見つけているとしたら。
考えたくもない嫌な想像に気分が悪くなった。
嫌だ。
男らしく小さな事は気にしなければいいのに。
男だから。
だから。相応でないから。
聞けば済む事だろう。そんなのは分かってる。
いつから自分はこんなに女々しくなったのだろう。酷く臆病になってしまっている。
付き合ってもうすぐ3ヶ月。変わらず優しいカカシに。
これ以上の変化を求めたくない。
それはイルカの強い願いだった。
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