手を繋ごう④

はたけカカシ。
それを知ったのは三代目の自宅にいた時だ。イルカに目をかけていた三代目は、時々家に招き夕飯やら将棋の相手をさせていた。
「銀髪の忍び…?」
火影は駒を指す手を止め、イルカを見た。
縁側に火影と二人、イルカは将棋を指しながら銀髪の少年の事を口にした。修行の手伝いや、間違っても先日無理強いされた痴態の事は口にはしない。彼の特徴だけを伝え、名前を聞き出そうと試みていた。
火影の表情を盗み見る。明らかに思い当たる、と言った顔だ。
あの若さで暗部に所属し、口布をした銀髪の少年を、火影が知らぬわけがない。
だが、暗部には然るべきルールがあるのもイルカは知っていた。彼らの素性が明るみに出る事はない。あってはならない。闇に生きる忍びには必要ないと耳にした事があった。
本当は火影に聞くつもりもなかった。
そう、あんなことされなければ。
思い出しただけで怒りが湧き上がる。あんな恥ずかしい真似、もう二度とごめんだ。自分の伝を使いに使ってでも名前を聞き出し、あの仮面を剥いでやる。
イルカの頭にはそれしか無かった。
「さあな、思い当たらん」
「そっか……」
とぼけた火影にイルカは続けた。さも残念だとしょんぼりした顔を作る。
「俺さ、…火影様の次に初めて憧れた忍びだったから…。知らないなら…仕方ないか」
しょうがないから色んな人に聞き回るよ、と言った先に火影の顔色が変わった。
自分ならやりかねないと思っているのだろう。目をかけている手前、火影なら自分を危惧するだろうと知った上で、イルカは敢えて口にしていた。
火影は視線を横にズラし丹精な庭へ移す。深入りため息の後にイルカに視線を戻した。
「…カカシだ」
「え?」
「お前が見た忍びはな、たぶんだ。…はたけ…カカシだ」
案外容易く名前が分かった。
口にしたものの火影に浮かばせる悲哀の眼差しにイルカは内心首をかしげた。
「だがな、それ以上はあやつへの深入りは禁ずるぞ。未だ身は暗部だ。余計な詮索する時間があったら中忍への修行をしておれ」
眼光をチラとイルカに向けられ、イルカは嬉しそうに笑顔を作り頭を掻いた。
「分かってるよ。火影様、ありがとう」
分かっている。
火影の言う通り、深入りはよくないと、自分でも分かっていた。
住む世界が違う。
カカシに会った時から感じていた。自ずからカカシは深入りを拒んでいる。
それなのに、最近考えるのはあの少年の事ばかりだ。
腹立たしいくらいに。


あの日の翌日、イルカは同じようにあの川原まで足を運んだ。
日も昇らない早朝。薄闇の中イルカはいつものように川の中心にある大きな岩へ視線を向けた。
が、いつもいたはずの影は見当たらなかった。
ひっそりと静まり返る森の中、ただ川の流れる音が涼しく耳に入る。
イルカは岩に飛び移り、辺りを見渡したが、探る限り気配も感じ取る事が出来なかった。
名前を呼ぼうとして口を開くが、名も知らないのを思い出し、眉間に皺を寄せ溜息を零した。
必ず自分より先に来ていた銀髪の少年。
あんな事をして会わせる顔がないと思っているのか。
負けを認めるようで逃げたくないと、イルカはこの場に来たのだが。
少年のいない岩に立つ自分は、何故だろう。場違いに感じ物悲しさがイルカに現れる。
怒りはある。
会ったら殴ってやりたい。
作っていた拳に力を入れる。
なのに、いないと分かっただけで落胆している自分を否定するように頭を強く振った。


火影の家からの帰り道、一人歩きながら考える。
あいつはーーカカシは空気みたいに掴めない幽霊みたいな奴だと思ってたけど。
ちゃんとした名前があって、実体がないような存在だっただけに、ようやく銀髪の少年の背中を掴めるような気がした。
懐から修行用の手裏剣を取り出して眺める。連日の修行に使用していた為だろう、汚れが目立ち、手入れが必要だとイルカは眉頭を寄せた。
(銀色……)
クナイや手裏剣の青白い光も似てるが。
見上げる先にある月にを目に写す。
やっぱりあいつは月なんだと改めて思う。
朧げで掴めなくて、冷静でいつもどこか冷めている。

本当は、苛立ちに任せて名前を聞き出したかった訳じゃない。
あいつの事を知らない自分が嫌だった。それは純粋な気持ちだった。
知りたい。
だから。

あの仮面の下で、あいつは笑う事があるのだろうか。
笑った声を聞いたはずなのに、不思議と思い出せない。
俺みたいに、くだらない事で友達とふざけあって腹かかえるほど笑ったりする事があるのか。
普通の子供のように。
ふいに頭をよぎるのは、お互いの下半身の熱を重ねた時の感触と、あの余裕を少し無くしたカカシの声や短く詰めた息。みるみるイルカの身体は一気に熱くなった。
「……くそっ」
唇を噛んで火照る身体に力を入れる。
違う。あんなのは間違ってる。
友達とすることじゃない。
固く目を瞑り頭の中から忘れようと強く思う。
思うのに、身体は熱いまま。
イルカは嘆息を漏らし、目を開け手の中の手裏剣を見つめた。
「……逃げんなよ」
イルカは手裏剣を握りしめると、あの川原へと身体を飛ばした。



時間は亥の刻を過ぎていた。
少し息を切らしながら、川原に降り立つ。
直ぐに辺りを見渡しいつものように気配を探る。
もしかしたらこの時間だったらいるかと思ったんだけどな。
いない事に嘆息するが、カカシがいつも姿を消していた方向へ顔を向ける。
イルカは闇に溶ける森の中へ再び身を飛ばした。
修行の合間にカカシから聞いていた暗部の通り道。その付近の枝で足を止めた。
カカシとの修行の成果は出ている。身軽に移動が出来るようになり、枝を踏み折る事もない。音も立てずに降り立つ動作は、自分でもその成果に驚いた。
少し高い木の上から辺りを見渡す。
いつもは他の忍びもあまり足を踏み入れない場所だ。夜中の移動は危険だとイルカも分かっていた。しかも今日は軽装で持っているのは手裏剣のみ。
もしかしたらカカシが通るかもしれない。
それだけでこんな時間にここに来て。
(俺、何やってんだろうな)
背中から押されるような風が吹き、耳に入る音に振り返った。
ざわざわと森がうねる音の中に聞こえるのは、ーー聞き間違いでなければ、たぶん風鳴りの音だ。
その方向にイルカは足を向けた。

見つけたのは岩陰にある小さな洞穴。以前の大戦の傷跡だろうか。
不自然に出来た穴は先が見えない。真っ黒な穴をイルカは覗き込んだ。
動物がいるような気配もない。
再び風が吹き、この穴から風鳴りが微かに響いた。
やっぱりここの風鳴りだ。空気が抜けている証拠だ。
という事は、抜ける先があるという事になる。
イルカは洞穴へゆっくりと足を踏み入れた。空気が少し冷たく感じる。
何メートルか進むと、闇で身体は包まれる。五感を働かせているが、足元の踏む土と砂利の音だけに集中させて歩いた。
イルカは息を飲んだ。ひゅ、と声にならない息が響く。
ひたりと冷たい物が喉元に当たり、肌が突っ張る感触。
それは今にも薄い肌を突き破り血管を突き破る強さだった。
「……動くな」
唸るような声にイルカの身体は強張った。
でもそれは、イルカの探していた声だった。
「俺だよ……イルカだ」
「………イルカ?」
空気の中の張り詰めていた緊張が緩んだ。
喉元から刃物が引かれ、カチャリとクナイを戻す音がした。
顔がまだ暗闇に慣れず見えないが、間違いない。
解かれた殺気にイルカは安堵のような息を吐いた。
「なんでここにいるの」
ドサと動く空気と共にカカシの声がする。腰を下ろしたと察して、イルカはその場所を見下ろした。
「……何でって……お前こそ何で来なかった」
イルカは知らず口を尖らせていた。
「…………任務……そっか、イルカは来たんだ」
「当たり前だろ!」
自然大きくなったイルカの声が洞穴に響く。
カカシの笑い声が後に続いた。
「忙しいの、俺は」
「わ、分かってる!ただ…俺は…」
突き放されたような言い方に、言い返そうにもイルカの語尾が小さくなった。
「……俺は?」
「ただ…お前と修行がしたかったから…」
少しの間の後、クスクスと笑い声を聞き、イルカの顔がかぁと熱くなった。
「さっきから笑うなよ!」
何ともいえないむず痒さにカカシを睨んだ。
「それに…何で、何であんな事したんだよ」
本当は会ったら殴る予定だったのに。
見つかったのはいいが、先に見つけられ死角から急所を取られて形勢不利な状況が加わり、殴るに殴れなくなっていた。
「だってさ、イルカがエロいから」
「え、エロ!?」
「見てるとどーしても盛っちゃうんだよね」
「さか…っ!?」
言葉が続かなくなる。
「ね、気持ちよかった?」
「やめろっ!やめろやめろやめろ!!」
イルカは両耳を手で塞いで叫んでいた。
「…お前…ふざけた事言って俺をからかうな!」
「ふざけてないよ」
「いい加減に…っ、」
屈み込み、胸ぐらを掴もうとイルカは、伸ばした右手に滑っとした感触に身体が固まった。
それは、生暖かい。
何だよ…これは。
血だと気がついた途端、身体の血が引いて心臓がシグナルのように鳴り始めた。
「……おい…」
微かに右手が震え出す。
「……怪我…してるのか?」
「まあね」
恐る恐る声を出したイルカとは正反対に、ケロリとしているカカシの声色に、顔を青くした。
ここにいるのも、怪我をしていたからーー?
暗く、そこまで目が慣れていない。それでも目を凝らしてカカシの面をジッと見た。
「どこを、どの位怪我してる?」
イルカは地面に跪く。
「大した怪我じゃない。放っておけば治る」
「でも血が、」
「触るな」
カカシの低くなった声に、イルカは伸ばした手をビクリとさせる。
ピリとした空気が流れ始める。殺気を含む空気は、敢えて出しているものだろうか。
イルカは唾をこくりと飲み込んだ。
怪我をしてると分かっているのに。
何もするななんて。
どこまでも、わからない。
血で濡れた掌をギュッと握りしめた。
「もう…行く…」
カカシが岩壁を支えに立ち上がる。
ふわりと血の匂いが動いた。
慣れてきた視界から、カカシが怪我をしている箇所が見て取れる。脇腹を抑えていた。
瞬間、苦しくなるくらいに胸が痛んだ。金縛りにあったように、身体が固まったままだ。
「死ぬ訳じゃないんだから、そんな顔しないでよ」
苦笑した声を出した。
死ぬ。
その言葉にイルカは背筋がゾッとした。軽々しく口に出したカカシには、いつもその『死』と向き合っている。薄っぺらい意味のない言葉のように口にする怖さを、イルカは感じた。
「だって…」
「なんの事はないよ。自分が未熟だから。それだけ」
未熟。
混乱した。当たり前の事だ。忍びにおける非情な闇に身を投じている現実に、下忍である自分が何を言えるだろう。
自分にむかつきを覚え、だけど、どう言えばいいのか。唇を強く噛み締めた。
「俺を手当てしたいの?」
だったら、と言い獣の面が近づいた。
「今度こそヤらせてよ。そしたら手当てさせてあげる」
「お前……っ」
頭にかぁと血がのぼるのが分かった。
だが、振り上げた手は難なく捕まれる。イルカが加減なく入れる力に筋肉が限界とばかりに腕が震えた。しかし、手首を掴むカカシの腕はピクリともしない。とても怪我をしてる人の力とは思えない。イルカを封じ込めたまま、カカシは腕を引きイルカを引き寄せた。
「その目、いいね。ソソる」
クツクツと笑いを零すカカシは更に面を近づけた。その奥にある赤く光る目を見た時、反射的にイルカは視線を反らした。
見てはいけない、と感じた。
「勘がいいね」
その言葉に、え、と聞き返した時、掴まれていた手首が解放された。
目の前からカカシが消え、振り返ればカカシは既にイルカの背後から出口へ向かっていた。
慌てて追いかけるが、カカシは怪我を負っているとは思えないくらい俊敏に移動し、声をかける間も無く、月光が差す出口から飛躍した。
「……っ…カカシ!」
名前を呼び出口から出たが、イルカからはもうカカシの姿は見えなくなっていた。

さっきまで此処にいて、確かにカカシは此処にいて。
自分と言葉を交わしたのに。
それすらもう塵の夢のような感覚に包まれた。
同時に身体が小刻みに震える。
洞窟に浮かび上がるカカシの姿が脳裏に浮かぶ。

痛い。

「約束!……忘れんなよ!」

人影のない騒めく森に向かって叫んだ声は、吹き上げた風と共に頭上に舞って消えた。





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