手を繋ごう⑤

開け放した窓から風が入り込む。暖かい風に青葉の香り。イルカは夢うつつに気持ち良さを感じていた。カーテンがヒラヒラと風で揺れている。
イルカは布団の上で身じろぎした。
今日は休日だから早く起きる必要はない。
ああ、でも買い出しは午前中の方が安い。昼ぎりぎりでいけば間に合うか。だったらもう少し寝ていたい。
窓から入る心地いい風に、枕に頬を擦り付ける。

「すっげー眺め。堪んない」

あれ、今何か…。
寝惚けた頭で耳に入った言葉を理解しようとしながら、薄っすら目を開ける。
「……ん…」
目を擦りながら、ぼんやりとした視界から入るいつもの景色に、人がいると気がつくのに時間がかかった。
驚き目を見開きイルカはガバリと上半身を起こした。
「え?…な、…誰だお前…」
見た事ない顔に知らない人間が自分の部屋に上がっている。イルカの緊張は一気に高まった。
泥棒…じゃない。銀色の髪に口布を見て、頭の中で瞬時に合点した。
「……カカシ…?」
イルカの問いに、目の前にいる少年は目を細めた。
「正解」
目を見張った。
仮面を外したカカシは、想像すらしていなかったが、左眼に縦に走る傷があるが、それすらも含め、美しく作られた人形のような端整な外見をしていた。
「…女みたい」
単純にそう思ったら口に出てしまっていた。
ふとカカシが顔を顰め、足元に落ちていたタオルケットを顔目掛けて投げられた。
「ぶっ、…なんだよ」
「やらしいカッコのお前に言われたくない」
「はあ?普通だよ。それにどんな格好で寝ようが俺の勝手だろ?」
まだ顔を顰めたままのカカシは上から下へとイルカを眺め、訝しむような目を向けた。
「ね、いつもそんなカッコで寝てるの?」
「……うん、そうだけど」
指差され、自分の服装を確認してイルカは頷いた。
上はタンクトップに下はトランクスを履いているだけの姿は、イルカにとってはいつもの寝姿だ。普段はパジャマを着ているが、暑くて夜のうちに脱いでしまっていた。
「ダメ」
「なにが」
「そんなカッコはするなって言ってる」
「うるさいなあ、よく分からない事言うな」
汗をかいたタンクトップを脱ぎ、カカシを睨んで。
脱衣所に向かおうとしたイルカはカカシの変化に眉を寄せた。
色白の顔が赤く染まっている。よく見ると耳まで真っ赤だ。
「なに?どうした?」
不思議に思ってカカシに近づくと、今度はパジャマを思い切り投げられた。
顔にかかったパジャマを剥がしていい加減にしろ、と言う前にドン、と身体を押された。
敷いたままの布団に尻餅をつく。
急な行動に目を回す。身体が重くなり、気がつけばカカシが腹の上に乗っていた。
見下げるカカシのまだ頬は少し赤い。
「おい、退けよ」
「ホント、何なの。イルカってさ…マジでやってくれるよね」
頭にハテナが幾つも浮かんだ。
「だから、なにが。いいから退けって」
「やだ。ヤる」
裸のままのイルカの上半身を眺め、白い指が触れた。
触られ気がつき、思い出す。
青空の下で無理強いを敷かれた事に。
冗談だろ。本当に嫌だ。
「ふざけんなよ…やめろっ」
「だから、俺は一度もふざけた事なんてないから」
指はスルスルと肌の上を這い、突起を指の腹で押され、身体がビクと震えた。
「やめろ…!」
力任せに腕でカカシを突っぱねた。
ぎゅ、と一瞬眉を顰めたカカシの表情に、自分が押した場所が、怪我をしていた箇所だと思い出した。
生暖かいカカシの血。掌についた感触。
触るなと、唸るような声を出し、牙をむき出した獣のようだった。
固まったイルカを見下ろして、カカシは怪訝な眼差しをした。
「あれ、抵抗しないの。ホントにヤるよ」
右目の赤い色を細める。抵抗を忘れ、近づくカカシの顔を見詰めていた。
ドンドンドン
扉の叩かれる音に我に帰った。
「あ、はい」
カカシを押しのけて起き上がると、床に落ちているパジャマを拾って着る。
扉を開けると、アパートの大家が立っていた。面倒見がよく、親のいないイルカに気を遣っては良く声をかけてきてくれる。
「イルカちゃん寝てた?」
「あ、いやさっき起きて」
急いだ為か掛け違いになったパジャマのボタンを見て微笑まれ、イルカも恥ずかしさに笑って誤魔化した。
「さっきね肉じゃがを作り過ぎたの。良かったら食べて」
「あ、…はい。いつもありがとうございます」
差し出され、タッパーに入れられた肉じゃがを受け取る。容器の暖かさから作りたてだと感じた。余り甘えたくない気持ちの方が強いが、彼女の優しさを無碍には出来なく、イルカは素直に頭を下げた。
「いいのよ、容器は玄関の前にでも置いておいてくれればいいから。じゃあね」
「はい、分かりました」
笑顔で答え、扉を閉める。
「なに、あのオバサン。イルカのなに?」
背後から声をかけられ、カカシに振り向けば、不機嫌な顔をして立っていた。
「大家。よくしてもらってる」
「イルカちゃんだって」
それは聞かれたくない台詞だったとイルカは眉をひそめる。
「うるさいな」
そう言ってカカシの横を通り過ぎタッパーを台所へ置く。カカシの方に顔を向ければ、カカシはまだ憮然とした表情のままだった。
イルカはカカシのいる居間まで歩き、正座した。
畳をパンパンと手で叩く。
「座れよ」
「はあ?なんで」
「いいから」
強く出たイルカに軽く息を吐くと、前で組んでいた手を解き、イルカの前にどかりと胡座をかいて座った。
「なに、続きしないの」
「するか、ボケ」
イルカは溜息を吐いて、カカシを見た。
「お前さ、友達とかいる?」
分かりやすいくらいにカカシは顔を歪めた。
「なに、それ」
「だって、お前おかしいよ。男の俺にヤりたいとか盛るとか、普通じゃねーもん」
「…………」
「俺はさ、お前は凄いって思う。階級だって違うだろうし、…でも俺はお前を…カカシを友達だって、」
「友達?」
短く笑った。
「余計な詮索なんてしないでよ。ホント、イルカってガキ」
「ガ、ガキなんかじゃ、」
「ガキだよ。なに友達って。所詮俺らは人殺す商売でしょ。友達なんていらないよね」
驚くくらいに冷めた声だった。言う事は正論だが、何故か胸が痛くなった。
「お前には友達いないのか?」
「必要ない」
「じゃあさ、なんで俺んちに来た?」
言われたカカシは少し目を開いて、視線を外した。
それは初めて見たカカシの表情の変化だった。いや、今まで仮面のカカシしか見てこなかったから表情さえ掴めていなかったのだが。躊躇するカカシは初めて見た。
「…約束」
「え?」
「飯、食わせてくれるんだろ?」
イルカは拍子抜けしながら頷いた。
もしかして、あの言葉はカカシに届いてたのか。
「でも冷蔵庫ん中そんなないし」
「いい、何でも」
「何でもって…」
待ってろよ、とイルカは溜息混じりに立ち上がると冷蔵庫を覗き込み、食材を確認した。
「あー、やっぱあんまりないなー」
「あるじゃん」
不意に真横にカカシが顔を覗かせ驚いた。あまりにも気配が無さすぎる。
カカシは驚くイルカを気にする素振りも見せずに冷蔵庫を覗いていた。
近くで見る白い肌は、日焼けし黒くなった自分とは比べものにならないくらい綺麗に見える。
「茄子あるじゃん。味噌汁作ってよ。あと目玉焼き。白飯はあるの?」
「…あ、…あぁ」
「それでいい」
端的に告げるとカカシは居間に戻る。


作ったものをちゃぶ台に並べていると、それを眺めたカカシは怪訝な顔をした。
「それいらないよ」
指したのは、先ほど大家から渡された肉じゃがが盛られた皿だった。
「え、何で。おかず少ないからいいだろ」
「いらない。だってそれイルカが作ってない」
「…はあ?」
マジで意味が分からん。
俺が作らないと駄目とか、関係あるか?
だけど、食材もなかったし。言葉に困ってカカシを見る。
「食べよ?」
戸惑うイルカを他所にカカシは箸を持つ。口布を下げて味噌汁を口にした。
(あ、取った…)
仮面に続いて普通に素顔を晒され、どうしていいものかイルカはチラと顔を盗み見た。
やはり、整っている。
「まあまあだね」
言われてイルカも慌てて箸を持って茶碗からご飯を口に入れた。
「…カカシはさ、飯とか…作るのか?」
カカシはイルカに視線を向け、すぐ逸らした。
「あまり。外で食べた方が早いから」
「へえ、お前金持ちだな」
「…面倒臭いし。女のとこ行けばだいたい作ってくれるでしょ」
ぶはっとお茶を吐き出したイルカに、カカシはキョトンとした。
「…あれ、もしかしてイルカ、…女とやった事ない?」
「な……っ、ないよ。そんなっ…」
赤らめた顔で視線を泳がせながら口を袖で拭いた。
「ヘえ…だからか。そう」
一人納得してカカシは目玉焼きを口に放り込んだ。
お、女の…人の家に行くなんて。それ以上にヤるとかヤらないとか、信じられない。
想像すら出来なくイルカは口一杯にご飯を入れて顎を動かす。
カカシは何食わぬ顔でご飯を食べていた。

「カカシ、今日時間あるか」
後片付けをしたイルカは台所から戻り、座っているカカシを見た。
「今日はね」
「じゃあさ」
イルカはちゃぶ台越から身を乗り出した。
「遊ぼうぜ」
「……あそぶ…?」
明確な誘いに、カカシは不思議そうに顔をイルカに向けた。


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