薄れる②

紫蘇の焼酎はさっぱりとしている。いつもなら飲まない。仕事仲間や友人と飲む酒はビールから始まり焼酎に移行するも麦か芋が定番だった。だったら何故自分がこの焼酎を頼んだのか。それはイルカ自身分からなかった。
でも悪くない。
グラスを持ち口に運べば入っている氷が、グラスの傾きと共にカラと鳴る。
今日みたいな日は。
そう思って、イルカは内心首を傾げた。
「それってどんな味するの?」
その声に横を向けば、カカシがイルカが持つグラスを指差していた。今回はカカシ以外は誰も注目していない。どう答えようか。悩んだらカカシの手が伸びた。
「一口飲ませて」
はいともいいえとも言う前にカカシの手はグラスに触れていた。自然な流れのままグラスはカカシの手の内に渡り、焼酎は口の中へ。爽やかでいてさっぱりとした焼酎。その同じ味がカカシの口内に広がったのだろうと、思った。
一口飲んでカカシは片眉を少し上げた。
「あれ、味ない」
「え?いや、ありますよ」
「紫蘇の味」
言われてイルカは含むように笑った。ストレートに紫蘇の味がするはずがない。芋だって麦だって同じじゃないか。
「でも飲みやすい」
はい、とグラスをイルカの前に置く。
「イルカさんは好きなの?」
「いや、どちらでもないです」
初めて飲んだとは言いにくく感じで、曖昧な答えを口にしていた。カカシは軽く頷いて、上唇をペロと舐めた。
「そっか。それは分かる気がする」
何が分かったのだろう。好きではないのが?嫌いではないのが?
流された目線がイルカから別に向けられる。前に置かれたグラスを、イルカは再び口にした。
カカシは楽しそうだ。
女性が聞き上手に徹しているからかカカシが話し上手なのか。相手が一般人だということもあってだろう当たり障りない、しかしイルカが聞いても面白い話をしていた。自分だったらどうだろう。任務には滅多に駆り出される事がなく、強いて言えば行った人間から内容を聞く側がほとんどだ。受付所で報告書を読んで理解するもしかり、それに加えて皆と短いをながらも会話をする。
それに慣れていた。
カカシと報告時に会話をした事がない。必要最低限の挨拶を交わすくらいで、だから。彼の話は魅力的に感じたのかもしれない。
里一の忍びが、上手く話を端折り面白く話す内容に、視線はそのままに、カカシの声に耳を傾けた。

「二次会はどうする」
当たり前のようにイルカは首を横に振った。
「明日は早番。帰るよ」
「悪いな、今日は助かった」
同僚は片手をあげると、店の外にいる女性の元へ背を向けて歩き出した。
ほうと息を吐き出す。
彼の顔を立てれたなら、それでよかった。
少しだけ、風が冷たい。いつのまに夜風がこんなに寒く感じるようになったのか。夜間当番もなく、しばらく外に出ていなかった事もあるだろうけど。
ポケットに手を入れ、歩いてみるが歩きにくい。やはり手を振って歩く方が慣れている。
「寒いね」
ぎょっとした。
路地から人通りがない道を歩いていたからか。不意の声は、自分でも驚くくらいに身体が反応した。
声の主は何食わぬ顔をしながらイルカの横に来た。
「昨日辺りから気温が下がり始めたね」
そう思わない?横目で見たカカシは冷静な表情を見せていた。
「……あの、飲み会は、」
さっきまでいた店の方角を指差すと、カカシは不思議そうな目を見せた。
「俺?行かないよ」
それは。そしたら、あの彼女達が困ってるのではないか。いや、困っているかは知らないけど。
イルカの表情を一頻り眺めて、
「俺は人数合わせだから」
意図を掴んだのか、カカシがそう言った。
「え!?」
言った後に、反応し過ぎたと、そうですかとトーンを落として続ければ、目が少し弓なりになった。
「イルカさんは素直」
そんな意外かな。と口布の下で笑ったのが分かる。無性に恥ずかしくなって、イルカは視線を外す形になった。
彼が人数合わせだった事にはかなりびっくりしたが、自分に素直だと言ってきた事には対しても驚いていた。こうして2人きりで話した事なんて片手で数えるくらいしかない。
「紫蘇の焼酎は初めてだった?」
「あ、えぇ。はい」
頷くとカカシもゆっくりと頷いた。
「試し飲みには十分でしたからね」
試し飲みと言われた意味が分からなかった。確かにあの焼酎は初めて飲んだ。だから試し飲みに十分とはどういう事なのだろう。
「分かりませんか」
分からない。
「分かりません」
イルカは素直に口にした。
「一人時間を潰すにはもってこいという事ですよ」
違う?言われて。違う、と言えなかった。無意識に自分で選択していた理由は、確かにそうなのかもしれない。
黙ったイルカの前にカカシは続ける。
「嫌いじゃないよ、ああ言う席は。ワイワイした空気感もね。でも、自分からは参加しないんです。イルカさんもそうでしょ」
カカシに視線を戻せば、彼の目はもう微笑みを含んでいるようには見えなかった。
そうですと答える前にカカシが言った。
「でもさ、詰まらない、なんて顔をするのはやめなさいよ。彼女達も楽しみたくて来てるんだから」
「…………」
ただ、黙ったイルカの目をじっと見た。
「だったら最初から断わる事を選べば良かったじゃない。人がいいのに、素直だから損しちゃうんだよ」
図星だった。
彼はそんな自分を見ていたんだ。それはきっとカカシ以外の人間も。嫌な気持ちにさせていたのだと、ようやく気がついた。
顔には出さないように気をつけるとか、そんな事も考えなかった。だって、自分は人数合わせだから。いればいいと。そう言う役目だと。請け負っておきながら、自分勝手な態度をしていたのかもしれない。
同僚だって、自分が苦手だと知っていて尚声をかけた。彼に言われるのなら納得がいくが。どうしてこの人がこんな事を言うのだろう。誰にでも進言出来る立場がそうさせているのか。
「俺は、合コン自体好きじゃありませんから。ただ、…嫌な気分にさせてたのなら、…悪かったと、思います」
「ん、そうね。それも顔に出ちゃってましたものね」
そんな事を言いに自分の後を追ってきたのか。
「カカシさんもそこまで好きじゃないんですよね」
ん?とカカシは片眉を上げた。
やめておいた方がいい。
言った後に思ったのだが。途中では終わらなかった。
「だったら、断れば良かったのでは?」
言った後少し心音が高鳴った。
「…まーね。でもたまにはいいのよ。忍びじゃないじゃない子と話すのって。スレてないって言うのかな。すごく話しやすい」
胸がぎゅっと縮んだ気がした。と同時に嫌だなと思った。
「彼女たち、皆んなカカシさんを見てましたよ。本気になったらどうするんですか」
カカシは目を丸くしたが、すぐにその目は細められた。
「俺が本気にならないからいいんじゃない」
随分と冷めた言い方だと思った。
「それ含めて楽しんでるんじゃないかな、あの子達は。あなたには分からないとは思うけどね」
そうだよ。分からない。
自分で話を振っておきながら何て無様なのか。言葉が出てこない。その通りだ。
それはたぶん自分が考えも及ばない思考だ。
女性の考えなんて遠く及ばないと思うし、何より自分は経験もない。そう言われればそうかもしれないと、思うしかない。複雑で、分かりにくくて、難しい。
じゃあまたねと、歩き出したカカシを、止めておけばいいと思っているのに、イルカは口を開いていた。
「待ってください」
その声に肩越しにイルカを見て、背をくるりと回した。
「なに?」
「お言葉ですが」
本気にならないとわかっていても。
「だったらそれこそ彼女たちに失礼なのでは?」
カカシは両手をポケットに入れ、イルカを真っ直ぐに見た。
「どうして?」
街灯がまばらな場所では闇が道を包んでいる。カカシの背中もまた闇を背負っているような、それがまた銀髪がその色に溶けているようにも見えた。
口布を外したカカシは綺麗な顔をしていた。優しい話し方で、面白い話をして。気持ちが動いて好きになってもおかしくない。
「恋なんて、何がきっかけて始まるかなんて分からないじゃないですか」
カカシは本気にはならないと、分かっていても。
それって、自分よりよっぽど罪じゃないか。
楽しませるだけ楽しませるなんて。
「だから、…恋がしたくて集まる飲み会に、最初から本気じゃないのは俺もカカシさんも変わらないのでは?」
言っちまった。
性格はそう簡単には変えれない。昔からそうだ。言わなくてもいい事を、勢いで言ってしまう。
あの中忍試験の言い争った時もそうだった。あの後は仲間からは愚問するなとキツく釘を刺された。
彼に楯突くつもりも毛頭ない。ただ、肌が合わないと思えばいいだけで。もうあんな言い争いはしたくないと、自分も思っていたのに。
イルカは乾いた唇を舐めた。
生意気な中忍だと、カカシは思っているのだろう。ただ、ここは執務室でも、アカデミーでもない。夜中の闇を抱えた歩道だ。カカシと自分以外、誰もいない。
自然沈黙に緊張が走る。カカシは表情を変えなかった。青い瞳がやけに輝いて見える。が、ふと表情を和らげた。

「う〜ん、確かに」

「へ?」
「イルカさんの言う事も最もだね」
カカシは確かにねえ、と納得気味に一人頷いて、間延びした言い方が緊迫した空気を無くしていく。
「俺もそう思いますよ」
そう言ってカカシは片手を上げた。
闇がカカシを包み始める。
ニコリと笑って。
「またね」
カカシは姿を消した。



NEXT→
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。